岩城隆彰
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『武家華族名誉伝 下』 | |
時代 | 明治時代 |
生誕 | 文久3年10月8日(1863年11月18日) |
死没 | 明治12年(1879年)10月15日 |
改名 | 亀五郎(幼名)→隆彰 |
官位 | 従五位 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 明治天皇 |
藩 | 出羽亀田藩主 |
氏族 | 堀田氏→岩城氏 |
父母 | 父:堀田正誠、養父:岩城隆邦 |
兄弟 |
隆彰、堀田正養正室 養兄弟:隆治、隆長、後藤美治室、隆徳 |
子 | 養子:隆治 |
岩城 隆彰(いわき たかあき)は、出羽国亀田藩第13代(最後)の藩主。維新後は亀田藩知事。
生涯
[編集]文久3年(1863年)10月8日、近江国宮川藩主・堀田正誠の三男として生まれる。明治元年(1868年)12月7日、戊辰戦争で新政府軍と交戦したため隠居を命じられていた第12代藩主・岩城隆邦には当時子はおらず、他家に養子を求めざるを得なかった。隆邦の実弟・堀田正養は、堀田正誠の婿養子となり宮川藩主となっていたが、正誠没後にその実子である隆彰が生まれた。そうした縁から、隆彰が堀田家から岩城家に養子入りした。
明治2年(1869年)3月13日、隆彰は隆邦の隠居により家督を継いだ。6月22日、亀田藩知事に任命されて、7月5日に領地に赴任する許可を得る。8月5日には、従五位に叙任された。明治4年(1871年)7月、廃藩置県により知藩事を免官された。同年9月24日、明治天皇に拝謁した。
明治12年(1879年)10月15日、死去。享年17。正室・子女ともになく、岩城家の家督は養父・隆邦の長男の隆治が相続した。
系譜
[編集]父母
養子
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ 『太政官日誌』明治6年、第157号