岩城隆信
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天保9年4月10日(1838年5月3日) |
死没 | 安政2年8月20日(1855年9月30日) |
改名 | 雅五郎(幼名)→隆信 |
戒名 | 温良院殿朴忠謙譲 |
墓所 | 東京都板橋区小豆沢の総泉寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家定 |
藩 | 出羽亀田藩主 |
氏族 | 岩城氏 |
父母 | 父:岩城隆喜、母:母:菊瀬(松雲院) |
兄弟 |
隆興(三男)、隆永(四男)、隆信(五男)、 隆政(六男)、隆邦(七男)、 堀田正養(八男、堀田正誠養子)、 立花種温正室、直子(三女、浅野長祚正室)、倉子(五女、浄真院、佐竹義祚室)、 銀子(八女、佐竹義祚継室)、 緑操院(前田利豁正室)等、計8男18女 |
子 | 養子:隆政 |
岩城 隆信(いわき たかのぶ)は、江戸時代後期の大名。出羽国亀田藩10代藩主。
天保9年(1838年)4月10日、8代藩主・岩城隆喜の五男として生まれる。安政2年(1855年)5月14日に先代藩主で兄の隆永が早世したため、その末期養子として7月5日に家督を継いだが、同年8月20日に死去した。享年18。跡を弟で養嗣子の隆政が継いだ。
系譜
[編集]父母
養子
- 岩城隆政 - 隆喜の六男