コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

川崎市立橘小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川崎市立橘小学校
地図北緯35度34分54秒 東経139度37分17秒 / 北緯35.58167度 東経139.62139度 / 35.58167; 139.62139座標: 北緯35度34分54秒 東経139度37分17秒 / 北緯35.58167度 東経139.62139度 / 35.58167; 139.62139
国公私立の別 公立学校
設置者 川崎市
設立年月日 1914年2月10日
開校記念日 2月10日
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B114213020549 ウィキデータを編集
所在地 213-0022
神奈川県川崎市高津区千年1024
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

川崎市立橘小学校(かわさきしりつたちばなしょうがっこう)は、神奈川県川崎市高津区千年にある公立小学校

概要

[編集]

学校教育目標

[編集]
  • だれにでもやさしい子
  • よく考え すすんでまなぶ子
  • あかるくたくましい子

沿革

[編集]
出典[1]
  • 1865年(慶応元年) - 松本常次郎、達観堂を開く。(松本家の家塾。清沢村、岩川、野川上下、久末、子母口、新作、梶ヶ谷、蟹ヶ谷、新城、小田中の子どもたちが集まる。)
  • 1873年(明治6年)2月15日 - 学制発布の翌年、「培根学舎」となる。
  • 1877年(明治10年) - 富士見台の新校舎に移転して、「培根学校」と改称する。
  • 1886年(明治19年) - 「橘樹郡尋常培根小学校」と改称する。
  • 1909年(明治42年) - 6年制となり、教室不足のため蓮乗院を借りて授業を行う。
  • 1914年(大正3年)
    • 2月10日 - 橘村立尋常高等小学校として認可される。
    • 2月11日 - 神奈川県橘樹郡橘村立尋常高等橘小学校として開校する。培根小学校を本校、末長小学校を分校として合併。この時点の児童数413名、教師10名。橘村立尋常高等小学校として認可。
  • 1918年(大正7年)7月24日 - 培根小学校より2教室、末長小学校より3教室を移転し、現在の校地に統一する。
  • 1923年(大正12年)
    • 4月1日 - 「橘村立橘尋常高等小学校」と改称する。
    • 9月1日 - 正午頃に発生した関東大震災により、校舎1棟残し倒壊する被害が出た。
    • 9月25日 - 倒壊を免れた教室で授業開始。
  • 1929年(昭和7年)7月10日 - 鉄筋コンクリート宮殿式奉安殿設置。
  • 1937年(昭和12年) - 橘村が川崎市と合併したため、「神奈川県川崎市立橘尋常高等小学校」と改称する。
  • 1939年(昭和14年)6月 - 校舎改築及び移転。
  • 1940年(昭和15年)4月 - 校舎増築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令に伴い、「川崎市立橘国民学校」と改称する。
  • 1944年(昭和19年) - 高等科生徒が、学徒動員される。
  • 1945年(昭和20年)
    • 8月15日 - 終戦により、全員復校する。
    • 9月 - 学区変更のため、久末の児童は野川小へ。
  • 1946年(昭和21年)12月23日 - 学校給食始まる。
  • 1947年(昭和22年)
    • 3月4日 - 母の会、発会式。
    • 4月1日 - 新教育制度施行に伴い、「川崎市立橘小学校」と改称する。
  • 1948年(昭和23年)5月7日 - PTA発会式。
  • 1950年(昭和25年)1月24日 - 学校図書館、開館される。
  • 1953年(昭和28年) - 作詞・勝承夫氏、作曲・平井康三郎氏による校歌が制定される。
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月26日 - 増築校舎用地を買収(832坪・柏木武男氏、大川源太郎氏、柏木省三氏の所有地)。
    • 時期不明 - 木造校舎新築(1960年解体撤去)。
  • 1957年(昭和32年) - ブロック校舎が完成する。
  • 1959年(昭和34年)3月31日 - 末長小学校離別式。
  • 1961年(昭和36年)
  • 1963年(昭和38年)
    • 2月2日 - 校内マラソン大会開始。
    • 7月1日 - 創立50周年記念事業発表会開催。
  • 1964年(昭和39年)2月11日 - 創立50周年記念式典挙行。
  • 1965年(昭和40年)3月12日 - 体育館落成記念式挙行。
  • 1968年(昭和43年)6月7日 - 横断歩道橋が完成し、開通式挙行。
  • 1971年(昭和46年)8月1日 - 新校舎(鉄筋校舎)が一部完成する。
  • 1972年(昭和47年)10月21日 - 温室が完成する。
  • 1973年(昭和48年)1月31日 - 校内テレビ放送開始。
  • 1974年(昭和49年)
  • 1975年(昭和50年)10月11日 - 郷土史編集始まる。
  • 1977年(昭和52年)5月21日 - 郷土史読本「たちばな」刊行。ふるさとを見つめる会を開催する。
  • 1978年(昭和53年)7月29日 - 郷土誌刊行運営委員会を開催する。
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月1日 - 郷土誌「橘」刊行記念式典挙行。
    • 5月10日 - 新校舎3階6教室落成式。
    • 9月20日 - 災害時児童引き取り訓練を開始。
  • 1981年(昭和56年)
    • 5月1日 - 機械警備開始。
    • 時期不明 - PTA橘会設立総会。
  • 1982年(昭和57年)7月2日 - チャイム取り替え。
  • 1983年(昭和58年)
    • 5月29日 - この年の運動会を創立70周年記念大運動会として開催。
    • 6月29日 - 学校全域、全児童による航空写真を撮影する。
  • 1984年(昭和59年)3月3日 - 創立70周年記念式典挙行。
  • 1985年(昭和60年)4月4日 - 新作小学校分離式。
  • 1988年(昭和63年)2月28日 - 第1回「橘っ子を考える集い」開催。
  • 1989年平成元年)5月 - 校庭に続いて、体育館が学校施設開放となる。
  • 1991年(平成3年)9月19日 - 台風18号により、ブロック校舎が床上浸水する被害が出た。
  • 1992年(平成4年)
    • 3月 - プール、特別教室が学校施設開放となる。
    • 6月 - 「遊びの広場」開始。
  • 1993年(平成5年)- 校庭・鉄筋校舎・給食室・ブロック校舎改修。
  • 1994年(平成6年)3月5日 - 創立80周年記念式典挙行。
  • 1995年(平成7年) - 橘小留守家庭児ホール開館。
  • 1996年(平成8年)4月1日 - 弱視級開設。
  • 1997年(平成9年)
    • 4月1日 - 肢体不自由児学級開設。
    • 4月x日 - 作業室完成。
  • 1999年(平成11年)7月 - 給食室改修。
  • 2001年(平成13年)5月 - 生ゴミ処理機設置。
  • 2003年(平成15年) - 体育館・プール解体開始。
  • 2005年(平成17年)
    • 2月 - 新校舎入校式挙行。
    • 11月3日 - 創立90周年記念と新校舎竣工祝賀記念の両式典挙行。
  • 2013年(平成25年)
    • 2月7日 - 100周年スローガン看板取り付け。
    • 9月4日 - 創立100周年記念碑除幕式挙行。
    • 11月30日 - 橘小学校創立100周年記念式典挙行。
  • 2014年(平成26年)12月 - パソコン室に児童用パソコン、タブレット導入。
  • 2015年(平成27年)8月 - 学校ホームページをリニューアル。
  • 2016年(平成28年)8月 - 屋外放送設備改修。

関係者

[編集]

教職員

[編集]

学校周辺

[編集]

アクセス

[編集]
  • 川崎市営バス「溝21」・「溝23」・「溝25」、東急バス「溝22」の各系統で、
    • 「橘小学校前」バス停から、「わくわく門」(校門)まで、
      • 1番ポールから、徒歩約85m・約1分
      • 2番ポールから、徒歩約160m・約数分(学校前の歩道橋経由)。
    • 「橘出張所前」バス停から、「なかよし門」(校門)まで、
      • 蟹ヶ谷(東急)・有馬第二団地・市立井田病院・高田町方面(市営)バス停(市道野川柿生線上)から、徒歩約200m・約3分(県道非経由の最短ルート移動した場合)。
      • 梶が谷駅(市営)・溝の口駅(東急・市営)方面バス停(県道14号線上)から、徒歩約110m・約2分。

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]