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市川市立国分小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
市川市立国分小学校
地図北緯35度44分42秒 東経139度55分16秒 / 北緯35.74493度 東経139.92105度 / 35.74493; 139.92105座標: 北緯35度44分42秒 東経139度55分16秒 / 北緯35.74493度 東経139.92105度 / 35.74493; 139.92105
過去の名称 国分小学
国分尋常小学校
国分尋常高等小学校
市川市立国分小学校
市川市立国分国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 市川市
設立年月日 1873年[1]
創立記念日 6月1日
創立者 栗山僖一
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B112210001185 ウィキデータを編集
小学校コード B112210001185
所在地 272-0833
 千葉県市川市東国分2-4-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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市川市立国分小学校(いちかわしりつ こくぶんしょうがっこう)は、千葉県市川市東国分にある公立小学校

沿革

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略歴

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1873年(明治6年)に千葉縣東葛飾郡菅野村(現在の千葉県市川市菅野)に創立後、すぐに千葉縣東葛飾郡國分村(現在の千葉県市川市国分)の宝珠院内に移転する。1888年(明治21年)に国分尋常小学校に改称、1908年(明治41年)に曽谷尋常小学校を合併し、1926年(昭和2年)に千葉県東葛飾郡市川町曽谷下り松一五二九番地(現在の所在地)に移転する。 その後、学校制度の変遷、市制施行、学制改革に伴う名称変更を経て現在に至る。

年表

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  • 1873年 - 3月、菅野村石渡七左衛門居宅に公立小学校を仮設[2]
  • 1873年 - 6月、国分村宝珠院内に国分小学校を仮設(児童数28人)[3]
  • 1882年 - 生徒数57名(男子48名、女子9名)
  • 1888年 - 1月、国分尋常小学校に改称、新築校舎上棟式[4]
  • 1894年 - 生徒数77名(男子56名、女子21名)[4]
  • 1897年 - 8月18日、新築工事落成[5]、移転(国分村1745番地)[6]
  • 1903年 - 生徒数171名(男子80名、女子91名)[5]
  • 1904年 - 生徒数259名(男子136名、女子123名)[5]
  • 1908年 - 曽谷尋常小学校を国分尋常小学校に合併、曽谷に分教場を置いた[7]
  • 1909年 - 児童数増加により、藤城重昌居宅を仮教室に、また1・2年生を午前・午後の二部授業とする[5]
  • 1910年 - 日枝神社を仮教室にした。同年、北台に校舎を新築(国分村1715番地[8])、7月24日に落成式、同年、高等科の設置が認められ、国分尋常高等小学校に改称[5]
  • 1913年 - 2月、電話が開通[5]
  • 1917年 - 5月、本校舎の改築工事を開始、同10月、日枝神社から落成した校舎に移転[9]
  • 1923年 - 9月、関東大震災の避難者437名を収容[10]
  • 1926年 - 12月、現在地[11]に新築校舎が完成、移転
  • 1928年 - 3月21日、校舎の落成開校式を挙行(大正天皇の崩御により延期されていた)[4]
  • 1930年 - 12月、県主催体操研究会を開催[12]
  • 1934年 - 11月、市川市立国分小学校に改称[13]
  • 1935年 - 9月、講堂の工事を開始[5]
  • 1936年 - 1月、講堂の落成式を挙行[5]
  • 1937年 - 2月、縄とび講習会を開催[14]
  • 1938年 - 文部大臣、厚生大臣より体操優良校として表彰[15]、同6月、東西校舎の上棟式、同8月に竣工
  • 1941年 - 4月、国民学校令が公布され、4月1日に市川市立国分国民学校に改称[16]
  • 1942年 - 6月、第69回創立記念式典を挙行、同12月、母の会が発足
  • 1944年 - 児童数545名(男子259名、女子286名)[17]
  • 1945年 - 12月、農業祭を開催[18]
  • 1946年 - 3月31日、市川市立国分小学校に改称(児童数722名)、同年9月、学校給食実施[19]
  • 1947年 - 2月、父兄会(PTA)ができる[20]
  • 1951年 - 学校図書館を開設[5]
  • 1953年 - 創立80周年、10月15日、記念式典挙行[5]
  • 1954年 - 給食室が完成
  • 1959年 - 校歌制定、3月19日、校歌発表会[4]
  • 1961年 - 給食室を改築[4]
  • 1963年 - 6月1日、創立90周年、10月、校舎落成[5]
  • 1964年 - 2月16・17日、創立90年記念式典挙行[4]
  • 1968年 - 8月、プール落成[4]
  • 1969年 - 生徒数985名[4]
  • 1970年 - 生徒数1277名[4]
  • 1971年 - 増築校舎が完成(鉄筋4階8教室)
  • 1972年 - 中国分小・曽谷小を本校より分離[21]、曽谷小は1年間本校に同居(生徒数1539人)
  • 1973年 - 6月、創立100周年(生徒数538名)[5]
  • 1974年 - 3月5日、創立100周年記念式典を挙行、4月、体育館の落成式、10月、筋力コンビネーションが完成[4]
  • 1976年 - 4月5日、特別支援学級「つくし学級」を開設[4]、土俵が完成
  • 1977年 - 校章を制定
  • 1978年 - 11月、わんぱく山を新設[4]
  • 1980年 - 国分コミュニティスクールが発足、10月25日、第1回国分まつり[4]
  • 1981年 - 10月23日、台風24号水害のため校舎が床下浸水し休校[4]
  • 1982年 - 9月18日、台風19号で校庭が冠水[4]
  • 1982年 - 11月18日、創立110周年記念式典が挙行され、校歌碑を設置(児童数488人)
  • 1985年 - 新プールが完成
  • 1987年 - 文部省指定勤労生産学習公開研究会開催
  • 1988年 - ともだち給食開始
  • 1993年 - 創立120周年記念式典挙行・じゃぶじゃぶ池新設
  • 2000年 - 給食調理業務を民間委託
  • 2002年 - コンピューター室改修、冷暖房完備
  • 2003年 - 創立130周年記念式典挙行(児童数409人)
  • 2007年 - 新体育館が完成
  • 2013年 - 仮設校舎の使用開始。旧校舎取り壊し(児童数307人)、同年、創立140周年記念式典挙行
  • 2014年 - 新校舎が完成
  • 2018年 - 第二校舎のトイレを改修
  • 2020年 - 体育館の空調設備が完成
  • 2023年 - 9月14日、創立150周年記念式典挙行

校章

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1977年に制定。下総国分寺の鐙瓦(あぶみがわら)を象ったもので、宝相華文(ほうそうげもん)となっている。

市川市立国分小学校校章
下総国分寺の鐙瓦が元となっている

校歌

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作詞者は清水みのる、作曲者は飯田信夫[22]

学校行事

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  • 4月 入学式、ワクワク活動顔合わせ
  • 5月 全校歩き遠足、運動会、さつまいもの苗植え
  • 6月 市内すもう大会、キッザニア体験学習(6年)
  • 7月 ワクワクじゃんけん大会、グリーンスクール(4年)
  • 8月 市内水泳大会
  • 9月 アンデルセン公園遠足(1年)、修学旅行(6年)
  • 10月 前期終業式、千葉動物公園遠足(2年)、市内めぐり(3年)、市内陸上大会、国分フェスティバル、さつまいもほり、音楽集会
  • 11月 市内音楽会、つくし合同学習発表会、佐原見学(4年)、さつま汁作り、友だち給食
  • 12月 工場見学(5年)
  • 1月 ホワイトスクール(5年)
  • 2月 都内見学(6年)、友だち給食、卒業おめでとうの会
  • 3月 卒業式、修了式

(2013年度)

通学区域

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市川市国分1~3丁目、国分4丁目7~22番、国分5丁目、国分6丁目1~12番、14~16番、東国分1~2丁目[23]

進学先中学校

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学区 / 校区内の主な施設

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交通

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  • JR総武線市川駅よりバス15分(京成バス市41〜市45系統「国分」バス停下車 徒歩1分)

関係者

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出身者

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出典

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  1. ^ 市川市立国分小学校 沿革”. 市川市立国分小学校. 市川市立国分小学校 (2023年4月). 2023年4月26日閲覧。
  2. ^ 『沿革誌』1ページに「明治五年九月御布告ノ御趣意ヲ奉戴シ従前寺子屋ト唱ヘシ私学場ヲ廃シ区内頭取栗山僖一ノ盡力ニ依リ翌明治六年三月一日聯区内菅野村石渡七左衛門居宅ヲ借リ公立小学校ヲ仮設」とある。
  3. ^ 『沿革誌』に「続テ同年六月国分村寺院宝珠院ニ一小学ヲ仮設シ菅野村小学校ヨリ分レテ本校ニ入ルモノ實ニ二十八名ニ至レリ国分小学ト称スルモノ即チ此ナリ」とある。また『千葉県東葛飾郡誌』2257ページに「本校は明治六年六月二十三日國分村寶珠院に假設す」とある。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『国分 創立百拾周年記念誌』
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『沿革誌』
  6. ^ 『千葉県東葛飾郡誌』2257ページに「本校は明治三十年八月十八日同所千七百四十五番地に移轉し」とある。
  7. ^ 『千葉県東葛飾郡誌』2257ページに「同四十一年六月曾谷尋常小學校を廢し國分尋常小學校に合併し(中略)同時に曾谷に二學級の分教場を設置し」とある。
  8. ^ 『千葉県東葛飾郡誌』2257ページに「當村千七百十五番地に第二校舎を新築し」とある。
  9. ^ 『沿革誌』、および『千葉県東葛飾郡誌』2257ページに「後大正六年五月國分北根千七百卅八番地の一、二、三へ移轉し」とある。
  10. ^ 『沿革誌』に9月2日に市川市に避難してきた218名が学校に泊まり、9月3日には日清紡の社員206名、他13名を収容したとある。
  11. ^ 『沿革誌』に「大正十五年四月二十五日、移転校舎ノ敷地決定、曽谷下り松一五二九より一五三三ノ六番地マデ」とある
  12. ^ 『沿革誌』に「県主催ノ体操科研究会ヲ本校ニ開催ス」とある。
  13. ^ 『沿革誌』昭和9年11月3日に「本日ヨリ市川、中山、八幡、国分の四ヶ町村ヲ合併シテ市川市制施行セラル」とあり、市川市立国分小学校に改称したと推測される。
  14. ^ 『沿革誌』昭和12年2月3日
  15. ^ 『沿革誌』に「紀元節ノ佳節ニ全日本体操連盟会長、文部大臣、厚生大臣ヨリ体操優良模範校トシテ表彰ス」とある。
  16. ^ 『沿革誌』に「本日ヨリ小学校ヲ国民学校ト改称シ尋常科ヲ初等科ト改称セラル」とある。
  17. ^ 『沿革誌』12月17日に「農業祭を講堂に於て行う」とある。
  18. ^ 『沿革誌』に「全校児童数、男二百五十九、女二百八十六、計五百四十五、学級数十二、職員数男七、女八、計十五名、現役三名、応召一名」とある。
  19. ^ 『沿革誌』に「学校給食実施。月、水、金と全校児童に行う。ララ物資を主体として副食物を与う。一食七十銭。給食用具一揃購入」とある。
  20. ^ 『沿革誌』に「各地区父兄会各学期毎に開催」とある。
  21. ^ 『沿革誌』3月23日に「中国分、曽谷小学校分離式」とある
  22. ^ 校章・校歌・市川市立国分小学校”. 市川市立国分小学校 (2023年4月25日). 2023年4月25日閲覧。
  23. ^ 市川市立小学校の通学区域一覧”. 市川市 (2018年3月14日). 2023年4月25日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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