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布施事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

布施事件(ふせじけん)とは、朝鮮民主主義人民共和国によるスパイ事件[1][2][3]1976年昭和51年)6月16日大阪府警察摘発(検挙[1][2][3]1971年(昭和46年)に島根県下の海岸から不法入国した北朝鮮工作員趙昌朝大阪府下に潜伏し、在日韓国人に北朝鮮にいる妹の手紙を見せて協力させ、彼が経営する企業を拠点に工作活動をおこなった[2][3][注釈 1]

概要

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川島啓介こと趙昌朝は、北朝鮮物理化学会上級研究員として勤務していた1971年7月頃、北朝鮮当局によって召喚され工作員となることを命じられた[1][2][3]。趙は約2カ月間、政治思想教育、暗号通信受信要領などのスパイ教育を受け、1971年9月下旬、乱数表、暗号表、工作資金などを携行し、

などの任務を指示され、島根県八束郡美保関町(現、松江市)の海岸から不法に入国した[3]

趙昌朝は密入国後、北朝鮮からの指示で大阪府在住の在日韓国人に、北朝鮮にいる妹の手紙を突き付けて彼を工作員として獲得し、同人が経営する会社の住込み工員として就労し、同地を拠点に工作活動に従事した[3]

1973年(昭和48年)7月、趙昌朝に北朝鮮から帰還命令が下り、7月下旬に美保関海岸から密出国し、北朝鮮到着後、活動報告をするとともに工作員として再訓練を受けた[2][3]1974年(昭和49年)、再び美保関より密入国し、その後も布施在住の在日韓国人に対してスパイ訓練を行っていた[2][3]

1976年6月16日、大阪府警察は密出国準備中の川島啓介こと趙昌朝(当時52歳)を逮捕し、乱数表、暗号表、暗号通信受信メモなど諜報活動を裏づける証拠資料を押収した[3]警察庁では本事件を、在韓スパイ網埋設のための獲得工作等の対韓工作、アジア等の海外拠点との連絡、海外スパイ網埋設のための各種工作を目的とする事案の一例とみている[4]

1977年(昭和52年)2月10日大阪高等裁判所は趙昌朝に対し、出入国管理令および外国人登録法違反の罪で懲役6月の判決を下した[2][3]。趙は1977年、北朝鮮に強制送還された[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 1968年東大阪事件2004年布施寿町事件もまた、東大阪市を舞台に展開された北朝鮮工作員によるスパイ事件である。

出典

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  1. ^ a b c 清水(2004)p.220
  2. ^ a b c d e f g h 高世(2002)p.298
  3. ^ a b c d e f g h i j 『戦後のスパイ事件』(1990)pp.95-96
  4. ^ 警察庁 (2004年7月1日). “第2章警備情勢の推移 北朝鮮によるテロ等”. 警備警察50年『焦点』第269号. 警察庁. 2021年3月8日閲覧。

参考文献 

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  • 清水惇『北朝鮮情報機関の全貌―独裁政権を支える巨大組織の実態』光人社、2004年5月。ISBN 4-76-981196-9 
  • 高世仁『拉致 北朝鮮の国家犯罪』講談社〈講談社文庫〉、2002年9月(原著1999年)。ISBN 4-06-273552-0 
  • 諜報事件研究会『戦後のスパイ事件』東京法令出版、1990年1月。 

関連文献

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  • 外事事件研究会『戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出』東京法令出版、2007年10月。ISBN 978-4809011474 

関連項目

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外部リンク

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