幌内駅
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幌内駅 | |
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幌内駅に留置中の石炭車(1983年8月) | |
ほろない Horonai | |
◄幌内住吉 (1.5 km) | |
所在地 | 北海道三笠市幌内町2丁目 |
所属事業者 |
北海道旅客鉄道(JR北海道) 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所属路線 | 幌内線(支線) |
キロ程 | 2.7 km(三笠起点) |
電報略号 | ホロ |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1882年(明治15年)11月13日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)7月13日[1] |
備考 | 幌内線廃線に伴い廃駅 |
幌内駅(ほろないえき)は、北海道三笠市幌内町2丁目にかつて置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)および日本貨物鉄道(JR貨物)幌内線の駅である。事務管理コードは▲131504[2]。
歴史
[編集]- 1879年(明治12年):開拓使が官営幌内炭鉱を開山。
- 1882年(明治15年)
- 1883年(明治16年)
- 1889年(明治22年)12月11日:北海道炭礦鉄道に譲渡。
- 1892年(明治25年)以降 - 1894年(明治27年)以前[7]:幌内太-当駅間 2哩(マイル)26鎖(チェーン)から2哩17鎖へ約180 m短縮。
- 1898年(明治31年)3月21日:0マイル43チェーン(約865 m)三笠寄りに移転(幌内太-当駅間 1哩54鎖 約2.7km)[8][9]。駅舎は、三笠幌内川の左岸に設けられた[10]。
- 1900年(明治33年):駅舎を三笠幌内川右岸に新築移転[10]。
- 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、官設鉄道に移管。
- 1972年(昭和47年)11月1日:旅客・荷物の取り扱いを廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)9月29日:幌内炭鉱閉山[11]。
駅構造
[編集]構内は狭い谷間に位置し、北側の市街へ凸に湾曲しており、南側は東から西へ蛇行しながら流れる三笠幌内川(旧名・上幌内川)に接する。構内はほぼ水平(東へ若干の上り勾配)だが、西側の三笠駅からは構内手前約500 m区間が25パーミルの上り勾配、東の幌内炭鉱選炭場へはさらに最大28.6パーミルの上り勾配の急坂を擁する。
駅舎は北側に位置し、駅舎前に旅客用の単式ホーム1面1線、かつては一般貨物取り扱い用に駅舎横の三笠側(西側)に貨物積卸場と引込線を1本有していた。駅裏側には4本の留置線があり、その外側に1本の機回し線、それから東側に分岐して転車台へ向かう側線を有していた。本線と留置線の合流先からは東の選炭場へ向けて、幌内炭鉱専用線が伸びていた。
駅周辺
[編集]- 三笠市営バス「鉄道記念館」停留所
駅跡
[編集]北海道の鉄道発祥を記念して、1987年(昭和62年)9月に三笠鉄道村の中核施設・三笠鉄道記念館として整備され、多くの鉄道車両が保存されている。
隣の駅
[編集]- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 幌内線
- 三笠駅 - 幌内駅
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、841-842頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 北海道鉄道百年史 上巻 日本国有鉄道北海道総局 昭和51年発行、P46。
- ^ 北海道鉄道百年史 上巻、P60-66。同日付の太政官布達第三号による。原文は国立国会図書館デジタル化資料 明治16年太政官布達 P14-24。
- ^ 北海道鉄道百年史 上巻、P42 鉄道関連諸表の「停車場」項より。それまでは札幌などと同様に、仮停車場にて運用されたか?
- ^ 明治十八年統計摘要 北海道庁 1887年(明治20年)出版(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 日本鐵道一覽表 明治25年2月調, 1892年 鉄道庁出版および日本鉄道一覧表 明治27年6月調, 1894年 逓信省鉄道局出版より。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 昭和3年 線路一覧略図 札幌鉄道局発行によると、当駅構内端から幌内炭砿選炭場のある線路終点までが864 mであり、当初はこの選炭場に停車場が設けられたものと推定される。
- ^ 『官報』1898年03月28日 内務省通達「停車場移転」(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 新三笠市史 P274。市史では三笠幌内川ではなく奔幌内川となっているが、この川は上流の北側の支流であり、当鉄道とは全く接していない。当駅構内は三笠幌内川の右岸にあり、移転当初は幌内炭鉱坑口のある対岸(左岸)に駅舎が設けられ、三笠幌内川に掛けられた橋を介してホームへ渡ったと思われる。
- ^ “ヤマの歴史に幕、揺れる地元”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年9月30日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 田本写真帳から幌内(炭山)停車場 - 函館市中央図書館所蔵デジタルアーカイブ 左上の写真。官営幌内鉄道時代。当時は後の位置より860m程奥の幌内炭礦坑口近くを停車場としていた。
- 北海道大学北方資料データベース 「幌内炭山」 積出ホッパー(明治時代末期)。