幡日佐神社
幡日佐神社 | |
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境内 | |
所在地 | 京都府南丹市八木町氷所中谷山11-73 |
位置 | 北緯35度5分41.95秒 東経135度33分12.94秒 / 北緯35.0949861度 東経135.5535944度座標: 北緯35度5分41.95秒 東経135度33分12.94秒 / 北緯35.0949861度 東経135.5535944度 |
主祭神 |
品陀別命 氷室命 |
社格等 |
式内社(小) 旧村社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 幡日佐氷室両神社 |
例祭 | 10月21日 |
幡日佐神社(はたひさじんじゃ)は、京都府南丹市にある神社。式内社で、旧社格は村社。
神吉にあった氷室神社を合祀したため、「幡日佐氷室両神社」とも呼称される[1]。
祭神
[編集]- 品陀別命 (ほんだわけのみこと)
- 応神天皇に同じ。当社創建以来の祭神。
- 氷室命 (ひむろのみこと)
- 神吉にあった氷室神社の祭神で、江戸時代に合祀。
歴史
[編集]創建
[編集]かつて、当社裏の峠を越えた神吉下村(現・南丹市八木町神吉)には、朝廷の氷室(氷を貯蔵し夏に献上する場所)が設けられていたとされる。社伝によると、その地には「氷室大明神」が鎮座していた。その後、時期は不明ながらその分祠を氷所に立てたのが当社の創建という。当初は、現境内の南方に位置する故宮(古宮)の地に営まれ、「氷所大明神」と称したという。
そして和銅年間(708年-715年)、近在の美濃田村(現・亀岡市美濃田)にある幡谷山に8流の幡が天から下り、そのうちの1流は氷所大明神の境内樹にかかって金色の光を放っていた。これを機に、以後は社名を「幡久」と改めたと伝える。
概史
[編集]平安時代中期の『延喜式』神名帳では丹波国船井郡に「幡日佐神社」と記載され、式内社に列している。同じく『延喜式』には10ヶ所の氷室が記載されており、このうち丹波国桑田郡の「池辺」の氷室が当地の氷室に比定されている[2][3]。また、この氷室は謡曲「氷室」の舞台にもなった。
天正19年(1591年)、故宮の地から移転し社殿が造営された。神吉下村の氷室大明神が戦国の戦乱で焼亡していたことから、寛文9年(1669年)に同神を合祀し、以後は「氷室幡久両社大明神」と称していた。
明治6年(1873年)、近代社格制度において村社に列格した。明治9年(1876年)、式内社の社名に基づき現在の「幡日佐神社」に改称した。社殿は大正10年(1921年)に焼失し、大正13年(1924年)に再建された。
境内
[編集]摂末社
[編集]関係地
[編集]- 故宮跡 (南丹市八木町氷所、北緯35度5分20.50秒 東経135度33分18.50秒) - 「故宮遺跡」の石碑が立つ。
祭事
[編集]現地情報
[編集]所在地
交通アクセス
周辺
- 大送神社 - 「大送神社の綱引き」で知られる。
- 氷室の郷(南丹市八木農村環境公園)
脚注
[編集]- ^ 「幡日佐氷室両神社」の名称は、鳥居の扁額等に見える。本項では、神社本庁の登録名「幡日佐神社」に従う。
- ^ 『国史大系 第13巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)539コマ。
- ^ 『国史大辞典』(吉川弘文館)氷室項。
参考文献
[編集]- 『日本歴史地名大系 京都府の地名』(平凡社) 幡日佐神社項
外部リンク
[編集]- 幡日佐氷室両神社(南丹生活 ~南丹市総合ガイド~)