平戸市立野子小学校
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平戸市立野子小学校 | |
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北緯33度11分23.1秒 東経129度21分57.2秒 / 北緯33.189750度 東経129.365889度 | |
過去の名称 |
志々伎小学校野子分校 尋常野子小学校 野子尋常小学校 野子尋常高等小学校 野子国民学校 志々伎村立野子小学校・中学校 平戸市立野子小学校・中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 平戸市 |
校訓 | 夢、勇気、敬愛 |
設立年月日 | 1882年(明治15年)5月15日 |
閉校年月日 |
【中学校】 2021年(令和3年)3月31日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210001116 |
所在地 | 〒859-5535 |
長崎県平戸市野子町1955番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
平戸市立野子小学校(ひらどしりつ のこしょうがっこう, Hirado City Noko Elementary School)は長崎県平戸市野子町にある公立小学校。平戸島最南端に位置している。
もともと小中併設校であったが、2021年(令和3年)3月末に中学校が閉校し、小学校単独校となった[1]。
概要
[編集]- 歴史
- 1882年(明治15年)に開校した「志々伎小学校野子分校」を前身とする。2012年(平成24年)に小学校は創立130年を迎えた。
- 校訓
- 「夢、勇気、敬愛」
- 校歌
- 1958年(昭和33年)10月に制定。作詞は小楠安太郎、作曲は木村翠による。歌詞は2番まであり、校名は歌詞に登場しない。
- 通学区域
- 平戸市の後に「野子町」が続く地域(船越・向月を除く)
- 併設の中学校が閉校したため、2021年(令和3年)4月1日から中学校区は平戸市立南部中学校となった[1]。
沿革
[編集]- 1882年(明治15年)5月15日 - 「志々伎小学校野子分校」が開校。
- 1886年(明治19年)2月1日 - 志々伎小学校から分離し、「野子小学校」として独立。
- 1891年(明治24年)9月1日 - 小学校令改正学により、「野子尋常小学校」と改称。
- 1912年(大正元年)4月1日 - 高島分校を設置。
- 1926年(大正15年)4月1日 - 高等科を併置し、「野子尋常高等小学校」と改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「野子国民学校」と改称。
- 小・中併設期
- 1947年(昭和22年)
- 1950年(昭和25年)3月25日 - 木造新校舎が完成。
- 1954年(昭和29年)4月16日 - 高島分校の新校舎が完成。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 平戸市発足により、「平戸市立野子小学校・中学校」に改称。
- 1963年(昭和38年)3月14日 - 中学校校旗を作成。
- 1970年(昭和45年)5月10日 - 高島分校の運動場が完成。
- 1971年(昭和46年)
- 1973年(昭和48年)5月11日 - 体育館が完成。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)6月6日 - 低鉄棒を設置。
- 1989年(平成元年)2月18日 - ツツジ植樹等の環境整備作業を実施。
- 1991年(平成3年)9月20日 - 飼育小屋が完成。
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 1月27日 - 特別教室が完成。
- 6月8日 - 佐世保市立相浦西小学校と姉妹校を締結。
- 10月7日 - 水洗トイレ化が完了。
- 1994年(平成6年)9月24日 - 運動場にシーソーとジャングルジムを設置。
- 1995年(平成7年)
- 1998年(平成10年)
- 3月7日 - 体育館が落成。
- 1999年(平成11年)2月~8月 - 校舎を増築。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 高島分校を休校。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 2010年(平成22年)
- 3月31日 - 高島分校(小学校)を閉校。
- 4月6日 - スクールボートの運航を開始。
- 2021年(令和3年)
- 小学校単独
- 2021年(令和3年)4月1日 - 「平戸市立野子小学校」(小学校単独)となった[1]。
部活動
[編集]- 旧・野子中学校には以下の部活動があった。
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 西肥バス 平戸南部線 「野子学校前」バス停
- 最寄りの国道