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広姫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廣姫から転送)
広姫
第30代天皇后
皇后 敏達天皇4年1月9日(575年

崩御 敏達天皇4年11月(575年
陵所 息長陵(滋賀県米原市村居田字北屋敷)
父親 息長真手王
配偶者 敏達天皇
子女 押坂彦人大兄皇子
逆登皇女
菟道磯津貝皇女
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広姫(ひろひめ、生年不明 - 敏達天皇4年(575年?)11月)は、敏達天皇(第30代)の皇后

日本書紀』では「広姫(廣姫)」、『古事記』では「比呂比売命(ひろひめのみこと)」と表記される。

系譜

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日本書紀』に基づく関係系図

息長氏
息長真手王
 
 
広姫
(前皇后)
 
 
 
30 敏達天皇
 
 
 
33 推古天皇
(後皇后)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
押坂彦人大兄皇子逆登皇女菟道磯津貝皇女
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
茅渟王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
36 孝徳天皇35 皇極天皇 /
37 斉明天皇
 
 
 
34 舒明天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
38 天智天皇40 天武天皇

日本書紀敏達天皇紀では、広姫を息長真手王(おきながのまてのおおきみ/おきながまてのおおきみ)の娘とし、天皇の皇后として押坂彦人大兄皇子(更名を麻呂古皇子)、逆登皇女、菟道磯津貝皇女の1男2女を産んだとする。

古事記』敏達天皇段でも、比呂比売命を息長真手王の娘とし、天皇との間に忍坂日子人太子(亦名を 押坂彦人大兄皇子)、坂騰王、宇遅王の3人を産んだとする。

なお息長真手王の娘としては、継体天皇(第26代)の妃にも麻績娘子(おみのいらつめ、麻組郎女)の記載が見える。

記録

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日本書紀』によれば、広姫は敏達天皇4年1月9日(575年2月4日?)に立后して1男2女を産み、同年11月に崩御したという[1]

広姫の崩御後、敏達天皇5年(576年)3月10日には額田部皇女(のちの推古天皇)が立后している。

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(みささぎ)は、宮内庁により滋賀県米原市村居田字北屋敷にある息長陵(おきながのみささぎ、北緯35度24分6.32秒 東経136度20分10.03秒)に治定されている[2][1]。宮内庁上の形式は円丘。遺跡名は「村居田古墳」。

広姫の陵について『日本書紀』に記載はないが、『延喜式諸陵寮では遠墓の「息長墓」として記載され、近江国坂田郡の所在で、兆域は東西1・南北1町で守戸3烟を毎年あてるとする[1]。その後、息長墓の所在に関する所伝は失われ、後世の坂田郡内には「皇后塚」と称される古墳が数ヶ所存在した[3]

村居田の皇后塚(村居田古墳)は、元々は現陵でなく荒陵山光運寺境内地に存在した古墳を指した。その古墳は元禄9年(1696年)の光運寺建立の際に大部分が削平され、その際には石室・家形石棺とともに宝冠・大刀・鏡が出土したが、出土品の入った石棺は光運寺隣接地の堀居氏の庭に埋納されたという[1][3]明治7年(1874年)5月に教部省により当地が息長陵に考証され、明治8年(1875年)7月には掌丁付置が命じられたが、上述の経緯を踏まえて同年9月に遺物埋納地に円丘が築かれてそれが息長陵に定められた[1][3]。そして明治10年(1877年)の兆域確定の際には、光運寺南側の皇后塚残丘は息長陵付属地と定められ、陵の参道に囲い込まれている[1][3]。ただし考古学的には、この皇后塚は古墳時代中期の5世紀代の築造と見られ、広姫の墓とするには否定的な見解が強い[3]

考証

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広姫の出自の息長氏は、近江国坂田郡を本貫とした氏族である。『古事記』・『日本書紀』の記す上代では、「息長」を名に含む人物や、皇室と婚姻関係を持った息長氏出身人物が知られ、広姫もその1人になる。この息長氏に関する諸説の中で、皇室との確実な婚姻関係を持ったのは広姫と推測し、天智天皇天武天皇が「皇祖大兄」と位置づける押坂彦人大兄皇子をこの広姫が産んだことから、上古の息長氏関係系譜は広姫(および皇親息長氏)の顕彰のための述作とする説がある[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 息長陵(国史).
  2. ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)11コマ。
  3. ^ a b c d e 息長墓(平凡社) & 1991年.
  4. ^ 「息長」『日本歴史地名大系 25 滋賀県の地名』 平凡社、1991年。

参考文献

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  • 「広姫」『日本人名大辞典』講談社 
  • 石田茂輔「息長陵」『国史大辞典吉川弘文館 
  • 「息長墓」『日本歴史地名大系 25 滋賀県の地名』平凡社、1991年。ISBN 4582490255 

関連項目

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