影山雅永
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名前 | ||||||
カタカナ | カゲヤマ マサナガ | |||||
ラテン文字 | KAGEYAMA Masanaga | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1967年5月23日(57歳)[1] | |||||
出身地 | 福島県いわき市[1] | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1983-1985 | 福島県立磐城高校 | |||||
1986-1989 | 筑波大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1990-1994 | 古河/ジェフユナイテッド市原 | 84 | (2) | |||
1995 | 浦和レッズ | 0 | (0) | |||
1996 | ブランメル仙台 | 19 | (2) | |||
通算 | 103 | (4) | ||||
監督歴 | ||||||
2006-2007 | マカオ | |||||
2008 | シンガポール U-16 | |||||
2010-2014 | ファジアーノ岡山 | |||||
2017-2021 | 日本U-20 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
影山 雅永(かげやま まさなが、1967年5月23日 - )は、福島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。(JFA 公認S級コーチ)アジアサッカー連盟AFC公認プロフェッショナル・ディプロマコーチライセンス習得AFCプロ
来歴
[編集]福島県立磐城高校卒業後、筑波大学入学。蹴球部の同期に井原正巳や中山雅史らがいる。大学在学中はそれほどの活躍を残すことが出来ず、一時は選手続行を諦め、指導者の勉強を始める決断を下し、筑波大大学院の受験をし合格する。そこへ、日本サッカーリーグ1部の古河電工(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)から誘いを受け、大学院を休学しながら現役を続行した。
Jリーグ開幕後もそのまま市原に在籍し開幕戦スタメン出場を果たし、レギュラーとして活躍した。1995年に浦和レッドダイヤモンズへ移籍するも出番はなく、1996年にジャパンフットボールリーグ所属のブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)へ移籍、同年限りで現役引退。
引退後は籍を残してあった筑波大学大学院に復学。同時に日本代表スタッフとして1998 FIFAワールドカップ・アジア予選、1998 FIFAワールドカップにおいて相手国の分析(スカウティング)を担当。
大学院修了、ワールドカップ終了とともにかねてからの願望であったドイツへ留学。ケルン体育大学の学生として籍を置きながら、地元クラブ1.FCケルンのB-Jugend (U-16) のコーチとして経験を積んだ。
その後、日本サッカー協会技術副委員長を務めていた今西和男との縁で、2001年からサンフレッチェ広島F.Cトップチームコーチに就任。2003年からは小野剛の参謀として活躍、2005年にはアジアサッカー連盟管轄内でプロのコーチとして指導することができるプロフェッショナル・ディプロマコーチライセンス(日本だとJFA 公認S級コーチと同格ライセンス)を習得。
2006年から日本サッカー協会スタッフとしてアジア各国に派遣される。同年2月1日から2008年1月までサッカーマカオ代表監督。
2008年よりシンガポールU-16代表監督に就任。既にAFC U-16選手権2008 (予選)を通過していたチームをAFC U-16選手権2008本大会で指揮するが、3敗全敗(1得点14失点)であった。
2009年、ファジアーノ岡山のヘッドコーチに就任。2010年シーズンより岡山の監督に就任。2010年の年間順位は17位に引き上げると2011年にはさらにチームを13位まで引き上げ、2012年には年間8位とチームの成績を上げるのに貢献したものの2013年には12位、2014年には8位と結局チームは岡山のJ1昇格を果たせないまま2014年シーズンをもって岡山の監督を退任した[1]
2017年、U-20日本代表監督に就任[2]。2018年のアジア予選を突破して2019年のFIFA U-20ワールドカップ、ポーランド大会への出場権を得るのに貢献したが[3]、アジア予選準決勝にてサウジアラビア代表に2-0で敗れた。この試合で影山は先発メンバーを9人変更ししかもこの時点で試合では初めてとなる3バックを試し、失敗を認めることになった[4]。
所属クラブ
[編集]- 福島県立磐城高等学校
- 筑波大学
- 1990年 - 1994年 : 古河電気工業/ジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)
- 1995年 : 浦和レッドダイヤモンズ
- 1996年 : ブランメル仙台(現:ベガルタ仙台)
指導歴
[編集]- 1997年 - 1998年 : 日本代表テクニカルスタッフ
- 1997年 イングランドサッカー協会公認プレリミナリーコーチ資格習得
- 1998年 - 2000年 : 1.FCケルンB-Jugend(U-16)コーチ
- 2000年 : ドイツサッカー協会公認B級コーチ資格習得
- 2000年 : U-19日本代表テクニカルスタッフ
- 2001年 - 2005年 : サンフレッチェ広島F.Cトップチームコーチ
- 2006年2月 - 2007年 : マカオ代表監督
- 2008年 : シンガポール U-16代表監督
- 2009年 - 2014年ファジアーノ岡山
- 2009年:ヘッドコーチ
- 2010年 - 2014年: 監督
- 2015年 :JFA地域ユースダイレクター/ナショナルトレセンコーチ/インストラクター
- 2017年 - 2021年 :U-20日本代表監督
- 2022年 - JFAユース育成ダイレクター
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | 古河 | 18 | JSL1部 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 |
1991-92 | JR古河 | 21 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 24 | 2 | ||
1992 | 市原 | - | J | - | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | |
1993 | 29 | 1 | 6 | 0 | 3 | 0 | 38 | 1 | |||
1994 | 25 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 27 | 1 | |||
1995 | 浦和 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1996 | B仙台 | 5 | JFL | 19 | 2 | - | 3 | 1 | 22 | 3 | |
通算 | 日本 | J | 54 | 2 | 8 | 0 | 6 | 0 | 68 | 2 | |
日本 | JSL1部 | 30 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 33 | 2 | ||
日本 | 旧JFL | 19 | 2 | - | 3 | 1 | 22 | 3 | |||
総通算 | 103 | 6 | 8 | 0 | 12 | 1 | 123 | 7 |
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 7試合2得点
脚注
[編集]- ^ a b c 『影山雅永監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)ファジアーノ岡山(J's GOAL)、2014年11月28日 。2014年11月28日閲覧。
- ^ 『U18代表は影山雅永氏、U15は有馬氏が監督就任』(プレスリリース)2017年1月20日 。2017年3月27日閲覧。
- ^ “「センセーショナルな一撃!」「力の差は歴然」FIFA公式がU-19日本代表の“ポーランド行き”を詳報 | サッカーダイジェストWeb”. www.soccerdigestweb.com. 2018年11月1日閲覧。
- ^ 「U-19日本代表監督、先発9人変更&3バック採用の失敗認める 「選手の個性を出せると…」」『』。2018年11月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 影山雅永 - Soccerway.com
- 影山雅永 - FootballDatabase.eu
- 影山雅永 - WorldFootball.net
- 影山雅永 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 影山雅永 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 影山雅永 - FIFA主催大会成績
- 影山雅永 - J.League Data Siteによる選手データ
- 影山雅永 - J.League Data Siteによる監督データ
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