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想いは果てなく〜母なるイングランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョージ・ハリスン > ジョージ・ハリスンの作品 > 想いは果てなく〜母なるイングランド
『想いは果てなく〜母なるイングランド』
ジョージ・ハリスンスタジオ・アルバム
リリース
録音 1979年10月30日 – 1980年9月23日 (1979-10-30 – 1980-09-23)
1980年11月-1981年2月
ジャンル ロック
時間
レーベル ダーク・ホース/ワーナー・パイオニア(初発)
ダーク・ホース/東芝EMI(現行盤)
プロデュース ジョージ・ハリスン
レイ・クーパー
専門評論家によるレビュー
ジョージ・ハリスン アルバム 年表
慈愛の輝き
(1979年)
想いは果てなく〜母なるイングランド
(1981年)
ゴーン・トロッポ
(1982年)
テンプレートを表示

想いは果てなく〜母なるイングランド』(おもいははてなく ははなるいんぐらんど, 原題:Somewhere In England)は、1981年6月1日に発表されたジョージ・ハリスンアルバムである。日本国内では同年6月25日ワーナー・パイオニアからリリースされた。

解説

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制作に至る経緯

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1979年3月、ハリスンはアメリカ・ロサンゼルスダークホース・レコードのオフィスで記者会見を行い[1] [2]、アルバム『慈愛の輝き』の一連のプロモーション活動を終えると、しばらくの間、音楽活動から距離を置いた。これには前年のレコーディングの最中にハリスンに起こったいくつかの出来事が深く関わっていた。

その一つは、息子ダーニの誕生である。父ハロルドの死から3か月後の1978年8月1日、当時公私にわたるパートナーであったオリヴィア・アリアスが出産したことで、ハリスンは初めて父親になった[3]。その後、9月2日に正式に結婚すると[注釈 1]、これまでになく家族と過ごす時間を大切にするようになっていた。

二つ目は、モータースポーツ関係者への支援である。ハリスンは少年時代よりモータースポーツもファンで、F1ドライバーのジャッキー・スチュワートやオートバイ・レーサーのスティーブ・パリッシュらと親交があった。1977年世界選手権500ccクラス5位という好成績を収めたにもかかわらず、シーズン終了後スズキから予算削減のため解雇されたパリッシュをハリスンは支援し、1978年ACUゴールド・スター・チャンピオン獲得に大きな貢献をした。また10月20日に29歳の若さで癌により亡くなった元F1ドライバーのグンナー・ニルソンが創設した癌撲滅基金への支援も行い[7]、募金活動に参加した[注釈 2]。その後『慈愛の輝き』収録の「ファースター」をチャリティー・シングルとしてリリースし[10]、収益を全額基金へ寄付した[11][12]

もう一つは映画業界への進出である[13][14][15]。ハリスンの友人であるエリック・アイドルが属するコメディ・グループ、モンティ・パイソンは映画『ライフ・オブ・ブライアン』の制作開始直前に突然EMIフィルムが出資を取りやめたために窮地に陥っていた。ハリスンはこれを支援するためにデニス・オブライエンと共同でハンドメイド・フィルムスを設立し、400万ドルを出資した[16][17]

映画の公開が決まり、一段落したハリスンは、ハワイマウイ島で家族と過ごしながら曲を書いたり、デモを作ったり、ようやくアルバム制作のレコーディングの準備を始めた。

最初のレコーディング

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1980年3月から自宅スタジオであるフライアー・パーク・スタジオで、レイ・クーパージム・ケルトナーらと共にセルフ・プロデュースで本格的なレコーディングを開始した。作業はそれから7か月間、のんびりしたペースで続けられた。ハリスンが幼少の頃から慣れ親しんできたアメリカの作曲家ホーギー・カーマイケルの楽曲もカバーした。9月には最終ミックスを行ってアルバムが完成し、アートワークも出来上がり、10月下旬のリリースを待つだけだった。この時点での収録曲は以下の通り。

サイド1
#タイトル作詞・作曲時間
1.「ホンコン・ブルース」(Hong Kong Blues)ホーギー・カーマイケル
2.「神のらくがき」(Writing On The Wall)ジョージ・ハリスン
3.「フライング・アワー」(Flying Hour)ジョージ・ハリスン、ミック・ラルフス
4.「レイ・ヒズ・ヘッド」(Lay His Head)ジョージ・ハリスン
5.「空白地帯」(Unconciousness Rules)ジョージ・ハリスン
合計時間:
サイド2
#タイトル作詞・作曲時間
1.「サット・シンギング」(Sat Singing)ジョージ・ハリスン
2.「ライフ・イットセルフ」(Life Itself)ジョージ・ハリスン
3.「ティアーズ・オブ・ザ・ワールド」(Tears Of The World)ジョージ・ハリスン
4.「バルチモア・オリオール」(Baltimore Oriole)ホーギー・カーマイケル
5.「世界を救え」(Save the World)ジョージ・ハリスン
合計時間:

ところが突然、ダーク・ホース・レコードの販売元であるワーナー・ブラザース・レコードの社長モー・オースティンから収録曲の一部[注釈 3]の差替えとジャケットの変更を命じられ、リリースが延期されてしまった[18]。全編いわゆる「レイドバック」的な演奏で当時の流行には合わず、ヒットを狙える曲がないことが理由だった[注釈 4]。4年前にA&Mから契約を打ち切られた時に窮地を救ってくれたオースティンに恩義を感じていた[注釈 5]ハリスンは同意せざるを得なかった。

2度目のレコーディング

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そんな折、ロサンゼルスでの新しいアルバム用のレコーディング・セッションを終えてロンドンに戻ってきたリンゴ・スターから、楽曲の提供を依頼された。ハリスンは「過ぎ去りし日々」と「ラック・マイ・ブレイン」の2曲を提供し[20]、11月19日から25日にかけて自宅スタジオでアル・クーパーハービー・フラワーズ、レイ・クーパーという布陣で[21]、スターのボーカルとドラムを録音した[22][注釈 6]。ところが、スターは「過ぎ去りし日々」のボーカルが彼の声域に対して高すぎると感じ[23]、歌詞についても気に入らなかった[24]ため、ハリスンは自分のアルバムの差し替え候補曲とすることにした[25]

12月に入ると、ハリスンはレイ・クーパーをプロデューサーに起用し、クーパーが連れてきたドラマーのデイヴ・マタックス、ピアニストのマイク・モラン、ベテラン・セッション・ベーシストのフラワーズらと追加レコーディングに取り掛かった[26]。ところが「過ぎ去りし日々」のボーカル差し替えのレコーディングを行っていた12月8日にジョン・レノンニューヨーク射殺される事件が起きた[27]。翌日の未明に訃報を知るとハリスンは大きなショックを受けた[28]デレク・テイラーを通じて、レノンに敬意を表する声明を発表した後、ハリソンは音楽で心を癒そうとレコーディングを続ける決心をし、レイとマタックスと共に「ブラッド・フロム・ア・クローン」を予定通り録音した[26]

1981年1月、「過ぎ去りし日々」を追悼歌としてレノンを称える歌詞に書き換え[25]、ボーカルを再度録音し直した[29][注釈 9]。数日後、スタジオを訪れたポール・マッカートニー夫妻とウイングスデニー・レインバッキング・ボーカルを依頼、録音した[30][注釈 10]。その後、ジョージ・マーティンジェフ・エメリックの協力を得ながら[28][注釈 11]2月にアルバムを完成させた。

リリース

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1981年5月、「過ぎ去りし日々」を「神のらくがき」とのカップリングで[注釈 12]アルバムからの先行シングルとして発売すると、アメリカの『ビルボード』誌のHot 100では最高位2位[31]を記録し、同誌のアダルト・コンテンポラリー・チャートでは第1位を獲得する大ヒットとなった。全英シングルチャート は最高位13位[32]だった。

3週間後に発売された本作は、イギリスの『ミュージック・ウィーク』誌では1973年の『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド 』以降最高である13位を記録した。アメリカの『ビルボード』誌では前作を超える11位を記録し、『キャッシュボックス』誌でも、最高位第11位を獲得し、1981年度年間ランキング71位となった。しかし、売り上げは思うように伸びず、ビートルズ解散後のハリスンのソロ・キャリアで、初めてゴールドディスク認定されなかったアルバムとなった。日本の『オリジナル・コンフィデンス』誌で31位を記録し、日本盤LPの推定累計セールスは約2万枚といわれている。

1991年にCD化されたが、その後1994年にダーク・ホース・レコードとワーナーとの配給契約が満了するとしばらくの間、廃盤状態となった[注釈 13]。2004年3月、デジタル・リマスタリングを施されて他のアルバムと共にEMI傘下で再発された。その際、ジャケットのデザインは当初のものに戻された。また「空白地帯」は演奏時間が30秒長いオリジナル・バージョンに差し替えられ、「世界を救え」のデモ音源がボーナス・トラックとして追加収録された。

なお、差し替えられ、お蔵入りになっていた4曲は、後年になって全て発表された。「レイ・ヒズ・ヘッド」は新たにリミックスされ、1987年発売のシングル「セット・オン・ユー」のカップリング曲として発表された。「フライング・アワー」と「サット・シンギング」は、1988年にイギリスのジェネシス出版から2500部限定で刊行された直筆サイン入りの豪華本イラスト&歌詞集『ソング・バイ・ジョージ・ハリスン』の付録EPもしくはCDに「レイ・ヒズ・ヘッド」とともに収録された。また、「ティアーズ・オブ・ザ・ワールド」は1992年にジェネシス出版から2500部限定で刊行された直筆サイン入りの豪華イラスト&歌詞集『ソング・バイ・ジョージ・ハリスンVol.2』の付録EPもしくはCDに収録された[注釈 14]

アートワーク

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アートディレクションは新たにプロデューサーのクーパーが担当した。ジャケット写真はロンドンのテート・ギャラリーで、イギリスの写真家キャロライン・アーウィンによって撮影された。背景にある立体作品は、1967年に芸術家マーク・ボイル[33]が制作した「Holland Park Avenue Study」である。

インナー・スリーブ裏面上部には、レノンへの献辞として「私もあなたも存在しなかった時代はない。私たちが存在しなくなる未来もない。」というクリシュナの言葉がヒンドゥー教聖典のひとつ『バガヴァッド・ギーター[注釈 15]から引用されている。

なお、当初のハリスンの横顔とイギリス全土の衛星写真をコラージュしたデザインは、モンティ・パイソンのマイケル・ペイリンと交流があり、映画『ライフ・オブ・ブライアン』の本のデザインをした関係でハリスンと知り合った香港出身のアート・ディレクター、グラフィック・デザイナーのバジル・パオが担当していた。

収録曲

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オリジナル・アナログ・LP

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サイド1
#タイトル作詞・作曲時間
1.「ブラッド・フロム・ア・クローン」(Blood From A Clone)ジョージ・ハリスン
2.「空白地帯」(Unconciousness Rules)ジョージ・ハリスン
3.「ライフ・イットセルフ」(Life Itself)ジョージ・ハリスン
4.過ぎ去りし日々( All Those Years Ago)ジョージ・ハリスン
5.「バルチモア・オリオール」(Baltimore Oriole)ホーギー・カーマイケル
合計時間:
サイド2
#タイトル作詞・作曲時間
1.ティアードロップス(Teardrops)ジョージ・ハリスン
2.「ザット・ホウィッチ・アイ・ハヴ・ロスト」(That Which I Have Lost)ジョージ・ハリスン
3.「神のらくがき」(Writing On The Wall)ジョージ・ハリスン
4.「ホンコン・ブルース」(Hong Kong Blues)ホーギー・カーマイケル
5.「世界を救え」(Save the World)ジョージ・ハリスン
合計時間:

2004年再発盤

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CD
#タイトル作詞・作曲時間
1.「ブラッド・フロム・ア・クローン」(Blood From A Clone)ジョージ・ハリスン
2.「空白地帯」(Unconciousness Rules)ジョージ・ハリスン
3.「ライフ・イットセルフ」(Life Itself)ジョージ・ハリスン
4.「過ぎ去りし日々」(All Those Years Ago)ジョージ・ハリスン
5.「バルチモア・オリオール」(Baltimore Oriole)ホーギー・カーマイケル
6.「ティアードロップス」(Teardrops)ジョージ・ハリスン
7.「ザット・ホウィッチ・アイ・ハヴ・ロスト」(That Which I Have Lost)ジョージ・ハリスン
8.「神のらくがき」(Writing On The Wall)ジョージ・ハリスン
9.「ホンコン・ブルース」(Hong Kong Blues)ホーギー・カーマイケル
10.「世界を救え」(Save the World)ジョージ・ハリスン
11.「世界を救え(アコースティック・デモ)」(Save the World (Acoustic demo version))ジョージ・ハリスン
合計時間:

2007年iTunes Store版ボーナス・トラック

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#タイトル作詞・作曲時間
12.「フライング・アワー」(Flying Hour)ジョージ・ハリスン、ミック・ラルフス

参加ミュージシャン

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※出典[21]

脚注

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注釈

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  1. ^ 1977年6月、前妻パティ・ボイドとの離婚が成立していた[4]。弁護士が驚くほどの円満な離婚で[5]、1979年5月に行われたパティとエリック・クラプトンとの結婚披露宴にはポール・マッカートニーリンゴ・スターとともに参加し、ステージでお祝いの即興セッションまで行った[6]
  2. ^ 1979年1月6日にシルバーストン・サーキットで行われたイベントにはパリッシュと一緒にポルシェ924を運転して参加した[8]。また6月3日にはスターリング・モス所有の1960年代初期のロータス18ドニントン・パーク・サーキットをスチュワートとともに走行した[7][9]
  3. ^ 「ティアーズ・オブ・ザ・ワールド」、「サット・シンギング」、「レイ・ヒズ・ヘッド」、「フライング・アワー」の4曲。
  4. ^ この決定がいかに急だったことは、1980年11月17日にリリースされたジョン・レノン&オノ・ヨーコのアルバム『ダブル・ファンタジー』の日本盤初回生産分のLP帯の裏面に、既にこのアルバムが発売中であるとの宣伝が載っていた[19]ことでも窺い知ることができる。
  5. ^ ハリスンは感謝の意を込めて1977年、オースティンの50歳の誕生祝いとして「Mo」という曲をプレゼントした。
  6. ^ 他にスー・トンプソンの「 ユー・ビロング・トゥ・ミー」のカバーも録音した。
  7. ^ 歌詞の中では「You were the one who imagined it all」と歌われている[29]
  8. ^ 歌詞の中では「the devil's best friend」と表現されている[29]
  9. ^ 書き換えられた歌詞の中には、「Imagine[注釈 7]」や「All You Need Is Love」とレノンが作曲した楽曲のタイトルや、レノンを殺害したマーク・チャップマンについての言及[注釈 8]が見られる[29]
  10. ^ マッカートニーはアルバム『タッグ・オブ・ウォー』に収録する予定の「ワンダーラスト」にハリスンのギター演奏をオーバーダブするためにジョージ・マーティンとジェフ・エメリックを伴ってスタジオを訪れたのだが、結局録音されることはなかった。
  11. ^ 契約上の関係で公式にはクレジットされていないが、ライナーノーツでハリスンは謝意を表している。
  12. ^ この曲はレノンの生前に録音されたものだったが、人生の儚さと精神的な目的を認識することの重要性を歌っている歌詞がカップリングにふさわしいと考えられた。
  13. ^ 版権は全てハリスンの下に戻ったが、10年間は他社で再発売できない契約になっていた。
  14. ^ 2004年に『33 1/3』のボーナス・トラックとして収録された。
  15. ^ 収録曲「ザット・ホウィッチ・アイ・ハヴ・ロスト」はこの書に触発され書かれたものである。

出典

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  1. ^ Glen Barber, "Photos: Today in history – November 29 – The Denver Post", The Denver Post, 29 November 2017 (retrieved 17 May 2021).
  2. ^ The Editors of Rolling Stone, p. 98–99.
  3. ^ Inglis 2010, p. 66.
  4. ^ Tillery 2011, p. 94, 163.
  5. ^ Greene 2006, p. 208, 09.
  6. ^ Huntley 2006, p. 170.
  7. ^ a b Clayson 2003, p. 365.
  8. ^ Smith, Sam (2021年11月28日). “THE LASTING LOVE AFFAIR BETWEEN A BEATLE AND THE RACING WORLD”. The Race. 2023年12月24日閲覧。
  9. ^ Pieper 2012, p. 278, 279.
  10. ^ Madinger & Easter 2000, p. 632.
  11. ^ Woffinden 1981, p. 106.
  12. ^ Badman 2001, p. 234.
  13. ^ Greene 2006, p. 230.
  14. ^ Snow 2013, p. 58, 68–69.
  15. ^ Clayson 2003, p. 370, 372–73.
  16. ^ Tillery 2011, p. 120, 163–64.
  17. ^ Doggett 2011, p. 262.
  18. ^ Badman 2001, p. 263.
  19. ^ John Lennon & Yoko Ono – Double Fantasy”. Discogs. 2023年10月20日閲覧。
  20. ^ Womack 2009, p. 178.
  21. ^ a b Leng 2006, p. 221.
  22. ^ Badman 2009, p. 609.
  23. ^ Rodriguez 2010, p. 433.
  24. ^ Madinger 2000, p. 460.
  25. ^ a b MacFarlane 2019, p. 132.
  26. ^ a b Dave Mattacks, Uncut, May 2020
  27. ^ 『12月8日はなんの日?』ジョン・レノンの命日、没後40年”. Billboard JAPAN. 阪神コンテンツリンク (2020年12月8日). 2022年8月24日閲覧。
  28. ^ a b Ray Coooper, Uncut, May 2020
  29. ^ a b c d Womack 2014, p. 28.
  30. ^ Badman 1999.
  31. ^ Billboard Hot 100”. Billboard (1981年7月4日). 2022年8月29日閲覧。
  32. ^ Official Singles Charton 24/5/1981”. The Official UK Charts Company (1981年7月4日). 2022年8月29日閲覧。
  33. ^ Mark Boyle”. TATE. 2023年12月20日閲覧。

参考文献

[編集]
  • Woffinden, Bob (1981). The Beatles Apart. London: Proteus. ISBN 0-906071-89-5 
  • Madinger, Chip; Easter, Mark (2000). Eight Arms to Hold You: The Solo Beatles Compendium. Chesterfield, MO: 44.1 Productions. ISBN 0-615-11724-4 
  • Badman, Keith (2001). The Beatles Diary Volume 2: After the Break-Up 1970-2001. Omnibus Press. ISBN 978-0-711-98307-6 
  • Clayson, Al (2003). George Harrison. London: Sanctuary. ISBN 1-86074-489-3 
  • Huntley, Elliot J. (2006). Mystical One: George Harrison – After the Break-up of the Beatles. Toronto, ON: Guernica Editions. ISBN 978-1-55071-197-4 
  • Leng, Simon (2006) [2003]. While My Guitar Gently Weeps: The Music of George Harrison. Milwaukee, Wisconsin: Hal Leonard Corporation. ISBN 1423406095 
  • Greene, Joshua M. (2006). Here Comes the Sun: The Spiritual and Musical Journey of George Harrison. Hoboken, NJ: John Wiley & Sons. ISBN 978-0-470-12780-3 
  • Rodriguez, Robert (2010). Fab Four FAQ 2.0: The Beatles' Solo Years, 1970–1980 (illustrated ed.). New York: Backbeat Books. ISBN 978-0-87930-968-8 
  • Inglis, Ian (2010). The Words and Music of George Harrison. Santa Barbara, CA: Praeger. ISBN 978-0-313-37532-3 
  • Tillery, Gary (2011). Working Class Mystic: A Spiritual Biography of George Harrison. Wheaton, IL,: Quest Books. ISBN 978-0-8356-0900-5 
  • Doggett, Peter (2011). You Never Give Me Your Money: The Beatles After the Breakup. New York, NY: It Books. ISBN 978-0-06-177418-8 
  • Pieper, Jörg (2012). The Solo Beatles Film & TV Chronicle 1971–1980. Stockholm: Premium Förlag. ISBN 978-1-4092-8301-0 
  • Snow, Mat (2013). The Beatles Solo: The Illustrated Chronicles of John, Paul, George, and Ringo After the Beatles (Volume 3: George). New York, NY: Race Point Publishing. ISBN 978-1-937994-26-6