須賀町 (新宿区)
須賀町 | |
---|---|
町丁 | |
戒行寺坂 | |
北緯35度41分07秒 東経139度43分21秒 / 北緯35.685269度 東経139.722369度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京 |
特別区 | 新宿区 |
地域 | 四谷地域 |
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]) | |
人口 | 1,356 人 |
世帯数 | 805 世帯 |
面積([2]) | |
0.074963004 km² | |
人口密度 | 18088.92 人/km² |
郵便番号 | 160-0018[3] |
市外局番 | 03(東京MA)[4] |
ナンバープレート | 練馬 |
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須賀町(すがちょう)は、東京都新宿区の町名[5]。住居表示未実施。丁番をもたない単独町名である。
地理
[編集]新宿区の南東部に位置する。北部は、四谷三丁目に接する。須賀町の町域の大部分は台地上にあり、東部から南東部にかけては若葉の谷間に続いている。南部は、信濃町、西部は左門町という、いずれも同じ台地上の町に続いている。
町域の南西端が一部で外苑東通りに接しているものの、その他の大部分は大通りからは離れている。また、町域南部の戒行寺坂から外苑東通りに抜ける通り沿いには多くの寺院が並んでいる。主に住宅地として利用される。
戒行寺坂
[編集]戒行寺坂(かいぎょうじざか)は、須賀町9番の日蓮宗戒行寺の前に始まる坂道で、東方の若葉二丁目(かつての鮫河橋谷町)に下っている[6]。戒行寺の向かい側は曹洞宗宗福寺であり、坂道の坂下はかつて「戒行寺谷」と呼ばれていた[6][7]。
坂の名称は、坂上の戒行寺に因んでいる(『御府内備考』[8])[9]。また、この坂には「油揚坂」という別名もあるが、これはかつて坂の途中に豆腐屋があり、その店の油揚豆腐が評判となっていたことによる(『新撰東京名所図会』)[9]。さらに、この地には、その豆腐を買いに来た東福院の豆腐地蔵の伝説も伝わっている[6]。
歴史
[編集]最初に須賀町が成立したのは1872年(明治5年)[年号要検証]のことであった。その後1878年(明治11年)11月、四谷区が成立して「四谷須賀町」となり、1911年(明治44年)には四谷の冠が外されて現在の名称「須賀町」となった。さらに須賀町は1943年(昭和18年)、隣接する南寺町(明治44年以前の名称は「四谷南寺町」)を編入して町域を広げた。
1947年(昭和22年)、四谷区が消滅して新宿区が成立したことから新宿区須賀町となって現在に至っている。
- 行政区分の変遷
- 1868年(明治元年)9月 - : 東京府
- 1878年(明治11年)11月 - : 東京府四谷区
- 1889年(明治22年)5月 - : 東京府東京市四谷区
- 1943年(昭和18年)7月 - : 東京都四谷区
- 1947年(昭和22年)3月 - : 東京都新宿区
地名の由来
[編集]町域内の須賀神社に由来する。
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[10] | 1,323
|
2000年(平成12年)[11] | 1,357
|
2005年(平成17年)[12] | 1,290
|
2010年(平成22年)[13] | 1,305
|
2015年(平成27年)[14] | 1,371
|
2020年(令和2年)[15] | 1,400
|
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[10] | 675
|
2000年(平成12年)[11] | 731
|
2005年(平成17年)[12] | 727
|
2010年(平成22年)[13] | 771
|
2015年(平成27年)[14] | 785
|
2020年(令和2年)[15] | 838
|
学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年8月時点)[16]。
- 区域 : 全域
- 小学校 : 新宿区立四谷第六小学校
- 中学校 : 新宿区立四谷中学校
交通
[編集]町域に鉄道駅はなく、地下鉄丸ノ内線の四谷三丁目駅やJR総武線(各駅停車)の信濃町駅が最寄り駅となる。
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[17]。
町丁 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
須賀町 | 84事業所 | 310人 |
事業者数の変遷
[編集]経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[18] | 75
|
2021年(令和3年)[17] | 84
|
従業員数の変遷
[編集]経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[18] | 343
|
2021年(令和3年)[17] | 310
|
施設
[編集]その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “住民基本台帳による東京都の世帯と人口(町丁別・年齢別) 令和5年1月” (CSV). 東京都 (2023年4月6日). 2023年12月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2024年2月4日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “須賀町の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P874
- ^ a b c 「戒行寺坂」 石川悌二 『江戸東京坂道辞典コンパクト版』(新人物往来社) 平成15年9月20日発行
- ^ 江戸名所図会 1927, p. 265.
- ^ 御府内備考 1929, p. 207.
- ^ a b 『戒行寺坂』 平成18年2月に新宿区教育委員会が設置した道路標識
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “通学区域”. 新宿区 (2018年8月13日). 2024年2月4日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 蘆田伊人 編「御府内備考巻ノ64 四谷ノ4 戒行寺門前」『大日本地誌大系』 第3巻、雄山閣、1929年8月。NDLJP:1214872/113。
- 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 妙典山戒行寺」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、265-267頁。NDLJP:1174144/137。