放駒四郎兵衛
はなれごま しろべえ 放駒 四郎兵衛 | |
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『放駒四郎兵衛』、日吉堂、1913年 | |
生誕 |
生年不詳 日本 江戸・浅草花川戸(現在の東京都台東区花川戸) |
死没 | 没年不詳 |
別名 | 放駒の四郎兵衛 (はなれごま の しろべえ) |
職業 | 侠客 |
親戚 | 夢市郎兵衛 (弟) |
放駒 四郎兵衛(はなれごま しろべえ、生没年不詳)は、江戸時代前期に実在したとされる日本の侠客である[1]。夢市郎兵衛(夢の市郎兵衛)の実兄であり、幡随院長兵衛の子分として知られる[1][2]。放れ駒 四郎兵衛(読み同)、放駒の四郎兵衛(はなれごま の しろべえ)とも表記される。
人物・来歴
[編集]生年月日・生地ともに不詳である[1]。一般に長兵衛よりは年長と考えられ、江戸・浅草花川戸(現在の東京都台東区花川戸)出身と考えられている[3]。当初、力士であったが、引退して植木屋をやっていたところ、実弟・夢の市郎兵衛の侠客としての売り出しとともに、自らも侠客の道に進んだ、という[3]。弟とともに幡随院長兵衛の子分となり、長兵衛四天王八天下のひとりに数えられる[3]。
1657年8月27日(明暦3年7月18日)、水野十郎左衛門(水野成之)に長兵衛が殺され、この仇討ちをしようとするが、捕らえられて処刑されたという[1]。正確な没年月日は不明である[1]。水野はその後、1664年4月23日(寛文4年3月27日)に切腹処分になった[4]。
伝説・物語
[編集]初代桜田治助(1734年 – 1806年)が1769年(明和6年)に書いた『江戸花陽向曽我』に、「放駒四郎兵衛 実ハ鬼王新左衛門」として登場する[5]。市村座で三代目大谷廣次(1746年 – 1802年)がこれを演じ、同年、一筆斎文調が描いた[5]。歌川国明は、1861年(文久元年)10月、四代目中村芝翫を『放駒四郎兵衛 中村芝翫』として描き、一寿斎国政(四代目 歌川国政、1848年 - 1920年)は、大島運四郎、幡随院長兵衛、まむしの治兵衛(真虫次兵衛)、白柄重右衛門とともに5人を1枚に描いた[5]。三代目歌川豊国(歌川国貞、1786年 - 1865年)も、長兵衛とその子息・長松とともに3人を1枚に描いた[5]。
1916年(大正5年)2月、岡本綺堂が書いた『番町皿屋敷』が初演され、六代目市川寿美蔵(三代目市川壽海)が四郎兵衛を演じた[6]。この初演でのほかの配役は、青山播磨を二代目市川左團次、腰元お菊を二代目市川松蔦、柴田十太夫を市川左升、権次を二代目市川荒次郎が演じた[6]。同作に登場する四郎兵衛のキャラクターは、お菊の相手役・青山播磨を白柄組の旗本奴と設定したために、対立する町奴として登場するのである。
テアトログラフィ
[編集]歌舞伎で「放駒四郎兵衛」を演じたおもな俳優の一覧である[5]。生誕順。
- 三代目 大谷廣次 (1746年 – 1802年) - 『江戸花陽向曽我』初演
- 四代目 中村芝翫 (1831年 - 1899年)
- 三代目 市川壽海 (1886年 - 1971年)- 『番町皿屋敷』初演
- 初代 市川猿翁 (1888年 - 1963年) - 『番町皿屋敷』
- 四代目 坂東秀調 (1901年 – 1985年) - 『男達ばやり』
- 三代目 河原崎権十郎 (1918年 - 1998年) - 『番町皿屋敷』麹町山王下の場
- 六代目 中村東蔵 (1938年 - ) - 『番町皿屋敷』番町青山家の場
- 六代目 尾上松助 (1946年 - 2005年) - 『男達ばやり』元の不忍池畔の場
- 二代目 尾上緑也 - 『番町皿屋敷』麹町山王下の場
- 九代目 市川團蔵 (1951年 - ) - 『番町皿屋敷』番町青山家の場
- 三代目 中村吉之助 (1967年 - ) - 『番町皿屋敷』番町青山家の場
- 初代 坂東功一 (1968年 - ) - 『番町皿屋敷』番町青山家の場
- 六代目 市川新蔵 (1956年 - ) - 『番町皿屋敷』番町青山家の場
フィルモグラフィ
[編集]日本映画データベース、キネマ旬報映画データベース等にみられる「放れ駒四郎兵衛」(放駒四郎兵衛)の登場する劇映画一覧である。末尾の俳優が四郎兵衛を演じた。
- 『番町皿屋敷』 : 監督冬島泰三、原作岡本綺堂、製作松竹下加茂撮影所、配給松竹キネマ、1937年11月1日公開 - 山路義人
- 『大江戸五人男』 : 監督伊藤大輔、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1951年11月22日公開 - 小堀明男
- 『素浪人忠弥』 : 監督佐伯清、製作東映京都撮影所、配給東映、1957年8月20日公開 - 沢村宗之助
- 『命を賭ける男』 : 監督加戸敏、製作大映京都撮影所、配給大映、1958年4月29日公開 - 清水元
- 『花の幡随院』 : 監督大曾根辰保、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1959年9月13日公開 - 大友富右衛門
- 『旗本と幡随院 男の対決』 : 監督深田金之助、製作東映京都撮影所、配給東映、1960年4月12日公開 - 津村礼司
- 『江戸っ子繁昌記』 : 監督マキノ雅弘、製作東映京都撮影所、配給東映、1961年8月26日公開 - 近江雄二郎
- 『花のお江戸の無責任』 : 監督山本嘉次郎、製作・配給東宝、1964年12月20日公開 - 安田伸
- 『幡随院長兵衛お待ちなせえ』 : 監督井上昭・松森健・丸山誠治・松林宗恵・清水勝也、東宝/俳優座映画放送/毎日放送、1974年4月5日 - 同年10月4日放映 - 北城寿太郎
- 『日本巌窟王』 : 監督岸田利彦・高野喜世志・松本美彦・田中賢二・池村憲章、脚本小野田勇、1979年1月10日 - 同年6月27日放映 - 団巌
- 『風雲江戸城 怒涛の将軍徳川家光』 : 監督松尾昭典、テレビ東京/東映、1987年1月2日放映 - 成瀬正孝