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月電工業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
月電工業株式会社
TSUKIDEN KOGYO CO.,LTD
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
960-8163
福島県福島市方木田字吉ノ内55-1
設立 1963年昭和38年)11月
事業内容 電子機器・製品の加工組立
プリント基板の加工組立
代表者
  • 伊東 純一(代表取締役会長)
  • 半澤 一磨(代表取締役社長)
資本金 4,800万円
外部リンク www.tsukiden.com/index.html
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月電工業株式会社(つきでんこうぎょう)は、通信装置基盤製造、産業機器の基盤の実装・組立などを手がける日本の企業。

概要

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工業製品クライアントからの受託により開発・製造する企業である。1963年(昭和38年)に個人企業として福島県伊達郡月舘町(現福島県伊達市)に設立され、1969年(昭和44年)に法人化[1]

1987年(昭和62年)には関連会社をフィリピンに設立し、以降日本国外にも拠点を置いている[1]。主要取引先に日本電気セガ日立ビルシステムなど[1]

沿革

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出典:[1]

  • 1963年(昭和38年) - 11月、個人企業として福島県伊達郡月舘町に開業、トランジスタラジオコイルの製造を開始。
  • 1966年(昭和41年) - 4月、飯舘村に草野工場を設立。
  • 1969年(昭和44年) - 6月、月電工業株式会社に組織変更。
  • 1972年(昭和47年) - 12月、平田村に平田工場を設立。
  • 1978年(昭和53年) - 4月、福島市方木田に福島工場を設立。
  • 1982年(昭和57年) - 5月、船引町に船引工場を設立。
  • 1985年(昭和60年) - 1月、本社を福島工場に移転。
  • 1987年(昭和62年) - 6月、月電エレクトロニクス フィリピン社を設立。
  • 1988年(昭和63年)
    • 1月、福島市飯坂町平野に平野工場を設立。
    • 7月、フィリピン・ケソン市に工場を設立。
  • 1989年(平成元年) - 5月、月電香港有限公司を設立。
  • 1990年(平成2年) - 5月、月電グローバル ソリューションズ社を設立。
  • 1993年(平成5年) - 8月、フィリピン・ルソン島ラグナ州に工場を設立。
  • 1996年(平成8年) - 4月、船引第二工場を設立。
  • 1997年(平成9年) - 9月、本社事務所を移転。
  • 1998年(平成10年) - 4月、船引第一工場を船引第二工場へ統合。
  • 2000年(平成12年) - 9月、月舘工場を新築移転。
  • 2001年(平成13年) - 7月、草野工場を新築移転。
  • 2004年(平成16年) - 7月、月電グローバル コーポレートサービス社を設立。
  • 2007年(平成19年)
    • 1月、福島市上名倉工業団地に上名倉工場を設立。
    • 3月、キャリアパワー プロフェッショナル マネージメントサービス社を設立。
  • 2008年(平成20年)
    • 1月、上名倉工場の名称をさくら工場へ変更。
    • 11月、月電電子東莞有限公司を設立(2011年8月に事業譲渡)。
  • 2009年(平成21年)
    • 2月、平野工場を月舘工場へ統合。
    • 8月 - 草野工場を月舘工場へ統合。
  • 2014年(平成26年) - 4月、月電エレクトリック インダストリーズ フィリピン社を設立。

国内関連会社

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出典:[2]

  • 月電ソフトウェア株式会社(福島県福島市太平寺字沖高68)
  • 月電エステート株式会社(福島県福島市方木田字上仲田18-1)
  • 半沢有限会社(福島県福島市方木田字吉ノ内55-1)

競馬とのかかわり

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半沢の勝負服

関連会社の半沢有限会社は、日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られている。現在の代表者は月電工業代表取締役社長の半澤一磨[3]

月電工業の設立者[4]である半沢吉四郎(はんざわ きちしろう、1934年7月4日 - 1985年7月10日[5])と、その双子の弟である[4]半沢信彌(はんざわ のぶや、1934年7月4日[6] - 2017年7月5日[7])は兄弟そろっての馬主として知られる。吉四郎は追い込み馬を好み、学生時代から福島競馬場へ観戦に訪れていたという[8]。その後馬主となり、七夕賞福島大賞典など福島開催の重賞を制したダーリングヒメの仔を青森県諏訪牧場で見初める[8]。その馬は、良さを口では言い表せられないものの、直感で「走る」と感じ、先約のあった調教師中野吉太郎との交渉を経てようやく所有することがかなった[8]。この馬こそが、のちに1976年菊花賞を勝つなどの活躍を見せたグリーングラスである[8]

そんな兄の影響もあり、弟の信彌も1969年頃に個人馬主となる[注釈 1]。だが1985年7月10日、兄の吉四郎が心冠不全のため急逝[5]。このことを受け、信彌は自身の馬主登録を「半沢有限会社」の法人名義に変更[注釈 2][6]。また勝負服も、自身の元来の服色「白、青襷、赤袖青一本輪」から、「グリーングラスを忘れちゃいけない」という考えのもと兄が使用していた「白、赤襷、青袖青一本輪」に変更した[6]。信彌は、名義変更以前を含め長らく重賞勝ち馬を所有していなかった。だが、月電工業現代表取締役会長である伊東純一が海外の競り市でモハメド殿下に競り勝って購入した、のちのグラスワンダー[10]が、有馬記念などGⅠ4勝を挙げる大活躍を果たした。なお現在、伊東はかつての信彌と同じ勝負服(白、青襷、赤袖青一本輪[11])で競走馬を所有する個人馬主であり、福島馬主協会の会長も務めている[12]

主な所有馬

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GI競走優勝馬
重賞競走優勝馬
斜字は地方重賞。
その他の所有馬

脚注

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注釈

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  1. ^ 1999年1月時点で「馬主になって30年」と話していることから[6]
  2. ^ なお正確には、個人名義から「月電工業株式会社」名義を経て最終的に半沢有限会社の名義になった形である。例えばマリーグラス号は1986年10月の競走まで月電工業 (株)の名義で出走し、それ以降から半沢 (有)の名義に変更されていることが確認できる[9]

出典

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  1. ^ a b c d 会社概要”. 月電工業. 2024年7月15日閲覧。
  2. ^ 関連会社”. 月電工業. 2024年7月15日閲覧。
  3. ^ 福島馬主協会会員名簿”. 福島馬主協会. 2024年7月19日閲覧。
  4. ^ a b 「県を担う百社 月電グループ」『財界ふくしま』第11巻第4号、財界21、1982年4月、68-69頁。 
  5. ^ a b 「合掌 | 月電工業(株)会長 半澤吉四郎」『財界ふくしま 夏季特集』第14巻第8号、財界21、1985年8月、334頁。 
  6. ^ a b c d 優駿』、日本中央競馬会、1999年2月、86-89頁。 
  7. ^ 福島馬主協会会報 人馬一体【2018年春号】 P17「おくやみ」欄より (PDF)
  8. ^ a b c d 「菊花賞、天皇賞馬グリーングラス今年いっぱいで引退、種牡馬へ――月電工業社長・半沢吉四郎」『財界ふくしま』第8巻第6号、財界21、1979年6月、86-88頁。 
  9. ^ 競走成績 | マリーグラス”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年7月19日閲覧。
  10. ^ 大沢康泰「半澤信彌月電工業(株)代表取締役会長が――怪物・グラスワンダーのすべてを語る――今年は国内GIに専念し、来年は海外へ!」『財界ふくしま』第28巻第3号、財界21、1999年2月、62-63頁。 
  11. ^ 伊東純一 | データベース”. ウマニティ. 2024年7月19日閲覧。
  12. ^ ごあいさつ”. 福島馬主協会. 2023年4月14日閲覧。

参考文献

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  • 『財界ふくしま』第8巻第6号(財界21、1979年6月)
    • 「菊花賞、天皇賞馬グリーングラス今年いっぱいで引退、種牡馬へ――月電工業社長・半沢吉四郎」
  • 『財界ふくしま』第11巻第4号(財界21、1982年4月)
    • 「県を担う百社 月電グループ」
  • 『財界ふくしま 夏季特集』第14巻第8号(財界21、1985年8月)
    • 「合掌 | 月電工業(株)会長 半澤吉四郎」
  • 優駿』1999年2月号(日本中央競馬会、1999年1月)
    • 杉本清の競馬談義166 ゲスト・半沢信彌さん」
  • 『財界ふくしま 新年号』第28巻第3号(財界21、1999年2月)
    • 大沢康泰「半澤信彌月電工業(株)代表取締役会長が――怪物・グラスワンダーのすべてを語る――今年は国内GIに専念し、来年は海外へ!」

外部リンク

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