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有本松太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有本 松太郎
ありもと まつたろう
生年月日 1863年2月24日
出生地 但馬国二方郡(現兵庫県美方郡新温泉町
没年月日 (1941-05-13) 1941年5月13日(78歳没)
前職 土木請負

在任期間 1918年 -
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有本 松太郎(ありもと まつたろう、文久3年1月7日1863年2月24日) - 昭和16年(1941年5月13日[1])は、日本実業家政治家皆生温泉土地社長[2]。米子電気軌道代表取締役[2]。元鳥取県議会議員。元米子市議会議員地主[3]皆生温泉の基盤を築いた[4]

経歴

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土木請負業者として

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但馬国二方郡(現新温泉町田君[4])に生まれた[5]。有本清太郎の弟[6]

明治14年(1881年つるはし1本担いで鳥取に出て土木工事に従事して以来、各地を転々とするうち、明治37年(1904年日露戦争中の満州に渡り、鉄道工事を請け負い多くの財を得た[5]。明治26年(1893年分家して一家を創立する[6]

明治末頃には、山陰線鉄道工事の関係で米子に住むようになった[4]

大正7年(1918年)鳥取県会議員に当選し、土木請負業を菊地甚五郎に譲った[4]

皆生温泉の開発

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松太郎は、大正9年(1920年)海中調査を開始し、大正10年(1921年)5月正式に「皆生温泉土地株式会社」を発足させた[4]。同年六月には温泉掘削許可を受けて掘削に取り掛かり、一ヵ月後温泉源(皆生温泉第一源泉)を掘り当てた[4]

その後、旅館大山館の建設、大正11年(1922年)には乗合自動車会社(8ヶ月で営業権を山陰タクシーに譲渡した)をはじめた[4]。また、大正12年(1923年)には米子皆生間の米子電気軌道株式会社を設立[4]

旅館をはじめ郵便局交番などを建て、運動場、競馬場も開いた[5]

松太郎が大正10年に会社を設立してから、7年間で今日の皆生温泉の基盤が築かれた[4]。昭和9年(1934年)71歳になった松太郎は会社経営から退き、昭和16年(1941年)78歳で亡くなった[4]

家族

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有本家

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兵庫県美方郡浜坂町(現新温泉町)、鳥取県米子市東町、米子市皆生
有本松太郎君邸宅
  • 妻・きよ[6](鳥取、入江徹吉[6]
明治3年(1870年)11月生[6] - 没
大正元年(1912年)12月生[7] - 没
米子工業[7]中国電力(株)に入社後各職域を経て昭和26年(1951年)境出張所長、昭和31年(1956年)米子営業所工務課長[7]趣味囲碁[7]。住所は米子市皆生[7]

略系図

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有本松太郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
有本武夫
 
 
 
 
 

史料

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大正5年(1916年)の地主層

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当時、商工業の有力者は同時に地主でもあった[8]。この年度における米子町の地価1000円以上の地主名を挙げると次の通りである[3]2000円〜3000円の部有本松太郎の名前がみえる。

  • 1000円〜2000円の部[3]
八幡貞蔵、森尾甚太郎、大塚誠太郎、三好豊吉、渡辺[9]幸四郎、隠岐村初太郎、野坂吉五郎、末好和三、小倉延衛、住田半三郎、今井兼文、富長為太、勝田伝六、久山義英、植田兼蔵
  • 2000円〜3000円の部[3]
神庭政七亀尾定右衛門、亀尾伝三郎、藤谷喜三郎、天野芳太郎、井田虎次郎、有本松太郎、渡辺慶太郎、船越正蔵
  • 3000円〜4000円の部[3]
黒田繁夫、天満徳太郎、田中庄次郎、篠原義一、村上常三、長田吉太郎、小西芳太郎、中村藤吉門脇孝一津田宗一郎、広戸藤次郎
  • 4000円〜5000円の部[3]
砂田竹太郎、坂江まつの
  • 5000円〜7000円の部[3]
小坂市太郎、森久太郎、野波令蔵、松浦常太郎
  • 7000円〜10000円の部[3]
大谷房太郎、平野万寿子、石賀善五郎
  • 10000円〜15000円の部[3]
田村源太郎、近藤なお、益尾徳次郎、杵村喜市、船越作一郎稲田秀太郎
  • 15000円〜20000円の部[3]
木村吉兵衛
  • 20000円〜25000円の部[3]
三好栄次郎後藤快五郎
  • 30000円〜35000円の部[3]
野坂茂三郎
  • 35000円〜45000円の部[3]
益尾吉太郎
  • 70000円〜100000円の部[3]
名島嘉吉郎
  • 100000円以上の部[3]
坂口平兵衛

脚注

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  1. ^ 伯耆ふるさと伝承プロジェクト 有本松太郎ものがたり・・皆生温泉の生みの親 coaching office BEANS
  2. ^ a b 『人事興信録』第11版(昭和12年)上ア一九五
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『米子商業史』166頁
  4. ^ a b c d e f g h i j 新温泉町|有本松太郎
  5. ^ a b c 『鳥取県大百科事典』32頁
  6. ^ a b c d e 『人事興信録』第8版(昭和3年)ア一三五
  7. ^ a b c d e f g h i 『新日本人物大観』(鳥取県版) 昭和33年(1958年)ア…55
  8. ^ 『米子商業史』165頁
  9. ^ 綿辺か?

参考文献

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  • 『鳥取県大百科事典』(編集・新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会)1984年 32頁

関連

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外部リンク

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