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米子電車軌道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
米子電車軌道
基本情報
日本の旗 日本
所在地 鳥取県米子市
種類 路面電車
開業 1925年3月31日
廃止 1938年12月3日
運営者 米子電車軌道
路線諸元
路線距離 7.7 km
軌間 1,067 mm
線路数 単線
電化方式 直流600V 架空電車線方式
テンプレートを表示

米子電車軌道(よなごでんしゃきどう)は、かつて鳥取県米子市に存在した路面電車路線である。

概要

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米子電車軌道
他線
STR uSTR
灘町線
他線の駅
HST utSTR
中央線
uexSTR
皆生線
lINT

廃止直前の路線網
山陰本線 
STR
米子駅前 
HST
uSTRq uSTRq uSTR+r
 ←加茂町
米子銀行前 
STR
 灘町荒神前
STR
uSTRq uSTRq uSTRr
STR
 角盤町
 境線
ABZgl STRq STRq uxmKRZ STRq STRq
 境線
山陰本線 
STR3 uexSTR
 皆生温泉

灘町線 
STR
伯陽電鉄
KHSTe
米子市/米子
山陰本線 
ABZq+l STRq STRq STRq STRq STRq HSTq
 山陰本線
境線
STR
 0.0 米子駅前
STR
 0.3 茶町
STR
 0.5 東町
←皆生線 
STR
 0.8 加茂町
角盤町 3.3 
emKRZ
utSTRq uLSTRq utSTRq
 ←中央線
女学校前 3.0 
STR2 STRc3
 1.0 西町
錦町 2.8 
STRc1 STR+4
 1.3 公園前
後藤駅
STR uSTR
 1.6 錦海
後藤駅前 2.6 
HST uSTRl
uSTRr
 1.9 灘町荒神前
境線
 2.3 ←境街道

皆生線 
 中央線
中央線↑ 
utSTR
uSTR+r
 0.0 加茂町
灘町線→ 
uSTRq
uLSTR
 0.2 中町(市役所前)
角盤町 0.0 
uLSTR
 0.3 米子銀行前
境線 
uxmKRZ
uSTRr
 灘町線→
米川 0.8 
 0.7 角盤町
四軒家 1.3 
uexSTR
 ↓皆生線
前地 1.8 
上福原 2.3 
大境 2.7 
新田 3.3 
皆生温泉 3.5 
(I) -1927 
uexSTR
皆生温泉 (II) 3.7 
(II) 1927- 

皆生温泉の開発会社皆生温泉土地[1](現、皆生温泉観光)は1921年11月に優秀な温泉源を掘り当て、これにより1922年から温泉旅館が次々と開業した。米子への連絡道はまだ拡幅整備中であったが、同年7月より米子駅前から温泉地まで一日15往復のバスの運行をはじめた。しかしこのフォード製12人乗り幌型自動車はよく故障し、1日1便という日もあり会社を悩ませた。はやくも翌年3月には赤字により車両全部を山陰タクシーに売却してしまった。

1923年皆生温泉土地社長の有本松太郎政友会同志である遠藤光徳が県会議員に当選した。遠藤は会社の取締役に就任し、米子-皆生間の新道(皆生通り)を県費で建設することを実現させた。これに便乗して新たに企画されたのが電気軌道であり、7月には軌道敷設の特許が下付された、この設立した子会社が米子電車軌道[2]である。

1925年に初の路線を開業させ、翌年に米子駅前までの乗り入れを果たし、さらに1928年には市街地の買収が難航していたため迂回していた加茂町 - 角盤町間の短絡線も開通した。

しかし皆生温泉の知名度が当時低かったことや、昭和恐慌の影響で湯治客が減るなど、赤字経営が続いた[3]。親会社の皆生温泉土地も1931年には減資の憂き目に遭い[4]1934年には経営陣が変わるほどであった。

その後、米子飛行場(現・陸上自衛隊米子駐屯地)が建設されることになり、そのための資材を運搬する道路と軌道が交差し貨物輸送の障害になるという理由[5]で、1938年に軌道は撤去されたとされている。しかし、米子飛行場自体は建設時は軍とは無関係の逓信省の施設であり、1936年に起工され1938年6月10日には開場しているため、11月27日に廃止となった米子電車軌道とは関連性がない。営業利益は出しているものの債務の利払いが多額に及んでいることから、実態は経営不振による撤退である。車両は小倉電気軌道(のちの西鉄北方線)に譲渡され、13 - 17となった。

なお会社は米子交通[6]というバス会社に改められ[7]1949年には日ノ丸自動車に合併した。

路線データ

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廃線当時

  • 路線距離:総延長7.7km
    • 米子駅前 - 皆生温泉間7.0km
    • 加茂町 - 角盤町間0.7km
  • 軌間:1067mm
  • 電化方式:直流600V
    • 角盤変電所、電動発電機(交流側2000V直流側600V)直流側の出力100kW、常用1、製造所川北電機製作所
    • 同上、電動発電機(交流側2000V直流側600V)直流側の出力50kW、予備2、製造所川北電機製作所[8]
  • 複線区間:なし(全線単線

運行概要

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1933年7月6日改正当時

  • 運行本数:7時から20時台までおよそ30分間隔
  • 系統:米子駅前 - 公園前 - 皆生温泉、米子駅前 - 米子銀行前 - 角盤町
  • 所要時間:米子駅前 - 皆生温泉間32分

歴史

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  • 1923年7月26日 軌道特許状下付(西伯郡米子町角盤町-同郡福生村大字皆生間、同郡成実村西大谷-同郡米子町-同郡成実村大字西大谷間、同郡米子町加茂町-同町角盤町間)[9]
  • 1925年3月31日 角盤町(本社前) - 皆生温泉間3.7km開業
  • 1926年1月28日 米子駅前 - 加茂町 - 後藤駅前 - 角盤町間3.3km開業
  • 1928年1月24日 加茂町 - 角盤町間0.7km短絡線開業
  • 1928年12月27日 鉄道免許状下付(西伯郡福米村-同郡境町間)[10]
  • 1929年5月27日 自動車部を設置[11]
  • 1930年4月4日 軌道特許失効(米子市角盤町-同市西大谷間)[12]
  • 1931年9月16日 軌道起業廃止許可(米子市角盤町-西伯郡福米村間)[13]
  • 1936年6月12日 鉄道起業廃止許可(西伯郡福米村-同郡境町間)[14]
  • 1938年11月27日 全線の運行を停止
  • 1938年12月3日 営業廃止[15]

停留所

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米子駅前 - 茶町 - 東町(軌道本社前) - 加茂町 - 西町 - 公園前 - 錦海 - 荒神社前 - 境街道 - 後藤駅前 - 錦町 - 女学校前 - 角盤町 (角盤町軌道本社前)- 富士見町* - 米川 - 四軒家 - 前地 - 上福原 - 大境 - 新田 - 皆生温泉

加茂町 - 中町(市役所前) -米子銀行前 - 角盤町

*は路線廃止に先だって廃止

接続路線

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輸送・収支実績

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年度 旅客人員(人) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) 支払利子(円) その他益金(円) その他損金(円)
1925(大正14)年 187,985 19,544 14,476 5,068
1926(昭和元)年 445,071 45,304 33,050 12,254 6,392 12,379
1927(昭和2)年 393,741 42,731 33,221 9,510 15,877 雑損665
1928(昭和3)年 425,123 51,629 28,500 23,129 34,510
1929(昭和4)年 544,933 46,662 37,008 9,654 35,008 自動車106
1930(昭和5)年 511,999 41,570 38,476 3,094 17,793 自動車37
1931(昭和6)年 451,250 34,608 32,101 2,507 7,397 自動車355 償却金3,000
1932(昭和7)年 459,881 35,549 41,211 ▲ 5,662 9,192 自動車6,617
1933(昭和8)年 300,314 24,378 25,000 ▲ 622 7,073 自動車807
1934(昭和9)年 241,352 20,003 16,691 3,312 6,553 償却金158、自動車36
1935(昭和10)年 223,181 18,810 15,039 3,771 3,733 自動車38
1936(昭和11)年 275,721 21,382 15,642 5,740 898 雑益金11,962 償却金15,274、雑損1,530
1937(昭和12)年 285,106 23,666 16,832 6,834 894 償却金5,864、雑損76

大正14年度は鉄道省鉄道統計資料、昭和元年度以降は鉄道統計資料より(国立国会図書館デジタルコレクション)

車両

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開業時には梅鉢製の木製単車(1号)と岡山電気軌道より譲渡された木製単車(2号)の2両が用意された。1926年度には木製単車2両(3.5号)[16]を梅鉢に注文した。さらに1928年度に木製単車(6.7号)を新製し計6両となった。1937年度に1両が廃車され、残った5両は廃線後小倉電気軌道に譲渡され13-17号となった。

脚注

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  1. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第32回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 当初は米子電気軌道であったが12月に商号変更した
  3. ^ 1928年に大旅館の大山館、富士見館が休業になり、また皆生温泉の人口が大正15年末の700人だったのが昭和6年末に570人に芸妓酌婦の数が60人から30人に減少した。
  4. ^ 1926年に増資した3万円のうち未払いの22,500円を中止したもの(資本金207,500円)
  5. ^ 米子飛行場は1938年6月に落成式を挙行したが当初は軍の飛行場ではなく逓信省所轄の民間用公共飛行場であった。当時中国地方唯一の飛行場であったので陸軍が隣接地を1937年11月に買収し、工事を始めていた。『米子自治史』835 - 838頁
  6. ^ 『日本全國銀行會社録. 第48回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 乗合自動車業は1929年7月2日より米子 - 境間の営業を開始していた。『米子自治史』839頁
  8. ^ 『広島逓信局管内電気事業要覧. 第12回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1923年7月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1929年1月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 1935年当時の開業キロは22km、保有車両は1台であった。『全国乗合自動車業者名簿 : 昭和10年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「軌道一部失効」『官報』1930年4月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「軌道一部起業廃止」『官報』1931年9月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「鉄道起業廃止」『官報』1936年6月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「軌道営業廃止実施」『官報』1939年1月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 5号電車形式図『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献

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  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790029-6 
  • 皆生温泉観光株式会社編『五十年のあゆみ』皆生温泉観光、1974年
  • 和久田康雄『日本の市内電車-1895-1945-』成山堂書店 、2009年、112 - 113頁
  • 『新修米子市史 第3巻 通史編 近代』2007年、327 - 329頁
  • 『新修米子市史 第10巻 資料編 近代』2005年、372 - 373頁 -「米子電気軌道株式会社創立趣意書」
  • 『米子自治史』1939年、835-839頁