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筑後軌道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
筑後軌道
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
福岡県浮羽郡吉井町[1]
設立 1903年(明治36年)7月1日[1]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、自動車運輸業[1]
代表者 社長 怡土束[1]
資本金 2,500,000円[1]
発行済株式総数 50,000株[1]
特記事項:1928年(昭和3年)3月末現在[1]
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筑後軌道(ちくごきどう)は、福岡県久留米市大分県日田市を結んでいた軌道線

概要

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久留米-日田間を鉄道で結ぶ計画は1899年(明治32年)に西洲鉄道(久留米-豆田間28哩24鎖、資本金250万円)[注釈 1][3]の計画があったが不況により停滞していた。このため見切りをつけた発起人達は建設費の廉価な馬車鉄道に方針を変更した。1901年(明治34年)10月18日出願し、1902年(明治35年)5月10日に特許状が下付された。浮羽郡三井郡の素封家たちにより会社を設立[4]。商号は吉井馬車鉄道としたが、筑後馬車鉄道に改められ[5]1903年(明治36年)10月吉井町 - 田主丸間が開業しその後徐々に延長し豆田まで開通したのは1916年(大正5年)のことであった。

当初は県道上に馬車軌道を敷設しただけの簡素なものだったが、後に石油発動車焼玉エンジン動力の小型石油機関車、通称「駒吉機関車」)を使用した軽便鉄道に変わった。1911年(明治44年)の時点で同社は、この小型機関車を47両も保有するようになっており、鉄道の内燃動力化の先駆例と言えるが、わずか5 - 7馬力ほどの低出力で客車1両を牽引できるに過ぎず、騒音が激しい上に故障も多く、使いにくい車両であったという。そのため小型の蒸気機関車に置き換えられ、廃止時では2両をのこすのみとなった。

その後、蒸気機関車によるばい煙その他の理由により、大正時代には、起点となる久留米側の一部区間が電化され、路面電車になっている。そのため久留米における軌道が敷かれていた道の呼称も、「馬鉄通り」から「電車通り」へと変化した。

1928年(昭和3年)に鉄道省によって並行して久大本線が敷設されたため、補償[注釈 2]を受ける形で廃線となり、1929年(昭和4年)に会社解散[7]、1932年(昭和7年)に清算[8]となった。

なお会社は軌道線の廃止後、西久大運送(現・西久大運輸倉庫)という貨物運送会社と、連絡自動車[注釈 3]というバス会社とに分割された。その後、連絡自動車は1939年(昭和14年)に西日本鉄道の前身の九州鉄道へ統合された[10]

路線データ

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1925年当時

  • 路線距離:総延長51.5km
    • 本線:久留米 - 豆田間46.0km
    • 支線:縄手 - 豆津1.0km、国道 - 国分 - 御井町間・千本杉 - 御井町間3.7km、樺目 - 草野間1.8km
  • 軌間:914mm
  • 複線区間:久留米市街区間の一部
  • 電化区間:久留米 - 千本杉、国道 - 国分 - 御井町 - 千本杉間(直流600V)
    • 千本杉変電所、電動発電機(交流側380V直流側600V)直流側の出力200kW、常用1予備1[11]

運行概要

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1925年当時

  • 運行本数:久留米 - 豆田間3時 - 20時台に25往復、久留米 - 下吉井間1往復、樺目 - 草野間及び電車区間20 - 40分間隔
  • 所要時間:久留米 - 豆田間に3時間25分

歴史

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  • 1903年(明治36年)10月25日 吉井町(後、下吉井) - 田主丸(後、下田主丸)間で筑後馬車鉄道営業開始
  • 1904年(明治37年)
    • 2月16日 田主丸 - 善導寺間開業
    • 7月6日 善導寺 - 東久留米(後、国道)開業
    • この年、石油発動車使用開始
  • 1905年(明治38年)12月18日 東久留米 - 縄手間開業
  • 1906年(明治39年)
    • 2月 動力を石油発動車に切り替え
    • 12月5日 縄手 - 久留米駅間開業
  • 1907年(明治40年)7月 筑後軌道と改称
  • 1909年(明治42年)
    • 1月12日 国道 - 国分間支線開業
    • 3月1日 縄手 - 豆津間、 縄手 - 瀬ノ下間支線開業
  • 1910年(明治43年)
    • 5月5日 吉井町 - 下千足間開業
    • 6月 縄手 - 豆津間休止
  • 1911年(明治44年)4月1日 下千足 - 保木間開業
  • 1912年(大正元年)12月 縄手 - 久留米駅間貨物支線開業
  • 1913年(大正2年)
  • 1914年(大正3年)10月21日 長渓 - 石井間開業[12]
  • 1916年(大正5年)5月10日 石井 - 豆田間開業し全通
  • 1919年(大正8年)以前 北島 - 御井町間廃止
  • 1919年(大正8年)
    • 3月5日 千本杉以西の本線と支線を電化[13]
    • 4月16日 軌道特許状下付(三井郡御井町大鳥居-同町麓間、0.24哩、動力電気)[14]
  • 1924年(大正13年)8月1日 国分 - 北島間廃止[15]
  • 1927年(昭和2年) 筑後軌道、久留米 - 日田間でバスの運行開始
  • 1928年(昭和3年)
  • 1929年(昭和4年)
    • 3月26日 筑後軌道の全線廃止(久留米市-豆田間、国分支線、御井町支線、草野支線)廃止[17]
    • 3月27日「廃止に対する補償の為公債発行に関する件」公布[18]

停留所一覧

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1925年頃

(本線)久留米駅 - 縄手 - 荘島 - 中央市場前 - 苧扱川 - 日吉町 - 国道 - 上久留米(五穀神社前) - 七本杉 - 高良川 - 千本杉 - 旗崎 - 追分 - 太郎原 - 津遊川 - 木塚 - 与田 - 善導寺 - 勿体島 - 樺目 - 常持 - 川崎 - 牧 - 唐島 - 門ノ上 - 下田主丸 - 中田主丸 - 上田主丸 - 殖木 - 松原 - 樋ノ口 - 竹重 - 女学校前 - 下吉井 - 札ノ辻 - 上吉井 - 清瀬 - 土取 - 下千足 -上千足 - 隈ノ上 - 松本 - 大石 - 原ノ町 - 保木 - 袋野 - 虹峠 - 長谷 - 加々鶴 - 川下 - 白手橋 - 発電所前 - 石井 - 徳瀬 - 隈 - 豆田
(支線)縄手 - 水天宮 - 豆津
(支線)国道 - 司令部前 - 西野中 - 一丁田 - 国分( - 北島 - )御井町 - 千本杉
(支線)樺目 - 矢作 - 草野
(支線)縄手 - 瀬ノ下
(貨物支線)縄手 - 久留米駅
  • 一部の停留所は1925年以前に廃止された可能性がある。
  • 上久留米→五穀神社前の改称日不明。
  • 国分 - 御井町間は1925年以前に廃止。

接続路線

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1925年当時

輸送・収支実績

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年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1908 872,137 20,729 103,242 70,164 33,078 利子1,294 2,582
1909 1,256,206 20,658 115,836 71,130 44,706 利子1,552 3,195
1910 1,524,402 20,612 130,353 85,390 44,963 利子2,720新株募入割増金53,199 4,388
1911 1,625,214 44,064 156,627 89,530 67,097 利子3,170
1912 1,604,112 101,493 161,878 103,169 58,709 利子8,943 44
1913 1,907,730 47,269 186,241 125,304 60,937 利子8,956 1,725
1914 1,915,081 43,970 189,366 116,728 72,638 利子11,108 9,326
1915 1,732,525 65,003 184,787 96,856 87,931 利子11,560 32,556
1916 1,820,099 62,949 221,759 121,270 100,489 28,715
1917 2,178,230 82,413 301,273 190,879 110,394 自動車1,027 自動車1,295 31,270
1918 2,509,776 83,688 372,219 277,301 94,918 自動車1,934売却益金12,534 自動車1,038 23,605
1919 3,010,210 97,854 579,401 489,893 89,508
1920 3,310,998 74,743 722,080 534,676 187,404 利子2,107 47,544
1921 3,832,030 79,052 750,248 547,932 202,316
1922 4,064,006 92,202 796,291 484,081 312,210
1923 4,057,011 93,936 769,012 431,971 337,041 償却金34,000 63,741
1924 4,387,950 84,626 726,873 456,085 270,788 他事業17,856 他事業12,327償却金17,000 59,752
1925 4,342,060 88,169 711,085 418,004 293,081 他事業40,220 他事業27,937 48,574
1926 4,421,633 92,479 723,016 401,652 321,364 1,546 38,091
1927 4,579,689 87,723 642,347 347,121 295,226 11,101 28,093
1928 3,833,910 57,182 461,159 325,239 135,920 自動車2,601 28,613
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

主な遺構

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  • 豆田駅転車台 2011年7月、日田市教育委員会の発掘調査で出土[19] [20]

脚注

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注釈

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  1. ^ 明治32年4月仮免、明治35年5月失効[2]
  2. ^ 補償金額4,806,800円[6]
  3. ^ 連絡自動車は1928年10月20日設立、1928年11月1日に筑後軌道より自動車事業を譲受した。久留米以東を営業区域としており1937年度の保有車両は118台、開業路線は180.2キロ。1938年11月久留米自動車を合併したが、1939年11月九州鉄道に合併された[9]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 「仮免状失効」『官報』1902年5月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 帝国鉄道要鑑. 第2版
  4. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治40年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 『田主丸町誌 第3巻』590頁
  6. ^ 日本国有鉄道百年史 』第7巻、172頁
  7. ^ 筑後軌道株式会社解散」『官報』1929年6月18日、6頁。doi:10.11501/2957205https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957205/21 
  8. ^ 筑後軌道株式会社清算」『官報』1932年8月5日、27頁。doi:10.11501/2958151https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958151/32 
  9. ^ 『西日本鉄道百年史』74頁
  10. ^ 西日本鉄道株式会社社史編集委員会 編「会社沿革図」『最近10年の歩み』西日本鉄道、1968年、172頁。doi:10.11501/3442697https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3442697/90 
  11. ^ 『電気事業要覧. 第19回 昭和3年3月』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 『鉄道院年報. 大正3年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正9年度』(デジタルコレクション)
  14. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1919年4月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「軌道一部営業廃止」『官報』1924年9月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 「軌道営業廃止」『官報』1928年5月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 「軌道運輸営業廃止」『官報』1929年5月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 「補償ノ為公債発行ニ関スル件」『官報』1929年3月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 筑後軌道豆田駅転車台跡調査報告」『平成23年度(2011年度)日田市埋蔵文化財年報』日田市教育委員会、2012年5月31日https://www.city.hita.oita.jp/material/files/group/36/H23nenpou.pdf#page=16 
  20. ^ “豆田駅”に転車台跡 旧筑後鉄道発掘調査で確認”. 西日本新聞 (2011年7月13日). 2011年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月6日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 湯口徹『RM LIBRARY 115 石油発動機関車』、ネコ・パブリッシング、2009年
  • 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、pp.173-174
  • 『私鉄史ハンドブック』正誤表(再改訂版)2009年3月作成 (pdf)
  • 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』12号 九州沖縄、新潮社、2008年、p.43
  • 福岡県内務部会計課『最新福岡県管内軌道図』福岡県、1920年(国立国会図書館デジタルコレクションより)
  • 久留米市立草野歴史資料館(樋口一成)『なつかしの風景 筑後の軌道』2015年

外部リンク

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