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朝緑冨五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朝緑 冨五郎(あさみどり とみごろう、1889年2月4日 - 1947年12月3日[1])は、現在の山形県鶴岡市出身で立田川部屋出羽海部屋に所属した力士。本名は石田 富五郎(旧姓伊藤)。173cm、86kg。最高位は東前頭13枚目。大起男右エ門の岳父。

経歴

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1907年5月初土俵、1912年5月十両昇進。1916年1月新入幕したが、連続負け越しで十両陥落。1919年1月廃業した。その後は相撲茶屋の伊勢福の養子になった。

成績

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  • 番付在位場所数:24場所
  • 十両在位:11場所
  • 十両成績:26勝31敗5分2預
  • 幕内在位:2場所
  • 幕内成績:3勝13敗2分2預
  • 通算成績:29勝44敗7分4預[2]
  • 各段優勝:幕下優勝2回

場所別成績

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朝緑 冨五郎
春場所 夏場所
1907年
(明治40年)
x 西序ノ口8枚目
 
1908年
(明治41年)
西序二段32枚目
 
東三段目41枚目
 
1909年
(明治42年)
西三段目27枚目
 
西三段目17枚目
 
1910年
(明治43年)
西幕下42枚目
 
東幕下30枚目
 
1911年
(明治44年)
西幕下42枚目
 
西幕下19枚目
 
1912年
(明治45年)
東幕下4枚目
優勝
5–0
東十両8枚目
2–3 
1913年
(大正2年)
西十両13枚目
3–1
1分
 
東十両5枚目
3–3 
1914年
(大正3年)
西十両9枚目
1–5 
西幕下4枚目
優勝
5–0
1915年
(大正4年)
東十両5枚目
4–1 
西十両筆頭
5–2 
1916年
(大正5年)
東前頭14枚目
3–4
1分2預
 
東前頭13枚目
0–9
1分
 
1917年
(大正6年)
東十両2枚目
2–4
2分
 
東十両10枚目
2–1
1分1預
 
1918年
(大正7年)
東十両3枚目
1–5
1分
 
東十両10枚目
2–3 
1919年
(大正8年)
東十両14枚目
引退
1–3–0
1預
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。

改名

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番付上の表記揺れを無視すれば改名歴なし。[3]

ただし、番付上の表記揺れとして、1908年1月場所は「浅ミとり 冨五郎」、1908年5月場所 - 1911年5月場所は「浅緑 冨五郎」と記されている。また相撲レファレンスによれば下の名前は幕下の1912年1月場所と1914年5月場所に「富五郎」としてそれ以外は「冨五郎」として登録されているが、番付の実物画像を見る限りでは一貫して「冨五郎」である。

脚注

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  1. ^ https://web.archive.org/web/20010220063332/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19160102.htm
  2. ^ 当時の幕下以下の星取や勝敗数等の記録については2024年現在相撲レファレンス等のデータベースに登録がなく、記録が現存しない場所がある可能性があるため、便宜上幕内と十両の合計のみを表示するものとする。ただしこの他に幕下15枚目以内の記録として少なくとも10勝の記録が確認できる。
  3. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目

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外部リンク

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