本田富雄
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本田富雄 ほんだ とみお | |
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生年月日 | 1921年11月2日 |
出生地 |
日本 新潟県北蒲原郡安田町 (現新潟県阿賀野市) |
没年月日 | 2012年7月18日(90歳没) |
出身校 | 旅順工科大学臨時附属技術員養成所鉱山科卒業 |
所属政党 | 無所属 |
称号 |
旭日中綬章 紺綬褒章 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2004年4月25日 - 2008年4月24日 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1967年 - 2004年3月31日 |
本田 富雄(ほんだ とみお、1921年11月2日 - 2012年7月18日)は日本の政治家。安田町議、安田町議会副議長、安田町長(10期)、阿賀野市長(1期)を歴任した。
経歴
[編集]1921年11月2日、新潟県北蒲原郡安田町(現阿賀野市)に生まれる[1][2][3]。1940年に旅順工科大学臨時附属技術員養成所鉱山科卒業した[1][2][3]。卒業後、満州鉱業開発に入社した[1]。1944年に応召され敗戦時は陸軍少尉だった[1]。1955年、安田町議会議員に初当選した[1]。1957年、安田町議会副議長に就任した[1]。1961年、安田町助役に就任した[1]。1967年5月、安田町長に就任した[1][4]。1999年4月25日の町長選挙で新人を破って、9選を果たした[5]。2003年4月27日の町長選挙で新人を破って、10選を果たした[2]。
2004年阿賀野市長選挙
[編集]2004年4月1日に安田町が他の3町村と合併して発足した阿賀野市の市長選挙に立候補して、旧水原町長の五十嵐雄介を破って初当選した[1][3][6]。
※当日有権者数:38,527人 最終投票率:81.78%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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本田富雄 | 82 | 無所属 | 新 | 17,574票 | 56.3% | - |
五十嵐雄介 | 67 | 無所属 | 新 | 13,643票 | 43.7% | 民主党新潟県連 |
2006年2月27日、熊本県御所浦町長岡部鷹司の引退に伴い、全国最年長首長となった[7][8][注釈 1]。2008年の市長選には立候補せず、同年4月24日の任期満了をもって市長を退任した[1][4][9]。2012年7月18日に死去した[1]。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 南日本新聞の記事中では、谷上幸男の次が岡部鷹司と本田富雄と紹介されているが、岡部鷹司の方が生年月日が早かった。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 日外アソシエーツ「WhoPlus」
- ^ a b c “統一地方選 六日町長に井口氏初当選 安田町長に本田氏10選=新潟”. 読売新聞 (新潟): p. 17. (2003年4月28日)
- ^ a b c “阿賀野市長選 初代市長に本田富雄氏が当選 五十嵐氏に3931票差=新潟”. 読売新聞 (新潟): p. 28. (2004年4月27日)
- ^ a b “全国最高齢首長 市役所にお別れ 本田・阿賀野市長 /新潟県”. 朝日新聞 (新潟): p. 31. (2008年4月25日)
- ^ “新潟・町村長選 柿崎町長選、楡井氏が初当選 安田は本田氏が9選=新潟”. 読売新聞 (新潟): p. 17. (1999年4月26日)
- ^ “阿賀野市 初代市長に本田富雄氏 4000票差、五十嵐雄介氏突き放す”. 新潟日報 (新潟): p. 1. (2004年4月26日)
- ^ “合併で記録途絶える/85歳=谷上幸男坊津町長、全国最高齢引退へ”. 南日本新聞 (鹿児島). (2005年11月5日)
- ^ 熊本日日新聞情報文化センター『熊本人名録』熊本日日新聞社、1986年、209頁。
- ^ “阿賀野市長選挙 - 2008年04月20日投票 | 新潟県阿賀野市”. 選挙ドットコム. 2021年6月13日閲覧。
- ^ “中綬章受章者の顔触れ(1)”. 四国新聞社 (2008年11月3日). 2023年6月17日閲覧。