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本間忍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本間忍
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道[1]
生年月日 (1957-07-28) 1957年7月28日(67歳)[1]
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 本郷重彦(1976.3 - 1978.5)
中尾銑治(1978.6 - 1983.4)
松永勇(1983.4 - 1984.2)
フリー(1984.2 - 1987.2)
松永勇(1987.3 - 1988.2)
フリー(1988.3 - 1997.1)
菅原泰夫(1997.2)[1]
初免許年 1976年[1]
免許区分 平地・障害
騎手引退日 1997年[1]
通算勝利 1932戦77勝[1]
調教師情報
初免許年 2000年(2002年開業)[1]
経歴
所属 菅原泰夫/調教助手(1997.3 - 開業)
美浦T.C(開業 - )
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本間 忍(ほんま しのぶ、1957年7月28日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの元騎手、現調教師北海道出身。

来歴

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1975年4月に騎手候補生として本郷重彦厩舎に所属し、1976年3月に同厩舎から騎手としてデビューする[1]。厩舎の管理馬であるマルゼンスキーが2歳時だった頃には3か月間調教を担当している(レースでの騎乗は無かった)[2]

その後はフリーを挟みつつ中尾銑治厩舎→松永勇厩舎→菅原泰夫厩舎と所属を渡り歩き1997年2月に引退。3月から菅原泰夫厩舎の調教助手に転向した。

先輩騎手だった岡部幸雄からの助言をきっかけに調教師転身を決意し、2000年にJRA調教師免許試験に合格する[2]2002年に美浦トレセンで厩舎を開業した。

2012年9月9日の中山12Rの勝利でJRA通算100勝を達成[3]2016年10月8日に行われたサウジアラビアロイヤルカップブレスジャーニーが勝利し重賞初制覇、続く11月19日東京スポーツ杯2歳ステークスもブレスジャーニーが勝利し重賞2勝目となった[4][5]

騎手成績

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1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 77 106 107 1917 .040 .095
障害 0 1 1 15 .000 .067
77 107 108 1932 .040 .096
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1976年3月6日 1回中山3日1R 4歳以上500万下 サノラッキー 11頭 10 9着
初勝利 1977年1月23日 1回東京7日2R 4歳未勝利 ミマキテンライ 16頭 14 1着
重賞初騎乗 1988年2月20日 1回東京7日11R フェブラリーハンデ キーラーオー 15頭 10 競走中止

調教師成績

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概要

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2002年3月16日 1回中京5日12R 4歳以上500万下 バトルステージ 14頭 7 12着
初勝利 2002年7月14日 2回小倉2日8R 3歳以上500万下 ビバリーホリデー 15頭 13 1着
重賞初出走 2003年8月31日 3回新潟6日11R 新潟記念 マンノチャンピオン 17頭 17 16着
重賞初勝利 2016年10月8日 4回東京1日11R サウジアラビアロイヤルカップ ブレスジャーニー 9頭 3 1着
GI初出走 2006年12月10日 5回中山4日11R 朝日杯フューチュリティステークス アロマンシェス 15頭 14 7着

主な管理馬

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  • ブレスジャーニー(2016年サウジアラビアロイヤルカップ、東京スポーツ杯2歳ステークス)

主な厩舎所属者

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h 調教師名鑑. JRA. 2023年8月15日閲覧
  2. ^ a b 本間忍師 忘れられぬマルゼンスキー極上の背中”. スポーツニッポン. 2023年8月15日閲覧。
  3. ^ 本間忍調教師、JRA通算100勝達成”. ラジオNIKKEI. 2023年8月15日閲覧。
  4. ^ 【サウジアラビアRC】ブレスジャーニーが重賞初V”. サンケイスポーツ. 2023年8月15日閲覧。
  5. ^ 【東スポ杯2歳S】ブレスジャーニー豪脚一閃!重賞連勝”. サンケイスポーツ. 2023年8月15日閲覧。

関連項目

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