杉本正志
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府松原市 |
生年月日 | 1967年1月17日(57歳) |
身長 体重 |
187 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1984年 ドラフト1位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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杉本 正志(すぎもと まさし、1967年1月17日 - )は、大阪府松原市出身の元プロ野球選手(投手)。1988年から1992年までの登録名は杉本 征使(読み同じ)。
来歴・人物
[編集]箕島高校では同期の嶋田章弘とともに投の二本柱として活躍。3年生時の1984年には、夏の甲子園県予選準決勝で大成高に完封勝ち。決勝は左翼手に回り、嶋田が和歌山工を完封して夏の甲子園出場を決める。甲子園では2回戦(初戦)で、この大会に優勝した取手二高と対決。3点をリードした8回裏に先発の嶋田が崩れ、急遽救援に立つが、3-5で逆転負けを喫する[1]。
その後は松田清が開設した松田野球塾を経て、同年のドラフト1位で広島東洋カープに入団。
1985年6月に離断性骨軟骨炎で右ひじを手術、シーズン終盤には復帰するが一軍登板には届かなかった。
1989年はウエスタンリーグ最多勝となるが11月に、高橋慶彦・白武佳久と共に、高沢秀昭・水上善雄との3対2の交換トレードでロッテオリオンズに移籍。
1991年11月には自由契約となりオリックス・ブルーウェーブに移籍。
1992年限りで現役引退。
プロ入り初年度の右ひじ手術以降も故障に苛まれ続け、結局は一軍登板なしに終わった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 35 (1985年 - 1989年)
- 32 (1990年 - 1991年)
- 65 (1992年)
登録名
[編集]- 杉本 正志 (すぎもと まさし、1985年 - 1987年)
- 杉本 征使 (すぎもと まさし、1988年 - 1992年)
脚注
[編集]- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ “女優杉本愛里、初グラビア「お芝居は最初、嫌いだった」「初舞台でお客さんを生で感じられた」”. 日刊スポーツ. (2024年2月26日) 2024年2月28日閲覧。