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村瀬敏郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村瀬 敏郎(むらせ としお、1921年7月1日 - 1997年12月14日)は日本の医師日本医師会会長を務めた。

経歴

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旧制横須賀中学校(現・神奈川県立横須賀高等学校)を経て、1946年慶應義塾大学医学部を卒業。翌年より国立三島病院で勤務し、この頃から小児科を専門とした。1950年静岡県由比町(現・静岡市清水区)に村瀬医院を開業し、1964年東京都渋谷区に医院を移している[注釈 1]

1972年からは厚生省予防接種禁忌小委員会の委員なども務め、予防接種行政に関する提言を行なって1976年の予防接種法改正に貢献した。1984年に日本医師会の常任理事となり、公衆衛生への功労で厚生大臣賞を受賞した。翌年には厚生省のAIDS調査検討委員会の委員としてアメリカの状況を調査している。1988年には日本学校保健会の会長も務めた。

1992年から4年間に渡って日本医師会の会長を務め、JICAとの共同事業ではネパールに小児のためのヘルスケアセンターを設立し、医師や看護婦を派遣した。1995年阪神・淡路大震災では震災翌日に災害対策本部を設置して医療チームの派遣を要請し、1週間後に自らも現地を視察している。また、早くからかかりつけ医制度の導入を呼びかけた。

これらの功績から1996年勲一等瑞宝章を受章し[3]1997年肺癌のため逝去した。従三位が追贈されている。

人柄など

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大学時代は医学部アイスホッケー部を創設し、卒業後も支援を行なった。趣味は映画鑑賞で、映画関連の著書もある。

脚注

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注釈

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  1. ^ 本記事に開業歴が記されている一方で、日本医師会の発行物にある経歴の中では、1959年(昭和34年)に医院を開設したと記載されている[1][2]

出典

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  1. ^ 村瀬敏郎前会長逝去」『日医ニュース』第872号、、社団法人日本医師会、1997年1月5日。2022年1月25日閲覧。「慶応義塾大学医学部を卒業のあと、国立三島病院勤務を経て、昭和34年現住所にて医院開設。」
  2. ^ 平成の歴代会長」『日本医師会 平成三十年の歩み』(PDF)公益社団法人 日本医師会、2020年3月1日、296頁https://www.med.or.jp/jma/about/30th/pdf/30th05.pdf2022年1月25日閲覧 
  3. ^ 学校保健・Vol.221.

参考文献

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  • 『村瀬敏郎前日本医師会長を悼む』 日本医師会雑誌、Vol.119(2)、P.8-12、1998年
  • 「本会名誉会長 村瀬敏郎先生を偲んで」『学校保健』第221号、財団法人日本学校保健会、1997年3月1日、7頁。