東蜆
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東蜆 | |
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北緯35度6分14.17秒 東経136度46分42.33秒 / 北緯35.1039361度 東経136.7784250度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 弥富市 |
面積 | |
• 合計 | 0.2412352 km2 |
人口 (2015年(平成27年)10月1日現在)[2] | |
• 合計 | 139人 |
• 密度 | 580人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
490-1425[3] |
市外局番 | 0567[4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
地理
[編集]旧海部郡十四山村東蜆に相当する[5]。旧十四山村東部に位置する[6]。東は亀ケ地、西は西蜆、南は四郎兵衛、北は竹田に接する[6]。
歴史
[編集]町名の由来
[編集]四郎兵衛新田開拓以前は蜆が多く生息していたことによる[7]。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[8] | 43世帯 199人 |
|
2000年(平成12年)[9] | 42世帯 168人 |
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2005年(平成17年)[10] | 45世帯 167人 |
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2010年(平成22年)[11] | 42世帯 143人 |
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2015年(平成27年)[2] | 44世帯 139人 |
沿革
[編集]- 慶安3年 - 高入[7]。
- 1889年(明治22年) - 合併に伴い、十四山村大字東蜆となる[7]。
- 1909年(明治42年) - 地盤沈下により動力排水機を設置[7]。
- 1959年(昭和34年) - 伊勢湾台風被災により全戸浸水[7]。
- 昭和40年代後半以降 - 激しい地盤沈下[7]。
- 1981年(昭和56年) - 木曽川総合用水竣工[7]。
- 1977年(昭和52年) - 一部が竹田・亀ケ地・西蜆に編入され、また竹田新田・亀ケ地新田・西蜆の各一部を編入[7]。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 合併に伴い、十四山村大字東蜆一丁目が弥富市東蜆一丁目、同大字東蜆二丁目が弥富市東蜆二丁目にそれぞれ名称変更[5]。
交通
[編集]施設
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “愛知県弥富市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2022年12月12日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ “愛知県弥富市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2022年12月12日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ a b 弥富市役所 総務部 総務課 行政グループ (2015年2月19日). “弥富市住所一覧 旧十四山村” (pdf). 弥富市. 2022年12月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1881.
- ^ a b c d e f g h 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1112.
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
関連項目
[編集]竹田 | ||||
西蜆 | 亀ケ地 | |||
東蜆 | ||||
四郎兵衛 |