松尾町
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まつおまち 松尾町 | |||||
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廃止日 | 2006年(平成18年)3月27日[1] | ||||
廃止理由 |
新設合併 成東町、山武町、蓮沼村、松尾町 → 山武市[1] | ||||
現在の自治体 | 山武市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 千葉県 | ||||
郡 | 山武郡 | ||||
市町村コード | 12407-9 | ||||
面積 | 37.59 km2 | ||||
総人口 |
11,121人 (2005年11月1日) | ||||
隣接自治体 | 芝山町、山武町、蓮沼村、横芝町、成東町 | ||||
松尾町役場 | |||||
所在地 |
〒289-1593 千葉県山武郡松尾町松尾40番地2 | ||||
外部リンク | 松尾町(2006年4月5日アーカイブ) | ||||
座標 | 北緯35度38分18秒 東経140度27分21秒 / 北緯35.63831度 東経140.45597度座標: 北緯35度38分18秒 東経140度27分21秒 / 北緯35.63831度 東経140.45597度 | ||||
特記事項 |
松尾町役場 | ||||
ウィキプロジェクト |
松尾町(まつおまち)は、九十九里平野のほぼ中央に位置していた千葉県山武郡の町。
2006年(平成18年)3月27日、近隣の山武町・成東町・蓮沼村と合併して市制施行し、山武市となったため消滅した[1]。
地理
[編集]山武郡の北部中央、千葉市から30km圏、成田国際空港から13kmほどの距離に位置する。 町の中央をJR総武本線と国道126号線が東西に横断、これに沿って中心市街地が存在する。
南部地域は沖積平野、北部は標高40m程度の丘陵が起伏し、森林地帯を形成する。
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]明治2年(1869年)、武佐・山辺両郡で5万石余を治める柴山藩(知藩事:太田資美)によって、大堤・田越・猿尾・八田4か村の入会地に、松尾城と城下町の建設が開始される。柴山藩はもともと遠江国に領地を持つ掛川藩であったが、明治政府によって上総国に移されたので、藩の行政中心地の整備が必要であった。明治3年(1870年)11月に藩庁と知藩事邸、および城下町が一応は完成し、藩名も「松尾藩」に改められた。「松尾」の名は、太田資美のかつての居城である掛川城の別名に由来する。
松尾藩は、明治4年(1871年)7月の廃藩置県により松尾県となったが、同年11月には松尾県は木更津県に合併されて消滅した。
自治体沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、田越村、大堤村、猿尾村、松尾村、八田村、祝田村、五反田村、水深、水深村が合併して武射郡松尾村が成立。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 郡制施行に伴い、武射郡が山辺郡と統合して山武郡の所属となる。
- 1898年(明治31年)8月31日 - 町制を施行し、松尾町(初代)となる。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 大平村、豊岡村と合併し、改めて松尾町(2代目)を新設。
- 2006年(平成18年)3月27日 - 山武町、成東町、蓮沼村と合併して山武市を新設[1]。同日松尾町廃止。
町長
[編集]- 土屋俊三(1936-1940)
交通
[編集]道路
[編集]高速道路
[編集]国道
[編集]県道
[編集]- 千葉県道22号千葉八街横芝線
- 千葉県道58号松尾蓮沼線(芝山はにわ道)
- 千葉県道62号成田松尾線(芝山はにわ道)
- 千葉県道111号松尾停車場線
- 千葉県道112号成田成東線
- 千葉県道116号横芝山武線
鉄道
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 権現塚古墳
- 蕪木古墳群
- 松尾城址
- 八田金刀比羅神社
教育
[編集]高等学校
中学校
小学校