松浦昌
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 慶安4年10月18日(1651年11月30日) |
死没 | 享保21年1月10日(1736年2月21日) |
改名 | 昌、退入(号) |
別名 | 通称:織部、大膳 |
戒名 | 万松院 |
墓所 | 東京都港区南麻布の光林寺 |
官位 | 従五位下・豊後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 平戸新田藩主 |
氏族 | 松浦氏 |
父母 | 父:松浦鎮信、母:志佐氏 |
兄弟 | 棟、松平乗政継室、松浦信知室、昌、牧野忠貴正室、南部政信正室、松浦信方養女、板倉重冬正室、頼母、熊沢正令室、篤信、斉、半之丞、仙菊、豊三郎 |
妻 | 正室:加藤泰興の娘 |
子 | 邑、馮、信守、千本倶隆ら |
松浦 昌(まつら まさし)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。肥前国平戸新田藩初代藩主。平戸藩4代藩主・松浦鎮信の次男。
生涯
[編集]寛文5年(1665年)6月14日、4代将軍徳川家綱に御目見する。元禄元年(1688年)4月27日、江戸城の中奥に勤務する。元禄2年(1689年)7月3日、父鎮信の隠居により、志佐・調川に1万石を分与されて支藩である平戸新田藩を立藩した。江戸城の帝鑑の間詰めとなる。宝永3年(1706年)5月7日に家督を長男の邑に譲って隠居した。隠居号は退入と号した。
系譜
[編集]父母
- 松浦鎮信(父)
- 志佐氏 ー 側室(母)
正室
- 加藤泰興の娘
子女