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松田正之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松田正之
まつだ まさゆき
生年月日 1892年11月2日
出生地 日本の旗 日本 東京府(現東京都)
没年月日 (1976-05-02) 1976年5月2日(83歳没)
出身校 京都帝国大学法科大学政治学科
(現京都大学法学部)
前職 朝鮮総督府専売局長
配偶者 蜂須賀笛子
親族 養父・松田正久(衆議院議長)
伯父・久我通久(貴族院議員)
叔父・伊達宗陳(貴族院議員)
叔父・有馬頼之(貴族院議員)
兄・有馬頼寧(農林大臣)
兄・安藤信昭(貴族院議員)
義兄・奥平昌恭(貴族院議員)
義弟・稲田昌植(貴族院議員)

在任期間 1934年12月8日 - 1947年5月2日
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松田 正之(まつだ まさゆき、1892年明治25年)11月2日 - 1976年昭和51年)5月2日[1])は、日本の逓信拓務官僚政治家南洋庁長官、貴族院男爵議員。旧名・定之助[2]

経歴

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東京府出身。有馬頼萬の三男として生まれ[1]松田正久の養子となる[3]。養父の死去により、1915年9月1日、男爵を襲爵[4]学習院を経て、1916年7月、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業。1917年3月、帝室博物館属となり、1920年6月まで在任[3]

1920年10月、高等試験行政科試験に合格し、同年11月、逓信局書記兼逓信属となる。以後、同事務官地方海員審判所審判官兼逓信局事務官、兼逓信省事務官などを歴任。1923年4月、拓務事務局書記官内閣書記官に転じた。その後、内閣拓殖局書記官、拓務書記官・管理局第一課長を務め、1931年11月に辞職[3]1932年2月、南洋庁長官に就任。1933年8月、朝鮮総督府専売局長に転じた。1934年11月、依願免本官となり退官した[3]

1934年12月8日、貴族院議員補欠選挙に当選し、貴族院男爵議員に就任し[5]1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した[6]。この間、小磯内閣外務政務次官などを務めた。

その他、昭和鉱業監査役、水産化学工業監査役、アマゾニア産業監査役、南洋アルミニューム会長などを務め[2]第二次世界大戦後は東京慈恵会理事、東京慈恵会医科大学理事を務めた[7]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成』下巻、583頁。
  2. ^ a b 「南洋廰歴代長官名簿及略歴」2-3頁。
  3. ^ a b c d 『日本近現代人物履歴事典』480頁。
  4. ^ 『官報』第926号、大正4年9月2日。
  5. ^ 官報』第2383号、昭和9年12月10日。
  6. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』85頁。
  7. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、528頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  8. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年、61頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『南洋資料』第312号「南洋廰歴代長官名簿及略歴」、南洋経済研究所、1943年。
日本の爵位
先代
松田正久
男爵
松田(正久)家第2代
1915年 - 1947年
次代
華族制度廃止