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板谷峠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
板谷峠
峠駅構内
所在地 山形県米沢市
座標
板谷峠の位置(日本内)
板谷峠
北緯37度48分34.5秒 東経140度15分2.9秒 / 北緯37.809583度 東経140.250806度 / 37.809583; 140.250806座標: 北緯37度48分34.5秒 東経140度15分2.9秒 / 北緯37.809583度 東経140.250806度 / 37.809583; 140.250806
標高 755 m
山系 奥羽山脈
通過路

山形県道232号板谷米沢停車場線

山形新幹線奥羽本線(板谷トンネル)
プロジェクト 地形
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板谷峠(いたやとうげ)は、山形県南部の吾妻山北麓にある、奥羽山脈を越える山形県・福島県境近くののことである。標高は755 mで、米沢藩参勤交代路としても使われていた。

地理

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板谷峠は中央分水界にあり、東は松川を経由する阿武隈川水系であり、西は羽黒川を経由する最上川水系である。板谷峠自体は米沢市内の板谷集落(板谷駅付近)と大沢集落(大沢駅付近)を結ぶ。板谷峠という言い方は、その単独の峠だけでなく、福島市と米沢市を結ぶ奥羽山脈越えのルート全体を指すことがあり、特に鉄道の奥羽本線沿いのルートを、北方の栗子峠と区別して示すために用いられる。

鉄道

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地図
About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
5 km
板谷駅
峠駅
.
大沢駅
板谷峠 付近図

板谷峠を含む区間

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板谷駅付近に配置されている36‰勾配標

奥羽本線(板谷峠を挟む区間には現在山形線の愛称あり)は鉄道敷設法による第一期路線として1892年(明治25年)から1893年(明治26年)にかけ計画の承認および実地調査、測量が行われ、最初の工事区間となった福島 - 庭坂間の着工から約5年の歳月をかけて1899年(明治32年)5月15日に開通。以来、険しい地形と日本でも指折りの豪雪地帯という厳しい自然条件に苦しめられた。

建設計画では勾配や経路の異なる3つの案を検討し[1]、その中でも当初は有力だったアプト式は採用されなかったものの[2]、約22kmにわたり最大33.0(1,000mあたり33mの高低差)、部分的には38.0‰の勾配、かつ半径300m前後の急曲線や19箇所のトンネルが連続して存在する線形となり、地形や予算上の制約からも峠の途中にある赤岩駅板谷駅峠駅大沢駅の4駅は連続してのスイッチバック駅となった。

このため日本の鉄道では碓氷峠信越本線横川 - 軽井沢間)や瀬野八山陽本線八本松 - 瀬野間)と並ぶ難所として知られ、そのため古くから勾配対策として補助機関車(補機)を使用し、のちには当区間の厳しい条件に対応した特殊設計の機関車を投入した。

また、奥羽本線は山形・秋田の両県や津軽地方と東京を結ぶ重要な輸送路であることから戦前より急行列車や多くの貨物列車が運転されていたが、板谷峠の急勾配は急行列車といえども低速運転となっただけでなく、途中のスイッチバック駅には通過線が存在しない配線であったことから、全列車各駅停車の運転を強いられた。

またスイッチバック駅は構内の有効長も余裕がなく、大型の蒸気機関車 (SL) を導入した後も列車の牽引定数は300tに制限されていた。

このため1949年(昭和24年)4月29日には周辺線区に先駆けて直流電化を実施、付随してトンネルの改修やスイッチバック駅を通過できるようにする改良工事を行ってスピードアップと牽引定数の引き上げが図られた。

その後1968年(昭和43年)9月22日東北本線米沢以北の区間と電化方式を共通化するため交流に変更、同時に輸送力改善のため庭坂 - 赤岩間と大沢 - 関根間を複線化、さらに1970年(昭和45年)6月30日には赤岩 - 板谷間、1971年(昭和46年)9月17日には板谷 - 峠 - 大沢間が複線化され庭坂 - 関根間の複線化を完了した。

1961年(昭和36年)10月1日より東北本線・奥羽本線でキハ80系気動車による特急つばさ」の運転が始まった。「つばさ」は当初から福島 - 米沢間で補機として電気機関車を連結しての運転が行われ、一時期は大出力機関を積んだキハ181系による単独運転となったが、過負荷運転による故障が続出したことから、1975年(昭和50年)11月24日485系の導入によって電車化されるまで補機の連結が続けられた。なお、それ以外の気動車列車についてはつい近年まで液体式であったためトルクコンバータによるトルク増幅効果の恩恵があったことから、補機を連結せずに単独で運転していたが、板谷峠区間では速度低下が著しかったのみならず、エンジンへの負担も著しく増大していた[3]

客車列車では、寝台特急あけぼの」が1970年(昭和45年)7月1日の運転開始(当初は臨時列車。定期列車としての運転開始は同年9月30日)から後述する改軌工事により運転経路が変更された1990年平成2年)8月31日までは一時期を除き電気機関車の重連運転で板谷峠を越えた。

1980年代に入ると在来線標準軌改軌して新幹線との直通運転を行う新在直通運転の構想が具体化、その第一陣として福島 - 山形間の改軌工事が行われることになり、工事が本格化した1990年(平成2年)3月10日に赤岩駅、同年9月1日に板谷駅・峠駅・大沢駅のスイッチバックが相次いで廃止された。駅はホームを本線上に移転して存続したが、赤岩駅についてはさらに周辺地域の過疎化もあり、2021年令和3年)3月12日付で廃止された。

この内、山形県内の3駅のスイッチバック遺構は、2007年(平成19年)に経済産業省近代化産業遺産の第2陣として認定している[4]

1992年(平成4年)7月1日に板谷峠を挟む奥羽本線の福島 - 山形間はミニ新幹線の山形新幹線に組み込まれ、現在、普通列車は6往復となっている。

1997年(平成9年)10月1日に碓氷峠区間が廃止された後はJRの幹線で最も急勾配の区間となっている(地方交通線では戦時買収路線である飯田線沢渡 - 赤木間に40‰勾配がある)。

現時点でも連続する急カーブはスピードアップの妨げとなっており、大雪・大雨時には運転の大きな障害となるため、山形県が設置した山形新幹線機能強化検討委員会では、板谷峠の下に長大トンネルを掘ってこの難所を解消することについて検討されている[5]

板谷峠区間の主力機関車

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大正時代には3980形が試験的に使用されたほか、4110形の老朽化が深刻化した戦中戦後の混乱期9600形8620形が入線したこともあった。9600はともかく、8620は空転が多く、火床があおられて蒸気の圧力が上がらなかったという。結局、老朽化の目立つ4110が安定していた[6]
より強力なD51の応援が求められたが、スイッチバック形状の駅が多い上に線路有効長が短い関係からテンダー機の大きさは9600が限度であった[7]

道路

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板谷峠は板谷と米沢を結ぶ板谷街道の峠である。2010年(平成22年)2月現在の国土地理院の地形図では、板谷峠は山形県道232号板谷米沢停車場線から外れて峠駅へ向かう道路上にある[8]が、その道は米沢へ通じていない。上記の県道内に板谷峠があるという記述もある[9]。いずれにせよ、明治時代に栗子峠を通る道が開鑿され(萬世大路)、さらに自動車用に改良されて以来、板谷峠は幹線道からはずれた道筋となった。2017年(平成29年)に開通した東北中央自動車道も、栗子峠直下を栗子トンネルで通過する経路となっている。

脚注

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  1. ^ 現行の経路に近い板谷第1線(一部区間をアプト式、勾配は最大66.7‰)と東福島駅付近から西に分岐して峠に向かう板谷第2線(アプト式を使用せず勾配は33.0‰とした)、飯坂温泉のほうへ北上、迂回して米沢に向かう茂庭線(勾配は33.0‰)が比較され、最終的には板谷第1線の経路を元に勾配を第2線と同じ33.0‰に抑えたものとなった。
  2. ^ 『鉄道路線変せん史探訪』pp.276 - 278
  3. ^ 板谷峠で運用されていた気動車は、「つばさ」を除き、低出力の部類に入るDMH17系エンジンの車両が主力であった。このため、板谷峠での通過速度は時には20km/hを切る自転車並の超低速運転となることがあるなど、所要時間面でも著しく不利であった。しかしそう言った状態であったにもかかわらず、板谷峠区間どころか東北地方へのキハ65形の導入については、現場より投入の要望があったものの、計画はおろか構想の議題にすら上がらず、導入は見送られた。
  4. ^ 近代化産業遺産群・続33 (PDF)
  5. ^ 山形新幹線#新トンネル整備構想を参照。
  6. ^ 連合軍専用列車の時代―占領下の鉄道史探索 光人社 河原 匡喜(著) P232
  7. ^ 国鉄・JR 悲運の車両たち JTBキャンブックス 寺本 光照 (著)P27
  8. ^ 地図閲覧サービス:天元台内
  9. ^ 城下町ふらり歴史探訪 五十騎・御守・組外の石碑

参考文献

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  • 守田久盛、高島通 「奥羽線と板谷トンネル」『鉄道路線変せん史探訪(真実とロマンを求めて)』、1978年、産業図書、pp.273 - 282
  • 電気車研究会鉄道ピクトリアル
    • 1989年2月号 No.507 pp.10 - 24, 41 - 50
    • 1999年2月号 No.665 pp.10 - 23

関連項目

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