柄崎孝
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柄崎孝 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県 |
生年月日 | 1951年11月24日(72歳) |
所属団体 | JRA |
初免許年 | 1986年(1987年開業) |
引退日 | 2022年2月28日 |
通算勝利 | 277勝 |
重賞勝利 | 10勝 |
G1級勝利 | 1勝 |
経歴 | |
所属 | 美浦トレーニングセンター |
柄崎 孝(つかざき たかし、1951年11月24日 - )は、中央競馬(JRA)・美浦トレーニングセンター北に所属していた元調教師。父は元調教師の柄崎義信、息子に元騎手で調教師の柄崎将寿、義弟に調教師の的場均、甥に騎手の的場勇人。
来歴
[編集]千葉県出身。騎手になりたかったが、体が大きくなり断念したという[1]。1976年、父である中山・柄崎義信厩舎で調教助手となる[要出典]。
1986年に調教師試験に合格、翌年1987年に開業[要出典]。
1987年3月7日、中京第1競走をイチエイガバナーで勝利し、厩舎初出走初勝利[要出典]。
1988年、京成杯3歳ステークスをドクタースパートで勝利し、重賞初制覇。翌年1989年、皐月賞を同馬で勝利しGI初制覇[要出典]。
2022年2月28日付けで定年のため、調教師を引退した。活躍馬は道悪に強い馬が多かった[2]。
調教師成績
[編集]日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走・初勝利 | 1987年3月7日 | 1回中京1日1R | アラブ4歳未勝利 | イチエイガバナー | 12頭 | 3 | 1着 |
重賞・GI初出走 | 1988年5月15日 | 4回東京8日10R | 安田記念 | サクセスオオザ | 12頭 | 12 | 11着 |
重賞初勝利 | 1988年11月13日 | 7回東京4日11R | 京成杯3歳S | ドクタースパート | 8頭 | 2 | 1着 |
GI初勝利 | 1989年4月16日 | 3回中山8日10R | 皐月賞 | ドクタースパート | 20頭 | 3 | 1着 |
主な管理馬
[編集]※太字はGI・JpnI競走を示す。
- ドクタースパート(1988年京成杯3歳ステークス、1989年皐月賞、1990年ステイヤーズステークス)
- トーワトリプル(1989年NHK杯、1990年日経新春杯)
- リストレーション(1991年牝馬東京タイムズ杯)
- ホマレオーカン(1993年愛知杯)
- ゴールデンアイ(1993年函館記念、1995年東京新聞杯)
- インターライナー(1995年日経賞)
主な厩舎所属者
[編集]※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 田中剛(2009年 - 2010年、調教助手)
脚注
[編集]- ^ “柄崎孝師 開業2年で皐月賞V!どの馬にも思い入れ、競馬は「人生」”. スポーツニッポン. 2022年7月16日閲覧。
- ^ “【宝塚記念】アドマイヤアルバ送り出す皐月賞馬ドクタースパートの柄崎厩舎”. 日刊スポーツ. 2022年7月16日閲覧。