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田中剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中剛
福島7R優勝後(2023年7月9日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
生年月日 (1961-02-13) 1961年2月13日(63歳)
身長 162cm
体重 55kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 美浦・柄崎義信(1979.3 - 1992.2)
美浦・フリー(1992.3 - 引退)
初免許年 1979年3月1日
免許区分 平地・障害
騎手引退日 2009年10月31日
重賞勝利 13勝
通算勝利 5253戦364勝
調教師情報
初免許年 2010年
経歴
所属 JRA騎手(1979.3 - 2009.10)
柄崎孝/調教助手(2009.11 - 2010.2)
美浦T.C.(2010 - )
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田中 剛(たなか つよし、1961年2月13日 - )は、東京都出身の騎手調教師JRA美浦トレーニングセンター所属。

娘はフリーアナウンサーの田中歩[1]

経歴

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騎手時代

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少年時代はプロボクサーであった実父・田中敏朗の影響でボクシングクラブに所属していたという[2]。中学生のころ、浦河町辻牧場で数か月間騎手になるための修行をした。

1979年、騎手免許取得。所属は柄崎義信厩舎。JRA初騎乗は3月3日、アローキングダムに騎乗し8着だった。5月13日、カチウマタローで勝利しJRA初勝利を挙げる。

1988年、JRA通算100勝を達成する。1991年、優秀障害騎手賞を初受賞。

1995年、JRA賞最多勝利障害騎手初受賞となる。日本人騎手として初めてグランドナショナルに騎乗。

1998年、横山富雄以来史上2人目の平地100勝・障害100勝を達成した。また、フランスに遠征しレースに騎乗した。

2009年、5月に怪我から復帰する際の精密検査で変形性頚椎症と診断された。主治医は「生命の危険がある」と指摘し、本人は障害免許を返上し平地競走の騎乗に専念することも考えたが、年齢を考慮し、7月30日に現役引退を発表した[3][4]。10月31日をもって引退、東京競馬場第4競走障害未勝利の後、引退式が行われた[5]

調教師時代

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柄崎孝厩舎の調教助手に転身したあと、2010年の新規調教師試験に合格、同年3月1日より技術調教師となった。その後、同年10月20日付けで中野渡清一が勇退するのに伴い、10月21日に厩舎を開業した。

2011年6月11日、東京ジャンプステークスをマジェスティバイオが優勝、調教師として重賞初制覇[6]。同年の中山大障害にも優勝し、J・GI初制覇。

2012年1月5日の中山金杯フェデラリストで平地重賞初制覇を果たした。自身騎手時代に平地グレードレースを制覇できなかったため[7]、これが騎手、調教師時代を通じての平地グレードレース初制覇となった。

2012年4月14日、前年の中山大障害に続いて、マジェスティバイオが中山グランドジャンプを制し、秋春連続でのJ・GI制覇となった。同年の朝日杯フューチュリティステークスロゴタイプで制し、調教師として平地GI初制覇。

2013年4月13日、皐月賞をロゴタイプで制し、調教師としてクラシック、八大競走初制覇。

騎手成績

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通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 157 216 247 3833 .041 .097
障害 207 191 179 1420 .146 .280
364 407 426 5253 .069 .228
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1979年3月3日 - アローキングダム - - 11着
初勝利 1979年5月13日 障害勝入 カチウマタロー 5頭 5 1着
重賞初騎乗 1979年6月3日 東京障害特別(春) カチウマタロー 10頭 5 3着
重賞初勝利 1980年12月20日 中山大障害(秋) カチウマタロー 10頭 8 1着
GI初騎乗 1986年5月25日 東京優駿 カツタイフウオー 23頭 22 20着

主な騎乗馬

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表彰

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  • 優秀障害騎手賞(1991年、1992年、1995年、1998年、2001年
  • 最多勝利障害騎手賞(1995年、1998年、2001年)

調教師成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2010年10月23日 4回東京5日8R 3歳上500万下 ドンドドーン 12頭 3 8着
初勝利 2011年4月3日 2回阪神4日7R 4歳上500万下 ドンドドーン 16頭 5 1着
重賞初出走・初勝利 2011年6月11日 3回東京7日8R 東京ジャンプS マジェスティバイオ 14頭 8 1着
GI初出走・初勝利 2011年12月24日 5回中山7日10R 中山大障害 マジェスティバイオ 10頭 1 1着

主な管理馬

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太字はGI級競走を示す

出典:[8]

脚注

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  1. ^ 【高松宮記念・田中歩アナの馬と歩もう】白星発進へフィエロ指名 - スポーツ報知 2017年3月26日発信、2017年3月27日閲覧。
  2. ^ 『優駿』2009年12月号、5頁。 
  3. ^ 田中剛騎手が引退、今後は調教師を目指す - サンケイスポーツ 2009年7月31日
  4. ^ 障害の名手 田中剛騎手が引退 - 中日スポーツ 2009年7月31日
  5. ^ 田中 剛騎手が引退 - JRA・2009年10月15日
  6. ^ 【東京ジャンプS】8番人気マジェスティバイオ快勝! - スポニチアネックス 2011年6月12日
  7. ^ 唯一の平地重賞制覇となった1995年の東京新聞杯は東京競馬場が開催当日、降雪のため芝からダートに変更になったため、格付けなしでの施行となった。
  8. ^ 田中 剛(調教師)|重賞勝鞍”. 競馬予想のウマニティ. 2024年1月29日閲覧。

関連項目

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