コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

桜井昇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 桜井昇 九段
名前 桜井昇
生年月日 (1941-05-10) 1941年5月10日(83歳)
プロ入り年月日 1965年4月1日(23歳)
引退年月日 2007年3月31日(65歳)
棋士番号 90
出身地 群馬県吾妻郡長野原町
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 原田泰夫九段
弟子 中田宏樹飯島栄治藤倉勇樹横山泰明村山慈明伊藤真吾千葉涼子
段位 九段
棋士DB 桜井昇
戦績
一般棋戦優勝回数 1回
通算成績 484勝703敗(.407)
順位戦最高クラス B級2組
2022年4月1日現在
テンプレートを表示

桜井 昇(さくらい のぼる、1941年5月10日 - ) は、将棋棋士。2007年、引退原田泰夫九段門下。棋士番号は90。群馬県吾妻郡長野原町出身。

棋歴

[編集]

1965年、23歳でデビュー。同年度、順位戦C級2組で8勝4敗(16人中3位)の好成績を挙げ、C級2組を1期抜けして昇級。同時に五段昇段。

1966年度、古豪新鋭戦で優勝。準決勝の相手はまだ十代の中原誠、決勝戦の相手は長老の北村秀治郎であった[1]

1975年度、第23回王座戦でベスト4。同年度、第6回新人王戦では決勝三番勝負に進み、森安秀光に0-2で敗れて準優勝。

第27期(1972年度)順位戦C級1組で8勝2敗の2位となり、B級2組に昇級。同時に六段昇段。

1981年度、第31回NHK杯戦でベスト4。

第65期(2006年度)順位戦C級2組順位戦は2勝8敗に終わり、降級点が累積3つとなった。フリークラス規定(編入者の定年60歳)により2007年3月31日付で現役を引退[2]。同日時点で出場権を残していた第20期竜王戦4組昇級者決定戦は、1回戦で宮田敦史の病気休場による不戦勝、2007年4月2日に行われた2回戦で真部一男に敗れ、1勝1敗を記録した上で公式棋戦への出場を終えた[3]

理事・普及活動など

[編集]
  • 日本将棋連盟の常務理事や理事を何度も務めており、普及推進や広報など様々な職務をこなしている。
  • 師匠の原田泰夫九段が長らく指導を続けてきた杉並区将棋連盟で、土佐浩司鈴木環那らと共に講座・指導対局などを務めている。

弟子

[編集]

棋士となった弟子

[編集]
名前 四段昇段日 段位、主な活躍
中田宏樹 1985年11月28日 追贈九段、タイトル挑戦1回、棋戦優勝2回
飯島栄治 2000年4月1日 八段
藤倉勇樹 2002年10月1日 六段
横山泰明 2002年10月1日 七段
村山慈明 2003年10月1日 八段、棋戦優勝2回
伊藤真吾 2007年4月1日 六段

(2024年4月1日現在)

女流棋士となった弟子

[編集]
名前 女流2級昇級日 段位、主な活躍
千葉涼子 1994年10月1日 女流四段、女流王将2期、棋戦優勝1回

(2011年4月21日現在)

  • 自宅で研究会を開くなどして育成した[1]。藤倉と横山は、2002年10月1日に同時にプロ入りした。
  • 上述藤倉門下から2014年8月に和田あきが、2020年9月に和田はな(和田あきの実妹)が、女流棋士となった。2022年4月現在、桜井の孫弟子にプロ棋士はいないものの、和田姉妹が女流で活躍している。

人物・趣味・逸話

[編集]
  • 趣味は野球観戦[4]。自身も日本将棋連盟野球部でプレーし、かなり熱中した(ちなみに、当時の総監督は丸田祐三、監督は二上達也[1]
  • 1972年7月26日に行われた早指戦、対下平幸男戦において、お互いが角道を開けたのち、後手番の下平が4手目に△3二銀と指し、桜井が▲2ニ角成として5手で勝利した。これは不戦敗や反則を除く、(非公式戦も含めた場合の)最短手数である(ただし下平の項によれば、下平が本来なら持ち時間がなくなるほどの遅刻をしてしまい、下平が不戦敗を主張したがそれを却下する裁定が下された直後のことだったという)。(公式戦最短手数は1974年8月19日、▲佐藤大五郎対△中原誠戦の10手、棋聖戦本戦トーナメント1回戦)

昇段履歴

[編集]

(1964年度後期、関東から関西に移籍)

主な成績

[編集]

通算成績

[編集]
  • 484勝703敗

棋戦優勝

[編集]
優勝合計1回

在籍クラス

[編集]
順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[5]
(出典)竜王戦
出典[6]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1965 20 C213
1966 21 C114
1967 22 C109
1968 23 C111
1969 24 C112
1970 25 C115
1971 26 C110
1972 27 C106
1973 28 B215
1974 29 B217
1975 30 B212
1976 主催者移行問題により中止
1977 36 B205
1978 37 B207
1979 38 B207
1980 39 B214
1981 40 B213
1982 41 B206
1983 42 B204
1984 43 B213
1985 44 B211
1986 45 B210
1987 46 B212 1 3組 --
1988 47 B224 2 3組 --
1989 48 B212 3 3組 --
1990 49 B216 4 3組 --
1991 50 B218 5 3組 --
1992 51 B217 6 3組 --
1993 52 B222 7 3組 --
1994 53 C101 8 3組 --
1995 54 C117 9 3組 --
1996 55 C114 10 4組 --
1997 56 C118 11 4組 --
1998 57 C124 12 4組 --
1999 58 C120 13 4組 --
2000 59 C114 14 4組 --
2001 60 C201 15 4組 --
2002 61 C238 16 4組 --
2003 62 C230 17 4組 --
2004 63 C228 18 4組 --
2005 64 C237 19 4組 --
2006 65 C241 20 4組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

表彰

[編集]
  • 現役勤続40年表彰(2004年)

出演

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 将棋世界」2000年1月号付録より。
  2. ^ 2006年度内引退棋士等|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月24日閲覧。
  3. ^ 2007年4月の対局結果|月間対局結果|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2021年12月11日閲覧。
  4. ^ 「将棋年鑑」平成10年度版より。
  5. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  6. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]