コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

櫻井設雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
櫻井 設雄
個人情報
生誕 1939年
死没 2011年11月23日
宗教 世界基督教統一神霊協会
配偶者 小河原節子
子供 櫻井正上(長男)
テンプレートを表示

櫻井 設雄(さくらい せつお、1939年昭和14年) - 2011年平成23年)11月23日)は、日本宗教家世界基督教統一神霊協会の日本統一教会第5代会長。

生涯

[編集]

1966年(昭和41年)、世界基督教統一神霊協会へ入教。

1969年(昭和44年)5月1日、統一教会本部で22組の男女が文鮮明韓鶴子夫妻から祝福を受けて合同結婚した[1][2]。このときに櫻井は小河原節子と結ばれた[3][注 1]

1971年(昭和46年)に十字軍第一団長、1973年(昭和48年)に東京第1地区地区長、1980年(昭和55年)に本部伝道局長、1992年平成4年)に本部事務局本部長、1993年(平成5年)に群馬教区教区長・本部会長秘書室室長・南東京教区長・千葉地区長にそれぞれ就任[3]

1995年(平成7年)より世界基督教統一神霊協会日本教会の第5代会長に就任。その後、1996年(平成8年)にトルコ国家メシヤ、1999年(平成11年)に南北米福地開発協会副会長に就任。しかし2017年(平成29年)に妻である節子が退会届を出し、長男の櫻井正上もそれに合わせ離教した[6]

2011年平成23年)11月23日、死去。享年72[7]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1969年の合同結婚式で結ばれた22組の男女のうち、神山威(第2代会長)、小山田秀生(第4代・9代会長)、櫻井設雄(第5代会長)、石井光治(第6代会長)、梶栗玄太郎(第12代会長)、阿部正寿ら12組の夫婦は「12双」と呼ばれ、教団内で別格の存在とみなされている[4][5]

出典

[編集]
  1. ^ 【文鮮明総裁聖和節記念】日本を愛した文先生の足跡 15 南平台から松涛へ(最終回)”. 光言社 (2021年10月13日). 2022年11月8日閲覧。
  2. ^ 真の父母様と統一運動の歴史 1920-1969”. 光言社. 2022年10月12日閲覧。
  3. ^ a b 1988年,キリスト新聞社『基督敎年鑑』
  4. ^ 文藝春秋編 2022, pp. 56–57.
  5. ^ 統一教会・先輩家庭の苦労を称え、伝統の相続を誓う”. 中和新聞 (2012年8月21日). 2022年11月8日閲覧。
  6. ^ 2017年5月25日 櫻井節子夫人の信仰告白”. FPA JAPAN. 2024年10月22日閲覧。
  7. ^ 櫻井設雄・統一教会第5代会長の聖和式を挙行”. 家庭連合. 2024年10月22日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 石井謙一郎、森健鈴木エイト、甚野博則、伊藤達美ほか 著、文藝春秋 編『統一教会 何が問題なのか』文藝春秋〈文春新書〉、2022年11月18日。ISBN 978-4166613946 
先代
小山田秀生
世界基督教統一神霊協会日本教会会長
5代
1996年 - 1998年
次代
石井光治