正親町三条実蔭
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時代 | 鎌倉時代前期 |
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生誕 | 正治元年(1199年) |
死没 | 仁治2年5月5日(1241年6月15日) |
改名 | 実茂→実蔭 |
官位 | 従三位、参議 |
主君 | 後鳥羽上皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇 |
氏族 | 正親町三条家 |
父母 | 父:正親町三条公氏、母:藤原泰通の娘 |
兄弟 | 実蔭、実連、教誉、実位、叡澄 |
妻 | 道寛の娘 |
子 | 公貫、公行、公蔭、公種、公遍 |
正親町三条 実蔭(おおぎまちさんじょう さねかげ)は、鎌倉時代前期の公卿。権大納言・正親町三条公氏の子。母は按察使藤原泰通の娘[1]。初名は実茂[2]。官位は従三位・参議、備中権守。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 建保3年(1215年)2月15日、侍従に任ぜられる。
- 建保7年(1219年)1月22日、遠江権介を兼ねる。
- 承久3年(1221年)8月29日、従五位上に昇叙。12月12日、右少将に任ぜられる。
- 貞応元年(1222年)11月22日、正五位下に昇叙[3]。
- 元仁元年(1224年)1月23日、従四位下に昇叙。
- 嘉禄3年(1227年)1月26日、右中将に転任。
- 安貞2年(1228年)1月5日、従四位上に昇叙[4]。
- 貞永元年(1232年)1月5日、正四位下に昇叙[5]。
- 貞永2年(1233年)1月24日、相模介を兼ねる。
- 嘉禎4年(1238年)1月22日、前年に薨去した父・公氏の喪から明けて復任。4月20日、蔵人頭に補される。
- 延応元年(1239年)1月24日、参議に任ぜられる。右中将はもとの如し。10月28日、従三位に叙される。
- 延応2年(1240年)1月20日、備中権守を兼ねる。
- 仁治2年(1241年)5月5日、薨去。
系譜
[編集]- 父:正親町三条公氏(1182-1237)
- 母:藤原泰通の娘
- 妻:道寛の娘
- 嫡男:正親町三条公貫(1238-1315)
- 生母不明の子女
- 男子:正親町三条公行
- 男子:正親町三条公蔭
- 男子:正親町三条公種
- 男子:公遍