池城安憲
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(毛国珍から転送)
池城親方安憲(いけぐすくうぇーかたあんけん、1635年10月29日 - 1695年8月30日)は、琉球王国の官僚。唐名は毛国珍(もう こくちん)を名乗った[1]。沖縄三十六歌仙の一人。
毛氏池城殿内と称される貴族家系に生まれる。池城安成の長男であり、後に毛氏池城殿内の6代目当主となる[2]。
1670年から1690年にかけては、三司官を務めた[3]。数回にわたって薩摩に派遣された。また1683年には、尚貞王の爵位を授けられるため、国場親雲上と共に清国に派遣された[4][1]。
和歌の名手であり、沖縄三十六歌仙の一人である。
誰も実よ これぞまことの からにしき きたのみやこを たいいづる袖
の和歌で知られている。
脚注
[編集]- ^ a b "Ikegusuku Anken." Okinawa konpakuto jiten (沖縄コンパクト事典, "Okinawa Compact Encyclopedia").
- ^ Rizō, Takeuchi. (1992). Okinawa-ken seishi kakei daijiten (沖縄県姓氏家系大辞典). Tokyo: Kadokawa Shoten.
- ^ “中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本”. 2017年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月6日閲覧。
- ^ Chūzan Seifu, vol.8
公職 | ||
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先代 摩文仁朝維 |
三司官 1670 - 1690 |
次代 嵩原安依 |