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越来朝誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

越来親方朝誠(ごえくうぇーかたちょうせい、1621年12月23日 - 1695年5月1日)は、琉球王国官僚。唐名は向美材(しょう みざい)を名乗った。[1]

向氏湧川殿内(しょううじわくがわどぅんち)と称する貴族家系に生まれ、のちに8代目当主となる。 [1]尚宣威王の子孫でもあった。 [2]

尚貞王は即位に際し、1671年江戸謝恩使を派遣した。この時越来は副使に任命され、正使の金武朝興王子と共に江戸に派遣され、翌年に帰沖した。 [3]

1675年から1683年にかけては、三司官務めた[1] [4]

参考文献

[編集]
  1. ^ a b c "Goeku Chōsei." Okinawa konpakuto jiten (沖縄コンパクト事典, "Okinawa Compact Encyclopedia").
  2. ^ Rizō, Takeuchi. (1992). Okinawa-ken seishi kakei daijiten (沖縄県姓氏家系大辞典). Tokyo: Kadokawa Shoten.
  3. ^ Chūzan Seifu, appendix vol.2
  4. ^ 中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本