東風平朝衛
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東風平 朝衛(こちんだ ちょうえい、1701年 - 1766年)は、琉球王国の政治家、歌人。沖縄三十六歌仙の一人。正式には東風平親方朝衛と称する。唐名は向傑(しょうけつ)。称号は親方。豊見城御殿の門中である向氏当銘殿内(系祖・久志按司朝右)二代目(豊見城御殿門中としては三世)。父・久志按司朝右、母・毛氏真牛の長男として生まれる。組踊『万歳敵討』などの作者で知られる田里親雲上朝直は朝衛の弟である。
詳しい経歴は不明であるが、蔡温のあと、1752年に三司官に就任、1765年までの14年間その任にあった。歌人としても著名で、真境名安興の『沖縄一千年史』に古より有名な琉歌の名人6人のうちの1人に挙げられている[1]。宜湾朝保『沖縄集』に、
名にききし しのぶ高雄の もみぢ葉を いま手にとりて 君ぞ見せたる
の和歌が収録されている。
脚注
[編集]- ^ 『真境名安興全集(第一巻)』385頁参照。
参考文献
[編集]- 池宮正治『近世沖縄の肖像(上)(下)』 ひるぎ社、1982年。
- 『沖縄大百科事典(中)』 沖縄タイムス社、1983年。
- 真境名安興『沖縄一千年史』『真境名安興全集』第一巻、真境名安興、琉球新報社、1993年。
関連項目
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