コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

民族主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
民族主義者から転送)

民族主義(みんぞくしゅぎ、民族ナショナリズム: ethnic nationalism)は、政治経済文化言語などの分野について、民族としての利益権力機構、自治組織などを求めようとするイデオロギーである。

民族主義(民族ナショナリズム)は特定の民族を中心とするため、その思想は「共通の言語、共通の宗教、共通の祖先を持つ民族による国家」というものが多く、歴史上様々な時代や場所で人々の政治、思想の原動力となってきた。また、この思想を元にすると、その他の民族はしばしば「二級市民英語版」、「劣等民族」として冷遇、差別される[1][2]。民族主義がよく国家主義と結び付くのは、民族的な共同体という概念と国家というシステムの親和性が高く、民族主義の理念から共通の利益のために民族を政治的に一つにしようとする運動が起こりやすいからである(国民国家)。例えばナチス・ドイツは、汎ゲルマン主義優生学に基づきゲルマン人の民族共同体としての一つの広大な国家を建設しようとした(大ゲルマン帝国)。また、ユーゴスラビアオーストリア=ハンガリー帝国のように多民族によって形成される国家の場合、それぞれがそれぞれの民族主義を履行し民族自決を達成しようとするので、ユーゴ内戦ボスニア紛争など、いくつもの戦争が発生する悲惨な事態となった[3]り、国家としてのまとまりを保ちにくいことが多い。特定の民族優遇策をとる多民族国家(フランコ独裁体制下のスペインブミプトラ政策が敷かれたマレーシア[4]など)の場合は、優遇された民族の民族主義を支持基盤にするが、当然弾圧・冷遇される少数派側との対立が発生する。

愛国主義には patriotism の語があり、nationalism は民族の利益や主権の統一性を強調する語である(ナショナリズム)。ナポレオン戦争によるフランスの支配下では、ヨーロッパの各国民は民族主義を高揚させた。アジアにおいては、日露戦争での日本戦勝や1918年のウィルソン米大統領の十四か条の平和原則での民族自決原則で民族主義の高まりを見た。第二次世界大戦後には、多くのアジア・アフリカの国家が民族主義を高揚させて独立を果たした。1960年代初頭にはアフリカ諸国の独立が相次いだために、アフリカの年とも呼ばれた。また、世界には国内に多民族を内包する国は多く、各地で少数派民族独立運動が激化する場合がある。冷戦終結以降の欧州では地域主義や民族自決の推進などで、マケドニアやコソボなど小国が独立を志向する傾向が強まった。

民族主義は、特定民族による国家の形成・純化・拡大を主張し、対外的に自民族との差異と「優越性を主張」することがある。大国では、ロシアのように近隣諸国の自民族居住地域などの併合、少数民族にあっては分離独立や他民族の追放などを主張し、しばしば戦争紛争が生じる。自民族居住地域が近隣にない場合も、領土を併合する前後において、被支配民族との近縁性・一体性を主張した[注 1]

詳細 

[編集]

ナショナリズムの語義は多岐にわたるが、ナショナリズムの分類方法として、エスニックナショナリズム(: ethnic nationalism)とシビックナショナリズム(: civic nationalism)に類型化する方法があり、前者が民族主義に概ね該当する[5]。エスニックナショナリズムはnationを出自や血統により決定されるものとするが、シビックナショナリズム(Civic nationalism)は、nation を民主的価値・平等性に由来する共同体として認識し、フランス革命以降のフランスで自覚された高度に社会学的な概念である。ただしナショナリズムは宗教などの文化的価値による結束も含む概念であり、類型はこの限りでない。

各国の民族主義

[編集]

日本

[編集]

日本においては、民族主義は江戸時代末期水戸学国学の影響を受けた尊王攘夷運動として現れ、明治維新の原動力となった。しかし近代の日本においては、民族主義と国家主義との違いが意識されることは少なかった。日本の民族主義とアジア諸民族の民族主義との連携を模索するアジア主義のような動きはあったものの、帝国主義の時代にあって日本の民族主義は国家主義に吸収されていくこととなる。日清戦争・日露戦争後の大日本帝国は、朝鮮・台湾などを領土に加えて多民族帝国を志向し、日本の国家主義は「八紘一宇」を掲げる大東亜共栄圏建設を目指した大東亜戦争太平洋戦争)でピークに達した。

大東亜戦争の敗戦後は、その反省から戦前的な(右派的・国家主義的な)民族主義への抵抗感が強まった一方、反米を掲げる左派的な民族主義が高揚することとなった。左派的な立場からの民族主義は沖縄返還の原動力となったほか[6]、列強からの自立を目指すアジア・アフリカの民族主義には情緒的な共感が寄せられ、ベトナム戦争反対などの反戦運動とも結びつくと同時に、共産主義と結びつく勢力の介入により、国家と民族の分離に利用される一面も持っていた[6]

1960年代には、左翼系学生運動に対する対抗として民族派学生組織の運動が活性化する。参加者達は親米・反共に傾き民族主義をないがしろにした戦後右翼団体への反発から民族主義への回帰を指向し、新右翼民族派)の源流ともなった。

首相麻生太郎は日本を「一つの民族」国家と呼んだ[7]

政党/政治団体

[編集]

アジア

[編集]

ヨーロッパ

[編集]

北アメリカ

[編集]

形態

[編集]

民族主義と関連するイデオロギー

[編集]

主権国家創設を目指す民族主義

[編集]

民族統一主義

[編集]

その他

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ たとえば日鮮同祖論など。
  2. ^ a b ただし国会に議席はなく、政党助成法に基づく政党の扱いをされない。
  3. ^ ただし、ナチズムの民族理論には北方人種説など人種主義の面も強く、単純なドイツ民族主義とは言い切れない。
  4. ^ とりわけイスラエルに国家を築こうとする者の民族主義をいう。

出典

[編集]
  1. ^ Rangelov, Iavor (2013). Nationalism and the Rule of Law: Lessons from the Balkans and Beyond. Cambridge University Press. pp. 19–44. doi:10.1017/CBO9780511997938. ISBN 9780511997938 
  2. ^ Yilmaz, Muzaffer Ercan (2018). “The Rise of Ethnic Nationalism, Intra-State Conflicts and Conflict Resolution”. Journal of TESAM Akademy 5 (1): 11–33. doi:10.30626/tesamakademi.393051. 
  3. ^ ICTY: Conflict between Bosnia and Herzegovina and the Federal Republic of Yugoslavia”. 27 June 2022閲覧。
  4. ^ 「世界の右翼」p.179。 グループSKIT著
  5. ^ 陶山 宣明 アイルランドとケベックの ナショナリズム比較(上智大学デポジトリ)
  6. ^ a b 三島由紀夫文化防衛論――戦後民族主義の四段階」(中央公論 1968年7月号に掲載)。評論集『文化防衛論』(新潮社、1969年4月。ちくま文庫、2006年11月)、35巻評論10 & 2003-10に所収。
  7. ^ Aso calls Japan a 'one-race' nation” (英語). Japan Times (10-18-2005). 01-14-2022閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]