永田政矩
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛文6年(1666年) |
死没 | 享保7年12月26日(1723年2月1日) |
改名 | 永田政矩→永田意三 |
別名 |
通称:五郎助 号:意三 |
主君 | 毛利吉就→吉広→吉元 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 宇多源氏佐々木氏流高島氏庶流永田氏 |
父母 | 父:永田政納、母:山崎道察の娘 |
兄弟 | 政矩、万槌、政純、李家正勝、女 |
妻 |
正室:桂保武の娘 継室:国重政恒の娘、国司信貞の娘 |
子 | 政岑 |
永田 政矩(ながた まさのり)は、江戸時代の武士、医師。毛利氏家臣で長州藩士・藩医。父は永田政納。同母弟に『閥閲録』を編纂した永田政純がいる。
生涯
[編集]寛文6年(1666年)、長州藩の藩医・永田政納の長男として生まれる。母は陸奥二本松藩主・丹羽光重の儒臣であった山崎道察の娘で、長州藩士・岩佐圭庵の姪。
元禄14年(1701年)8月23日に父・政納が死去したため、その後を継いで藩医となる。
享保7年(1722年)12月26日に死去。享年57。子の政岑(虎之助、善次郎、意卜)が後を継いだ。