池谷三郎
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いけたに さぶろう 池谷 三郎 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 東京都中央区 |
生年月日 | 1923年8月19日 |
没年月日 | 2002年10月19日(79歳没) |
最終学歴 | 慶應義塾大学 |
職歴 |
ラジオ東京アナウンサー 東京アナウンス学院校長 |
活動期間 | 1951年 - 1969年 |
ジャンル | 音楽・娯楽番組 |
配偶者 | あり[1] |
担当番組・活動 | |
その他 | 東宝・東映・大映映画ではアナウンサー役で出演。 |
略歴・人物
[編集]東京都[4]中央区日本橋出身[7]。慶應義塾大学卒業[要出典]。
1951年10月、開局を控えたラジオ東京(KRT。後のTBS)にアナウンサー第1期生として入社[8][9][4]。入社1年目に駅伝中継を担当[7]。
『浪曲天狗道場』では1954年10月の第1回から司会を担当[7]。ラジオ番組においてトップレベルの聴収率を上げる功績を残す。池谷も『浪曲天狗道場』を始めるまでは、浪曲のことは全く何も知らず、「広沢虎造の『次郎長伝』といっても、大政も知らなければ小政も知らなかった」という[10]。
1966年1月、ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部[11]。1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴い幹事へ就任[12]。1970年1月、教育事業本部計画室。1971年5月、教育事業本部教育部兼管理部。1972年2月、東京学院へ出向。1974年4月、TBSに戻り、人事室開発センター。1975年9月、人事室。1977年7月、テレビ本部放送業務局。1977年8月、放送業務局視聴者センターにそれぞれ在籍[11]、1978年8月、TBSを定年退職[13][11]。その後は東京アナウンス学院の校長などを務める[5]。
俳優としては、TBS在職中に『ゴジラ』(1954年)よりアナウンサー役として出演[2][14][15][7][5]。以降、東宝特撮映画などにも出演し[2][14][3][4]、特撮映画ファンの間からは「いつものアナウンサー」という通称で呼ばれていた[16][15][17][6]。『ゴジラ』などの監督を務めた本多猪四郎は、池谷を起用した理由について、若手で顔と声が良かったためとしている[14]。映画出演は、アナウンス業務の空き時間に合わせて参加していたという[14]。
1991年、『ゴジラvsキングギドラ』公開直前に放送されたNHKの特番に堺左千夫、橘正晃とともに出演し、インタビューに答えていた[出典無効]。
2002年10月19日、間質性肺炎のため神奈川県鎌倉市の病院で死去[1]。79歳没。
出演
[編集]ラジオ
[編集]- 浪曲天狗道場(1954年、TBSラジオ)司会[13][11]
- 小唄コンクール(1955年、TBSラジオ)[11]
- 邦楽回り舞台(1956年、TBSラジオ)[13][11]
- 名流小唄集(1956年、TBSラジオ)[13][11]
- 歌謡ジョッキー(1958年、TBSラジオ)[11]
テレビ
[編集]- サモンお笑いゲーム(1955年、TBSテレビ)[13][11]
- 浪曲天狗道場(1955年・1965年、TBSテレビ) - ラジオと同時放送。[11]
- クイズバラエティ、私は顔役(1956年、TBSテレビ)[11]
- 話題の目(1959年、TBSテレビ)[11]
- トリプルクイズ(1961年、TBSテレビ)[13][11]
- もめごとひきうけます(1962年、TBSテレビ)[11]
- お茶の間裁判(1962年、TBSテレビ)[11]
- 土曜ロータリー(1965年、TBSテレビ)総合司会[13][11][18]
- いま結ぶモスクワ=東京(1967年4月20日、TBSテレビ)現地リポーター[11]
テレビドラマ
[編集]- ウルトラQ 第4話「マンモスフラワー」(1966年、TBSテレビ)ラジオアナウンサーの声 役[注釈 1]
- 泣いてたまるか第45回「先生。初恋の人に逢う」(1967年5月21日、TBSテレビ)
- ザ・サスペンス「黄色の誘惑 小さな万引きが事の始まり・もうあの男には逆らえない!!」(1983年6月18日、TBSテレビ)
映画
[編集]- 金色夜叉(1954年)ナレーション[4]
- ゴジラシリーズ
- 浪曲天狗道場(1955年)アナウンサー 役[19]
- 空の大怪獣 ラドン(1956年)アナウンサー 役[20][3][4][注釈 1]
- 地球防衛軍(1957年)テレビアナウンサー 役[6][注釈 2]
- 変身人間シリーズ
- 宇宙大戦争(1959年)テレビアナウンサー、アナウンサー吹替 役
- 月光仮面 怪獣コング(1959年)アナウンサー 役
- モスラ(1961年)ネルソンショー実況アナウンサー[15][4]、報道アナウンサー[注釈 2]、予告編ナレーション 役
- 世界大戦争(1961年)テレビアナウンサー 役[4]
- 妖星ゴラス(1962年)[6]南極推進力機関センター広報員 役
- 海底軍艦(1963年)ラジオアナウンサー[6]、ナレーション 役
- 宇宙大怪獣ドゴラ(1964年)ラジオアナウンサー 役[6]
- フランケンシュタイン対地底怪獣(1965年)テレビアナウンサー 役[6][注釈 2]
- フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966年)ラジオアナウンサー 役[6]
- 昭和元禄 TOKYO・196X年(1968年)テレビアナウンサー 役
- 空想天国(1968年)ラジオのアナウンサー 役[注釈 2]
- クレージーの大爆発(1969年)今福アナウンサー 役
- 奇々怪々 俺は誰だ?!(1969年)池谷アナウンサー 役
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “池谷三郎氏死去 元TBSアナウンサー”. 共同通信社. (2002年10月20日) 2013年3月29日閲覧。
- ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, p. 527, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
- ^ a b c ゴジラ大百科 1993, p. 114, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
- ^ a b c d e f g h 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 117, 「オール初代ゴジラ俳優大図鑑」
- ^ a b c d
- 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 117, 「オール初代ゴジラ俳優大図鑑」
- ゴジラ365日 2016, p. 231, 「8月19日」
- ^ a b c d e f g h i j k l m ゴジラ365日 2016, p. 231, 「8月19日」
- ^ a b c d 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2000〜2002』日外アソシエーツ、2003年3月25日、42頁。ISBN 4-8169-1769-1。
- ^ 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、235頁。「1951.10<1期生> 15人入社(男9・女6) 芥川隆行 池谷三郎 稲川英雄 市原信義 沢弘三 財前和夫 高野啓二 永井資久 若林 漸 大野方子 高杉恵津子 玉井和子 楢木昭子 本田節子 武藤和子」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、2-3頁。「51.10<1期生>15人入社(男9・女6) 芥川 隆行 池谷 三郎 稲川 英雄 市原 信義 沢 弘三 財前 和夫 高野 啓二 永井 資久 若林 漸 大野 方子 高杉恵津子 玉井 和子 楢木 昭子 本田 節子 武藤 和子」
- ^ 東京放送社史編集室 編「7.放送活動 ●アナウンサー」『東京放送のあゆみ』東京放送、東京、1965年、372頁。全国書誌番号:65011407。「池谷三郎は、「浪曲天狗道場」の司会を受け持って、ラジオ番組においてトップレベルの聴収率をあげる功績を残した。そのかれもその番組を始めるまでは、浪曲のことをまったくなにも知らず、広沢虎造の「次郎長伝」といっても、大政も知らなければ小政も知らなかったというのだからウソのような話である。」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、2頁。「池谷 三郎…[66.1R局放送部兼TV編成局アナウンス部][67.11 アナウンサー研修室][70.1 教育事業本部計画室][71.5 教育事業本部教育部兼管理部][72.2 東京学院(東放学園)へ出向][74.4 本社復帰、人事室開発センター][75.7 人事室][77.7TV本部放送業務局][77.8 放送業務局視聴者センター][78.8 定年] R「浪曲天狗道場(54)」「小唄コンクール(55)」「邦楽回り舞台(56)」「名流小唄集(56)」「歌謡ジョッキー(58)」 TV「サモンお笑いゲーム(55)」「浪曲天狗道場(55)」「クイズバラエティ、私は顔役(56)」「話題の目(59)」「トリプルクイズ(61)」「もめごとひきうけます(62)」「お茶の間裁判(62)」「浪曲天狗道場(65)」「土曜ロータリー(65)」 ☆67.4.20 テレビ「いま結ぶモスクワ=東京」現地リポーター」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。「1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 ◇テレビ編成局アナウンス部を廃止し、新たに『アナウンサー研修室』を設置する。アナウンサー研修室には室長、委員、幹事およびチーフ・アナウンサーを置く。 室長 小坂秀二(兼総務局付) 委員 近江正俊(兼報道局解説室委員)、落合博一(兼報道局ラジオニュース部)、渡辺謙太郎(兼報道局運動部)、吉川久夫(R局第一制作部兼TV編成局放送部) 幹事 池谷三郎 チーフ・アナウンサー 鈴木治彦、山本文郎」
- ^ a b c d e f g 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、235頁。「池谷三郎[1978.8定年] R「浪曲天狗道場(1954)」「邦楽回り舞台(1956)」「名流小唄集(1956)」 TV「お笑いゲーム(1955)」「トリプルクイズ(1961)」「土曜ロータリー(1965)」」
- ^ a b c d 「本多猪四郎監督 長編インタビュー(2)」『ゴジラ/ゴジラの逆襲/大怪獣バラン』東宝出版事業部〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.3〉、1985年5月1日、234-235頁。ISBN 4-924609-07-2。
- ^ a b c d ゴジラ大百科 1992, p. 129, 構成 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しむ100のカタログ 27 いつものアナウンサー・いつもの新聞記者」
- ^ ゴジラ大百科 1990, p. 116, 構成・文 池田憲章・杉田篤彦・岸川靖「決定版ゴジラ大辞典」、最新ゴジラ大百科 1991, p. 116, 構成・文 池田憲章・杉田篤彦・岸川靖・佐々木優「決定版ゴジラ大辞典」
- ^ ゴジラ大辞典 2014, pp. 28–29, 「あ アナウンサー」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 ハイブリッド検索編』、東京放送、18頁、2002年1月。「1965年4月10日 *テレビ婦人向けワイド「土曜ロータリー」誕生 総合司会…池谷三郎 中継アナ…鈴木治彦 アシスタント…清水恵子」
- ^ “浪曲天狗道場 | Movie Walker”. KADOKAWA. 2014年5月12日閲覧。
- ^ “映画資料室”. viewer.kintoneapp.com. 2020年4月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 東京放送社史編集室 編『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日。全国書誌番号:65011407NDLJP:2508112。
- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- Gakken MOOK(Gakken)
- 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1990年1月1日。
- 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA 最新ゴジラ大百科』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1991年12月1日。
- 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 新モスラ編』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1992年12月10日。
- 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。…国立国会図書館の所蔵情報
- 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2000〜2002』日外アソシエーツ、2003年3月25日。ISBN 4-8169-1769-1。
- 『ゴジラ大辞典【新装版】』野村宏平 編著、笠倉出版社、2014年8月7日(原著2004年12月5日)。ISBN 978-4-7730-8725-3。
- 『別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2014年8月24日。ISBN 978-4-8003-0452-0。
- 野村宏平、冬門稔弐『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日。ISBN 978-4-8003-1074-3。