松屋 (百貨店)
松屋銀座 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒104-8130 東京都中央区銀座三丁目6番1号 |
設立 | 1919年3月1日 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 1010001034945 |
事業内容 | 百貨店 |
代表者 | 代表取締役社長 古屋毅彦 |
資本金 | 71億32百万円 |
売上高 |
単体473億円、連結527億円 (2021年2月期) |
営業利益 |
単体△32億円、連結△39億円 (2021年2月期) |
純資産 |
単体152億円、連結162億円 (2021年2月) |
総資産 |
単体542億円、連結564億円 (2021年2月) |
従業員数 |
単体581人、連結888人 (2022年2月) |
支店舗数 | 2店舗(銀座・浅草) |
決算期 | 2月末 |
主要株主 |
松屋取引先持株会 5.38% 株式会社三菱UFJ銀行 4.67% 東武鉄道株式会社 4.54% 東武シェアードサービス株式会社 4.41% (2021年2月末現在) |
主要子会社 | #主な関連会社の項を参照 |
関係する人物 |
古屋徳兵衛(創業者) 古屋満寿(創業者) 古屋徳兵衛 (2代) 古屋徳兵衛 (3代)(古屋祐次郎) 山中鏆 太田伸之 秋田正紀 |
外部リンク | https://www.matsuya.com/ |
株式会社松屋(まつや、英: MATSUYA CO.,LTD.)は、東京都中央区銀座三丁目に本店、台東区花川戸一丁目に浅草店を置く百貨店。
横浜の呉服店を起源とする老舗百貨店[1]。現在は銀座の本店は通称「松屋銀座」と呼ばれ[2]、銀座エリアの百貨店において人気・売上ともに銀座三越と首位の座を争う間柄である。浅草店は「松屋浅草」と呼ばれ[3]、1931年に東武鉄道伊勢崎線(東武スカイツリーライン)浅草駅(当時の浅草雷門駅)の駅ビルとして開業し、これは関東初の駅直結の百貨店(いわゆるターミナルデパート)として知られる[4][5]。
概要
[編集]1869年に横浜で創業された呉服店「鶴屋」の流れを汲む百貨店。創業以降、拡大路線をひた走るが、1970年代のオイルショックを境に経営難に陥り、銀座店と浅草店の2店舗体制になる。経営再建には東武百貨店と伊勢丹が関わった。仕入れ関係は、伊勢丹と松屋主導で結成した全日本デパートメントストアーズ開発機構(ADO)に加盟していた(2020年に解散)。
高級ブランド、ラグジュアリーファッションやアクセサリー、豪華な内・外装で女性からの支持率が高く、銀座を代表する百貨店である。
なお、飲食チェーン店を展開する松屋フーズとは無関係である。
伊勢丹との提携
[編集]伊勢丹(現:三越伊勢丹)とは1971年の「業務提携に関する覚書」、「商品券の相互利用に関する契約書」の締結や、1973年のADOの設立などで幅広い提携強化を図ってきた。2002年11月にはさらなる提携強化を目指して伊勢丹の株式を買い増し、副社長も同社から迎えた[6]。しかし、2007年に三越と伊勢丹の経営統合が発表されると、両社間にすきま風が吹き始める。伊勢丹が統合する三越の銀座店は、松屋の競合相手であるのがその理由である。2007年秋のADO会議において、ADOの総合幹事店である松屋は欠席した(後にADOは解散)。
沿革
[編集]- 1869年12月5日(明治2年11月3日)- 初代古屋徳兵衛、妻の満寿の小売業をもとに、横浜石川町にて「鶴屋呉服店」を創業[7]。
- 1889年(明治22年) - 東京神田今川橋の松屋呉服店(1776年(安永5年)創業)を買収[1] し、東京へ進出。当時は「松屋呉服店」「鶴屋呉服店」の屋号を並行して使用していた。1978年(昭和53年)まで使用されていた紋章は「松」と「鶴」を形取っていた。
- 1903年(明治36年) - 合名会社松屋呉服店となる。
- 1908年(明治41年) - 呉服以外に雑貨、洋品の販売を始め、化粧品、帽子の一部を海外より直接輸入して販売するようになり発展した。
- その後、銀座、浅草、横浜関内の吉田橋際や伊勢佐木町に店舗を構えるなど、事業を拡張。
- 1970年6月10日 船橋松屋開店(千葉県船橋市)
- 1970年代 前半のオイルショック以後、経営が傾き、現行の銀座と浅草の2店舗体制となる。再建の過程で東武百貨店や伊勢丹との関係を強化。
- 1974年12月31日 船橋松屋閉店
- 1976年11月 横浜松屋閉店。建物は隣接する横浜松坂屋に買収され、同店の西館となる。
- 1978年9月 PAOSにより現在の松屋文字のロゴにCI化。現在はそれを基本に原研哉が監修している。
創業家
[編集]創業家関係者は2023年現在、初代徳兵衛から6代目の古屋毅彦が第9代社長。秋田正紀(第8代社長)は古屋勝彦(名誉会長)の義弟にあたる。
歴代社長
[編集]- 松屋鶴屋呉服店社長
- 2代 古屋徳兵衛:1919年 - 1924年
- 松屋呉服店社長
- 2代 古屋徳兵衛:1924年 - 1936年
- 古屋惣八:1936年 - 1938年
- 3代 古屋徳兵衛(古屋祐次郎):1938年 - 1948年
- 松屋社長
- 3代 古屋徳兵衛(古屋祐次郎):1948年 - 1974年
- 古屋龍太郎:1974年 - 1979年
- 山中鏆:1979年 - 1989年
- 古屋勝彦:1989年 - 2003年
- 古屋浩吉:2003年 - 2007年
- 秋田正紀:2007年 - 2023年
- 古屋毅彦:2023年 - 現職
店舗
[編集]銀座本店
[編集]松屋銀座本店 Matsuya Ginza[8] | |
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松屋銀座本店 | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒104-8130 東京都中央区銀座3-6-1[9] |
座標 | 北緯35度40分19.7秒 東経139度45分59.9秒 / 北緯35.672139度 東経139.766639度 |
開業日 | 1925年5月1日[10] |
正式名称 | 松屋銀座本店 |
施設所有者 | 株式会社松屋 |
延床面積 | 57,100 m²[10] |
商業施設面積 | 32,182 m²[10] |
営業時間 | 10:00 - 20:00[10](レスト新ラン街除く) |
駐車台数 | 183[9]台 |
最寄駅 |
銀座駅 銀座一丁目駅 東銀座駅[9] |
外部リンク | 銀座松屋 |
- 1925年(大正14年)5月1日に開店。翌年に本店となり、今に続く。地下1階、地上8階の豪華な建造物であったが、太平洋戦争終結後は、連合軍のPXとして接収されていた。昭和20年代後半に接収が解除された後は、改装により豪華絢爛であった内外装は廃された。
- 開店当初は贅を尽くした内装で耳目を集め、圧巻は正面玄関入ってすぐの中央ホールであった。天井のステンドグラスはローザリーの華やかなもので、ホールの内側の柱はモザイク模様を取り付け、1階のホールの四方はサラセン風の漆喰模様で飾られていた。7階のホール周りはサラセン風の柱廊となっていた。現在エスカレータ脇の鉄板が張られている吹き抜けは、当時、地上7階まで吹き抜けであった中央ホールの名残でありファッションショーも開催されていた。1964年(昭和39年)、東京オリンピックの開催に合わせて大改装を行い、現在の形となる。2006年(平成18年)には更なる改装を加え、LED照明を使用した現在の外装は4代目となる。度重なる改装により、建築当時の面影は皆無に等しいがビルの裏手へ回ると幾つかの窓が見受けられる。竣工当時のエレベーターはオーチス製。当初は客用正面に6台、ホール周りに2台、他に社員用、荷物用、料理用などがあったが、客用は後の店舗改装時に撤去され、三菱製に変更された。さらに1987年に現在の形に更新され、2015年7月現在、1987年更新のエレベーターを再更新している。2015年時点でも業務用の一部はオーチス製が現存しており裏の通用口からは自動化改造されながらも木扉のオーチス製のエレベーターが確認できたが、2014年にこちらもオーチスによって更新され、かつての跡はほとんど残っていない。
- 店舗面積32,182m2
階 | 松屋銀座 フロアガイド |
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RF | ゴルフテラス・ソラトニワGINZA |
8F | 大催場、レストラン |
7F | リビング、美術、呉服 |
6F | 婦人服、子供、スポーツ、メガネサロン |
5F | 紳士服 |
4F | 婦人服、宝飾・時計 |
3F | 婦人服、婦人用品、婦人靴 |
2F | 婦人服、インターナショナルブティック、ハンドバッグ |
1F | 婦人服飾雑貨、化粧品 |
B1F | 食品、GINZAフードステージ |
B2F | 生鮮食品、GINZAフードステージ |
- チャイムは松屋独自のものを使用している。
-
開店当時の銀座店
-
1964年の大改装後の外観(1967年5月)
浅草店
[編集]- 1931年11月1日、東武鉄道浅草雷門駅(現:浅草駅)開業に際して、駅ビルテナントとして「松屋浅草支店」の名で開店した。建物は久野節の設計による昭和初期を代表するアール・デコ調の建造物で、駅と店舗が一体化した構造であった。開店と同時に7階と屋上には「スポーツランド」もオープンした。これは遠藤嘉一の創案の自動機械を並べた施設で、今日のゲームセンターの嚆矢というべきものであった[11][12]。屋上には遊園地、ペットショップがあった。後に改装されることになるが、外壁が外装材で覆われて以降の松屋屋上にあった店の広告塔は、建築当時の塔屋の名残りであった。また、浅草支店出店の経緯から東武鉄道が松屋に出資していることもあり、駅のホームや階段などにも建築当時の面影を見つけることができる。
- 1974年、改装されて外壁は白い外装材で覆われたが、北面の壁は覆われずに建築当時そのままの姿が残された。
- 2010年、長引く消費低迷のため同年5月31日をもって浅草支店の営業を大幅に限定した。地上7階から地下1階(2階は東武浅草駅)のうち4階以上の営業を解除、同時に店舗名を「松屋浅草店」に改めた[13]。同時に日本最古の屋上遊園地である「プレイランド」も閉鎖された[14]。
- 2012年9月27日、東武鉄道は当店の4階から屋上までを「浅草EKIMISE(エキミセ)」として同年11月21日にオープンすると発表し[15]、松屋浅草店はEKIMISE内のテナントの扱いとなった。このとき同年の東京スカイツリー開業に合わせて外装材を撤去、外壁を修復して1931年開店当時のアール・デコ調の外観を復活させた[16]。
- かつては本店と同じ放送チャイムを使用していたが、EKIMISE開業時の放送設備一新により汎用チャイムに変更された。
- 店舗面積19,106m2⇒7,404m2。
階 | EKIMISE(東武浅草駅ビル)フロアガイド |
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RF | EKIMISE 浅草ハレテラス |
7F | EKIMISE EAST-TOKYOマーケット わのいち、駅見世ごはん |
6F | EKIMISE ニトリ |
5F | EKIMISE ユニセックスファッションフロア、サンマルクカフェ、100円ショップ(Seria) |
4F | EKIMISE ファッションフロア、くまざわ書店、生活雑貨 |
3F | レディースファッション、ユニクロ、リフォームコーナー |
2F | 東武鉄道浅草駅 |
1F | 婦人服、化粧品、和洋菓子、サービスカウンター |
B1F | 浅草旬鮮市場 |
プチプチマルシェ
[編集]2010年8月25日オープン。東京高速道路下の「銀座インズ」内の専門店街で、松屋が総合プロデュースを行っている[17]。
松屋 東京丸の内
[編集]2012年10月3日オープン。東京ステーションホテルのテナントショップ。東京駅丸の内南口・南ドームの一角にある。ファッション雑貨や東京駅限定の土産物・菓子類を販売している。
台湾 嘉義店
[編集]松屋本体による運営ではなく、商標の貸与と業務提携のみの関係である[1]。
過去に存在した店舗
[編集]主な関連会社
[編集]- アターブル松屋ホールディングス - 傘下の子会社を通じ飲食業・結婚式場経営(東京大神宮マツヤサロン他)を行う。
- シービーケー - ビル総合サービス及び広告業。
- スキャンデックス - イッタラなど輸入雑貨輸入・販売。
- 東栄商会 - 店舗で使用する事務機器等の納入、保険代理業。
- 銀座コア(ギンザコア) - 同名のファッションビルの運営。
- 銀座インズ - 東京高速道路下の店舗群の運営。
テレビ番組
[編集]- 日経スペシャル カンブリア宮殿「百貨店冬の時代に業績好調!老舗百貨店のサバイバル術」(2024年2月29日、テレビ東京)- 同社社長の古屋毅彦が出演した[19][20]。
ロケ地
[編集]- 『東京暗黒街・竹の家』(1955年、米映画) - 日本でロケが行われたハリウッド映画で、劇中のやくざと警官の銃撃シーンが浅草店屋上でロケーション撮影された。
- 『銀座の恋の物語』(1962年、日活) - 銀座店中央ホール脇の階段踊り場や店舗脇の松屋通り界隈などでロケーション撮影を行った[21]。
- 『ウルトラセブン』(1967 - 68年、東京放送(現・TBSテレビ)系特撮テレビ映画) - 第9話「アンドロイド0指令」(1967年11月)にて銀座店屋上でロケーション撮影を行った。
その他
[編集]- デイリークイーン - 日本第1号店を銀座店内に置いていた。
- クリスチャン・ルブタン - 日本第1号店を2010年に銀座店内に置いた。その他に、同じフランスのロジェ・ヴィヴィエは、2009年の大阪阪急うめだ本店に次ぐ第2号店を2015年に同店内に置いた。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “沿革 - 松屋-企業サイト”. 松屋. 2023年11月11日閲覧。
- ^ “松屋銀座” (2020年3月4日). 2022年5月29日閲覧。
- ^ “松屋浅草” (2020年4月19日). 2022年5月29日閲覧。
- ^ “下町の変遷 見守り90年 都心への玄関口 東武・浅草駅:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2022年5月29日閲覧。
- ^ “松屋浅草90周年記念祭” (PDF) (2021年10月). 2023年11月11日閲覧。
- ^ “株式会社伊勢丹の株式の一部取得について...”. 松屋 (2002年11月22日). 2007年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月11日閲覧。
- ^ 長谷川信喜雄他編 編『松屋百年史』松屋、1969年11月3日、24-26頁。 NCID BN04178859。
- ^ Matsuya Ginza(松屋)
- ^ a b c アクセス・駐車場のご案内(松屋)
- ^ a b c d 松屋/銀座店(松屋)
- ^ “歴史的な松屋スポーツランド”. ゲームマシン. アミューズメント通信社 (213): p. 24. (1983年6月1日). 1983-06-01
- ^ 橋爪紳也『日本の遊園地』講談社現代新書、2000年9月
- ^ “株式会社松屋浅草支店の営業面積縮小のお知らせ” (PDF). 株式会社松屋 (2009年12月21日). 2009年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月11日閲覧。
- ^ “松屋浅草が屋上遊園地を閉鎖/百貨店併設の先駆け”. 四国新聞. (2010年5月31日) 2023年11月11日閲覧。
- ^ 『浅草駅に新・商業施設「EKIMISE」2012年11月21日(水)グランドオープン 〜屋上に東京スカイツリー®を一望できる展望デッキを設置〜』(PDF)(プレスリリース)東武鉄道、2012年9月27日。オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ 。2020年5月1日閲覧。
- ^ 浅草駅ビルをリニューアルします (PDF, 東武鉄道 2011年3月2日)
- ^ 8月25日(水)、銀座インズに銀座松屋による新ショッピングゾーン「プチプチ マルシェ」登場 - OZmall・2010年9月1日
- ^ (株)松屋『松屋百年史』(1969.11) ※昭和43年12月10日
- ^ 百貨店冬の時代に業績好調!老舗百貨店のサバイバル術 - テレビ東京 2024年2月29日
- ^ 銀座・浅草の顔!?「松屋」 逆風下のサバイバル術 - テレビ東京 2024年2月29日
- ^ -松屋銀座開店100年- 銀座三丁目 百年物語 第3話 松屋銀座
関連項目
[編集]関連人物
[編集]- 山中鏆 - 経営再建に手腕を発揮した元副社長・社長・会長
- 太田伸之 - 松屋常務執行役員MD戦略室長を経て、海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)社長
- 柴田宏 - 都立青山高校を経て松屋百貨店入社後、陸上競技三段跳びで活躍し1956年メルボルン五輪出場。翌57年に中央大学入学。
外部リンク
[編集]- 松屋
- 耐斯(ナイス)松屋 - 台湾
- 松屋呉服店の家憲 『日本富豪の家憲』墨堤隠士 著 (大学館, 1902)