浦富町
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うらとみちょう 浦富町 | |
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浦富町役場跡(町浦富公民館) | |
廃止日 | 1954年7月1日 |
廃止理由 |
新設合併 田後村、東村、浦富町、蒲生村、岩井町、小田村、本庄村、大岩村、網代村 → 岩美町 |
現在の自治体 | 岩美町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 岩美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 9.72 km2 |
総人口 |
3,668人 ([1]、1953年) |
隣接自治体 | 岩井町、大岩村、田後村、東村、本庄村 |
浦富町役場 | |
所在地 | 鳥取県岩美郡浦富町大字浦富1903番地1 |
座標 | 北緯35度35分09秒 東経134度19分41秒 / 北緯35.585972度 東経134.328097度座標: 北緯35度35分09秒 東経134度19分41秒 / 北緯35.585972度 東経134.328097度 |
特記事項 | 町役場は合併後、岩美町役場として暫定使用[1]。跡地は町浦富公民館となっている。 |
ウィキプロジェクト |
浦富町(うらとみちょう[2])は、鳥取県岩美郡にあった自治体である。
概要
[編集]現在の岩美町浦富・牧谷・相谷に相当する。北は日本海に面した。
町の中心は日本海に近い本浦富や町浦富と呼ばれる地区で藩政時代は陣屋が置かれていたが、岩美町発足後は南側の岩美駅周辺に役場や官公庁が設置され、行政の中心は駅前に移っていった[1][3]。
沿革
[編集]- 1925年(大正14年)4月15日 - 浦富村(初代)と牧谷村が合併し、改めて浦富村が発足。合計3大字を編成[4]。
- 1925年(大正14年)10月 - 役場位置を大字浦富1903番地1に定める[5]。
- 1927年(昭和2年)6月10日 - 浦富村が町制施行して浦富町となる[6]。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 田後村、東村、蒲生村、岩井町、小田村、本庄村、大岩村、網代村と合併して岩美町が発足。同日浦富町廃止[7]。
行政
[編集]歴代町長
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 中島一三 | 1925年(大正14年)4月15日 | 1925年(大正14年)7月24日 | 浦富村長 |
2 | 中島一三 | 1925年(大正14年)7月25日 | 1926年(大正15年)1月31日 | |
3 | 栗村嘉水 | 1926年(大正15年)2月12日 | 1930年(昭和5年)2月11日 | 1927年6月10日から浦富町長 |
4 | 栗村嘉水 | 1930年(昭和5年)6月1日 | 1934年(昭和9年)5月31日 | |
5 | 栗村嘉水 | 1934年(昭和9年)6月1日 | 1938年(昭和13年)5月31日 | |
6 | 栗村嘉水 | 1938年(昭和13年)8月14日 | 1942年(昭和17年)8月13日 | |
7 | 高田光治 | 1942年(昭和17年)9月24日 | 1943年(昭和18年)5月13日 | |
8 | 城戸清治 | 1943年(昭和18年)12月3日 | 1946年(昭和21年)10月24日 | |
9 | 仲野尚平 | 1947年(昭和22年)4月8日 | 1948年(昭和23年)1月19日 | |
10 | 中島峯治 | 1948年(昭和23年)3月8日 | 1952年(昭和27年)2月29日 | |
11 | 中島峯治 | 1952年(昭和27年)3月1日 | 1954年(昭和29年)6月30日 | |
参考文献 - [1] |
教育
[編集]- 浦富町立浦富小学校(現在は統合により岩美町立岩美北小学校となる)
- 浦富・本庄・東・田後4ヶ村組合立浦富中学校(現在は統合により岩美町立岩美中学校となる)
- 鳥取県立岩美農業高等学校(現・鳥取県立岩美高等学校)
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]名所・旧跡
[編集]出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 岩美町誌(岩美町教育委員会、1968年)
- ^ 全国市町村便覧(1926年)、1950年国勢調査のローマ字表記「Uratomi-cho」、など
- ^ 名古屋工業大学学報 40235-244頁(名古屋工業大学、1989年)
- ^ 「村廃置」『官報』1925年4月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「町村役場位置」『官報』1925年10月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「町村変更」『官報』1927年5月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第266号・市町村の廃置分合」『鳥取県広報 第2518号』1954年5月28日(鳥取県立公文書館)
- ^ 「鳥取県告示第217号・県道の路線の廃止(鳥取浜坂香住線)」『鳥取県広報 第4326号』1972年3月24日(鳥取県立公文書館)