蒲生村 (鳥取県)
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がもうそん 蒲生村 | |
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廃止日 | 1954年7月1日 |
廃止理由 |
新設合併 田後村、東村、浦富町、蒲生村、岩井町、小田村、本庄村、大岩村、網代村 → 岩美町 |
現在の自治体 | 岩美町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 岩美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 24.1 km2 |
総人口 |
1,827人 ([1]、1953年) |
隣接自治体 |
岩井町、小田村、大成村 兵庫県美方郡八田村 |
蒲生村役場 | |
所在地 | 鳥取県岩美郡蒲生村大字蒲生字寺谷口1130番地 |
座標 | 北緯35度31分45秒 東経134度23分39秒 / 北緯35.52917度 東経134.39419度座標: 北緯35度31分45秒 東経134度23分39秒 / 北緯35.52917度 東経134.39419度 |
ウィキプロジェクト |
蒲生村(がもうそん)は、鳥取県岩井郡・岩美郡にあった村、自治体である。
概要
[編集]現在の岩美町蒲生・相山・馬場・銀山・洗井・鳥越に相当する。蒲生川上流域に位置した。
平安時代には蒲生郷に属し、その後荘園が発達すると蒲生荘と呼ばれた。藩政時代には鳥取藩領の岩井郡蒲生庄に属する蒲生村・相山村・馬場村・銀山村・洗井村・鳥越村があった[3]。
兵庫県境にある蒲生峠は、江戸期には大名行列や旅人の重要な山陰道が通り、戦後は国道9号となった。
1927年(昭和2年)8月27日、村内の7組合を統合して蒲生村副業協会を設立し、牛の飼育・製炭・養蚕・藁加工などの産業育成に努めた[1]。
沿革
[編集]- 享保年間 - 鳥越村が洗井村から分村する[1]。
- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)- 岩井宿(後の岩井村)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、蒲生村・相山村・馬場村・銀山村・洗井村・鳥越村が合併して村制施行し、蒲生村が発足。旧村名を継承した6大字を編成し、役場を大字蒲生村に設置[4]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、邑美郡・法美郡・岩井郡の区域をもって岩美郡が発足し、岩美郡蒲生村となる。
- 1914年(大正3年)10月1日 - 「蒲生村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「蒲生村大字○○」と呼ぶことになる[5]。
- 1921年(大正10年)4月1日 - 役場位置を大字蒲生字寺谷口1130番地に変更[6]。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 田後村、東村、浦富町、岩井町、小田村、本庄村、大岩村、網代村と合併して岩美町が発足。同日蒲生村廃止[7]。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 喜多川勇右衛門 | 1889年(明治22年)12月22日 | 1891年(明治24年)3月25日 | |
2 | 中村重太郎 | 1891年(明治24年)4月15日 | 1893年(明治26年)12月26日 | |
3 | 喜多川勇右衛門 | 1894年(明治27年)1月16日 | 1897年(明治30年)8月30日 | |
4 | 大森清四郎 | 1897年(明治30年)9月17日 | 1899年(明治32年)11月30日 | |
5 | 高垣彦四郎 | 1899年(明治32年)12月21日 | 1903年(明治36年)12月20日 | |
6 | 大森清四郎 | 1904年(明治37年)1月11日 | 1906年(明治39年)2月28日 | |
7 | 山本雄三 | 1906年(明治39年)4月21日 | 1910年(明治43年)4月20日 | |
8 | 山本雄三 | 1910年(明治43年)5月2日 | 1910年(明治43年)8月15日 | |
9 | 大森清四郎 | 1910年(明治43年)11月22日 | 1911年(明治44年)7月12日 | |
10 | 平井豊吉 | 1911年(明治44年)8月9日 | 1915年(大正4年)8月6日 | |
11 | 平井豊吉 | 1915年(大正4年)8月6日 | 1919年(大正8年)8月8日 | |
12 | 栃尾勝造 | 1919年(大正8年)9月15日 | 1922年(大正11年)9月16日 | |
13 | 宮下金吾 | 1922年(大正11年)12月7日 | 1923年(大正12年)2月7日 | |
14 | 山添市太郎 | 1923年(大正12年)3月15日 | 1927年(昭和2年)3月14日 | |
15 | 高垣鹿重郎 | 1927年(昭和2年)7月21日 | 1931年(昭和6年)7月20日 | |
16 | 高垣鹿重郎 | 1931年(昭和6年)9月13日 | 1935年(昭和10年)9月12日 | |
17 | 高垣鹿重郎 | 1935年(昭和10年)9月13日 | 1939年(昭和14年)9月12日 | |
18 | 高垣鹿重郎 | 1939年(昭和14年)9月13日 | 1943年(昭和18年)4月2日 | |
19 | 高垣鹿重郎 | 1943年(昭和18年)8月3日 | 1946年(昭和21年)11月25日 | |
20 | 井本良勇 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1947年(昭和22年)7月15日 | |
21 | 井本良勇 | 1947年(昭和22年)8月16日 | 1951年(昭和26年)8月15日 | |
22 | 上田節 | 1951年(昭和26年)8月16日 | 1954年(昭和29年)6月30日 | |
参考文献 - [1] |
教育
[編集]- 蒲生村立蒲生小学校(現在は統合により岩美町立岩美南小学校となる)
- 蒲生村立蒲生中学校(現在は統合により岩美町立岩美中学校となる)