浮田正忠
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浮田 正忠(うきた まさただ、延宝1年(1673年) - 正徳2年10月12日(1712年11月10日))は、江戸時代中期の人物。八丈島に配流となった宇喜多一族。通称は、次郎、忠平。父は宇喜多秀正。子に正寿、正道。兄に秀親。
生涯
[編集]延宝1年(1673年)、宇喜多嫡家(孫九郎家)の当主宇喜多秀正の次男として生まれる。
浮田忠平家として分家がなされるも、正徳2年(1712年)、島内で大流行した天然痘により死去。享年40(戒名、深与了意信士)。
参考文献
[編集]- 立石定夫『戦国宇喜多一族』(新人物往来社、1988年)ISBN 978-4-404-01511-2
- 近藤富蔵『八丈実記 第1巻-第7巻』緑地社、1964-1976。