浮田正生
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浮田 正生(うきた まさおう、元文5年(1740年) - 文政8年1月29日(1825年3月18日))は、江戸時代後期の人物。八丈島に配流となった宇喜多一族。通称は、四郎、徳太夫、忠平。父は浮田正道。子に正寂、小右衛門、フユ(宇喜多秀一の祖母)。兄弟に正平(太郎)、正休(三郎)、継諦(五郎)。
生涯
[編集]浮田忠平家の当主浮田正道の三男として生まれる。
寛延3年(1750年)に、父・正道が死去により、兄・正平が家督を継ぎ、その後、兄をあとを受けて正生が家督を継ぐ[1]。
脚注
[編集]- ^ 「松平加賀守家より八丈島浮田一類へ差遣候書付」にある「寛政四子年閏二月御老中島居丹波殿へ出候より書付之覚。八丈島浮田一類共へ差遣候覚書写」に見える「浮田忠平養子、忠平」とは、「浮田正平の養子、浮田正生」と理解できる。(岡山市編、『岡山市史. 第2』「宇喜多秀家史料」 岡山市、1922年, 1650頁)
参考文献
[編集]- 立石定夫『戦国宇喜多一族』(新人物往来社、1988年)ISBN 978-4-404-01511-2
- 近藤富蔵『八丈実記 第1巻-第7巻』(緑地社、1964-1976年)