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渡辺金一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺 金一
人物情報
生誕 (1924-12-14) 1924年12月14日
日本の旗 日本 東京都
死没 2011年2月6日(2011-02-06)(86歳没)
日本の旗 日本 国分寺市
出身校 東京商科大学
学問
研究分野 歴史学経済学
研究機関 一橋大学共立女子大学
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渡邊 金一(わたなべ きんいち、渡辺金一1924年〈大正13年〉12月14日 - 2011年〈平成23年〉2月6日)は、日本の歴史学者経済学者。主専攻は東ローマ帝国史、古典古代史。一橋大学名誉教授

人物・経歴

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1924年(大正13年)12月14日、東京市生まれ[1]1941年(昭和16年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)四年次で修了。同年東京商科大学(現・一橋大学予科入学[1]。1944年(昭和19年)より海軍経理学校を経て、終戦時まで大日本帝国海軍少尉

戦後復学し、1948年(昭和23年)東京商科大学学部を首席で卒業。その後1953年(昭和28年)まで一橋大学特別研究生[1]上原専禄増田四郎両教授に師事。

1953年(昭和28年)より一橋大学経済学部講師、1957年(昭和32年)同助教授、1965年(昭和40年)同教授[1]東海大学に拠った尚樹啓太郎とともに日本における東ローマ帝国研究を第一世代として開拓した[2]。1973年(昭和48年)には地理学の竹内啓一教授、ロシア文学の中村喜和教授らとともに一橋大学地中海研究会を創設[3][4]。1988年(昭和63年)に定年退官[1]、同大学名誉教授となった。その後も、1988年から2005年(平成17年)まで共立女子大学国際文化学部教授として教鞭をとった。

2011年(平成23年)2月6日、国分寺市の自宅で死去[5]日本基督教団国立教会で葬儀・告別式が行われた[5]

門下に、松木栄三(宇都宮大名誉教授)、栗生沢猛夫(北海道大名誉教授)、大月康弘(一橋大教授)[6][2]佐藤弘幸東京外国語大学名誉教授)[7]など。

著作

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単著

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  • 『ビザンツ社会経済史研究』岩波書店、1968年
  • 『中世ローマ帝国 : 世界史を見直す』岩波書店〈岩波新書〉、1980年
  • 『イスラム世界の人びと4 : 海上民』(家島彦一と共編)東洋経済新報社、1984年
  • 『コンスタンティノープル千年 : 革命劇場』岩波書店〈岩波新書〉、1985年

共著編

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記念論集

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澤柳大五郎, 関根正雄, 村治能就, 浅野順一, 中野幸次, 秀村欣二, 兼岩正夫, 清水富雄, 渡辺金一, 下村寅太郎, 西沢龍生, 藤田健治, 永井博による共編著)

翻訳書

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  • マックス・ウェーバー著『古代社会経済史 : 古代農業事情』(弓削達と共訳)東洋経済新報社、1959年
  • 『ビザンツ帝国の都市と農村 : 4-12世紀』(訳・編)創文社、1968年
  • H.G.ベック著『ビザンツ世界の思考構造 : 文学創造の根底にあるもの』(編訳)岩波書店、1978年
  • ピグレフスカヤ他著『ビザンツ帝国の都市と農村』創文社〈歴史学叢書〉、1980年
  • ゲオルギオス・ゲミストス・プレトン著『「法の精神」の祖型 : 一ビザンツ文人のペレストロイカ建白書』全2冊、一橋大学社会科学古典資料センター、1987年[8][9]
  • Cl.カーエン著『比較社会経済史 : イスラム・ビザンツ・西ヨーロッパ』(加藤博と共訳)創文社〈歴史学叢書〉、1988年

著作目録

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  • 大月康弘「渡辺金一名誉教授著作目録」『一橋論叢』第100巻第6号、日本評論社、1988年12月、869-874頁、doi:10.15057/12616ISSN 0018-2818 

脚注

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  1. ^ a b c d e 一橋大学一橋学会「渡辺金一名誉教授略年譜」『一橋論叢』第100巻第6号、日本評論社、1988年12月、868頁、doi:10.15057/12616ISSN 0018-2818 
  2. ^ a b 橋川裕之 (2003年10月). “[研究ノート]啓蒙主義的ビザンツ観の行方 : 近代ビザンツ研究の歩みについてのメモワール([歴史学分野]歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ : 第四部 研究班—目標と活動—(平成14年11月-15年6月))” (pdf). 21世紀COEプログラム「歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ」. 京都大学大学院文学研究科. pp. 144-171. 2023年12月29日閲覧。 ※pdf配布元は21世紀COEプログラム「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成 : 歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ」ウェブサイトの「第一回報告書「人文知の新たな総合に向けて」(2003年10月)」ページ。
  3. ^ 中村善和「人を集める人 : 地中海研究会に関連して」『竹内啓一先生追悼集 : 地理学と国際文化交流のあいだで』、竹内啓一先生追悼集編集委員会、2006年5月、98頁。「1973年に竹内さんと経済学部所属でビザンツ研究家の渡辺金一先生が相談されて、《一橋大学地中海研究会》を創立されたとき、私も仲間に入れてもらいました。この研究会には一橋大学だけではなく、ほかの大学や研究所に勤める方々がメンバーとなっていました。一橋よりむしろほかの大学の人の方が多かったのです。専門もバラバラでした。」 
  4. ^ 加藤博一橋大学地中海研究会での竹内啓一先生の思い出」『竹内啓一先生追悼集 : 地理学と国際文化交流のあいだで』、竹内啓一先生追悼集編集委員会、2006年5月、49頁。「一橋大学地中海研究会の設立の経緯については、竹内先生とともにこの研究会を立ち上げた渡辺金一先生と中村喜和先生が語られるであろう。そこで、ここでは述べないが、私は、この1973年に発足した研究会において、長らく最年少者であった。参加させていただいたきっかけは、私の修士論文『中世エジプト貨幣史』の審査員の一人に渡辺金一先生がなられたことであった。一橋大学は小さな大学なので、イスラム史関係の論文審査に、ビザンツ学の大家にご出動いただいたということである。」 
  5. ^ a b 渡辺金一氏死去 一橋大名誉教授”. 47NEWS. 共同通信 (2011年2月7日). 2014年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月28日閲覧。
  6. ^ 大月康弘「国立桜の歩道にて」『竹内啓一先生追悼集 : 地理学と国際文化交流のあいだで』、竹内啓一先生追悼集編集委員会、2006年5月、40頁。「渡邊金一先生の膝元で勉強させていただきたくて一橋大学に入学した私は、専門課程に進んでからは、ゼミでのギリシャ語講読等に追われ、社会学部の講義を聴講する機会はめっきり減った。とはいえ、せっかく一橋に来たのだからと、竹内先生の教室には時々居させていただいた。先生が、渡邊先生と学問上の盟友であることは、ゼミの時間などに伺っていたから、アプローチや視点の取り方の違う両先生の地中海に対する情熱の間近に、常々身を置きたかったのである。」 
  7. ^ 「昭和41・42年度学位授与・単位修得論文」『一橋研究』第16巻、一橋大学大学院生自治会、1969年2月、100頁、doi:10.15057/6690ISSN 0286-861X。「〔昭和42年度博士課程単位修得論文 : 経済学研究科〕17世紀オランダ共和国の経済的繁栄と外国貿易 佐藤弘幸(〔指導教員:〕渡辺金一教授)」 
  8. ^ プレトン 著、渡辺金一 訳『「法の精神」の祖型 : 一ビザンツ文人のペレストロイカ建白書』一橋大学社会科学古典資料センター〈Study Series〉、1987年3月。doi:10.15057/25494NCID BN01506135 
  9. ^ プレトン 著、渡辺金一 訳『「法の精神」の祖型 : 一ビザンツ文人のペレストロイカ建白書 (続・完)』一橋大学社会科学古典資料センター〈Study Series〉、1990年3月。doi:10.15057/25486NCID BN01506135 

関連項目

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外部リンク

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