菅島灯台
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菅島灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] | 2750 |
位置 | 北緯34度30分00秒 東経136度54分31秒 / 北緯34.50000度 東経136.90861度座標: 北緯34度30分00秒 東経136度54分31秒 / 北緯34.50000度 東経136.90861度 |
所在地 | 三重県鳥羽市菅島町122 |
塗色・構造 | 白色 塔形 煉瓦造 |
灯質 | 単閃白光 毎4秒に1閃光 |
実効光度 | 12,000 cd |
光達距離 | 14.5海里(約27 km) |
明弧 | 156度から8度まで |
塔高 | 9.7 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 54.5 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 | 1873年(明治6年)7月1日 |
管轄 |
海上保安庁 第四管区海上保安本部(鳥羽海上保安部) |
菅島灯台(すがしまとうだい)は、三重県鳥羽市にある菅島の白崎に立つ白亜の中型灯台。「日本の灯台50選」に選ばれている。また、現役では日本最古の煉瓦造灯台であり、建設当初の姿を現在に伝える歴史的・文化的価値の高さから、国の重要文化財に指定されるとともに、Aランクの保存灯台に指定されている。
周辺は、伊勢志摩国立公園に指定され、伊良湖水道を望む風光明媚の地。
歴史
[編集]- 1673年(延宝元年)、この地にかがり火を焚いて目印とする「御篝堂(おかがりどう)」が建てられた。菅島周辺では、難破する船が多く、当時の船乗りたちから「鬼ケ崎」と呼ばれ、恐れられていたが、この海域に多くの岩礁があったためだ。そこで、河村瑞賢(江戸時代初期の政商で、東廻・西廻海運の開拓者)の江戸幕府への建議等により、作られることになった。このため、日本初の公設灯台とされる[1]。その後、200年にわたって、海を守って、火が焚かれてきたが、その役割は、明治時代になって、洋式灯台へ引き継がれることとなった。
- 1873年(明治6年)7月1日に、現在の洋式灯台が初点灯したが、これは、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるレンガ造灯台で、国産の赤煉瓦を使っており、竣工式には、西郷隆盛など当時の政府高官が多数列席した。
- 1959年(昭和34年)7月まで職員が駐在し、管理されていたが、以後無人化された。
- 1964年(昭和39年)付属の旧退息所は、博物館明治村に移築保存され、1968年(昭和43年)4月25日、国の重要文化財に指定された。
- 2009年2月、国の近代化産業遺産に認定された[2]。
- 2010年2月、国の登録有形文化財に登録された[2]。
- 2013年、LED灯器に変更された。
- 2022年9月、国の重要文化財に指定された[3]。
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ブラントンの指導の下、三重県渡鹿野島の瓦師 竹内仙太郎が製造した菅島灯台建造用煉瓦
交通
[編集]鳥羽市営定期船乗り場から菅島行き市営定期船で20分、下船後徒歩20分[2]