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ノート:天理教

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これはこのページの過去の版です。伏儀 (会話 | 投稿記録) による 2013年5月2日 (木) 16:13個人設定で未設定ならUTC)時点の版 ({{合意内容|)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

このページには削除された版があります。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/ノート:天理教」「Wikipedia:削除依頼/天理教」をご覧ください。

/過去ログ1 -2008年9月11日に一部過去ログ化--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 10:58 (UTC)再度過去ログ化。--TENDERAS 2008年9月18日 (木) 13:26 (UTC)[返信]

過去ログ化について2

過去ログ化については、まだ合意しておりません。異論がないかどうか2週間程度経過を見てからにしてください。他の議論でもそのように行われております。過去ログ化だけ異例の方法をとるのはおかしいです。また、編集には、Wikipediaにべったりはりついて作業している人ばかりではありません。議論が早く進行して参加できない編集人もいることを配慮してください。また、わたしには1週間待てと言ってリバートしておいて、他の人の場合は1週間経たないうちに合意とするような不公平な行為もおやめください。--Tantan66 2008年9月13日 (土) 12:04 (UTC)[返信]
TENDERASは既成の事実として行っているとしていますが、正統な手順を踏んでおりません。ルールを守っていただきますようお願いします。
確かTantan66氏は過去ログ化賛成だと理解していましたが、違うのでしょうか。「既成の事実」も何も、TENDERAS氏は最近この記事を編集された個々の方にも御連絡をされているようですし、どういう問題があるのかをお示しいただきたいと思います。なお、過去ログ化自体は個々の発言を勝手に変更するものではありません。--Doracha 2008年9月13日 (土) 14:39 (UTC)[返信]
TENDERASがおかしいのは、提案してから時間をおかずに過去ログ化に踏み切ったことです。私は過去ログ化に賛成ですが、1-2週間程度異論が出ないか待つべきです。一度TENDERAS氏にノートに提案後異論が出なかったので編集に踏み切ったところ、1週間程度待てと書かれて、記述を元に戻されました。なのに、TENDERASは過去ログ化に関して1週間を経ずに過去ログ化を行っております。この点が矛盾しています。この場合も、暫く異論が出ないか待つべきです。--Tantan66 2008年9月13日 (土) 20:56 (UTC)[返信]
過去ログ化提案後、明日で1週間経過します。なお過去ログ化については、現在の内容をそのままログ化するだけであり、現在細部の議論については、下記の節で行われていることもありますので、議論の妨害や混乱等を招くものではなく、議論参加者に容易に参加してもらいやすくするための措置です。短期での過去ログ化しても特に議論に支障は無く、問題がありません。なお議論参加者にあっては、過去ログ化の作業のため、上記の節に意見を差し込むとコメントが消えることがありますのでご注意ください。
明確な反対意見が今のところ無いため、問題が無ければ、上記以降の節を再度過去ログ化します。反対である場合は、明確な理由を述べてください。なお、理由は分かりませんが、冒頭のテンプレもはがれましたので、過去ログ化実施後、再度貼ります。よろしくお願いします。--TENDERAS 2008年9月17日 (水) 01:01 (UTC)[返信]
過去ログ化どうぞよろしくお願いします。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月18日 (木) 10:02 (UTC)[返信]
上記移行の節を再度、過去ログ化しました。--TENDERAS 2008年9月18日 (木) 13:26 (UTC)[返信]

保護解除へ向けての今後の編集方針について(2008年9月以降)

話し合い方法の確認

まず、このノートを見ていただき、「さっぱり議論の状況が分からない」とお考えの方が多く見られるかもしれません。それについては、上記でTantan66氏が指摘のとおり、いかなる理由であれ、同意を得ることなく不特定多数の方が見られるノートにおいて、改変を行ったことは全体に対して謝罪申し上げます。申し訳ありません。

さて、理由はどうあれ、Los688氏によって本記事は保護されました。何もしなければ、3月までは保護になります。責任の一端は私にもあることから、本記事の保護解除に向けて個々の議論を始める前に次の提案を致したいと思います。

  1. 記事変更の提案にあっては、現行記事を基本とし、具体的に編集個所を提示する。(具体的編集内容提示のない抽象的な議論や個別ユーザの批判は一切やらない。)
  2. 新しい記載内容の提案は、現行の記事の節単位もしくはそれより小さい単位とする(議論を拡散させない。長文を提示すると何が変わったのか分からなくなる)。
  3. 新しい発言は節ごとの後ろに追加することを徹底する。途中で意見を差し込まない(議論が錯綜する最も大きな原因である。)
  4. 上記のルールを守っている意見であれば、削除やコメントアウトは行わない。守れない投稿は移動するか、無視されても仕方が無いものとする。
  5. 意見の合意については、必ず異論のないことを確認した上で行う。

随分当たり前と思われる部分もありますが、これらのルールが守れてこなかったことが、大きな論争を拡大させている原因です。皆様のご意見をお待ちしています。上記条件を守っていただくと言う前提で議論を進めます。以下、議論は下部にお願いします。--TENDERAS 2008年9月8日 (月) 13:25 (UTC)(修正)--TENDERAS 2008年9月9日 (火) 09:54 (UTC)(議論再開)--TENDERAS 2008年9月9日 (火) 13:39 (UTC)[返信]

(ルール追記)
以下の節で議論中ですが、編集提案がなされた後、最終的な意見投稿から1週間が経過し、なおかつ明確な反対意見などがない場合、
を付記することとします。議論を分かりやすくするためには、これがいいんじゃないでしょうか?よろしくお願いします。--TENDERAS 2008年9月9日 (火) 15:42 (UTC)[返信]
1については過去に合意された部分に関してのみに限定したいと思います。それ以外の部分に関する編集や追加・削除については、自由に意見を出せるようにするべきです。
4については、削除ではなく極力移動で対応する。初心者の方への配慮です。
5については、何を持って合意したのか決めておく必要があります。期間は提案してからいつまでか。また合意は、多数決を持って決めるのか、全会一致で決めるのか?一人でも拒否する人がいれば、不成立となるのか?以前にもノートで確認をとりましたが、答えを頂けませんでしたので、はっきりしておく必要があります。
期間に関してはより多くの編集人の合意が得られるよう2週間とします。反対意見が出なければ合意とします。仕事や学校に行かずべったりとWikipediaを編集しておられる人ばかりではありません。そういった方にも配慮する必要があります。また、期間を急ぐ必要はありません。
「明確な判断意見」というのが曖昧です。誰が判断するのかによって異なります。反対が出た時点で一端合意への作業は中断し、議論へ移行します。--Tantan66 2008年9月10日 (水) 10:50 (UTC)[返信]
TENDERASさん提示の方針に賛成します。なお、Tantan66さんの御意見も承っておきます。--Doracha 2008年9月10日 (水) 11:27 (UTC)[返信]
Doracha氏並びにTantan66氏、ご意見を頂き、ありがとうございます。本件とはそれますが、やはり話し合いは多く参加された方がより合意が強いものになるでよろしくお願いします。
私は他のノートでも議論したことがあるのですが、だいたい1週間程度を目処に賛否を取っているのが多く、今回も1週間としました。私は期間に拘っているわけではないので、長目でもよかったのですが、一応議論がスタートしているので、1週間を目処とさせていただきますが、最終的にまとまってからは、更に合意を強いものとするため2週間程度、異論がないかどうかを確認する期間を設けられればと思っていますが、これは少し先の話とさせて頂きたいと思います。
あと合意ですが、基本的にを貼って終わりにしたいのですが、できればこれを提案者以外の方が客観的に見て判断して、貼って頂ければと思います。そうすれば、ある程度は自然の流れでまとまると思っています。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 14:10 (UTC)[返信]
TENDERASさん提示の方針や期間、方法に賛同します。参加者が増えれば、合意が確実になりますので有難いですね。判断終了後も、IPユーザー以外の人からのよりよい改善意見が出た場合は議論再開も良いかと思います。ただ、下に新しい節の追加という形にして、解決済みの記事自体には加筆しない方がわかりやすくてよいと思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 15:18 (UTC)[返信]

先に同意の条件について決めておくべきです。条件が明確でありません。 合意の条件をはっきりさせたいと思います。TENDERAS氏のルールには一応不同意とします。

  1. 過去に合意に達しているものについては合意した内容を尊重し、具体的に変更箇所を提案して、再度合意を得ること。その他の箇所については、保護期間内に置いてはノートにて提案を行う。保護期間外においては、争点となるような場合は、ノートにて提案する。明確な間違いなどその他についてはノートの議論を経ずに編集を許可する。
  2. 新しい記載内容の提案は、現行の記事の節単位もしくはそれより小さい単位とする(議論を拡散させない。長文を提示すると何が変わったのか分からなくなる)。※TENDERAS氏と同じ
  3. 新しい発言は節ごとの後ろに追加することを徹底する。途中で意見を差し込まない(議論が錯綜する最も大きな原因である。)※TENDERAS氏と同じ
  4. 上記のルールを守っている意見であれば、削除やコメントアウトは行わない。守れない投稿は移動する。
  5. 意見の合意については、議論参加者の全会一致で行う。異論が出た場合は合意不成立として議論継続とする。異論が出た場合は、誰もが編集を行ってはならない。合意した文章が出来てから2週間以上たち反対意見などが出なければ、合意と見なし、提案したものが本文の編集を行う。
  6. 2週間の猶予を経てから異論が出ない場合は、を貼る。
  7. 議論のノートは過去にどのような議論が行われたのか参考とするため少なくとも6ヶ月に満たないものは過去ログに送らない。(今回は、提案された意見について合意されるまでノートに残しておく)--Tantan66 2008年9月10日 (水) 19:51 (UTC)[返信]
Tantan66氏へ、ご意見ありがとう。ご意見は理解できるが、既に議論がスタートしているので、まずはそれぞれの内容でできるだけ合意に達せられるようにお互いに努力すべきかと思います。それと異論がない状態=全会一致が基本原則です。ただ一致できないところはお互いに再提案をし、できるだけ合意に達せられるようにすべきでしょう。当然、最終的に「この内容は一切触れない」ということも合意事項になるかと思います。
「明確な間違いなどその他についてはノートの議論を経ずに編集を許可する。」とするのは反対です。以前、あなたがこのことを要約欄に入れて編集したこともありますが、あなたが明確な間違いと思っていても、他者から見たら間違っていると思うことは多々あることです。その点が今回の編集合戦の一因になっていることをお互いに理解すべきです。
あと保護期間終了後の扱いは、#記事の頭に注意テンプレを貼り付けるでも提案していますので、そちらでご意見を頂けたらと思います。
それと過去ログ化のところだけは明確にしておきたいのですが、過去ログ化はある時点の本ページの全ての内容を送ります。Help:過去ログも参照して頂きたい。あなたがおっしゃるような過去ログ化を行った場合、誰がやっても恣意的な運用がなされると他者からは誤解されますし、以前に私やあなたが指摘されたように、人の発言を故意に削除したのと同一行為と見なされますので、6ヶ月に満たないものは過去ログに送らないなんてことは絶対にやってはいけません。場合によっては投稿ブロックを受けることも了解頂きたい。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 22:44 (UTC)[返信]
TENDERASさんの提案を却下します。先に合意の条件などのルール作りをしておくべきです。既に議論が始まっているのはあなただけで、まだノートを見ていない編集人もいるでしょう。あなたがルールではありません。他の編集人もいることに気をつけてください
私の提案についてあなたは5に同意されたと見なします。
編集については、「ノートを確認する」だけでは足りないと思います。ノートで変更を提案し、議論を重ね、2週間以内に異論が出なければ合意とし、変更を行うことが出来るとします。
> 最終的に「この内容は一切触れない」ということも合意事項になるかと思います。
この提案については却下します。見直すべき時が来たら、議論を再開する必要があります。あくまでWikipediaのルールとして合意内容を尊重するということのみを適応します。
7の項については削除します。
これをふまえルールを
  1. 過去に合意に達しているものについては合意した内容を尊重し、具体的に変更箇所を提案して、再合意を得ること。その他の箇所についても、ノートで編集の提案をまず行い手続きを踏んでから編集を行うこと。
  2. 新しい記載内容の提案は、現行の記事の節単位もしくはそれより小さい単位とする(議論を拡散させない。長文を提示すると何が変わったのか分からなくなる)。
  3. 新しい発言は節ごとの後ろに追加することを徹底する。途中で意見を差し込まない(議論が錯綜する最も大きな原因である。)
  4. 上記のルールを守っている意見であれば、削除やコメントアウトは行わない。守れない投稿は移動する。
  5. 意見の合意については、議論参加者の全会一致で行う。異論が出た場合は合意不成立として議論継続とする。異論が出た場合は、誰もが編集を行ってはならない。合意した文章が出来てから2週間以上たち反対意見などが出なければ、合意と見なし、提案したものが本文の編集を行う。
  6. 2週間の猶予を経てから異論が出ない場合は、 を貼る。 以上の署名の無いコメントは、Tantan66(会話履歴)さんによるものです。
Tantan66氏の提案だと、保護解除提案まではずいぶん長くなるような気がしますが、まぁ2週間としましょう。それとTantan66氏の案だと、5の状態が続いた場合、1が適用となり、現行の記事が継続されるということになります。ルールを確認してください。あとは客観的に判断して極力、提案者以外が解決済みの判断をしてください。あと、ちょっと保護解除後の話が先走っているように思いますが、今は誰も編集権限が無いし、将来的なことは、下記の議論が終わってからにしましょう。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 10:12 (UTC)[返信]
Call Tenderas氏の提案に反対します。議論の前に、ルール作り、ルールの確認をすることが必要です。既に議論が始まっていることは関係ありません。「5の状態が続いた場合、1が適用となり、現行の記事が継続されるということになります」が、これは先に合意した事項を尊重するルールに則ったものです。これを変えるには、再合意を経る必要があります。そのことをあなたが以前指摘されていたので、ご存じだったと思うのですが。「客観的に判断して極力、提案者以外が解決済みの判断」は誰が判断するかで意見が分かれるため、ルールの体裁をなしていません。却下します。--Tantan66 2008年9月11日 (木) 13:21 (UTC)[返信]
Tenderasさんの方針におおむね賛成します。合意は必ずしも全会一致を意味しないと考えます。もっとも、最初から多数で決するような既定方針を持たずに議論することは必要です。なお、Tantan66さんが頻繁に「却下」という言葉を使われることには相当な違和感を持っております。--Doracha 2008年9月11日 (木) 13:44 (UTC)[返信]
Dorachaさんの意見に反対です。非常に合意の定義が曖昧です。全会一致なのか、多数決なのか定かではありません。また、合意したと言うことを誰が判断するのかも明確ではありません。このような方針には反対です。まずは明確に合意の定義を定めておくべきです。「却下」という言葉が不快感を与えているようですので、今後は「反対」という言葉を使います。ご指摘ありがとうございました。

Tantan66さん、過去ログを無理矢理復活されていましたが、これは、項目「天理教」の内容合意とは別件です。ページが長大になりすぎたのをコンパクトにして、編集のSQLサーバーの負荷を軽減する目的です。ご自分も賛同し、編集にかかられてからのリバートは非常に不快です。戻すなら、ノートであらためて議論下さい。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月13日 (土) 11:46 (UTC)[返信]

Tantan66氏がブロックされたことに伴い、本記事の保護が解除されました。下記の議論については、意見がないのを確認した上で、加筆修正を行います。なお、今まで議論に参加されていない方で加筆する場合で、大幅に記述を変更する場合は、下記で提案してください。--TENDERAS 2008年9月23日 (火) 06:07 (UTC)[返信]



投稿ブロックを提出しています。

本ノートにおいて、意見を多数述べられている利用者:Tantan66会話 / 投稿記録 / 記録氏ですが、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Tantan66 20080916を提出致しました。議論参加者にあっては、ご承知いただきますようお願いいたします。--TENDERAS 2008年9月16日 (火) 11:01 (UTC)[返信]

保護解除されました。

保護解除の元になった編集合戦の一方の当事者であるTantan66氏がブロックされました。それに伴い保護が解除されています。--TENDERAS 2008年9月23日 (火) 06:04 (UTC)[返信]

解決済の貼り方

ちょっと議論中でもありますが、解決済を貼って他者にも分かりやすくするのは合意を得られていると判断し、貼り方のみ提案します。節の冒頭に解決済を貼って、一番上に節の一番下に最終文面を再度太字で表記することで分かりやすくしたいと思います。以下に例示を示します。なお誰が張るかは提案者以外の方が極力張るということでお願いします。最終的に今設けられている節が全て、これで埋め尽くされるまでは、保護解除依頼しない方が適当でしょう。なおWikipedieaには裁判官なるものが存在せずに、判断するのは個々のユーザーでしかありません。その辺はご理解をいただきたいと思います。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 23:08 (UTC)[返信]

(上記文面を一部修正)議論の経過を理解してもらうために一番下にします。なお全会一致という意見もありますが、どの時点のユーザーの総意であればいいのかを定めるかは難しいし、Wikipedeiaでは馴染まないでしょう。ですので、異論のないことを確認した上で、途中で議論に参加される方も配慮し、終着点を長めに取って判断するということでお願いしたいと思います。--TENDERAS 2008年9月12日 (金) 01:40 (UTC)[返信]

てんりのみち(例示)

 

次の文面で修正を提示します。 「ああたら、そうたら、おやさまは、こうたら」 - ゆーざー1 9月1日

いやそれはどうかな。「こうたら」の部分は「うんたら」の方がいいでしょう。 - ゆーざー2 9月5日
ゆーざー2さんのおっしゃるっとおり。そちらのほうが適切。 - ゆーざー3 9月10日

特に異論がなかったため、「ああたら、そうたら、おやさまは、うんたら」で合意したものと見なします。なお、再議論する場合は文を除去せずに、下記に新節を設けてください。-ゆーざー3 9月24日


(例示文面)--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 23:08 (UTC)一部修正--TENDERAS 2008年9月12日 (金) 01:40 (UTC)[返信]



記事内容の変更について(2008年9月)

天理教の定義について

編集多発を防ぐため現行の冒頭定義から、祭神名を除く事を提案する。また、「新宗教」という分類はWikipediaに既に十分な定義があることからリンクのみで良い。また、同じく定義のある「創唱宗教」という分類も加えた。崇拝対象や細かい成立時期などは概要に譲り、また「日本三大新宗教」の部分を除くことを提案する。 結果以下のようになる。

天理教(てんりきょう)は、日本の新宗教の一つである。中山みき教祖とする創唱宗教である。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)及びその傘下の被包括宗教法人等(教会本部及び一般教会)からなる宗教集団を指し、広義には中山みきが伝えた教義そのものを指す場合がある。本稿では、狭義の天理教を中心に述べる。」

--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月9日 (火) 13:01 (UTC)[返信]

Tantan66氏は新興宗教を主張しておられますし、個人的には単に宗教でもと思いますが、新宗教でも特に異議はありません。既に
も作られており、一般的に認知されていることです。ただ、創唱宗教はちょっとどうかなと思います。冒頭で述べるにしては、あまり一般的な言葉ではないからです。天啓宗教も同じです。単に「教祖は中山みき」でいいんじゃないでしょうか?新宗教以外の宗教学上の分類は概要で述べてもいいかと思います。
なお、Tantan66氏については、「教祖が中山みき」というところに注釈をつけるべきとの意見があるかと思いますが、賛同できませんので、あらかじめ主張しておきます。また、ここでの定義がものすごく大事です。「教祖が中山みき」としている団体は、宗教法人天理教及び包括法人、並びに天理教豊文教会のみです。「ほんみち」や「おうかんみち」等は定義が異なります。ここの定義はものすごく大事ですし、後の議論と関わってくるので、この冒頭の定義をまずはしっかりと固めるべきだと思います。他者の意見はどうでしょうか?
--TENDERAS 2008年9月9日 (火) 13:26 (UTC)[返信]
このwikipedaに定義があれば十分かと思います。先ほど消したところにも書いておきましたが、新興宗教は積極的に使われなくなった用語ですので、使用には問題があります。また「ほんみち」や「おうかんみち」は影響を受けた宗教ですが、既に別宗教とみなして定義に影響を与えない方がよいと思います。「中山みきを教祖とする」という書き方にそういったかなり微妙なニュアンスを含めてみました。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月9日 (火) 13:51 (UTC)[返信]
HikaruFukushima氏の文面で同意します。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 00:07 (UTC)[返信]
反対します。新宗教の点で一致しないようなので、TENDERAS氏も提案されていたように「新宗教」・「新興宗教」という言葉を使わず、「天理教は江戸時代末期に成立した宗教である」とするのが適当です。「新宗教」「創唱宗教」等の言葉は宗教を専門に扱っているひとしかすぐには分からないでしょう。それよりも成立時期を明示した方が分かりやすいです。また、「教祖」と言えば、通常宗教を興した人を指すが、天理教の場合側近達が宗教成立をめざし活動した。中山みき自信宗教を興すことに反対であったことは編集されている方ならご存じでしょう。特殊な事情があるため「教祖が天理教を興したわけではない」という注釈をつけます。但し、天理教では中山みきを教祖と呼んでおり、その言葉を使うことを妨げるものではありません。あくまで誤解を防ぐためのものです。注釈についてのTENDERAS氏の指摘は的外れです。また、「広義には中山みきが伝えた教義そのものを指す場合がある。」に、教義の天理教の他に「天理教豊文教会」など天理教を信仰していると主張している団体名を上げる。「広義には中山みきが伝えた教義そのものを指し、教義の天理教以外に「天理教豊文教会」などの団体がある。この項では教義の天理教について述べ、その他の団体はそれぞれの項に譲る」--Tantan66 2008年9月10日 (水) 12:30 (UTC)[返信]
包括を抜ける教会などで教祖以外にその抜けた団体の代表等が教祖の一人に追加される団体は、既に改変されており、天理教であると見なさないというニュアンスがおわかりでしたら有難いと思います。では、こんな冒頭はいかがでしょうか。宗教団体という用語で「天理教豊文教会」を含んだニュアンスにします。下にある新宗教のテンプレートを必ず残すという前提で「新宗教」「創唱宗教」を外します。
天理教(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した宗教の一つである。中山みき教祖とする宗教団体である。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)及びその傘下の被包括宗教法人(教会本部及び一般教会)を指すが、広義には中山みきが伝えた教義そのものを指す場合があり、信仰する単立の法人もある。本稿では、狭義の天理教を中心に述べる。」
--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 14:26 (UTC)[返信]
再提案の記述の方がよりよい。こちらで合意。なお、Tantan66氏の教祖の成立については、別項を下に設けますので、注釈をつけるかどうかはそちらで行いましょう。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 15:35 (UTC)[返信]
marufuku(HikaruFukushima)の提案に反対します。先に述べましたとおり誤りを含んでいます。先に書いておかなければ誤解されたまま読まれてしまいます。軽くそのことに触れておいて、詳しい注釈については、後で行うとするのが適当です。
「天理教(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した宗教の一つである。中山みきを教祖(彼女が天理教を始めたわけではない。後術参照)とする宗教団体である。広義には中山みきが伝えた教義そのものを指し、教義の天理教以外に「天理教豊文教会」などの団体がある。この項では教義の天理教について述べ、その他の団体はそれぞれの項に譲る」
を提案します。--Tantan66 2008年9月11日 (木) 04:11 (UTC)[返信]
誤字「教義の天理教」→「狭義の天理教」ですね。私は、冒頭定義に言い訳じみた内容の括弧付きの注釈をつけることには反対です。必要ならリファレンスリンクを提案します。下の教祖の項目でも述べましたが、別宗教で言えばそれぞれ教祖とされるイエスキリストがキリスト教を始めたわけでない、シャカが仏教を始めたわけでない、という自明のことと全く同じだからです。原理原則的には、中山みきをやしろとし、霊験をあらわした「天理王命」が天理教教祖と言えますが、「中山みきを教祖としない天理教」というのはやはり天理教ではありません。教科書的、一般的な自明の理解を超えています。また、私がわざわざ「単立の法人」としたのは、「天理教豊文教会」などを示しています。将来賛同する団体が増えれば「天理教豊文教会」だけを宣伝する訳にはいかなくなると思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月11日 (木) 04:42 (UTC)[返信]
天理教の場合、「教祖=宗教を立ち上げたわけではない」ということを書いて誤解を生まない必要があります。知識のない人が「教祖」という言葉を読めば、ほぼ百パーセント創始者と思うでしょう。この誤解を生まないようにするべきです。利用者が必ずリファレンスリンクを必ず読むとは限りません。また利用者は最後まで読むとは限りませんので、あとの方で説明するというのも反対です。--Tantan66 2008年9月11日 (木) 13:27 (UTC)[返信]
何だかよく分からなくなってきました。教祖の定義は教祖を読んでください。下の節でも設けましたが、それでは「天理教の教祖は誰ですか?」という問題が出てきたら、何と答えるのでしょう。「厳密には天理教には教祖はいない。勝手に宗教を作り上げた団体。」というのが正解なのでしょうか。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 13:40 (UTC)[返信]
Tantan66さん、キリスト教も仏教も天理教と同じ事です。それぞれ教祖の死後作られた教団です。ご理解下さい。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月11日 (木) 13:46 (UTC)[返信]
この定義文は昨年11月の合意案文がベースになっています。狭義の天理教(宗教法人天理教及びその被包括宗教法人等)はもとより、広義であっても「教祖中山みきが伝えた教義そのもの」であるから、教祖が中山みきであることは論を待たないと考えます。公認運動や一派独立に関しては中山みきではなく中山眞之輔(初代真柱)等の役割になってくるにしても、教義・教理の創始者は中山みきでしかないと思われますが、いかがでしょうか。--Doracha 2008年9月11日 (木) 13:58 (UTC)[返信]
参考ですが他の宗教の場合、「創始者」「創設者」「開祖」「創立者」「指導者」とかの表現もありますが、天理教の場合、どの文献を見ても「教祖」としか書いていません。特徴的なのはこれを「きょうそ」と読ませなくて「おやさま」と呼ばせているところであり、これは概要に既にあります。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 22:39 (UTC)[返信]
混乱しましたが、あらためて、これがよいのではないでしょうか?一般的な分類は新宗教ですので、新宗教に戻しました。Tantan66氏は「新興宗教」という用語を侮蔑的な意味で用いたかった様ですので。
天理教(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した新宗教の一つである。中山みき教祖(おやさま)とする宗教団体である。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)及びその傘下の被包括宗教法人(教会本部及び一般教会)を指すが、広義には中山みきが伝えた教義そのものを指す場合があり、信仰する単立の宗教法人もある。本稿では、狭義の天理教を中心に述べる。」
--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月18日 (木) 17:08 (UTC)[返信]
HikaruFukushima氏の文言で解決済みとします。再度議論する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月27日 (土) 03:21 (UTC)[返信]

概要について

定義から祭神等を移動したため、書き出し部分に以下の太字の加えることを提案する、他は現状のままでよいと思う。「おやさま」は?「みたまさま」は?という議論を避けるため、加筆がある。

「宗教法人天理教は奈良県天理市にあり、「天理教教会本部」(略して「教会本部」)と称する。
主祭神は天理王命(てんりおうのみこと)。そのほかに教祖と御霊を祀る。
教祖は中山みき。教会本部では「教祖」と書いて「おやさま」と呼称している。教祖は90歳で死亡し、肉体としての身は隠したが、その魂は今でも現世に生きており、人々の暮らしを見守っているという信仰がある。」

--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月9日 (火) 13:51 (UTC)[返信]

特に異論はありません。主祭神御霊はwikipedia内で定義されていますので、そちらも参照できるようにするぐらいでしょうか?主祭神は、別途加筆が必要にも思いますが、ここでの問題ではないでしょう。--TENDERAS 2008年9月9日 (火) 15:02 (UTC)[返信]
上記と関連しますが、「信者等を祀る「祖霊殿」(それいでん)等がある。」との表現がありますが、、「御霊を祀る「祖霊殿」(それいでん)等がある。」と修正した方がよいでしょう。--TENDERAS 2008年9月9日 (火) 15:16 (UTC)[返信]
その修正で問題はないと思います。詳細が必要ならそれぞれの建物の解説の節を作れば良いと思います。。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 04:19 (UTC)[返信]
教祖という言葉に注釈を入れるという条件付きで賛成。--Tantan66 2008年9月10日 (水) 12:33 (UTC)[返信]
本筋の議論ではありませんが、この部分の一行目に関して、「宗教法人天理教」と「宗教法人天理教教会本部」は別の単位宗教法人です。「宗教法人天理教」が包括宗教法人、「宗教法人天理教教会本部」がその被包括宗教法人の一つとなります。--Doracha 2008年9月10日 (水) 11:34 (UTC)[返信]
天理教の登記がそうなっているのなら、登記の形態に合わす必要がありますね。
「宗教法人天理教」は奈良県天理市にあり、そこに「天理教教会本部」(略して「教会本部」)がある。
という文面でよいのだろか?--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 12:34 (UTC)[返信]
Tantan66氏へ、教祖の注釈については、ここでの本筋とはずれますので、下記に別項を設けます。
あと関係者じゃないので法人の関係は疎かったのでDorachaさんの意見はありがたい。それを踏まえて
「宗教法人天理教」及びその被包括法人である「宗教法人天理教教会本部(略して教会本部)」は奈良県天理市にあり、またその傘下にある一般教会は各地に点在する。」
法人部分のみ提案。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 15:42 (UTC)[返信]
基本的に合意します。ちなみに、宗教法人天理教の統括事務部門が「教庁」と呼ばれます(本文で後述)。--Doracha 2008年9月11日 (木) 14:02 (UTC)[返信]
反対します。「教祖」という言葉が初出するところに天理教の教祖が創始者ではないことの注釈が必要です。天理教の知識のある編集をされている方ならご存じのことだと思います。天理教は、教祖の取り巻き達が政府からの弾圧をさせるため、自己保身のために作られた宗教です。その証拠に中山みきは宗教を作ることを反対していました。あくまで誤解を避けるため、数文字加えるだけだと言うことをご理解ください。--Tantan66 2008年9月13日 (土) 13:44 (UTC)[返信]
繰り返しで恐縮ですが、それでは「中山みきは宗教を作ることに反対」「教祖の取り巻き達が政府からの弾圧をさせるため、自己保身のために作られた宗教」とはどういう根拠に基づくものか、ご説明願いたいと思います。そのような根拠は、当方では見つけられませんので。--Doracha 2008年9月13日 (土) 14:55 (UTC)[返信]
特に意見がなかったので、HikaruFukushima氏と私の記述で変更します。議論を再開する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月27日 (土) 01:44 (UTC)[返信]

記事の頭に注意テンプレを貼り付ける

保護解除後は、既に3回もの保護解除を受けることから次のテンプレを張りたいと思います。
過去の論争を知らずに加筆される方を防ぐための措置です。--TENDERAS 2008年9月9日 (火) 16:25 (UTC)[返信]
賛同します。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 04:19 (UTC)[返信]
Call Tenderas氏の案に反対します。「変更する際は必ずノートで提案してから行う」とするべき。ノートを確認するだけでは、目を通したまま、提案することなく変更が行われますから。私も一度Call Tenderas氏に注意を受けました。必ずノートで提案することを徹底するべきです。--Tantan66 2008年9月11日 (木) 04:18 (UTC)[返信]
あまり厳しく書くと、誤字脱字や「てにはを」までイチイチ提案しなくてはならないと勘違いする場合もあるので、まぁ参照するというぐらいでいいのではないでしょうか。あと、今はノートの冒頭に注意テンプレが張ってあるのですが、保護解除されたら「記事を変更する場合は、必ずノートでの議論を確認してください。」と付け加える予定です。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 10:16 (UTC)[返信]
議論の細部ではないため、一旦解決済みとします。--TENDERAS 2008年9月23日 (火) 06:10 (UTC)[返信]

概要その2(神道との関連)

7月の保護解除後加筆した部分でありますが、神道との関連について、加筆することを提案します。現在の概要では

「第二次瀬世界大戦後、教団が「最早教派神道ではない」と宣言し、新宗教諸派として称しているが、現在でも葬儀式に見られるように神道色が濃い。このような経緯から「神道系新宗教」とみなされることがあるが、天理教側では神道系とは称しておらず、宗教法人としての届けは「諸教」としてなされている。」

となっていますが、

「かつて神道本局に属していた経緯から(詳細は後述)、葬儀式等に見られるように神道の影響を大きく受けており、「神道系新宗教」とみなされることがあるが、教団側では新宗教諸派として称しており、宗教法人としての届けは「諸教」としてなされている。」

と編集しなおします。概要の項で何ら神道の関連で触れていないためです。これについては特に対立している部分ではなかったかと思いますが、合意を得たいと思います。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 00:07 (UTC)[返信]

非常にわかりやすい修正です。合意いたします。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 04:19 (UTC)[返信]
「歴史教科書などでも教派神道と呼ばれているが」という文言を加えることを提案。教科書は中立で公正に書かれたものであり、一般的には教派神道に分類をされている根拠となる。天理教自身がそれを否定していることとは別の話。文言が付け加えられれば賛成、付け加えないなら反対。--Tantan66 2008年9月10日 (水) 12:41 (UTC)[返信]
こういうのはどうでしょう?完全に私見ですが。
「かつて教派神道の一派として公認され活動していた(詳細は後述)ため、葬儀式等に見られるように神道の影響を大きく受けており、現在も「神道系宗教」とみなされることが多いが、教団側では新宗教諸派と称しており、宗教法人としての届けは「諸教」としてなされている。」--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 14:00 (UTC)[返信]
HikaruFukushima氏の文面の方がより適当です。これに合意。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 14:44 (UTC)[返信]
私もHikaruFukushima氏の案に合意します。教派神道はかつての神道十三派の総称ですが、教派神道の親睦組織である教派神道連合会からは、天理教は1970年4月30日に退会していますので、今日教派神道の一つとみなすのは困難であろうと考えます。--Doracha 2008年9月12日 (金) 14:00 (UTC)[返信]
特に意見が出なかったため、HikaruFukushima氏の文面で解決済みとします。再度議論する場合は、新説を設けてください。--TENDERAS 2008年9月23日 (火) 22:02 (UTC)[返信]

教勢

(変更案) 教会本部の公称では190万人程度。但し天理教の概念に「信者」というものがないため、正確な信者数が把握されていません。

※「教勢」という言葉はないため変更 天理教の概念に「信者」というものがないため、正確な信者数が把握されていません。全て推定値です。そのため、天理教による公称人数のみを記載するのが適当です。あと190万人と上げられた方、何年の数値であるのか示してください。それよりも新しい公称人数をご存じの方は、それに置き換えてください。--Tantan66 2008年9月10日 (水) 20:06 (UTC)[返信]

「教勢」という言葉は、ぐぐっても19,000件以上ヒットします。「言葉はない」というのはちょっと的外れかと思いますし、創価学会でも使用されている言葉なので。それと信者数の概念がないといいながら、その節名が「信者数」ではもっとしっくりきません。これは「教勢」のままにすることを提案します。
あと190万人の数値は出典はたくさんありますが、おそらく1996年前後の数値が大半でしょう。これは天理教の話じゃないのですが、例のオウム真理教がらみの件で、総務省が調査を行い、公表された数値が現時点でも使われている場合が多いです。昨年に島田裕巳が刊行した「日本の十大新宗教」でも190万人程度となっていることから、それ以後あまり公表されていないように思いますが、どなたか詳しい方お願いします。
それと後段の「但し天理教の概念に「信者」というものがないため、正確な信者数が把握されていません。」という記述は出典を求めたいと思います。少なくとも私がもっている文献にはそのような注釈がありません。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 22:57 (UTC)[返信]
「おそらく1996年前後の数値が大半でしょう。」では、掲載できません。何年にどこへ報告された数値なのか明確にしなければいけません。たとえば、「2007年に文化庁へ届け出た数字」などです。また、1996年のデータは古すぎます。現在は、信者数が激減しているため、もっと小さな値となるでしょう。原則として、何年のどこに出された数値なのか明確に示しましょう。それ以外は削除です。--Tantan66 2008年9月11日 (木) 03:16 (UTC)[返信]
天理教は、全ての人を救うという宗教です。信者からよく訊く言葉ですし、ここで編集されている方なら当たり前のことだと思っていました。これに関しては直接天理教に問い合わせればすぐに本当のことだと分かるでしょう。ただ、厳密に出典を検証することを求められているようなので、それを示すため提案を一端保留します。正確な信者数が得られないため、天理教の発表人数だけに留める。--Tantan66 2008年9月11日 (木) 04:29 (UTC)[返信]
信者という概念が無いと言われますが、ありますね。一応宗教法人天理教の構成員は、信者、よふぼく、教人の三つであり、天理教の教義を信奉する者が「信者」で教会に所属し教会を支える義務があり、その信者の中の17歳以上の者で天理教本部で九度の別席を終え、「さづけ」をうけた者や修養科を済まし別席をうけた者が「よふぼく」となり布教伝道の義務が生じ、そのよふぼくの中で検定講習会の前期を終了した者が「教人」そして後期課程を終えた、教会長資格検定に合格すると教会長になれると言うことが新宗教事典のP187に書いてありました。これは多分宗教法人天理教規則に書いてあることだと思います。以上の署名の無いコメントは、HikaruFukushima(会話履歴)さんによるものです。
出典ということなのですが、私が見ているのは新人物往来社が1996年に刊行されている日本宗教総覧96でして、その324ページによれば、信者数は1,985,861人となっている。また2007年11月に幻冬舎が発行した日本の10大新宗教の48ページには「現在、天理教の信者数は公称で190万人程度である。調査が無いため、実数を明らかにすることは難しいが、実際の信者数は、多くても50万人程度ではないだろうか。」となっている。また過去ログでも参照して欲しいが、HikaruFukushima氏が示した文化庁のホムペによれば、191万人となっている。以上から、実態があっているかどうかは別として、公称数値が190万人程度はかなり出典が明確になっていると思われる。以上のことから、以前の記述では「多くて50万人」を書いたわけであるが、これをまるっきりTantan66氏は出典毎除去されたので、確認されたい。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 13:35 (UTC)[返信]
(意見追記)ここの部分は現状のままということで提案します。参考ですが、原文に出してある明治末期10万、大東亜戦争30万人も日本の10大新宗教から引用しました。よってこの部分も出典があります。なお、実数を分析してある著書があればもっとあれば創価学会#教勢のように追記してもいいのではないかと思います。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 22:25 (UTC)[返信]
賛成します。当面現状のままで良いと思います。なお、平成12年の文化庁の統計をまとめたページはこの宗教情報サイトです。平成7年のものと比較できます。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月12日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
教祖と同じで、天理教に信者の概念がないことを知らない方が書かれたのでしょう。それは仕方がありません。天理教信者の方に聞かれるのがはやいかと思います。直接天理教に問い合わされても良いです。それが嫌だというなら宗教法人天理教規則というのを調べられてはどうでしょうか?「多分」では根拠にはなりません。
また、あなたの書かれている信者の数は天理教ではカウントできていません。公称の値や、お祭りの参加人数からの推定値に過ぎません。このWikipediaでは厳密さが求められているようですから「教勢」の項自体を削除することを提案します。--Tantan66 2008年9月13日 (土) 11:14 (UTC)[返信]
逆に信者の概念が無いという証拠はあるのでしょうか?道友社から出ている本教理から現況まで「天理教」という本には信者という言葉が無数に出てきています。概念のない言葉なら使うはずがありません。信ずるもの総てが信者であり、よふぼく、教人は言うまでもなく信者という範疇に入ります。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月13日 (土) 11:29 (UTC)[返信]
本提案については、現行のままということで解決済みとします。なお、この項については、出典のある場合の加筆を妨げるものではありませんので、加筆するにあたっては出典を求めます。再度、議論が必要な場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月23日 (火) 22:52 (UTC)[返信]

沿革

7月以降の解除後、加筆した部分でありますが、教団の組織化・国家統制時代の書き出しに

「教祖死亡後は、教祖の生前中からの側近であり、本席に定められた飯降伊蔵と後に初代真柱となる中山眞之亮が教団運営の中心となった。」

を追記します。また追記に合わせて、現在「沿革」となっている節名を「教祖在世時代」に直します。編集意図としては、沿革の項に天理教のキーマンを追記する必要があるであり、別項目として充実した文面の記事があるのが理由です。これについても特に対立している部分ではなかったかと思いますが、合意を得たいと思います。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 00:07 (UTC)[返信]

わかりやすい加筆です。合意いたします。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 04:19 (UTC)[返信]
特に意見がなかったので、私の記述で変更します。議論を再開する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月27日 (土) 01:44 (UTC)[返信]

教義・教理について

7月以降の解除後、加筆した部分でありますが、現在の教理の書き出し部分を以下のように編集します。この部分については少し長文になりますが、ご容赦ください。

「人間がこの世に存在するのは、親神が人間の明るく勇んで暮らす陽気ぐらし」を見たいからであり、親神の守護と恵みにより、人間は生かされており、天然自然が存在すると説いている。人間は、親神が見たいと説く陽気ぐらしの実現のために、親神によって生かされているという謙虚な気持ちを持ち、欲を捨て、病気のない平和で豊かな世界を目指すことが重要であると説く。」
「人間の身体は親神からの「かりもの」(借り物)と説き、心だけが自分のものであると説く。心の使い方によって、ほこり(埃)がたまると説き、自己中心的な心づかいを慎むよう、また親神の思いにそって身体を使わせていただくことが重要であり、ほこりを掃除するように説いている。親神からの「かりもの」であるそれぞれの身体を、陽気ぐらしのために惜しまず使っていくことが大切とされている。また、すべての人間関係は、夫婦関係を基本として培う事が理想であるとされている。」

対立している部分ではなかったかと思います。編集意図としては、今の文面が分かりづらいと思い、修正しました。合意を得たいと思います。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 00:07 (UTC)(修正)--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 22:15 (UTC)[返信]

この内容もわかりやすいです。合意です。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 04:19 (UTC)[返信]
「陽気ぐらし」と言う言葉を使われるなら、その説明が必要です。説明を加えれば賛成。原文のままでは反対。「平和で豊かな世界」を定義に持ってくればいいでしょう。--Tantan66 2008年9月11日 (木) 04:34 (UTC)[返信]
天理教用語「陽気ぐらし」については、判ったような気になっていましたが、解説はあった方がよいですね。「・・・説いている。この陽気ぐらしとは・・(解説)・・である。人間は、親神が・・・」と解説を挟み込んで追加することに賛成します。あらためて用語解説の節を作り説明するのも方法ですが、スムーズな流れで読めるこの方法に賛成します。的確でコンパクトな解説は、外部の私には無理ですので良くわかっている方にお願いしたいと思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月11日 (木) 05:25 (UTC)[返信]
陽気ぐらしは別項目で立てられていますが、これを説明するのは難しい。某解説書では「心の底からわき出る陽気につつまれた明るい暮らし。」となっています。Tantan66氏の「平和で豊かな世界」はちょっとニュアンスが違うような気がします。何かいい知恵があればお願いします。英語版もみましたが、この辺はあんまり詳しく書いてません。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 10:23 (UTC)[返信]
陽気ぐらしですが、新宗教事典P294を見ますと「人々が明るく勇んだ心で日々をおくること。親神は、人間がそのように生きることを望んで人間を創造したという」と書いてあります。そのままの引用は不味いので書き換えの必要があると思いますが、教団刊行物に載っている文通りであれば大丈夫と思います。参考までに。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月11日 (木) 12:44 (UTC)[返信]
上記文面を修正し、リンクのある部分も追記しました。ここのところは長くなればなるほど、何を言っているのか分からなくなるので、極力短文にしたいと思います。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 22:15 (UTC)[返信]
修正文に、合意します。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月12日 (金) 10:01 (UTC)[返信]
特に意見がなかったので、私の記述で変更します。議論を再開する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月27日 (土) 01:44 (UTC)[返信]

信仰生活について

7月以降の解除後、加筆した部分でありますが、信仰生活に次を追記します。

「教祖が天啓を受けた1838年を立教元年と位置づけ、以後立教年と呼称している。」
「また教祖が誕生した4月18日には毎年誕生祭が行われている。」
「教祖死亡後の1888年に教祖1年祭が行われ、現在は10年単位に年祭を行っている。最も直近の年祭としては2007年の教祖120年祭であり、1月26日に行われる。」

理由としては、以前に沿革の項にダラダラと「~年祭が実行された」との記載があり、必要がないと思い削除したのですが、上記の説明であれば、将来的にもダラダラと追記されることなく、すっきりすると思ったからです。合意を得たいと思います。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 00:07 (UTC)[返信]

これもわかりやすいです。ただ、年表に記念祭に合わせて天理教にとって意味のある何らかの改革、記念出版、主要建物の建造が行われた場合は、括弧内に年祭の注釈を加筆することも検討してみてください。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 04:19 (UTC)[返信]
特に意見がなかったので、私の記述で変更します。議論を再開する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月27日 (土) 01:44 (UTC)[返信]

分派・影響を受けた団体等

本項目ですが、まず節名を「宗教法人天理教から分立した団体等」への変更を提案します。「分派」というのはどうもしっくりこないし、「広義の天理教」というのも少しニュアンスが違うと思い、より分かりやすいタイトル名を考えました。その上で「詳細はそれぞれの項で述べる。 」を付し、文面を省略化したいと思います。変更後の文面としては、

宗教法人天理教は、分派が数多くある団体分立した団体として知られているが複数ある。これについては、(中略・現行記述のとおり)、財団法人の「モラロジー研究所」などがある。直近の事例としては天理教豊文教会の例がある。詳細はそれぞれの項で述べる。(以下、豊文教会の記述は削除する)

本来であれば本項からの分割記事として立てられるべきであったと思いますが、既に天理教豊文教会の別項があり、かなり重複して記載されている部分もあり、その団体については別項をより充実させたほうがよいと思います。ご意見をお願いします。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 01:48 (UTC)(修正)--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 02:28 (UTC)[返信]

節の名はそれで良いと思います。別項天理教豊文教会の内容の充実修正は将来必要かとおもいますが、それに任せるのが良いと私も思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 04:19 (UTC)[返信]
反対。天理教豊文教会から見れば、自分たちが正統派の天理教であると考えています。中立性を保つためにこの文章は必要です。--Tantan66 2008年9月10日 (水) 13:02 (UTC)[返信]
Tantan66さんに意見です。狭義の天理教の解説をすると冒頭定義にするので、これでよいのではないでしょうか?せっかく別項目も作られたことだし、その項目を統合するのなら必要ですが。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 14:34 (UTC)[返信]
Tantan66氏により作られた天理教豊文教会ですが、著作権侵害により削除されました。が、再立項を妨げるものではありませんし、必要であれば別項目での加筆をお願いしたい。本項については、当初の提案どおりで再提案します。--TENDERAS 2008年9月18日 (木) 13:38 (UTC)[返信]
当初提案に賛成します。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月18日 (木) 17:15 (UTC)[返信]
特に意見がなかったので、私の記述で変更します。議論を再開する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月27日 (土) 01:44 (UTC)[返信]

沿革(その2)

「教祖は~伝えられる。」との説明ですが、Tantan66氏からの指摘により、資産を本当にすべての人々に施したかどうかは確かに証拠がありません。また一説によれば、息子の秀司が博打にのめりこんで借金しまくったなんて説もあります。しかし、教団内では、これらが流布されていることは事実であるし、信仰の基本となっているのも、また事実です。ついては、以下のように修正したい。

教団内の伝記によると、教祖は、自家の資産をすべて人々に施し、30年にわたる清貧を貫き、しかる後、安産や、人々の病気を治す、陽気な授けなどの奇跡を起こし、近隣の住民の尊敬を集めたと伝えられる。」

天理教に限らず、神話や伝記なんて本当にあったかどうかなんて今更証明することは難しい場合がほとんどです。ただ教団内で伝えられていることは事実ですから、誤解の無いように追記しました。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 10:06 (UTC)[返信]

弘文堂「新宗教事典」の中山みきの項目(P.913)で該当する来歴事項を読みますと、
「以降、中山家は没落の一途をたどり、夫の死後はさらに貧窮の生活に陥ったが、みき自身は、中山家が谷底に落ち切ることによって人々の救済が実現されると喜んだという。」(これは引用です)
という様な具合で、「自家の資産をすべて人々に施し」は確かに結果論ですがちょっと立派すぎます。というわけで、
「教祖は、その後没落し貧困の極みを経験したが、自らが貧に陥ることで人々の救済が出来ると信じ、三女の出産に対して初めて行った、安産の救いである「帯屋ゆるし」を望む人に行ったり、人々の病気を治す、陽気な授けなどの奇跡を起こし、近隣の住民の信仰を集めたと伝えられる。」
ぐらいが妥当かと思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 12:51 (UTC)[返信]
反対です。TENDERAS氏の記述では天理教の美化された伝記を追認しているだけです。諸説ある部分は議論が熟するまで書かない方がいいでしょう。後半の「安産や、人々の病気を治す、陽気な授けなどの奇跡を起こし、近隣の住民の尊敬を集めたと伝えられる。」は了承します。これが原因で、寺社などの反感を買い警察に何度も留置されたのですから。このあたりは史実でしょう。--Tantan66 2008年9月10日 (水) 13:11 (UTC)[返信]
なるほど、「尊敬を集めた」よりは「信仰を集めた」の方が適当だと思うので、財産関係は一切除いて
「教祖は、三女の出産に対して初めて行った、安産の救いである「帯屋ゆるし」を望む人に行ったり、人々の病気を治す、陽気な授けなどの奇跡を起こし、近隣の住民の信仰を集めたと伝えられる。」
というぐらいはいかがでしょうか?詳しくは項目中山みきに任せればよいという考えです。ただ、散財して極貧になったことは、その後出来る教義のきっかけのひとつだと思うので、あっても良いかとは思いますが。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 14:50 (UTC)[返信]
HikaruFukushima氏の方がより適当。ただ「帯屋ゆるし」は仮名表記があった方がよりいいのなと、「極貧になった」ことは一致できそうなので、
「その後、中山家は没落の一途をたどったが、教祖は三女の出産に対して初めて行った安産の救いである「帯屋(おびや)ゆるし」を望む人に行ったり、人々の病気を治す「陽気な授け」などの奇跡を起こし、近隣の住民の信仰を集めたと伝えられる。」
これで再提案。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 15:13 (UTC)[返信]
賛成します。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月11日 (木) 05:06 (UTC)[返信]
特に意見がなかったので、私の記述で変更します。議論を再開する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月27日 (土) 01:44 (UTC)[返信]

教祖の成立

この点だけは具体的記述に入る前に、少し議論したいと思います。 Tantan66氏が「教祖と書くと中山みきが天理教を興したと誤解されるため、注釈をつけることが望ましい。教祖は、宗教を作ることには反対していた。」との意見があります。これは以前からの対立事項です。一致できる点としては、

  1. 一般的に中山みきが天理教の教祖と知られている。
  2. 宗教法人天理教は中山みき教祖としている。
  3. 一般的な宗教辞典等では天理教の教祖は中山みきであるとしてる。

ことだと思います。よって天理教の教祖は間違いなく中山みきであることは一致できるはずです。問題は「教祖が反対していた」ということをどこで述べるかだと思います。まず基本的な前提としてあちらこちらの節でこのことを述べることは適切ではありませんし、この記載についてはより強固な出典が必要だと思いますし、対立者である私が意見を述べる前に、他者から見解をいただきたいと思います。--TENDERAS 2008年9月10日 (水) 15:52 (UTC)[返信]

高校教科書や参考書なら「中山みきが天理教を興した」で、その試験問題は「天理教の教祖は誰か」という問題になると思います。そして、なぜTantan66氏が「中山みきが天理教を興していない」と考えられるのかが理解できません。以前にも書きましたが、歴史的に見て、中山みきが「明治の国民教化運動による統制に反対し、側近周囲が様々な公認運動をすることに反対していた」ということは既知の事実ですが、幕末に講社という多くの人が集まる宗教団体は成立しており、その幕末時点で既に中山みきは、一般的に言う『天理教を興している』という状態です。もし講社を作ることに反対ならば、人には信仰を勧めないし、依頼されても奇跡も起こさないでしょう。Tantan66氏がいう事象は後述する歴史の中で、側近達の公認活動に最後まで反対したまま亡くなったことを書けばよいと思います。中山みきは日本だけでなく世界中にに陽気暮らしを進める世界宗教の天理教を創唱したわけで、側近に「明治政府の公認などという些末なこと」を行いその「教えを変質させる」ことに反対していたことは事実であると推察するからである。だから、江戸時代既に天理教は出来ていたという考えの立場で、この注釈は不必要と考えます。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月10日 (水) 16:49 (UTC)[返信]

誤解を生まないために必要です。信者数でも厳密さを求められていますから、教祖についても厳密に取り扱うべきでしょう。--Tantan66 2008年9月13日 (土) 10:21 (UTC)[返信]

では、いつあなたの考える天理教が出来、その教祖は誰なのか、ご調査ご報告下さい。しかし、その宗教はこの項目の扱う天理教ではありません。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月13日 (土) 11:55 (UTC)[返信]
現在の天理教です。天理教が中山みきを「教祖」と呼んでいることを否定していると誤解しないでください。あくまで天理教の創始者でない事実を述べているだけです。--Tantan66 2008年9月13日 (土) 12:10 (UTC)[返信]
キリスト教も仏教も教祖と呼ばれる人はいません。これは天理教にも当てはまります。天理教の場合特殊なのは、創始者でない人を「教祖」と呼んでいることです。--Tantan66 2008年9月13日 (土) 12:41 (UTC)[返信]
「教祖」という名称の字義から言って、百科辞典的にはそれでよいと思います。教祖(○○教の場合)や宗祖(○○宗のばあい)という用語は第三者的に呼ぶ呼称です。それから、中山みき自体は天理王命の講社を作ることを奨励しています。後の世に周囲からも自らも天理教と呼ぶ宗教団体を作らせたのは、中山みきに外なりません。この事実は動かしがたい事実です。「教祖(おやさま)」という書き方なら納得しますが。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月13日 (土) 13:12 (UTC)[返信]
上記とも関連する項目ですが、教祖に注釈をつけるという提案は賛同が得られなかったので終了とします。議論を再展開する場合は、出典等を明示した上で新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月28日 (日) 01:13 (UTC)[返信]

沿革(その3)

修正提案します。

活動の特異性から、地域の寺社からは疎まれ、幾度となく官憲からも弾圧を受け、教祖は逮捕・拘留された。中山みきは、周囲の高弟達に宗教を作ってはいけないとつねに教えていた。しかし側近達は、天理教教団を作ろうと動いた。(中略)その直後に教祖が死亡した。よって、天理教では教祖と呼ばれている中山みきが天理教を始めたわけではない。※車体は変更箇所--Tantan66 2008年9月11日 (木) 04:20 (UTC)[返信]

史実的には斜体部分は、
中山みきは、周囲の高弟達に公認されるることで違った宗教にしてはいけないと常に教えていた。しかし側近達は、政府の弾圧を免れるため、公認教団にしようと動いた。
でないと変です。「高弟」という用語も妙ですがそれはそれで良いでしょう。しかし、Tantan66さんは、天理教という宗教団体の歴史をどのようにお考えなのでしょうか?天理教は幕末には成立した宗教団体です。明治に弾圧をされるから、公認してもらおうという運動を起こしている段階では既に金光教や黒住教よりも信者数の多い巨大教団になっています。ですから、天理教は中山みきが江戸時代末期に始めた宗教に外ならないのです。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月11日 (木) 05:05 (UTC) 修正--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月11日 (木) 05:28 (UTC)[返信]
教祖の死後公認教団になった宗教は「金光教」もそうです。金光教祖も教えの変質する公認教団化には反対しました。息子が仕方なく、資格を取っていましたが。このあたりは天理教と全く同じ経緯をたどります。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月11日 (木) 13:53 (UTC)[返信]
編集意図が良く分かりません。前段の部分は既に「教祖は教団の認可活動を快く思っておらず、幾度と無く反対の意思を示したと言われている」で意図は十分含まれていますし、後段の部分は天理教の歴史が1838年から始まっていることを否定することになります。HikaruFukushimaが仰せのとおり、「政府の弾圧を免れるため」側近達が動いていたことは加筆してもいいかと思いますが。--TENDERAS 2008年9月12日 (金) 00:09 (UTC)[返信]
そうですね、前段の部分を修正してみましたが確かに余計です、不要でしょう。また、後段の斜体部分は、Tantan66さんの個人的な意見で、もちろん完全な誤りです。修正加筆追加できる内容ではありません。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月12日 (金) 10:26 (UTC)[返信]
修正案は賛同が得られなかったので終了とします。議論を再展開する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月28日 (日) 01:13 (UTC)[返信]

教団組織

教会本部がある敷地内にはかつて中山みきが天啓を受けた三島神社があった。 の一文を追加する提案--Tantan66 2008年9月11日 (木) 04:41 (UTC)[返信]

逆提案。歴史の項で「森神社(現在の三島神社)にて~」が既にあるので、ここの脚注に当時の三島神社がどこにあったのかを記載するほうが全体的なバランスが取れます。教団組織を語る上で、何ら関連性を感じませんし、この記述だけがとても浮いて見えます。加筆するにしても、加筆する位置が違うように思います。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 10:32 (UTC)[返信]
「教団組織」の項に、なぜ敷地内にかつてあった建物を書くことになるのかがさっぱりわかりません。必要なら「本部境内地」という項目でも作って書くこともありでしょうが、そうするといろいろ書くものが増えて収拾がつかなくなりますよ。たとえば、「とうふや」(村田旅館)は櫟本警察分署拘留となった直接の要因につながりますが、この種のものを何でも書くというのはWikipediaにはなじみません。--Doracha 2008年9月11日 (木) 14:12 (UTC)[返信]
組織である教会本部についての解説に、建物の解説は不要です。豆知識としても、百科辞典的に意味があるとは思いません。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月12日 (金) 09:56 (UTC)[返信]
追加案は賛同が得られなかったので終了とします。議論を再展開する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年9月28日 (日) 01:13 (UTC)[返信]

新宗教の呼称について

過去ログに埋もれてしまったので再提案します。 「新宗教」の文言については諸説あるため、却下します。教科書に書かれていると書いておられたTenderasさんからも一向にどの教科書に書かれているのか示されていませんし。Tenderasさんは都合の悪いことは黙りなのでしょう(他の項目でも自分の気に入らない投稿を削除するというトラブルを起こされています)。反論するならHikaruFukushimaさんのようにそれなりの根拠を明確に示す必要があると思います。そしてHikaruFukushimaさん、あなたのいう宗教学会が示す定義について検証したいので、それが示されている文献を教えてください。また、提案された文章では、中山みきが天理教を興したと誤解されます(宗教の研究者でも誤解している人もおられます。天理教が中山みきを教祖と呼んでいるため、誤解されたのだと思いますが)。中山みきは生前宗教を作ることを快く思っていませんでした。そして、中山みきの側近によって、天理教が成立しました。ここで編集されている方ならご存じでしょう。簡素な記述にすることについては賛成します。 天理教は19世紀に成立した日本の天啓宗教の一つである。 または、 天理教は19世紀に成立した日本の創唱宗教の一つである。 または、 天理教は19世紀に成立した日本の教派神道の一つである。 がいいでしょう。3つめは歴史教科書で使われている表現をもちいました。教科書は中立性が一番保たれているものですし、最も信頼できる文献の一つです。諸説ある場合も、注釈を入れるなど、かなり慎重に取り扱われています。新宗教より、こちら(教派神道)の方がより一般的な記述であると言えます。Wikipediaは宗教に詳しくない人が多く利用するわけではありませんから。また、私独自の信仰的解釈は行っておりません。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 13:39 (UTC)---- 再提案--Tantan66 2008年9月13日 (土) 13:03 (UTC)[返信]

私の提案でも、冒頭定義から「新宗教」は外してあります。それで現在合意中ですが?ただし、下部のロボットによるテンプレは新宗教です。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月13日 (土) 13:21 (UTC)[返信]

本項目については、冒頭との絡みが大きいため、一旦解決済みとします。必要であれば、#天理教の定義についてで議論してください。また本節の議論を再開する場合は、#天理教の定義についてと何が違うのかを明確にしてください。解決済みのテンプレは外さないでください。--TENDERAS 2008年9月18日 (木) 13:42 (UTC)[返信]

削除記事

削除された云々と書いておられるか違いますが、履歴をたどれば元に戻すことが可能です。--Tantan66 2008年9月13日 (土) 14:08 (UTC)[返信]


概要(その3)

(提案)『現在の統理者は真柱(しんばしら)・中山善司。』の次から 『「神殿」では、毎日朝晩に「おつとめ」という』の手前までの、教会本部の建物と甘露台の解説文章を以下のように簡略化してみてはどうでしょうか?  ただ、「誰もが自由に出入りすることが出来る。」は修正していません。私が見学に訪れたのはかなり昔のことなので、その通りでないのなら、修正してください。

「天理教の教えでは、人間の命の発祥地の中心を「ぢば」(地場)と称し、教祖の「ぢばさだめ」という啓示でその場所を定めている。現在の天理教教会本部は、この「ぢば」を中心に建られている。通常は、丁寧語の「お」をつけて「おぢば」と呼び、人がこの地を訪れることは、故郷に帰ることであるから、「おぢばがえり」と呼んでいる。そのため天理駅や天理市内の信者詰所等には「お帰りなさい」や「ようこそおかえり」などという看板が見られる。
この「ぢば」の中心には、六角形をした「かんろだい」(甘露台)が置かれた「神殿」が建てられ、四方から囲むように信者等が礼拝する四つの「礼拝場」がある。
そのほか教会本部には、教祖が存命のまま暮らしているとされる「教祖殿」(きょうそでん)、信者等御霊を祀る「祖霊殿」(それいでん)等があり。誰もが自由に出入りすることができる。」

--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月23日 (火) 17:24 (UTC)[返信]

こっちの方が簡潔な表現でいいですね。上記とも関連しますが、「信者等」のところは「御霊」の方がより適当かと思います。--TENDERAS 2008年9月23日 (火) 22:06 (UTC)[返信]
「信者等」→「御霊」で行きましょう。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月23日 (火) 22:49 (UTC)[返信]
特に意見がなかったので合意としました。議論を再開する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2008年10月9日 (木) 22:42 (UTC)[返信]

歴史について

歴史の項ですが整理したほうがいいと考えられます。「1870年(明治3年) - 中山みき、「ちよとはなし……」のつとめの詞と手ぶりを教えられる。」「1873年(明治6年) - 飯降伊蔵にかんろだいの雛型(木製)を造るよう命じた。」や「1967年(昭和42年) - 教祖80年祭にあわせて、『おさしづ』全七巻が新たに公刊、全教会に配布。」といった教団内の出来事は削除し、歴代真柱の就退任といった公式的なもののみを記述べきではないでしょうか。また、南礼拝場(殿ではないようです)のみを書くのではなく、その項を削除するか、もしくは東西南北全ての竣工年を書くべきでしょう。--Hypothesis 2008年10月13日 (月) 06:17 (UTC)[返信]

歴史ですが、天理教外の者の立場から言うと、歴史記述は整理縮小より加筆して欲しいと思っております。宗教団体とその教えの項目でもあるので、教典類の整備や教義の進展に関わる出来事も欠かせません。建物については、どこまでの建物を記述するかにも依りますが、東西南北すべての竣工年を書いてみるのも良いかと思います。教団をあげての事業は、何らかの記念祭毎に行われていると思うので、その時期の記述も有るべきだと思っています。出来れば加筆したい内容について以下に例文の提案をお願いいたします。なお、歴代真柱については、年表より真柱の項目の加筆が適しているかと思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年10月13日 (月) 14:25 (UTC)[返信]
最近加筆を多くしていたものです。仰せの通り、雑多な内容が多いのですが、過去の内容を踏襲してきており、特に変更はしておりませんが、内容を整理してもよいでしょう。特に建物の建設は、不要かと思います。具体的には1864年1870年1873年1933年1967年あたりが不要かと思います。--TENDERAS 2008年10月14日 (火) 03:31 (UTC)[返信]
確かに、その建物建設は省略しても問題はないと思います。1967年の「おさしづ」の公刊配布が天理教全体の教義教典の整備上有意なものであるのなら残すべきだと思いますが、単なる記念品として配布した場合など天理教全体に影響がないものなら不要ですね。ところで、明治教典は上の文章に出てきていますが、現在の天理教教典の出版年は「文献」の「三原典及び教典」教義の節ででも記載が欲しいと思います。第二次大戦後としか書いていませんので。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年10月14日 (火) 06:55 (UTC)[返信]
一定期間反論が出ませんでしたので、意見に即した修正を続けることで、解決としましょう。--marufuku 2009年1月12日 (月) 03:16 (UTC)[返信]

中山みきの遺言

天理教に関わると不幸になる。中山みきは天理教を作れとも、巨大な館を造れとも言っていない。あなたのほうが天理教を知らないのではないか?あなたが引用する宗教の文献は、天理教をよく知らない人が書いている。--Sakaiya 2008年11月24日 (月) 05:59 (UTC)[返信]

異論がないようなので合意とします。--Sakaiya 2008年12月11日 (木) 23:26 (UTC)[返信]
何を主張されたいのかが明確ではないため、静観しておりましたが、上記をもって、提案とみなすのは無理でしょう。主張されるのであれば、「明確にどうしたいのか」を提案してください。--TENDERAS 2008年12月12日 (金) 00:14 (UTC)[返信]
私は貴方が過去に同様の主張をなさった特定の一人物のソックパペットではないことが一切証明出来ませんので、無視しておりました。貴方の自己主張はご自分のウエッブページをお開きになり自己責任のもと存分にお書き下さい。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年12月12日 (金) 12:29 (UTC)[返信]

既に異論がなく追加の事実があります。異論があるのでしたら、ノートで新たに章立てをしてご提案してください。また、私を荒らしと決めつける行為はおやめください。失礼です。Wikipediaの編集にふさわしくありません。ご自身でWikiを作成することをお勧めします。--Sakaiya 2008年12月13日 (土) 21:28 (UTC)[返信]

少なくとも出典は明記して下さい。過去に#沿革(その3)で議論していたことでもあるので、変更されるのであれば強い合意が必要です。過去に他の方から異論があった部分です。--TENDERAS 2008年12月13日 (土) 23:27 (UTC)[返信]
ほかのページでも同様のことが起こっています。気に入らない利用者を利用停止に追い込むことです。TENDERASはほかの項目でも、さまざまなトラブルを起こしています。これは彼のページを見れば一目瞭然です。--Shinori 2009年1月4日 (日) 03:34 (UTC)[返信]
私は管理者ではないので、投稿ブロックする権限がありません。--TENDERAS 2009年1月4日 (日) 03:49 (UTC)[返信]
提案者が無期限ブロックを受けた為、終結とします。議論再開の場合は、新節を設けて下さい。--TENDERAS 2009年1月5日 (月) 14:50 (UTC)[返信]

分類について

天理教の分類に新宗教に加え、新興宗教を加えました。天理教はいずれにも分類されます。--Sakaiya 2008年12月11日 (木) 08:00 (UTC)[返信]

#天理教の定義についてでの議論で記載しないことで一旦合意しております。載せるのであれば、提案を行ったうえで、合意を得てください。--TENDERAS 2008年12月12日 (金) 00:24 (UTC)[返信]
現在のウイキペディアでは、新興宗教という宗教分類は存在しないことになっております。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年12月12日 (金) 12:32 (UTC)[返信]

では、より一般的な新興宗教を加える提案を行います。また、新興宗教という分類は存在しないことになっているという根拠をお示しいただきますようお願いします。--Sakaiya 2008年12月13日 (土) 21:24 (UTC)[返信]

分類しないことを議論しているわけではなく、天理教の項目では触れないということで合意しているということだけです。分類に諸説があることについては、既に新宗教の項でも触れられていることであり、その議論についてをわざわざ天理教で触れる必要はないということだけです。新宗教の項目も参考にして下さい。--TENDERAS 2008年12月13日 (土) 23:30 (UTC)[返信]
天理教項目だけで分類しても意味がありません、新宗教の項目やテンプレートで、分類を増やして項目を分けるようご提案ください。だた、無意味な提案ですので却下されることでしょう。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年12月15日 (月) 08:00 (UTC)[返信]
提案者がが無期限ブロックを受けた為、終結とします。議論再開の場合は、新節を設けて下さい。--TENDERAS 2009年1月5日 (月) 14:50 (UTC)[返信]

その他の項追加

有名な話です。--Wadaran 2009年1月5日 (月) 04:05 (UTC)[返信]

加筆されるのであれば、出典を明記してください。--TENDERAS 2009年1月5日 (月) 08:14 (UTC)[返信]
この話が真実であったとしても、この天理教の項目に書くよりそちらの宗教団体の項目で書く方がよいかと思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2009年1月5日 (月) 14:36 (UTC)[返信]
提案者がEkiqlo氏のソックパペットで無期限ブロックを受けた為、一旦終結です。--marufuku 2009年1月12日 (月) 03:16 (UTC)[返信]

教勢について

戦前の信徒数(ようぼく数ではない)があまりにも少ないような気がします。最盛期の明治中期に300~500万人、その後も、台湾島人、朝鮮半島人を含めればかなりの信者数(軽く百万人以上)が存在したと聞いています。この項目に書かれている数(明治末期で10万人、戦前で30万人)の出典はどこでしょうか?もう一桁多いという実感があります。内務省の資料が見られれば確実ですが、以下のページも参考になります。

--marufuku(HikaruFukushima) 2009年1月5日 (月) 14:36 (UTC)[返信]

加筆した者です。出典は他でも用いている「日本の10大新宗教」で、46ページにあります。私も他の出典では300~500万人との記述が見ましたが、まさか直近の文献であれば間違っていないだろうと思い込んでしまい、そのまま書きました。島田裕巳氏が数値を誤って把握していたのかもしれません。300~500万人という出典が有力なようですから、そちらを記述に変更でもいいのではないかと思います。--TENDERAS 2009年1月5日 (月) 14:50 (UTC)[返信]
「気がします」では話になりません。一桁多いとするならその根拠となる文献を示すべきです。300~500万という信者数は、同じ新興宗教の創価学会と同じ規模となり、あり得ない数字です。得てして新興宗教は、信者数の水増しをしようとします。ですから、信者数の取扱は慎重に行うのがいいでしょう。特に過去の信者数は根拠のない信頼できない数字です。読者に誤解を与えます。記述したいのなら、現在の公称人数、文化庁への届出人数(しかもそれすらも根拠のない者であることを注意書きをして)などに留めておくべきでしょう。--Wadaran 2009年1月7日 (水) 23:55 (UTC)[返信]
控えめに書いていますが、かなり信憑性の高い数値です。上記記載の神道各教派の朝鮮布教という客観資料からのリンクをおたどり下さい。すると、島田氏が誤読したと思われる記録(毎年の増加数の届けをその年の総数と勘違い?)を始め、詳細な数値があります。ちなみに、金光教側で当時のライバルの天理教の信徒数を把握している数では、天理教系教団の信者は内外地含めて、第二次大戦前に金光教の十倍の800万人はいるだろうと考えられていました。(この内容の検証可能性は申し訳ないですが、不能です。)そのくらい勢力がありました。当時の日本政府では2教団足して1千万人規模と読んでいて、両教団に直接の弾圧は危険という判断がなされ、小規模の分派を主に弾圧し、脅しをかけたという事実(ほんみちや、おほもとの弾圧)があります。両教団の信者は戦後大半が創価学会等新宗教に改宗されてしまったと考えられます。--marufuku(HikaruFukushima) 2009年1月8日 (木) 10:26 (UTC)[返信]
客観的に調査された資料の呈示がなければ、記述の変更はしない方がいいでしょう。天理教では元々信者数の把握はなされていません。曖昧な記述は避けるべきです。股、記述を変更したい場合は、客観的な資料を呈示し、今までの資料より信頼性がおけることを示す必要があります。呈示されていない状況では記述の変更は見送りが適当でしょう。--Keynes 2009年1月8日 (木) 00:26 (UTC)[返信]
出典先はこちらです。れんだいこさんのホームページ。その記述によれば明治末で400万人台まで教勢が伸びたとの記述があります。あとKeynesさんが仰せの「天理教では元々信者数の把握はなされていません。」との記述については出典を明記してください。#教勢も参考に。過去にも議論がありました。文化庁への届出では「信者数」として天理教教会本部が報告しているのですが、それらには何ら注釈がありません。--TENDERAS 2009年1月8日 (木) 03:14 (UTC)[返信]
これは、文化庁が宗教法人に信者数を届ける義務が出来た前と言うことではないでしょう。信者の把握がなされていないと言うより、天理教が信者非信者の区別なく救うという教義らしいです。詳しくは信者の方お願いします。--100000yen 2009年1月10日 (土) 14:46 (UTC)[返信]
客観的資料ですが、戦前の内務省の資料は天理教本部からの自主的な届け出ではなく、特高警察を始めとする厳しい監視の下作られていますので、天理教信者と見なす基準は警察が見なした数で人単位です。また300万~500万という数字は、明治末期の新聞各紙で、大祭執行日前後の記事を参照下さい。また、団体参拝列車等の本数、乗客数からも信徒規模は割り出せます。--marufuku(HikaruFukushima) 2009年1月8日 (木) 10:26 (UTC)[返信]
資料ですが、かなりデジタル化が進んでいます。
国立公文書館デジタルアーカイブ
国立公文書館アジア歴史資料センター
で、「天理教」を検索キーワードでご検索ください。すべて公式資料です。公文書館は閲覧申し込みが必要ですが、アジア歴史資料センターのものは画像データが閲覧できます。例えば「各国ニ於ケル宗教及布教関係雑件 第五巻 2.中国 分割2」には、各教会の信徒家数が記載されています。--marufuku(HikaruFukushima) 2009年1月8日 (木) 11:54 (UTC)[返信]
ホームページを見ましたが、個人の研究でありとても信頼できる出典とは言えません。信頼できる出典が示されないなら記述の変更は見合わせるべきでしょう。
信者の実数が示されていないのは、天理教に信者という概念がないからです。全ての人を救うという教義から、信者・非信者の区別はありません。これは信者を初め天理教をご存じなかたなら知っていることです。そのため、正確な信者数はこれまで出ていません。
天理教について知らない方が編集されるのは見合わされてはどうでしょうか?信頼できないサイトの情報を元に間違った記述をしようとされています。--Keynes 2009年1月9日 (金) 23:51 (UTC)[返信]
再度の要請になりますが、「天理教に信者という概念がない」のは出典を求めます。Wikipedia:検証可能性を参照。また私が提示したサイトは個人のサイトではありますが、個人の方が出典をある程度明示した上での記述なので信頼の高いものと考えますし、HikaruFukushima氏が示したサイトは公的機関が持っているものであり、更に強固なものと考えます。またKeynes氏は吾こそは天理教の真実を知っているというような主張をされていますが、WP:NOTも参照して下さい。ウィキペディアは自分達の主張を載せる場所ではありません。--TENDERAS 2009年1月10日 (土) 00:19 (UTC)[返信]
れんだいこさんのホームページのどこにデータが掲載されているか分かりません。示してください。いずれにしても、個人の研究を載せたサイトのようなので、信頼できる出典にはなりません。やはり一次文献を示していただかないと。--Wadaran 2009年1月10日 (土) 00:23 (UTC)[返信]
[ここ]です。--TENDERAS 2009年1月10日 (土) 00:49 (UTC)[返信]
TENDERASさんのリンク先を見ましたが、これは明らかに私的な研究です。リンク先には、データのでどころも書かれていません。「400万人といわれていた」と推定で書かれています。これでは出典にはなり得ません。信頼できません。とても出典とは言えないお粗末です。400万人という数字はのせないのが適当です。独自研究は掲載しないのがWikipediaの方針です。変更が出来ない旨をご理解ください。--100000yen 2009年1月10日 (土) 09:51 (UTC)[返信]
(インデント戻す)そこのページだけを見れば出典はありませんが、全体のページ像を見て頂ければ、文献を元に加筆していることはご理解いただけると思うのですが。れんだいこさんは私見や私論については分けて記載されている方であり、独自研究では決してありません。まぁ、ただ、私もこの教勢の項は積極的に加筆したいわけではないので、ここの加筆については静観します。なお、Wadaranさんにしても100000yenさんにしてもKeynesさんにしてもかなり出典に対する要求が高いので、それぞれの方々が加筆される場合は一次文献等、明確な出典を求めたいと思いますのでよろしく御願いします。--TENDERAS 2009年1月10日 (土) 10:51 (UTC)[返信]
誰が作ったか分からないホームページの記述を持って来るだけでは信頼できる情報とは言えず、出典にすることは出来ません。TENDERASさんが呈示されているホームページも実際に見ましたがその域を出ません。実際に読みましたが、私的な独自研究にとどまっているものです。また、400万人という数字の出所がどこにも明記されていません。このことからも信頼できる出典とは言えません。私もこの情報だけで400万人と掲載すべきではないと思います。--Oyashirosama 2009年1月10日 (土) 11:43 (UTC)[返信]
100000yen氏と同意見です。信頼できない情報を元に記述すべきではありません。TENDERASさん、そのホームページ自体、私的研究の範囲内を出ていないことを理解してください。--Oyashirosama 2009年1月10日 (土) 11:48 (UTC)[返信]
marufuku(HikaruFukushima)さんは天理教信者最盛期800万人という数字を掲載されるつもりですか?日本人の1/10が天理教信者だったということになりますが?それならその後天理教をやめた人が多数出たことになります。そして最大規模の1/10の規模に縮小してしまった。ということになります。確かに内務省の資料などを見れば一発でしょうけど。--100000yen 2009年1月10日 (土) 14:16 (UTC)[返信]
客観資料からのリンクを見ました。marufuku(HikaruFukushima)さんの示されている資料は参考文献が記されており、信頼できると思います。ただしあくまでこれは2次文献なので1次文献から資料を持って来ることが出来ればいいですね。--100000yen 2009年1月10日 (土) 14:32 (UTC)[返信]
「天理教の歴史と現実」のホームページに
> なお、このホームページは教会の公式サイトではなく、原典研究者としての個人的な情報を提供することが目的です。
とあるように、私的研究として書かれているとあります。また信者数の出所が残念ながら書かれていません。従って、これだけでは信頼できる出典とはなりません。例えば、「天理教が文化庁に平成20年に報告した信者数」という具合です。
> 明治20年以後の10年~20年間に、天理300万~500万にのぼる信者数に飛躍したのは事実です。
の部分の出典が出ていればいいのですが・・・。Tendarasさん出典の情報よりは確かそうですが。どなたかご存じありませんか?--100000yen 2009年1月10日 (土) 13:38 (UTC)[返信]
「神道各教派の朝鮮布教」も具体的にどのデータを元にしているのかが書かれていない。しかし、日本官憲側のデータを元にしていると間接的に書かれている。やはり私的研究の域を出ないものであり、データの出所が不鮮明なので、信頼できる情報源とは言えない。但し、他の文献よりましなだけである。--100000yen 2009年1月10日 (土) 13:54 (UTC)[返信]
個人的な私見であるが、私も最盛期に信者数が10万人~30万人は少ないと思う。最盛期には100万人を超える信者がいたと聞いたことがあります。信頼できるデータがあれば、それに書き換えると良いでしょう。--100000yen 2009年1月10日 (土) 14:00 (UTC)[返信]
そうした数字も水増しされたものが天理教から発表されたと見るのがいいでしょう。大体新興宗教が主張する信者数の1/3~1/4が本来の信者数となります。最盛期に天理教が主張するに300-500万とすれば、実質は100-150万人程度であり、まあ妥当でしょう。Wadaranさん、新興宗教は発表する数字はこんなものです。--100000yen 2009年1月10日 (土) 14:09 (UTC)[返信]
(インデント戻す)HikaruFukushima氏にしても私にしても天理教信者最盛期800万人という記述の主張はしたことがないのですが・・・・。突然、このような数値が出てくることには違和感があります。--TENDERAS 2009年1月10日 (土) 15:15 (UTC)[返信]

marufuku(HikaruFukushima) 2009年1月8日 (木) 10:26 (UTC) さんのメッセージに800万人という数字が出てきていますが?TENDERASさんは、れんだいこさんのホームページに出典が書かれているとしていますが、どこに書かれていますか?出典を明示してください。皆さんが呈示されている出典はみな二次文献ばかりです。これでは信頼性に欠きます。--Keynes 2009年1月10日 (土) 22:00 (UTC)[返信]

800万人の件は失礼しました。HikaruFukushima氏が途中で意見を差し込んでいた為、気付きませんでした。すみません。
なお、本筋とは関係ありませんし、100000yenさんには個人的にご指摘させていただきましたが、ウィキペディアの慣習を守って頂かないと議論が錯綜してしまいます。特に本ノートでの参加者にはそのような傾向が見られる方が多いのですので、ご協力いただきますよう御願いします。
参考ですが、このようなページもあります。またこのページでは高野友治氏の文献により「明治29年に教祖10年祭が執り行われた時、参拝者が20余万を数え、その直後の別席者4.5千人、おさづけ拝戴者は4.5百人に達し、全国の信者数は300万人を超えていた」との文献があります。電子掲示板でない多くのサイトでの記述を見ると、少なくとも教勢が伸びた明治末頃には、一説には信者数は300万人程度はいたのではないかと指摘されている(本当の実数かどうかは定かではないが)という根拠は十分検証可能性は満たすものと考えます。
私はこの項に関しては積極的な加筆をしたいわけではありませんが、一次資料ばかり主張して加筆を妨げているのであれば、それにはあまり同意できません。--TENDERAS 2009年1月11日 (日) 00:14 (UTC)[返信]
Wikipediaは信頼できる情報で成り立っているものです。このノートで上げられている個人研究の類を排す必要があります。信頼に足る一時文献の情報が必要です。TENDERASさんの示す文献では信頼性に足りないことをご理解ください。詳しくはヘルプなどをお読みください。TENDERASさんがこれ以上関わらないのならそうされた方がいいと思います。--Oyashirosama 2009年1月11日 (日) 07:01 (UTC)[返信]

教勢についてですが、信頼に足る文献が示されていない状態ですので一端おしまいにしたいと思います。また、信頼できる文献がありましたが、新たに項目を立ち上げてください。よろしくお願いします。--Oyashirosama 2009年1月11日 (日) 07:01 (UTC)[返信]

800万人金光教と足して一千万人(大日本帝國臣民の一割)という数が一人歩きして申し訳ありません。これは一つは、戦前金光教が80万人と実数を把握していたときに、天理教は十倍だからもっと布教に努めなければいけないという趣旨の共励会における話で、金光教内部でそういう話が何度もなされていたということと、もう一つは、戦前の特高警察がなぜ天理教本部を弾圧せずに、見せしめに「ほんみち」や金光教の分派と見なされていた「大本」を弾圧して、両教団に脅しをかけ、戦争遂行に協力させたという研究をした研究者の意見があるとの2点から参考までに書いた内容で、検証可能性を満たしていない単なる参考意見です。上にはそういうように書いておきました。 しかし、この人数問題を提示したのは、単純に考えても明治末の最盛期の信者人数が10万人ではあまりにも少なすぎるという事です。教人の数ならあり得る数だと思いますが、実際お金を献納する信者数が、最盛期に十万人では明治末期当時の天理教本体と海外への布教資金を支える献納金が捻出出来るとは到底考えられません。朝鮮での活発な布教で内地とほぼ同数の朝鮮人信徒を獲得していた記録。そして総教会数から考えても一教会の信者数が3~4人程度では異常に少なすぎる結果になります。私見ですが、島田氏は毎年の累数を総数と勘違いした可能性、もしくは教人の数を信者の数と読み間違えたのかもしれないと推察します。--marufuku 2009年1月11日 (日) 08:22 (UTC)[返信]

各サイトや文献の「最盛期の明治中期に300~500万人」という数字は一次文献である政府の資料や、当時の新聞紙の数からの算出であることがうかがえますし、明治大正期の資料は上記デジタルアーカイブでも多数公開され参照可能です。--marufuku 2009年1月11日 (日) 08:55 (UTC)[返信]

あくまで「数字は一次文献である政府の資料や、当時の新聞紙の数からの算出であることがうかがえます」という推定であり、信頼の出来る値とはなりません。信頼できる資料が見つかりましたら、またご提案ください。--Oyashirosama 2009年1月11日 (日) 10:33 (UTC)[返信]

HikaruFukushimaさま、前章の記述が混乱していますので、一端閉じて解決済みとし、新しい項目で新たにご提案いただいて議論をお願いします。議論の整理にご協力ください。議論はそのまま続けてくださってかまいません。--Wadaran 2009年1月11日 (日) 10:39 (UTC)[返信]

推定とは書いていません、その過去に出版された書籍の数値「最盛期の明治中期に300~500万人」が、図書館で読め、インターネットでも参照可能な毎年の大祭前後の朝日新聞、毎日新聞等の過去新聞の記事(一次資料で検証可能性を満たす資料です)からも確かに正しく、島田氏の本の数値「10万人」が何らかの間違いであるということを書いているのです。Oyashirosamaさんは年度ごとに確実な下一桁まで絶対正確な数字が必要だとおしゃられるのなら、一次資料は存在する可能性はゼロですから、私と議論が一切かみ合いません。--marufuku 2009年1月11日 (日) 11:05 (UTC)[返信]
参考ですが、創価学会#教勢では、必ずしも一次資料に拘った出典に基づく記載はしておりませんし、数字の信憑性までが問われておりません。当時は、それぞれの宗教法人がどの程度の規模であったかどうかまでは政府として把握はしておらず、「だいたいこの程度」の数値を推計していただけでと思われます。島田氏がどの資料をみて判断したのかは分かりませんが、島田氏も「だいたいこの程度」の数値の中の一部分を抜き出したのでしょう。HikaruFukushima氏の出典はある程度はっきりとしているのに、一次資料で無いから記載できないというのは理解できません。--TENDERAS 2009年1月11日 (日) 11:17 (UTC)[返信]
marufukuさま、数字が下一桁まで合うものを示せとは一度も書いておりません。しかし、私的研究の域を出ない類の文献やサイトを持ってきてはいけません。独自研究は載せない・中立的な観点・検証可能性といったWikipediaの編集方針に従うべきです。しかしあなたが考えておられるように最盛期に天理教信者10万人というのはおかしいことには理解できなくはないです。それならば、当時に天理教が発表した数字などを信頼に足るデータを持ってくる必要があります。もしそういうものが示せるようになったらまたご提案いただければと思います。また過去の新聞の数字を使うのであれば、それを参考文献として明示頂きますようお願いします。新聞でしたら、独自研究ではありませんし、検証可能性を満たします。--Oyashirosama 2009年1月11日 (日) 23:29 (UTC)[返信]

利用者:100000yen会話 / 投稿記録 / 記録氏、利用者:Oyashirosama会話 / 投稿記録 / 記録氏、利用者:Wadaran会話 / 投稿記録 / 記録氏、利用者:Keynes会話 / 投稿記録 / 記録氏は、利用者:Ekiqlo会話 / 投稿記録 / 記録氏の自作自演のソックパペットであることが判明しました。この方は自己の意見主張であるため中立ではありません。上記の議論は完全に無意味なものでしたので、後で読まれる方は無視して下さい。--marufuku 2009年1月12日 (月) 02:49 (UTC)[返信]

(議論再開)無期限ブロック者の主張はともかくとして、記述を具体的に次のように変えたいと思いますがどうでしょうか?
「天理教の信者数は明治末から大正・昭和初期にかけて大きく増加している。一説によれば信者数は明治末期には300万人以上にのぼったといわれている。特に教祖30年祭及び40年祭が執行された大正~昭和初期頃にかけて行われた「教勢倍加運動」によって信者を獲得しており、時を同じくして分派団体が多く発生している(分派については後述)。」
修正箇所などがあれば、ご指摘ください。--TENDERAS 2009年1月12日 (月) 05:20 (UTC)[返信]
当時の日本人であった朝鮮での信徒数の増加も何らかの形で付け加えるべきかと思います。当時の信者数にはカウントされていましたし、現在の韓国でも天理教が存在しますが、戦前に信者になり戦後日本人が引き上げ、日本のものがすべて排斥されても、信仰を守り続けた韓国人が何人もいたからです。というわけで、その内容も追加してみたいと思います。
「天理教の信者数は明治末から大正・昭和初期にかけて大きく増加している。一説によれば信者数は明治末期には300万人以上にのぼったといわれている。特に教祖30年祭及び40年祭が執行された大正~昭和初期頃にかけて行われた「教勢倍加運動」によって信者を獲得しており、時を同じくして分派団体が多く発生している(分派については後述)。また、当時の日本であった朝鮮半島や台湾においても布教が進み、現地人の信者が増加した(現在の海外布教については後述)。」
以上の署名の無いコメントは、HikaruFukushima(会話履歴)さんによるものです。
自分で書いておきながら検証不能と取られかねない記述のため一部修正。HikaruFukushima氏提案の朝鮮半島への布教活動への言及も賛同します。--TENDERAS 2009年1月12日 (月) 13:44 (UTC)[返信]
当時の教勢には含まれていても、現在の海外布教についての記述ではないため、注釈を入れました。--marufuku 2009年1月12日 (月) 14:30 (UTC)[返信]
ブロック者以外は明確な反対意見がなかったので加筆しました。再議論する場合は新節を設けて下さい。--TENDERAS 2009年1月14日 (水) 13:07 (UTC)[返信]

黒いハッピ

信者はよく黒いハッピを着ている(天理教信者が常にハッピを身につけているわけではない)。背中には「天理教」と書かれている。天理教信者はよく集団で拍子木などの鳴り物を鳴らしながら、駅前などで歌を歌っている。

黒い法被を身にまとうことについては異論はありませんが、「よく」という意味が分かりません。ストリートミュージシャンのように存在そのものが不明瞭な場合の記述であれば問題ないですが、天理教というある程度存在がはっきりしている者たちの外での活動状況については、出典等を明記していただいた上での記述を御願いしたい。こういう曖昧な記述は避けるべきだと思います。--TENDERAS 2009年1月11日 (日) 23:25 (UTC)[返信]

TENDERASさまがどういった出典を求めておられるのか具体的に示してください。天理市内に行けばよく黒いハッピを見かけます。上に示されている説明は天理教を知らない人にとって分かりやすい説明だと思います。何度かリバートされているようですが、一人ごねておられるように思われます。--Oyashirosama 2009年1月11日 (日) 23:34 (UTC)[返信]
大前提として言うが黒いハッピをしていることには異論がないし、それは記述では削ってはいない。問題は後段の記述で、それが駅前でしているとか集団で歌を歌っているとかの記述が問題。そのような概況を記した天理教の公式本でもよいから出典を明記してほしい。上記の議論では出典をアレコレ言うのに、自分達の記述には出典がないというのは理解できかねる。それに駅前と言ったら、どこの駅前のことをさしているのか?全国あちらこちらなのか?曖昧な記述は避けるべき。--TENDERAS 2009年1月11日 (日) 23:41 (UTC)[返信]
特に奈良県ではよく見かける光景です。特に天理市内。駅前に限らす人の集まるところで見かけます。見たままの記述ですので、客観的事実ですし、見たままですので天理市に行けば検証は可能です。--Wadaran 2009年1月11日 (日) 23:47 (UTC)[返信]
出典を明示して下さい。ご本人の見たままの感想を聞いているのではありません。「よく」という記述はご本人の主観が混じっております。--TENDERAS 2009年1月11日 (日) 23:49 (UTC)[返信]
TENDERASさんは、教勢での議論を根に持ってごねておられますが、それとこれとは切り離して考えてください。「礼儀を忘れずに」「発言を善意に取るようにしましょう」「個人攻撃をしない」を遵守していただきますようお願いします。見たままの光景は中立で検証可能なものです。それが出来ない場合、信頼できる出典を出してそれを補っているのです。記事の編集方針をご理解いただきますようお願いします。--Wadaran 2009年1月11日 (日) 23:54 (UTC)[返信]
(インデント戻す)見たままの光景は検証可能性を満たしません。他でも議論になったことがありますが、見たままの感想とかはウィキペディアでは必要ありませんし、「よく」とか「多い」とか表現は避けるべきです。見たままの記述はWikipedia:検証可能性には全く満たさないのでご注意願います。--TENDERAS 2009年1月12日 (月) 00:00 (UTC)[返信]
提案者がEkiqlo氏のソックパペットで無期限ブロックを受けました。私もTENDERASさんと同意見です。天理教外でも、何かの祭りや村おこしイベントでも「天理教」とは書いてはいませんがいろいろな色の法被を着ます、黒色も有ります。--marufuku 2009年1月12日 (月) 03:16 (UTC)[返信]

全く参考にならない話なんですが、まあ一応ハッピは良く着てますね。特に天理市内は教校学園(天理高校は違います)生徒、天理看護学院、医技校、専修科、修養科、本部勤務者などなどで外出時は基本的にハッピを着用して外出しなければならない、という事になっているので、つまりそれに属する人々に限っては一年中相当の割合で着ています。それ以外でも、月次祭や神殿参拝時などの時もやはりハッピを着用しての参拝が多いので、主観的な判断で見れば良く着ている、という事になるでしょうか。歌の方に関しては、多分修養科生や専修科生のにをいがけ実習の事でしょうか?これも一応見る事は割と見ます。天理市外の場合は、毎年の全教一斉にをいがけデーで、各教区下の元、みかぐらうたを唱和する等して練り歩く等の事もままあります。

で、つまり何が言いたいかというと、その部分((天理市内外での)信者のハッピ着用率及びにをいがけ実施率)を客観的に記した書籍という物を私はついぞお目に掛かった事が無いので、少なくともwikipediaに於いてはこの証明のしようが無い項目は(証明が出来る物が登場するまでは)載せる必要は無いかなあ、と。やはり記事の充実度よりかは信憑性の方が優先されるべき事象ですし…。Folken2009年1月13日 (火) 01:53 (UTC)[返信]

私はハッピそのものの記述を否定しているわけではないことを申し添えます。例えば写真写真2を見ても分かるように、黒いハッピは実際に存在しますし、存在すること自体の記述は検証可能であると思います。ただ、「天理教信者はよく~」という後段の記述を問題視しているだけです。もしこの記述を生かすとすれば、
天理教では黒いハッピを着用することを奨励している。背中には「天理教」「TENRIKYO」等と白字で書かれており、表には所属する団体名等が記載されている。
こんな程度で記載してはどうでしょうか?--TENDERAS 2009年1月13日 (火) 02:16 (UTC)[返信]
「奨励」…うーん^^;、個々の大教会、教区支部単位ではちょっと分からないんですが、本部自身はハッピの着用を奨励はしている、のかなあ…?ハッピはそもそもおつとめ着や教服の簡易版という扱いなので、着用の義務付けはあくまで「おつとめを行う場合」と「にをいがけを行う場合」くらいの筈なんですよね。この2つを行う場合はほぼ100%確実に着ます。上述の外出時の着用義務は要するに単なる教人としての証明や身元証明の様な意味合いなので、本部自身がその部分でも奨励しているかはやっぱり聞いた事が無いですね…。
どうしても記載するのであれば、奨励というか「親神や教祖に対して日々信仰に勤しんでいる証明として、ハッピを着用する場合がある。背中には「天理教」「TENRIKYO」等と白字で書かれており、襟表にはそれぞれの所属教会や上級の教会、所属団体名などが記載されている。」みたいな感じでしょうか。回りくどい表現ですみません。Folken. 2009年1月13日 (火) 03:46 (UTC)[返信]
こんな形はどうでしょう、Folkenさんの文章を元にして、少し中立化した書き方に前半を直しました
「天理教の教信徒は、その信心実践の証明としておつとめ着や教服の略装扱いであるハッピを平服の上から着用する場合がある。背中には「天理教」「TENRIKYO」等と白字で書かれており、襟表にはそれぞれの所属教会や上級の教会、所属団体名などが記載されている。」
。天理教でも、天理教で冠婚葬祭する教人(教徒)と信徒の区別はありましたよね。教外者からの提案ですので用語が間違っておればご容赦下さい。天理教の教服も項目を作りましょう。--marufuku 2009年1月13日 (火) 12:05 (UTC)[返信]
自分で書いておきながら「奨励」という言葉には違和感を感じておりました・・・。HikaruFukushima氏の記述の方がより客観的かと思いますが、所属教会や上級の教会なんて言い方は百科辞典的ではないですし、使うにしては説明が必要かと思います。あと教信徒も単に「信者」でいいのではないでしょうか?
天理教の信者は、その信心実践の証明としておつとめ着や教服の略装扱いであるハッピを平服の上から着用する。ハッピは黒でできており、その背には「天理教」「TENRIKYO」等が、襟表には所属団体名などが白字で記載されている。
どうでしょうか?まぁ制服みたいなものなんですけど、制服と言い方もぴんとこないし・・・。--TENDERAS 2009年1月13日 (火) 14:35 (UTC)[返信]
天理教のハッピが一般的に何に当たるか?とかは別に無理して定義付ける必要も無いと思いますので、そんな感じで良いかと。まあ聞かれても「ひのきしん服」とかしか言いようが無いんですが…^^;。それとももう少しだけ弄って、
天理教の信者は、その信心実践の証明としてハッピを平服の上から着用する。主に黒でできており、その背には「天理教」「TENRIKYO」等が、襟表には所属団体名などが白字で記載されている。元々はおつとめ着や教服の略装であったが、現在はひのきしんやにをいがけ等、教団行事の際の着用服という意味合いもある。
くらいですかね?最終的にはお二人にお任せ致します。--Folken. 2009年1月13日 (火) 22:48 (UTC)[返信]
Folkenさんの記述がより適当ですね。それでOKかと思います。--TENDERAS 2009年1月14日 (水) 03:44 (UTC)[返信]
私も賛同します。--marufuku 2009年1月14日 (水) 09:26 (UTC)[返信]
お二人とも宜しいとの事なので、加えさせて頂きました。--Folken. 2009年1月14日 (水) 10:48 (UTC)[返信]
再議論する場合は新節を設けて下さい。--TENDERAS 2009年1月14日 (水) 13:07 (UTC)[返信]

概要の追加

概要の章に以下の文章を追加。

過去に創価学会から攻撃されたため、反創価学会新興宗教勢力の一つである。--1000nori9 2009年2月8日 (日) 06:36 (UTC)[返信]
提案者が無期限ブロックを受けたため、解決済みとします。再議論する場合は、新節を設けてください。--TENDERAS 2009年2月8日 (日) 08:33 (UTC)[返信]

おつとめの項目について

(修正前の文)天理教教会本部と教会で毎日朝夕(朝づとめ・夕づとめ)に行われる儀式。歌を歌い、太鼓を叩き、鳴り物を鳴らす。おつとめの開始時刻は季節・教会によって多少異なるが、天理教教会本部ではおおむね日の出・日の入りとほぼ同じ時間帯に行われ時刻は半月毎に変わる。各教会では早朝から鳴り物を鳴らすと近隣住民に迷惑をかけるため日の出より遅い時間に行われることが多い。

Call Tenderasさま、削除理由についての理由説明ありがとうございます。今後もリバートや削除の際は明確な理由説明をよろしくお願いします。こうすることで編集する人も理解がしやすい、納得がしやすいと思います。無用なリバート合戦を防ぐことが出来ます。

通常おつとめでは太鼓を叩きますが、「太鼓を叩かない教会もある」とのご指摘がありましたので、「太鼓を叩き(叩かない教会もある)」と修正させていただきます。それはおそらく近隣住民の安眠妨害をしないためなのでしょう。

朝づとめの時間についての統計はありません。しかし、ここで言いたいのは、近隣住民に配慮して本来のおつとめの時間である日の出には行われていないということです。「多い」という表現は適切でないかもしれませんので、「遅い時間に行う教会がある」という表現に変更します。」--かみぱに 2009年12月1日 (火) 23:08 (UTC)[返信]

Call Tenderasさま、このままではリバート合戦になってしまいますから、ノートで議論を行いましょう。また、議論の間の編集は避けていただきますようご協力お願いします。
うわさや伝聞ではありません。実際に教会で実践されていることです。何故あなたがここまで執拗にリバートにこだわるのか理解できません。--かみぱに 2009年12月2日 (水) 19:27 (UTC)[返信]
出典を示してもらえますか。宜しくお願いします。見たまま聞いたままの伝聞は必要ないと思います。--TENDERAS 2009年12月2日 (水) 23:50 (UTC)[返信]
出典が示されていない記述は他にもたくさんがありますが、あなたのいうとおりならそれを全て削除する必要があります。しかし、他の項目を見ますと、Wikipediaでは実際にはそこまで求められていないようです。あまりにもこだわりすぎではないでしょうか?--かみぱに 2009年12月3日 (木) 10:23 (UTC)[返信]
本記事は過去に何度も論争のあった荒れやすいページとなっています。それ故、見たまま、感じたままの記述は除去される可能性が高いですのでよろしくお願いします。--TENDERAS 2009年12月3日 (木) 15:09 (UTC)[返信]
荒れやすいページとなれば、明確にリファレンスがない記述を追加できないというルールはないと思いますが如何でしょうか?該当するルールのページをお示しください。合意されたローカルルールもないようですし。つまり、あなたの主張が正しいとなると現在は、リファレンスが示されていない追加記事は全て削除されるということになります。それがただしいというのでしたら、こちらもそういう編集を見かけましたら、削除していきたいと思います。ご回答お願いします。正しいとの回答があれば、天理教の記事を精査し、早速他にそういう記述がないかチェックさせていただきます。
また、やはり他の投稿者がやる気をなくすような無意味なリバート、削除は控えられた方がいいと思います。--かみぱに 2009年12月3日 (木) 19:21 (UTC)[返信]
また、根拠もなく、都合が悪い投稿者に投稿制限をかけたり、推定でソックパペットや荒らしと決めつけて投稿禁止にしたりする管理者がいます。あなたがそうだとは言いませんが、そういうやり方をする悪質な管理者もいるので予め書いておきます。そのようなことは是非やめてください。投稿者、管理者は対等の立場です。紳士的に議論しましょう。--かみぱに 2009年12月3日 (木) 21:00 (UTC)[返信]
当方も、ノートでの議論が尽くされるまで、天理教のページの編集を控えますから、TENDERASさんも議論が終わるまで安易なリバートを控えてください。--かみぱに 2009年12月3日 (木) 21:31 (UTC)[返信]
本記事は過去に何度も論争のあった荒れやすいページになっているからといって、安易にリバートしていいということにはなりません。勘違いしないようにお願いします。管理者としての自覚を持ってください。--かみぱに 2009年12月4日 (金) 20:29 (UTC)[返信]
記事に保護をかけました。かみぱにさんもTENDERASさんも、話し合いに集中してください。
出典を求められているのならば、それに応じてください。他の記事に出典が無いとしても、それは根拠の無い記述を許す免罪符にはなり得ません。信頼できる記事を作るためには、根拠となる資料は必要なものです。我々の目的はより良い百科事典を作ることなのです。記事をより良くする努力を忘れないでください。--Bellcricket 2009年12月4日 (金) 03:48 (UTC)[返信]
話し合いについては、当方から応じるように、TENDERASさんに提案しました。無用なリバート合戦はしたくありません。ここで議論しましょう。--かみぱに 2009年12月4日 (金) 20:16 (UTC)[返信]
信頼性の高い、よりよい百科事典を作るという目的については了解しました。私もその考え方と同じです。ところで「出典がない記事を書いた場合、第三者から出典の提示を求められたときは、それを呈示しなければならない。出典がない場合は削除しなければならない。また第三者に削除やリバートされても仕方がない。」ということでしょうか。このようなルールは定められていませんが、もし定められているのならご呈示お願いします(私が忘れている可能性がありますので)。また、過去の記事で出典のないものに関しても同じ取扱をするということでよろしいですか?根拠のないものは、記事を精査して削除修正をします。--かみぱに 2009年12月6日 (日) 00:58 (UTC)[返信]
法被について、詳しく理由を述べます。#黒いハッピも参照して頂きたいのですが、一応議論になっていた部分であるので、参照していただきたいと思います。
かみぱにさんが記述を追加された「天理教信者が法被を着用し、足袋(現在は「タビックス」とよばれるものをはく。)をはくように定めたのは、天理教を作った人の一人に大工である。大工の格好を模したのである。」ですが、まず一般的な理解として、通常は足袋は履かないと思いますが。普段の服装の上に法被を着ているという感じであって、足袋はセットではないと思いますが、誤解を招くと思います。またここで言う大工はおそらく飯降伊蔵のことを指していると思うのですが、いずれにせよ起源に関しては出典等が必要ではないでしょうか?以前論争になったときに、法被の起源について調べたことがあるのですが、はっきりとしたことがわかりませんでした。--TENDERAS 2009年12月5日 (土) 01:41 (UTC)[返信]
大工の格好を宗教風にアレンジしたからです。大工がはいているものそのままでは神道らしくありませんから、足袋になりました。但し私も、文献の形で示されたものを持っていません。あなた風に書けば「見たまま」の内容です。「神道風にアレンジした」という記述を付け加えれば、誤解はなくなります。いかがでしょうか?--かみぱに 2009年12月6日 (日) 01:06 (UTC)[返信]
「神動風にアレンジした」にしても「大工の格好を模した」も結局のところ出典がないことには変わりないので、記載するには適当ではないと考えます。また、記事内容で出典が無い部分があるとするのであれば、削除議論しても構いませんが、上記の議論で議論のうえ、記述している記述も多数ありますので、それらの内容を踏まえた上で提案をお願いします。--TENDERAS 2009年12月6日 (日) 02:54 (UTC)[返信]
出典がなければ、ページに記載してはいけないというルールはどこにあるのですか?実際のところ、Wikipediaのほとんどの記事が出典のないのに記載されています。出典が書かれていないのに、指摘していないものもあるのに、なぜ私の追記だけが指摘されるのですか?両者の違いを明確にしていただきますようお願いします。また、具体的に、上記の議論とは何をさしておられるのか示してください?--かみぱに 2009年12月6日 (日) 08:49 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性では「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。」となっています。また「なぜ私の追記だけが指摘されるのですか?」との指摘ですが、別にかみぱにさんに限らず、不明瞭な記述で出典のない記述を除去することは初めてのことではありません。あと、上記の議論とは本ノートページ全部を指します。いずれにせよ、天理教と直接関係のない議論は本ノートではやめておきましょう。--TENDERAS 2009年12月7日 (月) 00:22 (UTC)[返信]
ハッピについては議論をされたようですね。TENDERASさんは何か特別なこだわりがあるような印象を受けました。黒い法被といえば、奈良の天理では有名な光景です。ここで、議論で解決済みとなっていた場合、どういった拘束力が生じるのでしょうか?ノートで合意が出来た記述は以後、ノートで再合意を経なければ、記述を変更できないというルールは存在しません。天理教の項目におけるローカルルールも存在しません。何処までそれを尊重するかは各寄稿者の判断にゆだねられることになります。結局、寄稿に対して異議が出た場合は、以後リバート・削除の中止、ノートにおいての議論ということになるのでしょうか?今回のケースと同じように。
wikipediaにおいては記事の充実度よりかは信憑性の方が優先されるべきとの記載がありましたが、これではよりよい百科事典をつくるという大前提が崩れます。形式主義的、杓子定規になりすぎて、一番大切な目的を忘れているように思います。--かみぱに 2009年12月7日 (月) 06:42 (UTC)[返信]
あなたに問いたいのはそういうことではありません。信頼できる情報源を元に書かれていない寄稿が他にもあるにもかかわらず、何故私の寄稿だけを対象にして削除やリバートを行うのかということです。論点をずらすのは止めていただきたいです。違いは何かが、客観的に分からないと思います。どうかその理由を寄稿者に納得できるように具体的にお答え下さい。
記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきですとあるものの、天理教を含めたほとんどのページはそうはなっていません。本当にそうするなら、学術論文のようながちがちに参考文献をあげたようなものになる必要があります。しかし、そこまで必要でしょうか?。TENDERASさんの主張には一貫性が見られません。
無意味なリバートや削除は、寄稿者の寄稿意欲を著しく奪います。ルールに反しているとき以外は、どうか控えていただきますようお願いします。--かみぱに 2009年12月7日 (月) 06:57 (UTC)[返信]
結局ルールだルールだと繰り返されますが、出典はないものとして理解してよろしいのでしょうか?私は出典のあるものをリバートや削除するつもりはありません。
また、私は無意味なリバートや削除をしたつもりはありませんし、過度のリバートや削除はいざしらず、その行為自体を控えるつもりもありません。またそれで寄稿者が寄稿意欲を失ったとしても、よりよい信頼できる記事を作るためには、場合によっては必要なものと理解しております。--TENDERAS 2009年12月7日 (月) 10:44 (UTC)[返信]
論点をずらすのはおやめください。私があなたに問いたいのは、他にも出典のない寄稿があるのに、なぜそれは削除やリバートをせずに、今回の私の記事だけを削除するのかということです。同じ出典のない寄稿なのになぜ取扱が異なってくるのですか?平等に扱うべきです。これではあなたの自分の尺度だけで削除やリバートをしているようなものです。WikipediaはあなたのWikiではありません。あなたの価値観で決めないでください。ルールに則って、それから逸脱する寄稿だけを削除・リバートしてください。それ以外の削除・リバートは慎むべきです。明確なルール違反がないにもかかわらず削除やリバートをくり返すことは、「過度」といわれても仕方がありません。今後慎んでいただきますようお願いします。あなたのようなむやみやたらに削除する人がいるから、寄稿者が意欲を失うのです。--かみぱに 2009年12月7日 (月) 15:23 (UTC)[返信]
本記事を保護されたBellcricketさんも「保護された他の記事に出典が無いとしても、それは根拠の無い記述を許す免罪符にはなり得ません。」と仰っています。何度も言いますが問題となった「天理教信者が法被を着用し、足袋(現在は「タビックス」とよばれるものをはく。)をはくように定めたのは、天理教を作った人の一人に大工である。大工の格好を模したのである。」については出典が無い上に、何が問題なのかを既に提示していますので、それ以上申し添えるつもりはありません。私の論点としては、出典があるのか無いのかです。私は法被の起源のようなものについては、噂や伝聞ではなく、出典のある記述を求めています。
なお、私個人に問題があるとするのであれば、本ノートで議論せずに、コメント依頼に出す方法もありますので、ご検討ください。--TENDERAS 2009年12月7日 (月) 23:49 (UTC)[返信]
話をはぐらかさないでください。私があなたに問いたいのは、他にも出典のない寄稿があるのに、なぜそれは削除やリバートをせずに、今回の私の記事だけを削除するのかということです。何故この質問に答えず、話をはぐらかすのですか?答えなければ相手(私を含む)に納得してもらえませんよ。明確な回答が頂けないのなら、自分がその寄稿を気に入らないから削除やリバートを行った'といわれても仕方がありません。このようなことは、Wikipediaの中で頻発しており問題となっています。問題となる行為は慎んでいただきますようお願いいたします。あなたの価値観でリバートや削除を行ってはいけません。あくまでルールに則って行っていただきますよう重ねてお願いいたします。このWikipediaはあなたが所有者ではありません。このことを自覚してください。
本記事を保護されたBellcricketさんも「保護された他の記事に出典が無いとしても、それは根拠の無い記述を許す免罪符にはなり得ません。」と仰っています。とありますが、何故、他の寄稿は免税符となりうるのですか?おかしいです。Bellcricketさんの意見が正しいとするなら、他の出典のない投稿も取り除かなければならないことになります。寄稿によって差別してはいけません。削除される寄稿とされない寄稿を区別する理由になっていません。出典のない寄稿において削除される寄稿とされない寄稿が区別する基準を、Wikipediaのルールから示していただきますようお願いします。あなたの基準でむやみやたらに削除やリバートの連発はおやめ下さいますようお願いします。客観的で、相手が納得できる明確な理由をお答え下さい。また、話をはぐらかすようなことをおやめいただきますよう重ねてお願いします。
とにかくルールに則って、削除やリバートを行っていただきますようお願いします。今のあなたは、自分勝手でWikipediaに寄稿編集するにはふさわしくありません。あなたの価値観が相手にも通用するわけではないことを理解してください。--かみぱに 2009年12月8日 (火) 21:12 (UTC)[返信]
かみぱにさんが無期限ブロックを受けましたので、本節の議論は終了したいと思います。再度議論される場合は、新節を設けましょう。--TENDERAS 2009年12月8日 (火) 23:41 (UTC)[返信]

CU権限の乱用

かみぱにがEkiqloのソックパペットとBellcricketは判断したようだが、根拠がないんじゃないか?CheckUser権限の濫用では?--以上の署名のないコメントは、Brownyonga会話投稿記録)さんが {{{2}}} に投稿したものです。

CUを使ってまで確認したのかどうかは定かではありませんが、編集傾向からも断定できると思います。いずれにせよ、天理教の議論とは関係ないので、やるのなら別の場所で。--TENDERAS 2009年12月9日 (水) 03:42 (UTC)[返信]
Bellcricketはかにぱに氏がEkiqloのソックパペットであるという根拠を示さないまま、編集傾向だけで推定したに過ぎません。TENDERASさんも認識が間違っていますので注意してください。ソックパペットであると断定できたときだけ権限を使うようにお願いします。BellcricketはCU権限の乱用していると断定できます。当然Bellcricketは管理者としてふさわしくありません。これは別途然るべきところで問題にさせていただきます。最近、誤認によって、善意の編集者が投稿禁止に会うケースが増えています。この為に、名前空間の大量発生の原因となっています。投稿禁止にする際は非常に慎重にやっていただきたいものです。--世界央 2009年12月28日 (月) 03:10 (UTC)[返信]
この場所は、管理者の権限行使が適切であったかどうかをを議論する場所ではありません。議論するのなら他所でやって頂きたいと思います。--TENDERAS 2009年12月29日 (火) 11:16 (UTC)[返信]

修養科

(追加項目のていあん) 男子班と女子班に分かれる。--世界央 2009年12月28日 (月) 04:32 (UTC)[返信]

提案者がブロックされたので、本議論は終了とします。--TENDERAS 2009年12月29日 (火) 11:17 (UTC)[返信]

記事の構成

構成が非常にわかりにくい。記述も非中立的。典拠が参考文献の羅列に過ぎず脚注の形で示していない。概要のところが箇条書きで説明の体をなしていません。ノートページの議論が枝葉末節にかかずらうだけで非建設的。ルール形成以前の問題です。宗教関連で最低の記事のひとつですから全面的に改稿すべきです。ブリキ

記事の分割について

次の記事の分割を提案します。

ほかにもおさづけについても分割の方向がいいと思います。理由はこどもおぢばがえりやおつとめは重要な行事だからです。ご意見よろしくお願いします。220.24.121.19 2011年2月11日 (金) 02:41 (UTC)[返信]

220.24.121.19 により、日付の改竄が行われたため、差し戻しを行いまいた。なお、該当IPについてはブロックを行っております。KMT 2011年2月12日 (土) 06:35 (UTC)[返信]

  • 提案者がブロックされたため、一旦ブロック分割提案を取り消したこととしておきます。再提案が必要であれば、再提案をお願いします。--TENDERAS 2011年2月12日 (土) 07:46 (UTC)--TENDERAS 2011年2月12日 (土) 09:12 (UTC)[返信]

記事の分割-2

改めて記事の分割を再提案します。

  • おつとめ
  • こどもおぢばがえり
  • おさずけ

上の三つは天理教の主要行事であるため分割提案をします。220.24.121.19--

記事分割について

なんども提案していたんですが、ブロックされていましたので再提案させていただきます。

  • おつとめ
  • こどもおぢばがえり

二つのうちおつとめは天理教でもっとも重要な儀式といっても過言ではないと思います。 天理教の基礎は神名を唱えることにある。と教祖は言っています。--Kitan232 2011年12月26日 (月) 10:02 (UTC)[返信]

  • コメント 重要な項目であることは認めますが、いずれの項目も現行の記事を加筆されてから分割提案された方がよいのではないでしょうか?現行では分割するほどの記事量がありません。またおつとめに関しては、ノート:おつとめでも述べましたが、特段、おつとめのページで天理教のことを特筆する必要制を感じないことから、天理教の項で述べた方がよいのではないかと思います。--TENDERAS 2011年12月26日 (月) 22:52 (UTC)[返信]
  • 反対 「つとめ」が天理教祭儀の中心をなす重要な行為であることは否定しません。ただ、まずは、誰が読んでもわかりやすい百科事典的な記述をこの記事の中ですべきと考えます。分割は、ある程度のまとまりが出てから考えても遅くはないでしょう。--Doracha 2011年12月30日 (金) 00:25 (UTC)[返信]
  • コメント 賛同者がおらず、1週間を経過しました。なお、提案者はブロックされています。--TENDERAS 2012年1月4日 (水) 01:06 (UTC)[返信]