最高裁判所 (日本)
最高裁判所 | |
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最高裁判所庁舎 | |
長官 | 寺田逸郎 |
組織 | |
管轄区域 | 日本 |
担当検察庁 | 最高検察庁 |
下位裁判所 |
札幌高等裁判所 仙台高等裁判所(本庁、秋田支部) 東京高等裁判所(本庁、知的財産高等裁判所[1]) 名古屋高等裁判所(本庁、金沢支部) 大阪高等裁判所 広島高等裁判所(本庁、岡山支部、松江支部) 高松高等裁判所 福岡高等裁判所(本庁、宮崎支部、那覇支部) |
概要 | |
所在地 |
〒102-8651 東京都千代田区隼町4番2号 北緯35度40分48秒 東経139度44分38秒 / 北緯35.68000度 東経139.74389度座標: 北緯35度40分48秒 東経139度44分38秒 / 北緯35.68000度 東経139.74389度 |
法人番号 | 3000013000001 |
定員 | 15人 |
設置 | 1947年(昭和22年)5月3日 |
前身 | 大審院 |
最高裁判所 |
最高裁判所(さいこうさいばんしょ、Supreme Court of Japan)は、東京都千代田区隼町4番2号にある、日本における司法府の最高機関。日本国憲法で存在が規定され、裁判所法に基づき構成される。略称は、最高裁(さいこうさい)。
概要
最高裁判所は、1947年(昭和22年)4月16日に成立した裁判所法に基づき、同年5月3日の日本国憲法施行と同時に設置された、日本の司法機関における最高機関である[2]。
最高裁判所裁判官は、長官1名と判事14名の15名で構成される。
最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について最高裁判所規則を制定する権限(憲法77条1項)、また、下級裁判所裁判官任命における指名権(憲法80条1項)、司法行政監督権を持つ(裁判所法80条1号)。
日本の裁判所における司法行政は法律上、簡易裁判所以外の裁判所の裁判官会議に基づき行われるものとされているが、下級裁判所は最高裁判所の下に置かれている。
また最高裁判所は、日本国内の裁判事件の、上告及び訴訟法が定めている抗告について、最終的な判断を下す権限を持つ。そのうえで、違憲審査制における法令審査権を持ち、法令審査に関する終審裁判所となる(憲法81条)。このため、最高裁判所は「憲法の番人」と称されることもある。
最高裁判所の最も重要な機能は、上告事件について法令の解釈を統一すること、および、憲法違反の疑いのある法令などについて最終的な憲法判断を下す(違憲審査制)こと(憲法81条参照)にある。
ただし、日本では憲法訴訟を可能とするための違憲裁判手続法は未だ確立しておらず、憲法裁判所も存在しない。
沿革
- 1869年(明治2年)- 5月22日、明治新政府が新設した太政官制に基づき、それまでの刑法官監察司に代わる監察機関として弾正台が設置。江戸時代までの法廷はお白洲であったことから、当時の裁判所は、裁判官と検察官が同じ庁舎に勤務しており、判検一体の状態であった。
- 1871年(明治4年) - 刑部省と弾正台が統合され司法省が設置(初代司法卿は江藤新平)。8月23日、東京府庁内に司法二等裁判所が設置され、裁判権が東京府から司法省へ引き渡された。12月26日には太政官布告第677号「東京裁判所を置く」が公布。[3][4]
- 1872年(明治5年) - 司法省が関東地方から近畿地方にかけて18の裁判所を設置。同年から1876年にかけて、東北地方から九州地方までの範囲に裁判所が設置された。
- 1875年(明治8年) - 判事と検事が分離され、裁判所には判事のみが所属するものとされた。終審の司法裁判所として、大審院が設立された。
- 1880年(明治13年) - 近代的な治罪法(刑事訴訟法)が施行。
- 1884年(明治17年) - 判事登用規則が設置され司法試験の前身となる試験制度が発足。
- 1890年(明治23年) - 2月10日、大日本帝国憲法より先に裁判所構成法が公布(11月1日施行)。大審院以下、控訴院・地方裁判所・区裁判所が、また併せて行政裁判所や軍法会議、皇室裁判所が設置。判事、検事及び裁判所書記は公開法廷での制服の着用が規定された。治罪法が廃止され刑事訴訟法が施行。旧民法が公布されるもお雇い外国人らによる民法典論争が発生。
- 1894年(明治27年) - 法曹三者の任意団体である法曹会が結成され、法令規定の解釈論集として法曹会決議などの発表を開始。[5]
- 1896年(明治29年) - 民法典論争が終わり、旧民法が施行されないまま廃止され現行の民法が施行。大審院庁舎が完成。
- 1909年(明治42年) - 大韓帝国に統監府裁判所(後の朝鮮総督府裁判所)を設置。
- 1921年(大正10年) - 司法省が外国法の研究論文シリーズ「司法資料」の刊行を開始。
- 1923年(大正12年) - 陪審法により、刑事事件について陪審員が評議を行う陪審制が定められた。
- 1945年(昭和20年) - 東京大空襲により、3月10日、大審院庁舎が外壁のみを残し全て焼け落ち、皇居大手門内の旧枢密院庁舎を仮庁舎として使用しはじめた。
- 1947年(昭和22年) - 4月に裁判所法と検察庁法が公布。5月3日、日本国憲法及び裁判所法の施行により司法省と大審院が廃止され、司法省がもっていた司法行政権と大審院がもっていた裁判権を併せ持つ国の機関として、最高裁判所が設立された。特別裁判所の設置は禁じられた(憲法76条2項)[6]。最高裁判所の下には、高等裁判所・地方裁判所・簡易裁判所が設置された。9月、東京地方裁判所庁舎(旧民事地方裁判所庁舎)の3〜4階に移転。
- 1949年(昭和24年) - 1月、最高裁判所の下に家庭裁判所を設置。旧大審院庁舎の復旧が完了し、本庁舎として移転。また、最高裁判所は、「裁判官の制服に関する規則」を設置し、新しい制服を導入。
- 1954年(昭和29年)- 国会における最高裁機構改革法案に併せ、最高裁判所自身が声明を発表し、最高裁判所裁判官を9名ないし11名に減員し小法廷を廃止すること、自ら重要と認めたものに限り憲法違反・判例牴触・法令の解釈適用を審判すること、一般法令違反を審理する上告を取り扱う裁判機関を別に設けること等を提案したが、日本弁護士連合会等の反対などのため不成立。[7]
- 1956年 (昭和31年)- 日本社会党党首の鈴木茂三郎議員らが衆議院に憲法裁判手続法案を提出したが不成立。[8]
- 1960年(昭和35年) - 国連国際法委員会委員であった横田喜三郎が長官に就任。
- 1963年(昭和38年) - 数百名もの被害者を出した日本地所造成の土地の仮登記仮処分命令問題について、最高裁判所に対し、国会証人喚問が行われた[9]。
- 1965年(昭和40年) - 有識者による「最高裁判所庁舎新営審議会」が発足。
- 1970年(昭和45年) - 当時の長官石田和外を裁判長とする大法廷が「八幡製鉄事件」を判決。[10]
- 1974年(昭和49年) - 3月、新庁舎が竣工。5月23日、「最高裁判所庁舎落成記念」として額面20円の切手が発行された。
- 1998年(平成10年) - 民事訴訟法の改正により、民事事件においては、上告制度に加え、原判決に判例違反がある民事事件や、法令の解釈に関する重要な事項を含む民事事件について、上告受理制度を導入。
- 1999年(平成11年) - 内閣の司法制度改革審議会により、司法制度改革の審議が開始された[11]。
- 2003年(平成15年) - 裁判の迅速化に関する法律に基づき、裁判の迅速化に係る検証に関する検討会を設置し、裁判の迅速化の検証を開始した[12]。
- 2007年(平成19年) - 国会における法務及び司法行政等に関する調査において、裁判員制度の広報活動に関し、電通との契約料等3年間で40億円を超える広報費や、広告手法等が問題とされ、審議が行われた[13]。
- 2009年(平成21年) - 内閣の司法制度改革推進本部の方針に基づき、特定の刑事裁判について裁判員制度を導入[14]。
- 2010年(平成22年) - 11月26日、司法修習生に対する給費の廃止を2011年10月31日まで延期する法律が成立[15]。
- 2012年(平成24年) - 4月、法務省が、判検交流と呼ばれる刑事事件裁判官と検事との間の人事交流制度の廃止を発表[16]。7月、法務省に法曹養成制度検討会議が設置された。
構成と組織
最高裁判所は、最高裁判所長官、大法廷・小法廷からなる裁判部門、また、司法行政部門で構成されている。司法行政部門は、最高裁判所事務総局、司法研修所、裁判所職員総合研修所、最高裁図書館、及び委員会・検討会等で構成されている。
最高裁判所長官
最高裁判所長官は、内閣の指名に基づき、天皇によって任命される。
最高裁判所裁判官
最高裁判所判事は内閣が任命し、天皇がこれを認証する。最高裁判所裁判官の定年は70歳である(日本国憲法第79条第5項、裁判所法50条)。
裁判部門は、15名の裁判官を擁する大法廷と、5名の裁判官を擁する3つの小法廷で構成されており、司法権を行使する終審裁判所として、上告、上告受理の申立てについて判決を行い、特別抗告、許可された抗告許可申立について決定を行う裁判権を持つ(裁判所法第7条)。
裁判官報酬(月額)[17] | ||
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(等級) | (円) | |
最高裁長官 | 2,010,000 | |
最高裁判事 | 1,466,000 | |
東京高裁長官 | 1,406,000 | |
他の高裁長官 | 1,302,000 | |
判事1号 | 1,175,000 | |
同2号 | 1,035,000 | |
同3号 | 965,000 | |
同4号 | 818,000 | |
同5号 | 706,000 | |
同6号 | 634,000 | |
同7号 | 574,000 | |
同8号 | 516,000 | |
判事補1号 | 421,500 | |
同2号 | 387,800 | |
同3号 | 364,900 | |
同4号 | 341,600 | |
同5号 | 319,800 | |
同6号 | 304,700 | |
同7号 | 287,500 | |
同8号 | 277,300 | |
同9号 | 255,100 | |
同10号 | 246,200 | |
同11号 | 239,400 | |
同12号 | 233,400 | |
簡裁判事1号 | 818,000 | |
同2号 | 706,000 | |
同3号 | 634,000 | |
同4号 | 574,000 | |
同5号 | 438,500 | |
同6号 | 421,500 | |
同7号 | 387,800 | |
同8号 | 364,900 | |
同9号 | 341,600 | |
同10号 | 319,800 | |
同11号 | 304,700 | |
同12号 | 287,500 | |
同13号 | 277,300 | |
同14号 | 255,100 | |
同15号 | 246,200 | |
同16号 | 239,400 | |
同17号 | 233,400 |
また、「当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く)」、「前号の場合を除いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないと認めるとき」、「憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき」については、小法廷では裁判をすることができない(裁判所法10条)[18]。
裁判官の報酬は、在任中減額できないと定められている(日本国憲法第79条第6項第2文、同80条2項第2文)。ただし最高裁判所は、公務員の中で最高裁判所裁判官の報酬だけを削減することは違憲とする見解であり、国家財政上の理由などで、公務員全体と足並みをそろえて一般的に報酬に関する法律を改正して在任中の裁判官の報酬を減額することは、「司法権の独立や裁判官の身分保障に対する侵害には当たらず合憲」とする見解を採って、2002年(平成14年)に裁判官報酬法を改正して憲政史上初の在任中の減額が行われた。
最高裁判所の各裁判官は任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に最高裁判所裁判官国民審査(国民審査)に付され、審査から10年を経過した後の衆議院議員総選挙の際に再審査に付され、その後も同様とすると定められている(日本国憲法第79条第2項)。審査は罷免をしたい裁判官の氏名の欄に「×」を付けるという方式で行われる。しかし、これにより罷免された裁判官は1人も存在しない。また、最高裁判所裁判官の定年は70歳であるが、現在の最高裁判所裁判官は全て60歳以上で任命されているため、実際には国民審査の再審査が行われることもない。さらに、国会の裁判官訴追委員会が、裁判官弾劾裁判所において最高裁判所裁判官を弾劾した例もない。
あらゆる事件を扱うために、民事、刑事、行政の各分野に分かれて法廷を補佐する最高裁判所調査官も配置されている。調査官は上告された裁判の記録を読み、最高裁判所判事に答申することを職務とする。最高裁は裁判官が15人と少ないため、調査官はその人的リソースを補う効果を有するが、法律によって最高裁判所への上告が制限され、最高裁判所において実質的に審理を行う必要性がないと判断される事件をスクリーニングし、速やかに棄却させる役割を果たしていることから、最高裁判所の裁判官ではなく調査官によって上告審の裁判がなされていると批判されることもある。
最高裁判所事務総局
最高裁判所の司法行政権及び規則制定権は、法律上は、裁判官会議の議決により行使されるが、これを補佐し、最高裁判所の庶務を執行する機関として、最高裁判所事務総局が置かれている。
各委員会の審議に基づき、裁判所における訴訟手続や司法事務処理に関する事項等について、最高裁判所規則を定める権限も有している。ただし規則の公開は、一部分に限られている。
実質的には、日本国内の下級裁判所を統制する司法行政部門である。
最高裁判所各委員会等
法令や最高裁判所規則に基づき、委員会・研究会・検討会・懇談会が設置されている。公開されている限りでは、2015年9月現在、次のとおりの委員会等が存在する。
- 最高裁判所規則制定諮問委員会
- 民事規則制定諮問委員会
- 刑事規則制定諮問委員会
- 家庭規則制定諮問委員会
- 一般規則制定諮問委員会
- 裁判所書記官制度調査委員会
- 裁判所経費審査委員会
- 最高裁判所統計委員会
- 最高裁判所図書館委員会
- 司法修習生考試委員会
- 司法修習委員会
- 簡易裁判所判事選考委員会
- 医事関係訴訟委員会
- 建築関係訴訟委員会
- 下級裁判所裁判官指名諮問委員会
- 判例委員会
- 裁判所書記官等試験委員会
- 家庭裁判所調査官試験委員会
- 裁判所職員倫理審査会
- 裁判所職員再就職等監視委員会
- 明日の裁判所を考える懇談会
- 裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会
- 裁判の迅速化に係る検証に関する検討会
- 裁判官の人事評価の在り方に関する研究会
- 裁判員制度広報企画評価等検討会
- 最高裁判所長官公邸の整備に関する有識者委員会
- 情報公開・個人情報保護審査委員会
司法研修所
裁判官・検事・弁護士の法曹三者を養成する機関である。
裁判所職員総合研修所
裁判官以外の裁判所職員の研修を行う機関である。
最高裁判所図書館
国立国会図書館の支部図書館であり、国内外の法律関係の書籍を蔵書している。最高裁判所庁舎の4階、5階、及び屋根裏階に位置する。特別利用者(弁護士、法律学を担当する大学教授、裁判所に設置された委員会の委員、司法修習生等)と一般利用者との区別があり、2015年9月現在、一般利用者に許可されているのは閲覧と謄写のみであり、利用するには予約も必要である。
判決文・判例の特徴
傍論の扱い
最高裁判所の判決文には、判決となった多数意見と別に、傍論として、裁判官それぞれの個別意見が表示されることがある。意見には一般に、補足意見、意見、反対意見がある。
- ※ 補足意見とは、多数意見に賛成であるが、意見を補足するもの。
- ※ 意見とは、多数意見と結論は同じであるが、理由付けが異なるもの。
- ※ 反対意見とは、多数意見と異なる意見をいう。
- ※ 追加反対意見は反対意見にさらに補足するもの。
英米法の概念では、判決文の中の判決理由において示された意見のうち、判決理由の核心部分に含まれない傍論には判例法としての法的拘束力は認められないが、日本においては、反対意見のみが後の判決文に引用されることがある[19]。
判例の編纂方法
日本では、判例集の編纂は、最高裁判所自身が判例委員会によって行っている。原則月1回出版されており、最高裁判所民事判例集、最高裁判所刑事判例集等がある。ただし、訴訟法に関する判例集や解説集・索引は、裁判所からも法学会からも殆ど出版されていない[20]。
裁判所公式サイトでは、最高裁判例集、高等裁判所判例集。下級裁判所判例集、行政事件裁判例集、労働事件裁判例集、知的裁判判例集を検索することができる[21]。
庁舎
大審院
戦後
現庁舎
裁判所法6条の「東京都にこれを置く」という条文により、所在地が規定されている。
現庁舎は建築家岡田新一によって設計され、1974年(昭和49年)に竣工した。建物は、日本建築学会賞を受賞している。
- 所在地 : 東京都千代田区隼町4番2号
- 面積 : 敷地面積 3万7427m2、建築面積 9690m2、延べ床面積 5万3994m2
- 構造 : 鉄筋コンクリート構造一部、鉄骨鉄筋コンクリート及び鉄骨造
- 規模 : 地上 5階・地下 2階
- 設計 : 岡田新一(岡田新一設計事務所)
- 施工 : 鹿島建設
- 完成 : 1974年(昭和49年)3月
- 総費用 : 約126億円(完成当時)
- 備考: 東京の建築遺産50選
「最高裁判所」の漢字表記は通例常用漢字を用いるが、最高裁判所庁舎に掲げられている銘板には、「最髙裁判所」と、はしご高で書かれている。
略称は、一般には「最高裁」が通用するが、法曹界ではさらに簡略化し「最高」とも呼ばれる。また、庁舎が三宅坂(みやけざか)に面していることから、所在地より「三宅坂」という通称もある。この他、庁舎の特徴的で威圧的な外観や、行政権力者側に片寄った裁判の運営方針などから、法曹関係者や法律学者からは揶揄的・否定的な意味合いを込めて「奇巌城」「奇岩城」などと呼ばれることもある[22]。
最高裁判所に接する三宅坂交差点の区立三宅坂小公園の「平和女人像」は、日本電報通信社が建立したものである。
国際交流
最高裁判所は、他国の裁判官や学者などとの交流を盛んに行っている。かねてから、アメリカやヨーロッパ諸国に裁判官などを留学させて他国の法制度を調査・研究させたり、それら国の裁判官などの訪問を受け入れたりしてきたが、近年ではアジア諸国からの訪問も増えている[23]。これは、アジアで最初に近代的な司法制度を確立した日本に学びたいという各国の意向を反映してのことであり、日本による法整備支援活動への協力という枠組みで行われることも少なくない[24]。
また、法整備支援への協力の一環として、現役の裁判官を、法整備支援の長期専門家としてベトナム、カンボジアといった国に年単位で派遣することも行われている[25][26]。
なお、アジア太平洋地域の国や地域の最上級裁判所のトップが一堂に会し、司法に関する共通の諸問題を話し合うことを目的とするアジア太平洋最高裁判所長官会議が2年ごとに開催されており、日本の最高裁判所もこの会議に参加している。[27]
2015年には、アメリカ合衆国最高裁判所長官が34年ぶりに来日した[28]。
参考文献
- 山本祐司『最高裁物語』、日本評論社、1994年(上 ISBN 4535581738 下 ISBN 4535581746)。(講談社+α文庫、1997年(上 ISBN 4062561921 下 ISBN 406256193X))。
- 野村二郎『最高裁全裁判官』、三省堂、1986年。
関連項目
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脚注
- ^ 知的財産高等裁判所は、東京高等裁判所の特別の支部。
- ^ 裁判所法案会議録一覧 - 国立国会図書館、日本法令索引。
- ^ 法令全書(明治4年)、内閣官報局。
- ^ 『東京裁判所の草創期について』、細野耕司(2000年)。日本建築学会計画系論文集第532号。
- ^ 大審院判例・法曹会決議・諸法令対照実用刑法典、1897年 - 近代デジタルライブラリー。
- ^ 「特別部」については事実上、除外されている。
- ^ 最高裁判所の機構改革についての声明、1954年9月20日 - 日本弁護士連合会。
- ^ 1956年3月12日衆議院議事録第20号 。一部の議員が1960年に脱党し民主社会党(後の民社党)を結成したことなどによる。
- ^ 1963年12月17日衆議院議事録第4号 - 国会議事録検索システム。
- ^ 政治団体に対し企業献金を行うことは企業経営者の権利の一つである、という旨が論じられた。
- ^ 司法制度改革審議会 - 首相官邸。
- ^ 裁判の迅速化に係る検証に関する検討会 - 最高裁判所。
- ^ 2007年3月15日国会議事録第2号、同年5月18日国会議事録第17号、他。また5月22日には、後に最高裁判所裁判官に指名された小池裕が答弁(議事録第18号(衆議院))。
- ^ 司法改革推進本部 - 首相官邸。
- ^ 裁判所法の一部を改正する法律案会議録一覧 - 国立国会図書館、日本法令索引。
- ^ 「検事・判事の人事交流廃止 刑事裁判の公正に配慮」- 朝日新聞、2012年4月26日。
- ^ 平成30年11月30日改正 裁判官の報酬等に関する法律 - e-Gov法令検索
- ^ 中野次雄、佐藤文哉、篠田省二、本吉邦夫 『判例とその読み方』 、1986年。ISBN4641026602。
- ^ 法廷メモ訴訟裁判の判決中の四ツ谷巌の「(憲法82条1項は)各人に裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものでもない」という反対意見は、後の第三小法廷平成2年2月16日判決、 第一小法廷平成4年12月7日判決で引用されている。
- ^ 口頭弁論期日陳述の取扱いが「昭和40年11月10日第一小法廷判決(最高裁判所裁判集民事編第85号43頁)」、反訴の取扱いが「昭和40年11月10日第一小法廷判決(最高裁判所民事判例集第20巻9号1733頁)」などの判例のみで定められており、注意が必要である。
- ^ 裁判例情報 - 裁判所。
- ^ 「奇岩城 無人の法廷で判決(孤高の王国 裁判所100周年の今:5)」『朝日新聞』1990年10月31日朝刊4面
- ^ 諸外国と最高裁判所。
- ^ 最高裁判所の国際交流。
- ^ 裁判所の司法制度改革推進計画要綱の進捗状況(平成15年4月)。
- ^ JICA長期専門家としての日々~途上国で裁判官にできること
- ^ 特集・第10回アジア太平洋最高裁判所長官会議。
- ^ 『「国際間の協力を」=来日中の米最高裁長官』、2015年7月10日 - 時事通信。
外部リンク