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三島女子短大生焼殺事件

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三島女子短大生焼殺事件
場所

日本の旗 日本静岡県[新聞 1][新聞 2]

三島市青木・国道136号沿いの路上(拉致現場)[新聞 3]
田方郡函南町軽井沢字立洞地内(強姦場所。畑に囲まれた山間部の山中、夜間は真っ暗になる場所)[判決文 1]
三島市川原ケ谷字山田山地内の道路拡幅工事現場(殺害・遺体発見現場)[判決文 1][新聞 1]
山中にあるゴルフ場「三島ジャンボゴルフセンター」沿い[新聞 4]。ゴルフ場から北側[新聞 5]約100メートルに位置する[新聞 6]市道路肩[新聞 1]
座標
北緯35度8分30.85秒 東経138度56分36.30秒 / 北緯35.1419028度 東経138.9434167度 / 35.1419028; 138.9434167座標: 北緯35度8分30.85秒 東経138度56分36.30秒 / 北緯35.1419028度 東経138.9434167度 / 35.1419028; 138.9434167
標的 当時19歳女子短大生(三島市梅名在住・上智短期大学1年)[新聞 7][新聞 8]
日付 2002年平成14年)1月22日 - 1月23日[判決文 1][新聞 1]
午後11時ごろ[判決文 1] – 午前2時35分ごろ[判決文 1] (UTC+9)
概要 過去に少年院刑務所に複数回服役して覚醒剤を常習的に乱用していた男が帰宅途中、偶然鉢合わせした通りすがりの女子短大生を拉致して函南町内の山中で強姦した[判決文 1]
その後、男は「覚醒剤を打つ邪魔になった」という理由で女子短大生を殺害することを決意し、自宅から灯油を持参して三島市内の山中にて女子短大生の身体に灯油をかけて点火し、女子短大生を生きたまま焼き殺した[判決文 1]
攻撃側人数 1人
武器 灯油ライター
死亡者 1人
犯人 男H(犯行当時29歳・逮捕当時30歳、三島市若松町在住の建築作業員)[新聞 3]
動機 強姦目的
対処 静岡県警が逮捕[新聞 3][新聞 9][新聞 10]・静岡地検沼津支部が起訴[新聞 11]
謝罪 第一審最終意見陳述にて謝罪[新聞 12]
上告審までに被害者遺族に対し謝罪の手紙[新聞 13]
刑事訴訟 死刑[判決文 1][新聞 14][新聞 15]執行済み[法務省 1][新聞 16][新聞 17]
管轄 静岡県警察(県警捜査一課三島警察署[新聞 1][新聞 3]
静岡地方検察庁沼津支部[新聞 11]東京高等検察庁
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最高裁判所判例
事件名 三島女子短大生焼殺事件
事件番号 平成17年(あ)第959号
2008年(平成20年)2月29日
判例集 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第293号373頁
裁判要旨
  1. 死刑制度は憲法第31条・36条に違反しない
  2. 被害者を強姦目的で自車内に監禁し、強姦した後、殺害を決意し、ガムテープで被害者を縛って路上に座らせ、その頭から灯油を浴びせかけて頭髪にライターで点火し焼死させたという事案につき、原判決の死刑が維持された事例。
第二小法廷
裁判長 古田佑紀
陪席裁判官 津野修今井功中川了滋
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
逮捕・監禁強姦殺人
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三島女子短大生焼殺事件(みしま じょしたんだいせい しょうさつじけん)とは、2002年平成14年)1月22日深夜、静岡県三島市川原ケ谷の山中で発生した逮捕監禁強姦殺人事件[新聞 1][新聞 2][新聞 18]

加害者の男H(犯行当時29歳、逮捕当時30歳)は帰宅途中に偶然鉢合わせした通りすがりの被害者女子短大生(当時19歳・上智短期大学1年)を拉致・強姦した上、山中を通る市道路肩で「覚醒剤を打つのに邪魔になった」という理由で生きたまま灯油をかけて焼き殺した[判決文 1]

最高裁判所から1983年に永山則夫連続射殺事件の上告審判決において死刑適用基準を示した傍論「永山基準」が示されて以降では、「殺害された被害者数が1人で経済的利欲目的ではない殺人事件」の刑事裁判でおいて、殺人で服役した前科のなかった被告人死刑判決が言い渡され[新聞 14][新聞 15][新聞 19]、最高裁でその死刑判決が支持されて確定した[新聞 20][新聞 21]極めて特異な事例だった[新聞 20]

元死刑囚H

本事件の加害者である男Hは1972年昭和47年)2月21日[書籍 1][書籍 2][書籍 3]本籍地の[新聞 10]北海道上川郡上川町で4人兄弟の第三子・次男(姉・兄・次男H・弟)[書籍 4]として誕生した[判決文 1]。生後すぐに家族とともに本事件の舞台となった静岡県三島市内に移住し[書籍 4]、逮捕当時は三島市若松町在住の30歳建設作業員だった[新聞 3][新聞 10]

2012年(平成24年)8月3日、死刑囚Hは法務省法務大臣滝実)の死刑執行命令により収監先・東京拘置所死刑を執行された(40歳没)[法務省 1][書籍 1][新聞 16][新聞 17][新聞 22][新聞 23]

生い立ち
静岡県三島市内の小中学校で学んだHは、中学3年生の時に窃盗非行で初等少年院に送致された[判決文 1]。Hは少年院送致処分を受ける以前から盗癖があり、近所ではかなりの問題児として悪名を轟かせていた[書籍 4]
1977年(昭和52年、当時5歳)から1989年(昭和64年・平成元年、当時17歳)ごろにかけ、Hは後述の拉致現場となった三島市青木からそれぞれ約500m以内にある三島市南二日町・三島市富田町で生活していたことがあった[新聞 24]。事件の14年前となる1988年(昭和63年)、当時16歳のHは父母ら家族とともに三島市若松町内に移住したが、H自身は仕事・婚姻などの理由で三島市・沼津市内などを転々としていた[新聞 10]
Hは幼少期から貧困家庭で生育し、小学生時代には母親の財布から小銭を盗んでは父親から殴られ、中学生になってからは父親と口も利かないほど険悪な間柄になるなど「他の兄弟と比べ父母の愛情を受けることが少なかった」[判決文 1]。また中学在学当時、Hが喘息の持病を有していたにも拘らず、家の中は「独特の異臭が漂い、物が散乱してその上に埃が積もっている」という環境で生育していた[判決文 1]
Hの中学生時代、Hの母親は子供の面倒を見ずにパチンコ狂い、パチンコで損をして帰宅しては息子Hに当たり散らすなどしていた[判決文 1]。Hが中学時代に家族と共に暮らしていたアパートの一室は障子が破れ、畳がささくれ立ち、掃除をした形跡すらないほどの荒れようだったため、一家が引っ越した後に大家が室内に足を踏み入れた際に「あまりの汚さに呆然とした」ほどであった[書籍 5]
またHの両親は後述のように息子が本事件被疑者として逮捕される直前の2002年7月まで若松町内のアパートに住んでいたが、逮捕直前に大家が「家賃滞納・家の荒廃状態・ごみ処分ルール違反」に加えて「盗難されたオートバイ部品が数台分も裏庭に置いてあった」状態だったことを理由に「本件賃貸借権を解除したい」と申し出て退去させていた[書籍 5]
Hは少年院を仮退院後、鉄筋工などとして働いたが17歳の時に再び窃盗などの非行で中等少年院に送致された[判決文 1]
少年院退院後の前歴
中等少年院を仮退院後、Hは姉が居住する沖縄県内に移り住み、工員として約1年間働いた[判決文 1]。その後、三島市に戻ったHはスナックバー従業員・土木作業員として働いたが、窃盗の非行で保護観察処分を受けた[判決文 1]
Hは当時20歳だった1992年(平成4年)8月、中学時代の同級生女性と結婚して2児を儲けたが、4か月後の1992年12月には覚せい剤取締法違反・道路交通法違反の罪で懲役1年6月・執行猶予4年(保護観察付)の有罪判決を受けた[判決文 1]
Hは後述の強盗致傷事件を起こす約2か月前の1995年2月7日午後6時30分ごろ、自宅近くの三島市若松町で駐車場に停車してあった会社員(同県富士市在住)の乗用車内から書類などが入っていたハンドバッグ(8,000円相当)を盗む車上荒らし事件を起こした[新聞 25]静岡県警察沼津警察署は現場周辺で聞き込み捜査を続け、Hの犯行と断定した[新聞 25]
1995年4月8日、強盗致傷事件で懲役4年6月の前科
前述の執行猶予期間中の[判決文 1]1995年(平成7年)4月8日[新聞 26][新聞 27]、当時23歳だったHは男(当時21歳・田方郡函南町生まれ、住所不定無職)と共謀して駿東郡長泉町内で強盗致傷事件を起こした[新聞 26][新聞 28][新聞 27]
Hら男2人は午後10時40分ごろ、長泉町下土狩の路上 (JR東海三島駅北口から約300m)で自転車に乗って帰宅途中だった地方公務員男性(当時22歳、同町在住)を見つけ[新聞 27][新聞 29][新聞 28]、目前に乗用車を急停車させた上で「金を出せ」などと脅した[新聞 29][新聞 27]
共犯の男が木刀[新聞 27]抵抗した男性の頭を殴り、男性に全治2週間の怪我を負わせた[新聞 29][新聞 27][新聞 27]。その上でHは共犯の男とともに抵抗した被害者男性から[新聞 26]ポケットに入っていた財布[新聞 29]・現金約5,000円入りのリュックサック1個(6,500円相当)などを奪った[新聞 26]
この事件で被害に遭った男性が静岡県警沼津署に通報したため同署は本事件を強盗致傷事件と断定して捜査を開始、現場から逃走した「若い男2人」の行方を追った[新聞 29]
1995年4月24日、前述の三島市内で発生した車上荒らし事件を捜査していた県警沼津署は被疑者Hを窃盗容疑で逮捕した[新聞 25]。その後、沼津署は1995年5月22日までにこの強盗致傷事件の被疑者としてHら男2人を強盗致傷容疑で逮捕した[新聞 26][新聞 28]
被疑者Hは1995年6月12日付で静岡地方検察庁沼津支部から強盗致傷罪で静岡地方裁判所沼津支部に起訴され[新聞 27]、同事件の共犯者の男もHに先立って同年6月9日付で静岡地裁沼津支部に起訴された[新聞 30]
1995年7月27日に静岡地裁沼津支部(東原清彦裁判長)にてこの強盗致傷事件に関する初公判が開かれ[新聞 31]、強盗致傷・恐喝・窃盗の罪で起訴された被告人Hは[判決文 1]共犯の男とともに起訴事実を全面的に認めた[新聞 31]。その後、Hら被告人2人はともに検察側から懲役7年を求刑された[新聞 32]
1995年10月26日、被告人Hは静岡地裁沼津支部(東原清彦裁判長)にて懲役4年6月の実刑判決を受け、共犯の男も懲役4年の実刑判決を受けた[新聞 32]
これによりHは前述の執行猶予も取り消され併せて刑の執行を受けた後2001年(平成13年)4月に仮釈放されたが、その服役期間中であった1999年(平成11年)1月には妻と離婚した[判決文 1]
2001年4月、仮釈放後
Hは仮釈放後に配送会社で働くなどしており、2001年7月ごろからは離婚した元妻との関係を修復して沼津市内の元妻宅で同居していた[判決文 1]。その上で2001年10月ごろからは、以前働いたことのある三島市内の建設会社で土木作業員として働いていた[判決文 1]

事件の経緯

事件発生まで
Hは2002年1月22日深夜、仕事を終えた後で会社の同僚らと三島市内の居酒屋で飲食し、乗用車のスバル・レガシィ[書籍 6](1990年式の黒いステーションワゴン車検切れ)[新聞 33]を運転して帰宅していた途中で「従業員の集合場所に自分の弁当箱を忘れてきた」ことに気付いたため、弁当箱を取りに戻ろうと同市内の国道136号を南に向かって走行していた[判決文 1]
その途中となる同日午後11時ごろ[判決文 1]三島市青木の国道136号沿い路上で[新聞 3]、Hは同じ方向を自転車に乗って走行していた女性を見つけて女性に近づき車の中から声を掛けた[判決文 1]
この女性が本事件の被害者である女子短大生で、三島市梅名の自宅から東海道新幹線通学していた上智短期大学神奈川県秦野市)1年生・19歳女性だった[新聞 7][新聞 8][新聞 34]。被害者は午後10時50分ごろ、アルバイト先のJR三島駅南口の居酒屋を出て[書籍 6]自転車で帰宅する途中だった[新聞 8][判決文 1]
事件当日は居酒屋の客入りが少なく「午後10時にはほとんど仕事が終わった状態」だったため、店長が「今日はもう帰っていいよ」と被害者に申し出ていたが、被害者は自らトイレ掃除・テーブルの片づけをするために残業し、午後11時近くまで店に残っていた[書籍 7]
被害者を拉致・強姦
Hは被害者に声を掛けるも全く相手にされなかったが、被害者を「若くてかわいい」と思ったことから「なんとか関係を持ちたい」と考えたため[判決文 1]、先回りして三島市青木の国道136号沿いにある駐車場にレガシィを駐車して降車し、歩道に降りて被害者を待ち伏せた[書籍 8]。この現場一帯は事件後にコンビニエンスストア・炭火焼肉店などが進出して明るくなったが、事件当時は畑・空き地が広がり「人気のない暗い地域」だった[書籍 8]
Hは被害者の前に立ち塞がって自転車を止めさせると、その前輪を跨ぎ自転車の前籠に両肘を突くなどして被害者に年齢・氏名・学校などを尋ねた[判決文 1]
その上でHは被害者の肩に腕を回し、被害者の背中を押して自転車ごと近くに駐車してあった自車の側まで連れて行き、再び自転車の前輪をまたぎつつ執拗に被害者を誘ったが、被害者は自転車ともども倒れ込むと、大声を上げて起き上がりHから逃げ出そうとした[判決文 1]
Hは抵抗する被害者の後ろ襟をつかんで引き寄せることで被害者を引き倒したが[書籍 8]、被害者は手を振り回すなどして抵抗して悲鳴を上げたため、Hは被害者を強姦することを決意して被害者の頭部を右脇に抱え込みながら、口を手で塞いで「静かにしろ」と脅した[判決文 1]
その上で、チャイルドロックが設定された自車後部座席に被害者を素早く押し込んでそのまま自車を発進させ、同県田方郡函南町軽井沢字立洞地内まで車を走らせて被害者を拉致した(逮捕・監禁罪[判決文 1]。この時、被害者が乗っていた自転車を駐車場の奥に投げ捨てた[書籍 8]
強姦場所となったのは函南町軽井沢の「山間地の畑に囲まれた真っ暗な道路脇」で、同地にあるHの勤務先だった建設会社の「軽井沢事務所」から車で約10分弱走った場所だった[判決文 1]。Hはこの山中道路端を強姦場所に決めた理由について、捜査段階で「『軽井沢事務所から社長の父親の仕事場(神奈川県足柄下郡箱根町)に向かう途中の山中なら誰にも見られない』と思って強姦場所に決めた」という趣旨の供述をした[判決文 1]
強姦場所まで向かう途中、Hは自分の携帯電話に電話をかけてきた同僚に居場所を尋ねられたため「女と一緒に走ってる。山に向かってる」と思わず述べた[判決文 1]。これに対し同僚が「箱根に向かっているのか?」と確認すると、Hは「被害者を拉致して強姦しようとしていることがばれてしまうかもしれない」と思ったが、適当な場所が思い浮かばなかったことためとっさに「いや違う。函南の方だ」と答えた[判決文 1]
その間、Hは恐怖する被害者を「俺の顔を見ただろう。車のナンバープレートも見ているだろう。警察にチクるなよ。ぶっ殺すぞ」などと脅迫しながら山中に向かい、午後11時40分ごろに函南町軽井沢の山中に到着すると車を駐車して後部座席に移動した[書籍 9]。そして被害者の右横に座り、再び「俺の顔を見ただろう。警察に通報したらぶっ殺すぞ」などと脅迫し、被害者が畏怖して抵抗する気力を失い、黙り込んでいるのを認めると、車内後部座席で[書籍 9]被害者女性を全裸にして強姦した(強姦罪[判決文 1]
被害者殺害を決意するまで
被害者は強姦されたことで憔悴し「服を着るのが精一杯で声を出す気力もない」ほどだったが[判決文 1]、Hはそのような状態だった被害者に「警察に通報すれば強姦したことを言いふらす」などと脅迫して再度口止めをし[書籍 9]、車内後部座席に監禁したまま再び三島市内まで戻った[判決文 1]
Hは当初、「街中の人気のない場所で被害者を解放しよう」と考えつつ適当な場所を探して走り回っており[判決文 1]、「その前に自分の指紋が付いた自転車を処分しよう」と考え、拉致現場に戻って投げ捨てた自転車を車の荷台に積み込んだ[書籍 9]。しかしこの時、覚醒剤仲間から「覚醒剤を注射するための注射器を持って来てほしい」との電話が入ったことから、自分も覚醒剤を打ちたくなるとともに「被害者の解放場所を早く見つけなければならない」と考えて焦る一方で「被害者を解放すれば、警察に通報されて逮捕され刑務所に戻ることになる」と不安を募らせたことから、被害者を殺害することを考えついた[判決文 1]
Hは当初、殺害方法として「犯行が発覚しないように被害者を山に埋めるか海や川に沈めるなどして殺害・遺棄しよう」と考えたが、適当な場所が思い浮かばないまま被害者を閉じ込めた車を走らせつつ、覚醒剤仲間から依頼された注射器を取るために三島市若松町の実家に立ち寄った[判決文 1]。その際、Hは自宅の玄関先に置かれていた灯油入りのポリタンクを目にしたため、「被害者に灯油をかけて焼き殺そう」と思いついた[判決文 1]。Hはすぐに注射器とともにポリタンクを持ち出して車の助手席床上に積み込み[書籍 10]、人気のない場所を求めて車で走り回った[判決文 1]
「生きたまま灯油をかけて焼き殺す」という方法で被害者を塵芥のように惨殺した動機は「火を付けて燃やせば被害者の身元は分かりにくくなるし、証拠も残らないから遺体を遺棄する場所を改めて考えずに済む」という身勝手な理由で、当時のHは「焼殺という手段が被害者にとってどれだけ惨いことか全く考えておらず、それよりも『警察に逮捕されず、刑務所にもいかずに済む方法』を考えることで精一杯」な心理状態だった[判決文 1]。Hは後述の殺害現場に至るまで山中を走り、人里離れた山間部に入った[書籍 10]
被害者を殺害
日付が変わった2002年1月23日午前2時ごろ、Hは三島市川原ケ谷字山田山地内の[判決文 1]三島市道山田31号道路拡幅工事現場に到着した[判決文 1][新聞 35][新聞 36]
殺害現場となったこの山中は「三島ジャンボゴルフセンター」に沿って走る[新聞 4]ゴルフ場北側の[新聞 5]三島市の山中を抜ける市道の路肩で[新聞 1][新聞 6][新聞 5]、峠にあるゴルフ練習場から約100m下った先にあった[新聞 6]。なお、当時は市道を拡幅する工事をしていたために道路の一部は未舗装だった[新聞 37][新聞 38][新聞 6]。現場周辺には民家はなく、夜に出歩く人もほとんどいなかったが、三島市から御殿場市裾野市方面への抜け道になっていたために昼夜ともに車の通りが絶えない場所だった[新聞 6]
Hはそこに駐車すると「被害者が逃げ出したり声を上げたりしないように」被害者の両手首付近を着衣の上からガムテープを巻き付けて後ろ手に縛った上で口にガムテープを張り付けて塞ぎ、殺害の準備を整えると被害者の腕を引っ張って車から降ろし、背中を押して歩かせて未舗装の道路に座らせた[判決文 1]
Hは車内助手席から灯油の入ったポリタンクを持ち出し、恐怖のあまり無抵抗でいる被害者の頭上から灯油を全身に浴びせかけ、ポリタンクを車内に戻すとともに車内ドリンクホルダー内にあったライターを持ち出し[書籍 10]、「火、点けちゃうぞ」などと脅して恐怖心を煽り立てた[判決文 1]
しかし、被害者が身動きせず声も上げなかったことから、Hは「警察に通報しようと考えているのではないか」といっそう不安に駆られたため、「早く被害者を始末して覚醒剤仲間のところに向かい、自分も覚醒剤を打ちたい」と思う一方で「これだけ脅せば被害者は解放されても警察に通報しないのではないか」「殺せば大変なことになる。解放した方が軽い罪で済むのではないか」とも考え、いったんは殺害を躊躇した[判決文 1]
しかしHは結局「刑務所に逆戻りしなくない」と恐れたことから改めて被害者を殺害することを決断し、灯油のかかった被害者の後頭部の髪の毛にライターで点火し、被害者を焼死させて殺害(殺人罪)するとともに炎が燃え広がっていく様子を確認した上で車に乗ってその場から逃走した[判決文 1]
火を点けられた被害者は火だるまとなり[判決文 1]、頭部に点火された火を消すために立ち上がってコートを脱ぎ捨てたが、全身に炎が燃え移って悶絶するうち、数メートル離れたコンクリートブロックの間に倒れ込み、全身火傷により息絶えた[書籍 10]
犯行後の行動
また、Hは覚醒剤仲間と合流する前にいったん実家に戻り、殺害に使用した灯油入りポリタンクを元の場所に戻すことで「ポリタンクを持ち出して灯油を使用したことが両親に気付かれないように」工作し、「手に付着した灯油の臭いが覚醒剤仲間らに気付かれないように」灯油を洗い流した上で、予定通り注射器を覚醒剤仲間に届けて自らも含めて覚醒剤を使用した[判決文 1]。その途中、覚醒剤仲間の家に向かっていたHは後続車からクラクションをならされたことに立腹してその運転手を殴打する事件を起こした[判決文 1]
殺害後のHから覚醒剤を打つための注射器を受け取った覚醒剤仲間は公判にて証人出廷したとき、「被告人Hはやや元気がなく落ち込んでいるように見えた」と証言したが、その覚醒剤仲間とともに居合わせた別の覚醒剤仲間は「被告人Hは至って冷静な状態で普通に話をしていた。手指が震えていたり、慌てたり取り乱したりした様子はなく平然としていた」と証言した[判決文 1]
Hは覚醒剤を使用後に再び自宅に戻り、事件翌日の2002年1月23日には普段通り建設会社に出勤した[書籍 11]。退勤後、Hは被害者の自転車を海中に投棄して証拠隠滅を図るため沼津港外港に向かったが、外港入口が閉鎖されていたために狩野川河口付近に架かる「港大橋」に移動し、人気のない時を見計らって橋の中央付近から狩野川に自転車を投棄した[書籍 11]。またその前後には[新聞 39]携帯電話・財布など被害者の所持品を沼津市内のコンビニエンスストアのごみ箱に捨てたり、友人宅で燃やすなどして証拠隠滅を図っていた[新聞 39][新聞 40]

初動捜査

2002年1月23日、事件発覚
Hが被害者を殺害してから約30分後の[判決文 1]2002年1月23日午前2時35分ごろ[新聞 1]、現場付近を自動車で通りかかった通行人[判決文 1][新聞 1](トラック運転手)[書籍 12]が黒い塊から炎が上がり[新聞 18][判決文 1]、衣類などが地面に残されているのを発見した[新聞 18][新聞 41]
トラック運転手は炎に近づくと「強い異臭がし、炎の中に足が見えた」ことから「人が燃えている」ことを悟り静岡県警察三島警察署110番通報した[新聞 1][新聞 18][新聞 41][判決文 1]
通報を受けて駆け付けた三島署員は「運動靴を履いた身長155cm - 160cmの若い女性とみられる焼死体」を発見した[新聞 1][新聞 1][新聞 18][新聞 41][新聞 42][新聞 43][新聞 44]。三島署員が駆け付けた際、遺体発見現場の近くには「被害者が着ていたとみられる茶色のフード付きジャンパー」があった[新聞 1][新聞 18]。また、被害者の遺体は髪が焼け焦げて体の表面全体が着衣とともに炭化し、身を屈めるようにして横たわっていたことから[判決文 1]、「手の自由を奪われて口を塞がれ、灯油を浴びせられて生きたまま点火され、もがき苦しみ転げ回りながら絶命した」という凄惨な最期の状況が推測された[書籍 13]
静岡県警は当初、自殺・事件の両面で調べたが[新聞 18]、静岡県警捜査一課・三島署はその後、以下のように不審な点が見られることから「殺人事件の可能性が高い」と断定して三島署に捜査本部を設置した上で本格的な捜査を開始した[新聞 1][新聞 2][新聞 7][新聞 8]
  • 遺体の口元に粘着テープが残っていたり[新聞 45]、遺体の腕が粘着テープで後ろ手に縛られているなど遺体に不審な点が見られる[新聞 1]
  • 「女性が生前に着ていたとみられる茶色のフード付きジャンパー」の袖にも[新聞 35][新聞 41][新聞 45]粘着テープが巻かれ、灯油の容器や着火装置も見つからなかった[新聞 35]
  • 焼け残った皮膚に生活反応(火傷による水膨れなど)[書籍 12]がある[新聞 35]
静岡県警捜査本部が浜松医科大学で遺体を司法解剖した結果[新聞 2][新聞 41]、遺体は「中肉体形の髪を茶色に染めた10歳代から20歳代の若い女性」で[新聞 2][新聞 35]血液型はA型と判明した[新聞 2][新聞 35][新聞 41]
一方で被害者女子短大生の両親は同日午後になって「子供が前夜から帰宅せず、連絡が取れない」と捜査本部に連絡した[新聞 34]
遺体発見現場の市道は[新聞 35]、JR三島駅から北東約4km離れた箱根山の山林内を抜ける道路で[新聞 41]、夜間はほとんど人通りがなく、事件の2年前(1999年及び2000年)にも現場周辺で女性の死体遺棄事件があったため、現場周辺の住民の間には衝撃が走った[新聞 35]
2002年1月24日、被害者女子短大生の身元確認
2002年1月24日、遺体の身元は本件被害者女子短大生と判明した[新聞 46][新聞 47][新聞 45][新聞 7][新聞 8][新聞 34]。これは遺体の指紋が女子短大生の学用品に残されたものと一致したことに加え[新聞 34]、遺体の歯の治療痕も女子短大生のものと一致したことが決め手だった[新聞 41]。また前述のように、女子短大生の両親から捜査本部に連絡があったことも身元確認の決め手となった[新聞 34]
捜査本部は「被害者がアルバイト先の居酒屋から自転車で帰宅する途中で何者かに襲われ、粘着テープで縛られて現場まで拉致され焼殺された」と推測して「遺体で発見されるまでの約3時間半の足取り」を追った[新聞 7][新聞 8]
2002年1月25日、加害者Hが当て逃げ事故を起こす
一方で加害者Hは、事件2日後の2002年1月25日夜に田方郡函南町内の国道136号で当て逃げ事故を起こした[新聞 48]
Hは夜間に市内を車で走り回ることが多かったが[新聞 49]、この時は覚醒剤を使用した上で[判決文 1]車を無免許運転しており[新聞 48]、覚醒剤の副作用で「人に追いかけられるような幻想」を感じたことから事故を起こした[判決文 1]
函南町塚本の国道136号で犯行に使ったステーションワゴンを運転し、Uターンしようとして前から来た乗用車に接触して運転していた男性・同乗の女性の首にそれぞれ全治2週間の怪我を負わせてそのまま逃走した[新聞 48][新聞 50]
三島署はこの事故について、目撃されたナンバープレートから加害者Hの身元を特定した[新聞 48]。加害者Hは事故から約1か月後の2002年2月28日、車検証を持って三島署に出頭した上でナンバープレートも後日提出した[新聞 51]
2002年2月28日、三島署は被疑者Hを道路交通法違反(ひき逃げ)[新聞 48][新聞 50]業務上過失傷害の各容疑で[新聞 48]逮捕した[新聞 48][新聞 52][新聞 50][新聞 53]。取り調べに対し、Hは車について「処分した」と供述したが、具体的な処分方法については取り調べを拒否したり、曖昧な供述をするなどして明かさなかった[新聞 51]。そのため車の処分方法が解明されないままひき逃げ事件の公判が開かれる「異例の事態」になった[新聞 51]
被告人Hは静岡地方裁判所沼津支部で懲役1年6月の有罪判決(2002年4月16日付で確定)を受け[新聞 10]、本事件で逮捕される直前まで静岡刑務所沼津拘置支所に服役していた[新聞 3][新聞 52][新聞 50]
2002年2月23日まで、事件発覚から1カ月間の捜査
事件発生直後の初動捜査の結果、被害者女子短大生が乗っていた婦人用の自転車は遺体発見現場周辺から見つからなかった上[新聞 8][新聞 54]、被害者女子短大生の携帯電話・財布・バッグなどの所持品もすべて無くなっていた[新聞 55][新聞 56]。また、女子短大生の携帯電話は「かけても通話できない状態」で[新聞 54]、「事件当日の2002年1月23日午前0時30分ごろに帰宅が遅いことを心配した両親が電話してもつながらず、そのころには既に通話不能になっていた」事実が判明した[新聞 56]。女子短大生は生前、普段はアルバイトが終わると携帯電話で自宅に「これから帰る」と帰宅予定を告げる電話連絡をしていたが、失踪当日の夜はその連絡がなかった[新聞 57]
このことから捜査本部は「被害者女子短大生の携帯電話などは犯人が持ち去った可能性」もあると推測し[新聞 55]、事件現場周辺[新聞 54]・JR三島駅前のアルバイト先と被害者女子短大生宅を結ぶ約4キロメートルのルートなどをそれぞれ捜索するなどして[新聞 56]捜査を続けるとともに、携帯電話の通話記録を調べた[新聞 55]
このことから捜査本部は「被害者女子短大生はアルバイト先を出た直後に事件に巻き込まれた」と推測して足取りを調べるとともに、自転車・携帯電話など遺留品の発見に全力を挙げた[新聞 57]
2002年1月28日、捜査本部は所在不明となった自転車の特徴を以下のように発表した[新聞 58]
また捜査本部は、犯行に使われた灯油・市内のガソリンスタンドなどで売られている灯油をそれぞれ分析して購入先の特定を進めた[新聞 59]
捜査の難航
捜査本部は事件発生から1か月になる2002年2月23日までに国道136号沿いの三島市青木の住民から「被害者がアルバイト先を出た直後の2002年1月22日午後11時過ぎに『女性の悲鳴』を聞いた」という証言を得た[新聞 60]
これに加え、被害者宅から約1km離れた国道136号沿いのガソリンスタンドでは2002年1月22日夕方、防犯カメラにアルバイト先へ通勤する途中の被害者の姿が映っていた[新聞 60]
そのため捜査本部は「被害者は帰り道も同じ道を通った可能性が高い」と推測して国道136号沿いを中心に目撃情報がないか聞き込み捜査を続けた[新聞 60]。また事件現場から検出された灯油を分析した結果、三島市内のガソリンスタンド2軒で販売されていた灯油と成分が似ていることが判明したが、詳細な販売元は特定できなかった[新聞 60]
一方で被害者の携帯電話には友人・家族以外の不審な通話記録は残っておらず、被害者と事件の接点はまったく推測できなかった[新聞 60]。事件現場は粗大ごみ不法投棄が問題となっていた箱根山系西麓にあるため、三島署は三島市が2002年6月1日に実施した「ごみの一斉回収」に伴い、三島市に「事件の遺留品の捜索協力」を要請した[新聞 61]。この一斉回収には地元住民・市職員ら計約1,000人が参加し、市内8か所で午前9時から約2時間行われた作業でテレビジョン6台・冷蔵庫4台・洗濯機1台など計7トン余りの粗大ごみが回収されたが、遺留品は発見されなかった[新聞 61]

逮捕・起訴

2002年7月23日、事件発生から半年となるこの日に静岡県警三島署捜査本部が被疑者Hを逮捕監禁・強盗容疑で逮捕
2002年7月11日、刑務所服役中のHに本件犯行の嫌疑をかけた捜査本部はHに唾液を提出させた[判決文 1]。Hはこの時、獄中から兄宛に手紙で「事件当日に会社の同僚らと飲酒した時間・覚醒剤仲間から電話がかかってきた時刻などを確認してほしい」と依頼した[判決文 1]
2002年7月23日に事件発生から半年を迎えたが、それまでの捜査では被害者周辺に目立ったトラブルは見当たらず、携帯電話にも不審な通話記録はなかったため、捜査本部は「通り魔的犯行」の可能性を視野に捜査を進めていた[新聞 62]。前日(2002年7月22日)付『静岡新聞』朝刊記事[新聞 63]・同日付『読売新聞』朝刊記事では「捜査は難航している」と報道されていた[新聞 62]
しかし同日までに捜査本部が不審者の割り出しを進めたところ[新聞 52][新聞 49]、後に加害者と判明する当時30歳の男H(刑務所服役中)が捜査線上に浮上していた[新聞 64][新聞 65][新聞 52]
捜査本部がHから提出された唾液のDNA型を鑑定したところ現場の遺留物と一致したため[新聞 52][新聞 50]、捜査本部は同日午前にHを重要参考人として任意の事情聴取を開始した[新聞 52][新聞 50]。これに対しHは当初容疑を否認した一方で「事件の夜、被害者とコンビニエンスストアで会った」などと供述した[新聞 49][新聞 24]
このことから捜査本部は同日、逮捕監禁強盗などの容疑で被疑者Hを逮捕し、同時に殺人容疑で追及を開始した[新聞 3][新聞 9][新聞 10][新聞 49][新聞 66]
  • 逮捕監禁容疑 - 2002年1月22日午後11時ごろ、三島市青木の国道136号沿いの路上を走行中、自転車で帰宅途中の被害者を自車に押し込めて監禁し、翌23日午前2時半ごろまで同市内周辺を車で連れ回した容疑[新聞 49]
  • 強盗容疑 - 被害者から現金約1万円入りの財布・携帯電話を奪うなどした容疑[新聞 49]
逮捕当初、被疑者Hは「被害者とは合意の上で性行為をした」などと供述し強姦・殺害の容疑を否認した[判決文 1]
2002年7月24日、逮捕された被疑者Hが事件後に車を処分した疑いが浮上 / 逮捕・監禁容疑を認める
2002年7月24日、捜査本部の調べに「被疑者Hは事件後、被害者を拉致するのに使った車(スバル・レガシィ)を証拠隠滅のために処分した」疑いが判明した[新聞 33]
H宅の大家の男性は、『読売新聞』の取材に対し「本年1月、Hが『車を買い替える』と言って車庫証明を求めて訪れた。今思えばこれは事件に関係していたかもしれない」と話した[新聞 49]。また、Hは当て逃げ事故の公判でも車の所在については「処分した」としか話していなかった[新聞 33]
捜査本部は、この車に証拠が残っている可能性が高いと推測して発見を急いだが[新聞 33]、後述のように車は既にスクラップにされていた。
また被疑者Hは逮捕直後、逮捕監禁・強盗などの各容疑を全面的に否認していたが、同日になって逮捕・監禁容疑を認める供述を始めた[新聞 67]。しかしその供述の内容には曖昧な点が多かった上、強盗などの容疑は依然として否認し続けていた[新聞 67]
2002年7月25日、被疑者Hを静岡地検沼津支部に送検 / 犯行に使われた車が解体されたことが判明
2002年7月25日、捜査本部は被疑者Hを逮捕監禁容疑などで静岡地方検察庁沼津支部に送検した[新聞 68][新聞 69][新聞 67]
また同日、所在不明になっていた被疑者Hの黒いステーションワゴンは[新聞 51]、ひき逃げ事件後の2002年1月末から同年2月下旬までの間に[新聞 51]函南町内の自動車解体工場で解体処分されていたことが判明した[新聞 51][新聞 70][新聞 67]。車体はその後、沼津市内のスクラップ工場で圧砕処理され[新聞 51][新聞 70]愛知県岡崎市内の製鋼工場に運ばれて破砕・製鋼された[新聞 70]。車のエンジンも同年2月下旬ごろ、長泉町内の製鋼工場で溶解処理されていた[新聞 70]
2002年7月28日、被疑者Hが殺害現場にいたことを認める / 犯行に使われた車のタイヤを押収
被疑者Hは2002年7月28日までに、共犯者の存在を仄めかした上で「被害者が殺害された当時、殺害現場にいた」ことを認める供述をしたが[新聞 38]、その一方で自身が殺害に関与した疑いについては依然として否認し続けた[新聞 38]。捜査本部は「被疑者Hの供述に曖昧な点が多い」ことから、共犯者の有無などについて慎重に調べた[新聞 38]
捜査本部は同日までに「被疑者Hが犯行に使用した車のタイヤ」を産業廃棄物処理業者から押収した[新聞 37][新聞 38]。事件当時の殺害現場は道路の一部が未舗装だったため[新聞 37][新聞 38]、捜査本部はこのタイヤを「車の走行ルート・犯行を裏付ける重要な手掛かり」と断定し[新聞 37]、現場付近に残されたタイヤ痕をタイヤと照合するなどして裏付け捜査を急いだ[新聞 37][新聞 38]
2002年7月30日、被疑者Hが殺害を認める供述 / 被害者の自転車を狩野川底から発見
被疑者Hは逮捕当初から「事件当夜に被害者に会った」ことは認めたが、殺害については「一緒にいた外国人がやった」などと供述して否認していた[新聞 71]。しかし2002年7月30日までに[新聞 72]被疑者Hは一転して「被害者に灯油をかけて焼いた」[新聞 71]「灯油は家にあったものを使った」などと[新聞 73]殺害を認める具体的な供述を始めた[新聞 72][新聞 71][新聞 74]
捜査本部は同日までに「被害者が殺害された際、後ろ手に縛られたり口を塞がれたりした際に使われていたものと同型」の使いかけの紙製粘着テープを押収した[新聞 72]。これは被疑者Hがひき逃げ事件を起こして車を処分した際、知人に処分を託された車内の荷物の中に含まれていた[新聞 72]
「仮に被疑者Hが被害者の殺害に関与していた場合、このテープが決定的な物証になる」可能性が濃厚になったため、捜査本部はテープに残った指紋・テープの切り口などを慎重に調べた[新聞 72]
同日、「被害者の自転車は狩野川に捨てた」という被疑者Hの供述を受け、捜査本部が機動隊のダイバー15人を投入して沼津市の狩野川河口付近に架かる「港大橋」付近を捜索した[新聞 75][新聞 71]
その結果、捜索開始から約2時間後の午後2時55分ごろになって[新聞 75]、水深約1.6メートルの[新聞 71]橋下流の川底で[新聞 75]、婦人用の自転車が泥に埋まっているのが発見された[新聞 75][新聞 71]
車体番号・防犯登録番号・被害者の卒業した高校のステッカーなどに加え、前輪泥除けに書かれた被害者の氏名・住所などから[新聞 75]、捜査本部はこの自転車を「所在不明だった被害者の自転車」と断定した[新聞 71]
2002年7月31日、被疑者H宅から灯油タンクを押収
捜査本部は2002年7月31日までに、被疑者H宅から「犯行に使われたとみられるプラスチック製の灯油タンク」を押収した[新聞 76][新聞 73]
捜査本部はこの灯油タンクを「事件に関わる重要な物証」と推測して「タンクに残った灯油と事件現場から採取した灯油の成分の比較」を進めたり[新聞 73]、タンクに付着した指紋を鑑定するなど地道な鑑識活動により裏付け捜査を進めた[新聞 76]
被疑者はこのころまでに捜査本部の取り調べに対し「被害者にまだ息があったことを知りながら焼き殺した」ことを認めたが[新聞 73]、犯行の動機や状況についてはなお不自然な供述も多かったため、捜査本部が追及を進めた[新聞 73]
2002年8月2日、被疑者Hが殺害について具体的な供述 / 静岡地検沼津支部が被疑者Hの勾留延長を申請
2002年8月2日までの捜査本部による取り調べに対し、被疑者Hは「顔を見られたので、灯油をかけライターで火をつけて殺した」と供述し、「殺害に関する動機を含めた具体的な供述」をした[新聞 77]
静岡地検沼津支部は同日付で勾留期限を迎えた被疑者Hについて「現段階では調べが不十分だ」として、「2002年8月13日まで10日間の拘置延長」を静岡地方裁判所沼津支部に請求し、請求許可決定を受けた[新聞 78][新聞 79]
2002年8月13日、静岡県警三島署捜査本部が被疑者Hを殺人容疑で再逮捕
被疑者Hは2002年8月になって、被害者の殺害について「顔を見られたので殺した。犯行に使った灯油は被害者を車に乗せたままいったん家に取りに帰った」などと具体的な供述をして容疑を認めた[新聞 80][新聞 81]
そのため捜査本部は2002年8月13日、被疑者Hを殺人容疑で再逮捕した[新聞 82][新聞 83][新聞 84]。事件発生から約200日余りとなるこの日までに、捜査本部は延べ1万人余りの捜査員を捜査に投入した[新聞 85]
殺人容疑で再逮捕して以降の捜査
狩野川で発見された被害者の自転車・失われた被害者の携帯電話など被害者の所持品について、被疑者Hは証拠隠滅の手段について以下のように具体的に供述した[新聞 84]
  • 「犯行後、拉致現場に自転車を取りに戻り、2002年1月23日夜に橋の上から投げ捨てた」[新聞 84]
  • 「携帯電話などは犯行後に焼いて処分した」[新聞 84]
捜査本部は2002年8月15日、被疑者Hを殺人容疑で静岡地検沼津支部に追送検した[新聞 86][新聞 87]
2002年9月3日、静岡地検沼津支部が被疑者Hを殺人罪などで静岡地裁沼津支部に起訴
静岡地方検察庁沼津支部は2002年9月3日、被疑者Hを殺人・逮捕監禁などの罪状で静岡地方裁判所沼津支部に起訴した[新聞 11][新聞 39][新聞 40]
それまでの取り調べに対し被告人Hは「偶然出会った被害者をわいせつ目的で呼び止め、無理矢理車の後部座席に押し込んで『俺の顔を見ただろう。警察に言うと殺すぞ』などと脅迫した。その上で身元を隠すために被害者を焼き殺した」など、殺害について詳細に供述するとともに[新聞 40]、「殺害直前に被害者の手・口を粘着テープで縛った」事実も認めた[新聞 40]
その上で被告人Hは全面的に犯行を認めつつ「申し訳ないことをした」と反省の言葉を漏らしたことに加え[新聞 39]、事件があった時期に覚醒剤を使用していたことを認めたが、覚せい剤取締法違反容疑については物証が得られなかったため立件は見送られた[新聞 88]
また、当初の逮捕容疑の1つだった強盗容疑についても覚せい剤取締法違反容疑と同様に不起訴処分となった[新聞 11]
捜査に関わった検察官は『読売新聞』の取材に対し「被害者遺族は事件当時、涙も出ないほど憔悴し抜け殻のようになっていた」と振り返った[新聞 89]

刑事裁判

第一審・静岡地裁沼津支部

静岡地方裁判所沼津支部は2002年9月27日付で初公判開廷期日を「2002年11月12日午後1時10分」に指定した[新聞 90]。その上で同日午前、静岡県弁護士会国選弁護人の選任を依頼した[新聞 90]

2002年11月12日、第1回公判、検察側冒頭陳述・被告人罪状認否
2002年11月12日、静岡地方裁判所沼津支部(高橋祥子裁判長)で被告人Hの初公判が開かれた[新聞 91][新聞 92][新聞 93][新聞 94][新聞 95][新聞 96]
検察側は冒頭陳述で以下のように主張した上で「被告人Hが犯行後に友人宅で覚醒剤を使用した」「事件2日後に起こしたひき逃げ事件でも、運転中に覚醒剤による幻覚症状が出ていた」などと新事実を明らかにした[新聞 93]
  • 被告人Hは職場に忘れ物を取りに戻る途中、アルバイト先から自転車で帰宅途中の被害者を路上でたまたま見かけた[新聞 95]。被害者に声を掛けたが無視されたため、待ち伏せして強引に車に押し込み強姦しようと企てた[新聞 93]
  • 被害者が通り過ぎると車で先回りして三島市青木の国道沿い駐車場で待ち伏せ[新聞 95]、同所で再度声を掛けたが断られたため、被害者を無理矢理車の後部座席に押し入れチャイルドロックをかけて監禁し、自転車を人目に付かない駐車場に投げ込んだ[新聞 95]
  • 監禁後、一時は被害者を解放することも考えたが[新聞 95]、覚醒剤を所持している知人から携帯電話で「注射器を持ってきてくれ」と依頼されたことで心情が変化し[新聞 95]、「注射器と引き換えに覚醒剤をもらおう」と考えるとともに「覚醒剤を早く注射したい」と焦り始めた[新聞 93][新聞 95]。そして「(被害者を)帰したら警察に通報され刑務所に逆戻りすることになる」という不安から短絡的な凶行に及んだ[新聞 93][新聞 95]
  • 実家に隠していた注射器を取りに行くためにいったん帰宅したところで、玄関先の灯油入りタンクに気付き「火を付けて殺せば身元不明の焼死体になる」と思い付いた[新聞 93]
弁護人側は「証拠が膨大で十分検討していない」として証拠採用についての意見を留保した[新聞 93]
被告人Hは罪状認否で起訴事実を大筋で認めたが[新聞 91][新聞 95]、車への監禁について高橋裁判長から「(被害者を)車に乗せる時点では強姦する気持ちはなかったのか」と確認されると「全くありません」と強い口調で答え、強姦目的の拉致を否認した[新聞 93]
また被告人Hは「被害者を強姦した場所」について、以下のように起訴状と異なる場所である旨を主張した[書籍 14]
  • 捜査段階で供述した「静岡県田方郡函南町軽井沢字立洞地内」(畑に囲まれた山間部の山中、夜間は真っ暗になる場所)ではなく「静岡県三島市芙蓉台北の農免道路からゴルフ場側に約10メートル入った辺りの路上」である[判決文 1]
2003年1月24日、第2回公判、証拠調べ
事件発生から1年となる2003年(平成15年)1月24日に第2回公判が開かれた[新聞 97][新聞 98]
検察側は同日、証拠採用された被害者遺族(被害者の両親)らの調書を朗読した[新聞 97][新聞 98]
父親の調書は「あの日、あの子に一体何が起きたのか。なんであんなむごい殺され方をしなければならなかったのか。犯人の口から聞きたい。明るくて優しい自慢の娘でした」などの内容で[新聞 97][新聞 98]、母親の調書も「変わり果てた娘の遺体に対面した悲しみ」などを訴えるものだった[新聞 97][新聞 98]
2003年2月20日、第3回公判、弁護人側陳述
2003年2月20日に開かれた第3回公判で弁護人側の陳述が行われた[新聞 99][新聞 100]
弁護人側は「被告人Hが被害者を車で連れ回してから殺害するまでの経路」について、検察側の主張との違いを指摘した[新聞 99]
弁護人は「被告人Hは被害者を強姦後、三島市長伏で被害者の適当な解放場所を探していたが、被害者が車から突然飛び降りて逃げようとしたために再び車に連れ戻した。この間に覚醒剤を自分で2度使用した」と主張した[新聞 99]
また殺害時の状況について弁護人は「灯油をかけたときは、(検察側主張と異なり)、被害者は気を失った状態で、正座をさせていたわけではない」などと主張した[新聞 100]
2003年3月20日、第4回公判、被告人質問
2003年3月20日に開かれた第4回公判にて被告人質問が行われた[新聞 101][新聞 102]
被告人Hは「犯行後、覚醒剤を使用していた」ことを認めた上で[新聞 102]、弁護人の被告人質問に対しては「殺害の際に使用した灯油入りポリタンクを持ち出した段階における心情」について「漠然と(短大生が)いなくなればいいと思った」「(殺害しようという)明確な意識はなかった。脅すつもりというのもあった」と説明した[新聞 101]。その上で「犯行を認めた理由について」は「被害者に対して申し訳ないと思った」と話した[新聞 101]
さらに被告人Hは「被害者が三島市内で一度車から飛び降りて逃げようとしたが、再び車に連れ戻した」と述べ[新聞 102]、この事実を隠していた点については「罪が重くなると思って言わなかった」と話した[新聞 102]
2003年7月10日、第7回公判、検察側証人尋問
2003年7月10日に第7回公判が開かれ、検察側が、被害者女子短大生の両親に証人尋問を行った[新聞 103]
証人出廷した被害者の父親は、事件後の生活について「家の中が暗くなった。(事件発生直後のように)うなされることはなくなったが、たまに(亡くなった娘が)夢に出てくる。仕事中に事件を思い出し、娘の名前を叫ぶこともある」と述べ、被告人Hへの極刑を望んだ[新聞 103]
また父親は「事件当夜に娘を探しに行った場所の近辺」で被害者が車に押し込められたことなどについて検察側に尋ねられると、涙ぐみ声を出せなかった[新聞 103]
被害者の母親は「被告人Hは『最初に娘に声を掛けて断られた時』なぜ放っておいてくれなかったのか」と訴えた上で「できることなら娘を返してほしい」と証言し、夫と同様に極刑を望んだ[新聞 103]
2003年8月26日、第8回公判、検察側・弁護人側がそれぞれ証人尋問
2003年8月26日に第8回公判が開かれ、検察側・弁護人側がそれぞれ証人尋問を行った[新聞 104]
検察側証人として召喚された被害者の姉は、生前の妹との思い出を語り、「(生前は)妹との思い出を振り返ることはなかったが、(今は)『今生きていたら、何をしていたんだろう』とよく考えるようになった」と語った[新聞 104]
その上で自宅の様子を「もともと(事件前には)、家には仏壇がなかったのに、線香や花の匂いがして、(妹が)死んでしまったことを実感させられる」と証言した上で、量刑の希望について「私たち家族全員が(被告人Hを)許せないと思っている」として、前回公判で証言した両親と同様に極刑を求めた[新聞 104]
弁護人側の証人として召喚された被告人Hの父親尋問では、被告人Hの父親が息子の生い立ちを話した上で、「確かに息子のやったことは取り返しのつかない社会的にもどうしようもないことだ。しかしどういう判決が下されても息子には生きていてほしい」と述べ、死刑回避を訴えた[新聞 104]
2003年10月9日、論告求刑公判、検察側が被告人Hに死刑求刑
2003年10月9日に論告求刑公判が開かれ、検察側(静岡地検沼津支部)は被告人Hに死刑求刑した[新聞 105][新聞 106][新聞 107][新聞 108]
検察側は論告で「人間性のかけらも認められない非道・残虐な犯行で、到底許すことなどできず、無惨な死を遂げた被害者の無念は言い尽くせない」と指弾した上で、「通り魔的な事件の中でも最も悪質な犯行で、極刑で臨むほかない」と犯行を非難した[新聞 105]
静岡地裁などによれば静岡県内の刑事裁判における死刑求刑は、1966年6月に同県清水市(現・静岡市清水区)で発生した「袴田事件」以来だった[新聞 108]
2003年10月30日、弁護人側最終弁論
2003年10月30日の公判で弁護人側の最終弁論が行われて結審した[新聞 12][新聞 109]
弁護人側は「計画的犯行ではなく、被告人Hは反省しており矯正の可能性はある」と主張して死刑回避を求めた上で、適切な量刑に関して「無期懲役か有期懲役が相当」と主張した[新聞 12][新聞 109]
最終意見陳述で被告人Hは「自分のしたことでこれだけの人に迷惑をかけて本当にすみませんでした」と述べ、犯行を謝罪した[新聞 12][新聞 109]
判決期日指定→変更
判決期日は当初、2003年12月18日に指定された[新聞 12][新聞 109]
しかしその直前となる2003年12月12日までに[新聞 110]、静岡地裁沼津支部は判決公判期日を「翌2004年(平成16年)1月15日に延期する」と発表した[新聞 110][新聞 111]
2004年1月15日、判決公判、被告人Hに無期懲役判決
2004年1月15日に判決公判が開かれ、静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)は被告人Hに無期懲役判決を言い渡した[新聞 112][新聞 113][新聞 114][新聞 88][新聞 115]
静岡地裁沼津支部は、冒頭の主文宣告に続き、約40分間の判決理由で、争点となった被告人Hの「火を点けた時、被害者は既に死亡しているかもしれないと思った」とする主張を退けた上で「犯行の発覚を恐れ、身元がわからないように焼殺した」とする検察側主張を事実認定[新聞 88]、「(殺害方法は)焼殺という極めて異常・残虐なもので強固な確定的殺意に基づいた犯行だ。自己中心的な動機で酌量の余地はない」と断罪した[新聞 112]
その上で「被告人Hの『人間的な思考に欠けた冷酷な性格』による残虐極まりない犯行で社会的影響は大きい。矯正教育をしても犯罪性向を改めるのは困難である」と犯行を非難し[新聞 115]、量刑理由について「被害者には何の落ち度もなく、遺族の処罰感情が峻烈なのも当然だ」と指摘した一方で[新聞 113]、「被告人Hが反省の態度を示していること」「犯行に計画性が窺えないこと」「劣悪な環境で育ったこと」などの情状を挙げ、「規範的な人間性がわずかながら残されており、死刑とするにはなお躊躇いがある。終生、贖罪の日々を送らせるのが相当である」と結論付けた[新聞 88][新聞 115]
静岡県内においてこの時点までに「殺害被害者数1人の殺人事件で死刑判決が言い渡された事例」はなくいずれも無期懲役・有期懲役刑が言い渡されていた[新聞 113]
無期懲役判決に対する反応など
被害者の姉は判決後、報道陣の取材に対し「犯人を殺せる方法は死刑しかないのに…悔しい。被告人Hは反省しているようには思えなかった」と無念の思いを話した[新聞 88]
被告人Hは閉廷後、傍聴席を振り返って友人に軽く手を上げ、「おう」と小さな声を掛けて退廷した[新聞 88]
担当した裁判官3人は公判の途中から死刑求刑を予想し、「死刑か無期懲役かの判断になる」という前提で議論を重ねた[新聞 89]。その結果「従来の量刑の傾向から見ると、ボーダーラインというよりは無期懲役に近いケースだと思った」として死刑を回避したが「被害者感情を重視する世論が高まっている時期だった」(裁判官の1人)ことから、裁判所には判決後、非難の電話が相次いだ[新聞 89]
静岡大学人文学部助教授・田淵浩二(刑事訴訟法)は『静岡新聞』の取材に対し、本判決を「全国では『殺害された被害者が1人の殺人事件』でも死刑判決が出た事例がある(例:JT女性社員逆恨み殺人事件)。本件において死刑が回避された決定的な事情は『殺害された被害者が1人だから』ではなく『計画性がなかったこと』など死刑適用の条件が満たされていなかったためだろう」と解説した[新聞 113]
2004年1月28日、静岡地検沼津支部が東京高裁に控訴
静岡地検沼津支部は量刑不当を理由に判決への不服を訴え、2004年1月28日付で東京高等裁判所控訴した[新聞 116][新聞 117]
2004年2月10日まで、被告人H・弁護人側が東京高裁に控訴
被告人Hも量刑不当を理由に判決への不服を訴え、2004年2月10日までに東京高裁に控訴した[新聞 118][新聞 119]

控訴審・東京高裁

2004年初夏以降、田尾健二郎裁判長が感じた疑問
東京高等裁判所における控訴審で裁判長を務めた田尾健二郎(第6刑事部)は2004年当時、裁判官に就任してから36年の豊富なキャリアを持ち、東京地方裁判所に所属していた際には東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の被告人・宮崎勤に裁判長として死刑判決を言い渡すなど数多くの刑事裁判を手掛けていた[新聞 89]。被告人の責任能力が争点になった宮崎の事件と違い、事実関係に争いがなかった本事件は「殺害された被害者数が1人の事件において死刑を適用することの妥当性」が争点だった[新聞 89]
田尾は東京高裁で本事件審理を担当することになったことを受け、2004年初夏に第一審の判決文を読んだ際の感想について、2009年に『読売新聞』の取材に対し以下のように回答した[新聞 89]
  • 「被害者は『親に経済的な負担をかけまい』と地元の居酒屋でアルバイトをしていた真面目な学生だった。そんな被害者がアルバイトの帰り道で見ず知らずの男に車で拉致されて乱暴された挙句、山中の路上で体を縛られた状態で灯油をかけられて火を点けられて殺される――このように不条理でやりきれない事件であることを知り、『あまりにひどい』と思った」[新聞 89]
  • 「(死刑を回避して無期懲役を選択したのは)これでいいのだろうか、という違和感に近い疑問を感じた」[新聞 89]
  • 「死刑か無期懲役か『すべての情状を判断しなければ結論が出ない』難しい事件だ」と気を引き締めた[新聞 89]
2004年10月14日、控訴審第1回公判
2004年10月14日、東京高裁第6刑事部(田尾健二郎裁判長)で控訴審初公判が開かれた[新聞 120]
検察側(東京高等検察庁)は同日、控訴趣意書にて控訴理由を述べた上で改めて原判決破棄・死刑適用を求めた[新聞 120]。検察側の控訴趣意書内容は以下の通り。
  • 「冷酷・残虐な犯行で被告人Hには反省も見られない。殺人などの前科がなく殺害された被害者が1人であっても、本件で極刑を回避しては司法に対する信頼が揺らぐ」[新聞 120]
  • 「本件犯行の諸事情に照らすと、被告人Hに対しては死刑をもって臨むほかないのに、原判決が被告人への死刑適用を回避して無期懲役の量刑を選択したのは『著しく軽きに失し量刑不当』である」[判決文 1]
一方で弁護人側は控訴趣意書にて「途中で殺害を躊躇するなど計画性はなく、無期懲役は重過ぎる」と主張し、原判決破棄・有期懲役刑を求めた[新聞 120]。弁護人の控訴趣意書内容は以下の通り。
  • (量刑不当の主張)無期懲役は重すぎ、有期懲役刑で処断すべきである[判決文 1]
  • (事実誤認の主張)被告人Hが被害者を強姦した場所は、被告人Hが捜査段階で供述し原判決も同様に認定した「静岡県田方郡函南町軽井沢字立洞地内」ではなく、原審公判で被告人が従来から供述を変更した「静岡県三島市芙蓉台北の農免道路からゴルフ場側に約10メートル入った辺りの路上」である[判決文 1]
    • その理由について被告人Hは第一審・控訴審それぞれの公判において「捜査段階で被害者の遺体を見せられてショックを受け、それを連想させる場所には行きたくなかったので、強姦場所について虚偽の供述をした」と証言した[判決文 1]
2004年12月7日、控訴審第2回公判、被告人質問
2004年12月7日に開かれた第2回公判で被告人質問が行われた[新聞 121]
被告人Hは、検察側の被告人質問で「殺害時に使った灯油を実家から持ち出した理由」に関して質問されると「被害者を脅すためで、その時点では殺そうと思っていなかった」などと説明した[新聞 121]
その上で「被害者を殺害した理由」に関して質問されると繰り返し「分からない」と述べた一方で[新聞 121]、控訴理由については「少しでも刑を軽くしたかった」と述べた[新聞 19]
2005年1月18日、控訴審第3回公判、証人尋問を行い結審
2005年(平成17年)1月18日に開かれた第3回公判で控訴審が結審した[新聞 122][新聞 123]。同日は証人尋問が行われ、被害者の父親が検察側証人として出廷した[新聞 122][新聞 123]
被害者の父親は、被告人H本人に対し「娘がされたのと同じことをしてやりたい気持ちだ。発覚を恐れて殺すなんて人間のすることじゃない。極刑を望んでいる」と述べた[新聞 122]。被害者の父親の供述調書には、「同じように火をつけて、Hを殺してやりたい。どれだけ熱いか、どれだけ怖いか、どれだけ苦しかったか、思い知らせてやりたい」と記してあった[新聞 89]
その上で被害者の父親は、被告人Hへの量刑に関して「娘のところに行って土下座して謝ってもらいたい」と涙ながらに語り、第一審と同様に死刑を求めた[新聞 123]
控訴審判決を控えた裁判所側の動向
裁判長を務めた田尾は判決を控え、第一審判決が「死刑回避の事情」として指摘した「周到な計画に基づく犯行ではない」「被告人Hの前科に殺人などの犯罪は見当たらない」などとした理由を1つずつ検討した[新聞 89]
その上で田尾は「殺害の計画性はないが、被告人Hは犯行直後に灯油のポリタンクを自宅に戻すなど証拠隠滅を図っていた」「被告人Hは犯行まで何度も少年院・刑務所に入り、前回の仮釈放から1年も経たないうちに犯行に及んだ」などの情状から「第一審がどこで悩んだかはよく分かったが、どの情状も『生きたまま焼殺する』という犯行態様の残虐さに比べれば『被告人に有利な事情』と認めることはできない」という心証を固めていった[新聞 89]
そして田尾は陪席裁判官2人(鈴木秀行・山内昭善)とともに何度も「検察側・弁護人側それぞれの立場から事件記録を見る作業」を繰り返し、それぞれの考えを慎重に突き詰めてから合議に入った[新聞 89]。その結果、田尾らは「極刑しかない」という結論に至り、無期懲役の原判決を破棄した上で死刑判決を書き上げることとなった[新聞 89]
2005年3月29日、控訴審判決公判、第一審破棄・被告人Hに死刑判決
2005年3月29日に控訴審判決公判が開かれ、東京高裁刑事第6部(田尾健二郎裁判長)は第一審・無期懲役判決を破棄して検察側の求刑通り被告人Hに死刑判決を言い渡した[判決文 1][新聞 14][新聞 124][新聞 125][新聞 126][新聞 15][新聞 127][新聞 128][新聞 129][新聞 19][新聞 130]
東京高裁は判決理由で「被告人Hは原審公判以降、強姦現場をそれまで(原判決が認定した)『函南町軽井沢』と主張していたにも拘らず『三島市芙蓉台の農免道路付近』と主張するようになっているが、以下のような理由で信用できない」と事実認定した[判決文 1]
  • 捜査段階では逮捕翌日に「被害者と合意で肉体関係を持った」と初めて述べた際、その場所を「(函南町軽井沢にある勤務先建設会社の)軽井沢事務所から車で約10分弱走ったところ」と述べ、その直後に被害者を強姦したことを自供した際にも「函南町の山中道路端」と述べている[判決文 1]
    • その後の本格的な取り調べにおいて、被害者を拉致した場所から強姦した場所に至る図面を描き、その経路について詳細に説明しつつ、「『軽井沢事務所から箱根にある社長の父親の仕事場に行くことができる。その途中の山の中なら誰にも見られない』と思って強姦場所に決めた」という趣旨の供述をしている[判決文 1]
    • その後、警察官を現場に案内して実況見分に立ち会った際には「見分時には現場の左側に人の背丈ほどに成長したトウモロコシ畑があったが、被害者を強姦したとき(事件当日の1月)にはその畑には何も栽培されていなかった」など、具体的で臨場感に富む供述をしている[判決文 1]
    • これらの状況に加え、強姦場所に向かう途中には携帯電話に覚醒剤仲間から電話がかかってきたが、その際も当時の心理状態を交えつつ「函南町の山中に向かっている」などと供述していることから、被告人Hの強姦場所に関する捜査段階における供述の信用性は高い[判決文 1]
  • 被害者を拉致した場所・コンビニエンスストアの駐車場など強姦後に連れ回した場所・さらには殺害現場まで警察官を案内して詳細に説明しながら、強姦場所には『遺体を連想させる場所には行きたくない』という理由で虚偽の供述をしたというのは甚だ不自然だ[判決文 1]
  • 被告人Hの主張する農免道路の地理的状況は拉致途中に覚醒剤仲間と電話で交わした内容とも矛盾し、原当審における供述は捜査段階の供述と対比して信用できない[判決文 1]
また被告人Hの生活環境については「被告人Hは幼少期に母親から育児放棄・父親から体罰を受けるなど『他の兄弟に比べて両親から愛情を受けることが少なかった』点は確かに否めないが、家庭が非常に貧困だったり、被告人Hだけが他の兄弟と差別された育てられ方をしたり、父親から理由もなく虐待されていたようなことはない。実際、被告人Hと同じ環境で育った兄弟に犯罪歴はなく、被告人Hの犯罪性向は家庭・生育環境よりも被告人H自身のこれまでの生き方・考え方・生活に由来する面が大きく、その生い立ちに同情すべき点があったとしても斟酌するには自ずから限度がある」と指摘した[判決文 1][新聞 19]
その上で犯行の結果・被害者遺族の処罰感情に関して「被害者は生前、誠実に生きて努力を重ねてきたにも拘らず、不幸にも被告人Hの目の留まってしまったばかりに『自己中心的で卑劣・残虐な犯行』の犠牲になった。体を縛られた状態で焼き殺された被害者の無念・苦痛はいかばかりかと察せられる。被害者の両親・姉の悲嘆・苦痛はあまりにも大きく慰める言葉もない。被害者遺族が強く死刑を望むのは当然だ」と述べた[判決文 1][新聞 19]
そして「犯行後の冷静な証拠隠滅活動」などを指摘した上で[新聞 19]量刑理由を以下のように説明し「原判決において死刑を回避し無期懲役を適用した量刑は著しく軽きに失し不当である」と結論付けた[判決文 1]
  • 「監禁後に被告人Hが殺害を躊躇したのは『殺害が発覚すれば重い罪で処罰されること』を恐れたためでもっぱら自己保身に基づき、被害者に対する慈悲の心情によるものではない。『周到に殺害を計画していない』ことを強調するのは相当ではない」[判決文 1][新聞 19]
  • 「被害者には何ら落ち度はなく、犯行の動機は誠に身勝手・理不尽で、殺害方法も残虐極まりなく冷酷非情なものだ。『覚醒剤を打ちたい』と考えて被害者を生きたまま焼き殺すという人間性を欠いた被告人Hの行為には慄然とせざるを得ない」[判決文 1][新聞 19]
  • 「被告人Hに殺人などの前科がないこと、被告人が本件各犯行をおおむね認めて被害者遺族に謝罪し、兄に依頼して殺害現場で焼香を行わせるなど、反省・悔悟の様子がうかがわれる情状を最大限に斟酌しても極刑をもって臨むほかない」[判決文 1]
1983年、死刑選択基準の判例として最高裁判所から「永山基準」が示されて以降、「殺害された被害者数が1人の殺人事件」では身代金誘拐[注釈 1]保険金殺人逆恨みを動機としたお礼参り殺人[注釈 2]など計画性が高い利欲目的の場合や、過去に無期懲役刑で服役したにも拘らず仮釈放中に再犯した場合[注釈 3]を除いて死刑を回避する傾向が強かった[新聞 19][注釈 4]。そのため「利欲目的でなく殺人の前科もない」被告人Hに死刑判決が言い渡されたのは極めて異例の判決で[新聞 19]、少なくとも静岡県内においてはこれが初の事例だった[新聞 113]
死刑判決に対する反応
静岡地検次席検事・中屋利洋は『静岡新聞』の取材に対し「こちらの主張通り認められた。東京高裁は事案をよく見て適切な判決を出してくれた。立派な判断だ」と述べた[新聞 129]
弁護人は閉廷後、『静岡新聞』の取材に対し「被害者の数に言及しなかったのは残念。『死刑にはならない』と思っていたので不意打ちを受けた気分だ。判決は極めて重い」と話した上で、被告人Hと接見した際の状況に関して「被告人Hは死刑判決を受けてかなり動揺していた」と説明した[新聞 128]
田淵浩二(当時・香川大学教授・刑事訴訟法)は『静岡新聞』の取材に対し「被害者遺族の処罰感情・社会的影響を重視した内容だ。今後もこうした判決が出る可能性がある」と解説した[新聞 127]
土本武司(当時・帝京大学教授)は『読売新聞』の取材に対し控訴審判決を「注目すべき判決。複数の命でないと犯人1人の命に匹敵しないというのは不自然。この判決は重要な先例となるだろう」と評価した[新聞 19]
公判で意見陳述に立ち「人間のすることじゃない。同じようにしてやりたい気分だ」と証言した被害者の父親は「思っていることが通じた。当たり前の判決です。帰ってすぐに報告したい。ただ、報告しても娘が帰って来るわけではない」とコメントした[新聞 125][新聞 19]
被害者の高校時代の恩師は、「亡くなった人は帰ってこないけど、裁判長がいい判断をしてくれたのはありがたい」と語った[新聞 126][新聞 19]
『静岡新聞』2005年3月30日朝刊1面コラム「大自在」は控訴審判決に関して「あまりにも惨い犯行で、死刑制度が存在する限りそれしか当てはまらない残虐な行為だった。控訴審の死刑判決は当然の結論だろう。しかし父親が「娘が帰ってくるわけではない」と言ったように、遺族には一つの区切りになっても心の深い傷が癒えることはない」と表現した[新聞 131]
裁判官の回想
裁判長として死刑判決を言い渡した田尾は、2009年に『読売新聞』の取材に対し「(死刑判決を言い渡したとはいえ)被害者遺族の処罰感情はそれほど重視しなかった。被害者の人物像を判決理由の中で述べた際も、感情的な言い回しを極力避けた」と説明した上で、「それでも『苦悶のうちに命を失うこととなった被害者の短い一生を思う時、深い哀れみを覚えざるを得ない』という一言だけは自分自身の心情を判決文に反映した」と振り返った[新聞 89]
また、静岡地裁沼津支部で第一審を担当した裁判官の1人は、自分たちが言い渡した無期懲役判決が破棄されて死刑が言い渡されたことをニュースで知ったが、「それもまた1つの判断。第一審は審理を尽くしたが、高裁は別の見方をした」と受け止めた[新聞 89]
2005年3月30日、被告人H・弁護人側が最高裁に上告
被告人Hの弁護人は控訴審の逆転死刑判決について、「被害者の数について言及されなかった点は疑問」として判例違反を主張した[新聞 19]
その上で、弁護人は2005年3月30日付で最高裁に上告した[新聞 132][新聞 133]

上告審・最高裁第二小法廷

2007年10月22日まで、上告審口頭弁論公判開廷期日指定
2007年(平成19年)10月22日までに最高裁判所第二小法廷(古田佑紀裁判長)は、上告審口頭弁論公判の開廷期日を「2007年12月17日」に指定して関係者に通知した[新聞 134][新聞 135]
2007年12月17日まで、上告審口頭弁論公判開廷
最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2007年12月17日、上告審口頭弁論公判が開かれた[新聞 136][新聞 13][新聞 137][新聞 138][新聞 139]
弁護人側は上告趣意書にて、過去の焼殺事件の判例を挙げて「残虐な犯行だが、同種の事件では無期懲役判決が一般的であり、本件の死刑適用は均衡を害する判例違反だ」と指摘した[新聞 136]。その上で殺害された被害者が1人だったことなどを挙げ、以下のように主張した[新聞 13][新聞 138]
  • 「被害者1人の事件において、死刑の適用は慎重な運用が必要だ。被害者遺族の悲嘆も理解できるが、過度の重視は罪刑の公平性を欠く」[新聞 136]
  • 「本件以上に残虐で悪質な犯行があることも否定できず、死刑が誠にやむを得ないとまでは言えない」[新聞 13]
  • 「死刑制度は日本国憲法第36条で禁じられた「残虐な刑罰」に該当する上、控訴審判決は日本国憲法第31条(法定手続の保障)にも違反する」
その上で「被告人Hが被害者遺族に謝罪の手紙を書いていることなどから、矯正の可能性が認められる」と述べ[新聞 13]、死刑判決を破棄するよう求めた[新聞 136][新聞 13][新聞 138]
一方で検察側は「『永山基準』は『殺害された被害者が複数でなければ死刑を選択できない』と判断したものではない」と反論した上で[新聞 13]、「犯行は極めて冷酷・残虐で通り魔的なものであり地域社会に与えた衝撃も大きい。犯行動機は自己中心的で被告人Hの犯罪性向に改善の余地はない。これまでの同種事件と比べても罪責は重く死刑適用は免れない」として被告人H・弁護人側の上告を棄却するように主張した[新聞 136][新聞 13][新聞 138]
2008年2月12日まで、上告審判決公判開廷期日指定
2008年(平成20年)2月12日までに最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は判決公判期日を「2008年2月29日」に指定して関係者に通知した[新聞 140][新聞 141]
2008年2月29日、上告棄却判決により死刑判決が事実上確定
最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2008年2月29日、上告審判決公判が開かれた[新聞 142][新聞 20][新聞 143][新聞 21][新聞 144][新聞 145]
同小法廷は控訴審の死刑判決を支持して被告人Hの上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑判決が確定することとなった[新聞 142][新聞 20][新聞 21][新聞 145]
同小法廷は判決理由で「意識のある人間に火をつけて殺すという残虐な殺害方法などからすれば、死刑はやむを得ない」などと述べた[新聞 20][新聞 21]
「永山基準」が示されて以降、殺害された被害者数が1人の事件で死刑が確定した死刑囚の人数は本判決以前までに計24人だったが、うち23人は強盗殺人・身代金目的誘拐・保険金殺人といった金銭利欲目的か(無期懲役刑の仮釈放中に新たな殺人事件を起こした者を含め)殺人前科がある場合に限られており、唯一の例外は2004年に発生した奈良小1女児殺害事件の死刑囚(自ら死刑を望み、第一審・奈良地裁で死刑判決を受けた後で控訴取り下げ)だけだった[新聞 20]。そのため本事件は「『利欲目的』がなく殺人前科もない被告人に対し最高裁で死刑判決が支持されて確定した」極めて異例のケースとなった[新聞 20][新聞 21]
静岡地裁管内で第一審が行われた刑事裁判において死刑判決が確定したのは1980年に最高裁で死刑が確定した袴田事件の死刑囚・袴田巌以来28年ぶりだった[新聞 20][新聞 146]
上告審判決に対する評価
この判決について、『読売新聞』2008年3月1日東京朝刊静岡県面の記事上で渥美東洋(当時・京都産業大学教授)は「拷問に等しいような犯行で死刑は当然だ。犯罪が多様化しており『被害者の数だけで量刑を決められるような時代』ではない。判決は『死刑適用の具体的事例』として『新たな1つの基準』が加わったと解釈することができる」とコメントした[新聞 21]
一方、石塚伸一(当時・龍谷大学教授)は同記事上で「被告人Hの矯正可能性に触れつつ死刑を選択したことは従来より厳しいと言わざるを得ない。判決文では『死刑選択の理由に後向きな表現』が目立つが、控訴審の死刑判決を破棄するまでには至らなかった」とコメントした[新聞 21]
2008年3月17日付、被告人Hの死刑判決確定
被告人Hの弁護人は判決を不服として2008年3月10日付で最高裁第二小法廷に判決の訂正を申し立てたが[新聞 147]、申し立ては同小法廷から2008年3月17日付出だされた決定により棄却されたため、同日付で被告人Hの死刑判決が確定した[新聞 148][新聞 149][新聞 150]

死刑執行

福島瑞穂が確定死刑囚を対象に実施したアンケートに対する死刑囚Hの回答
2008年7月以降、参議院議員福島瑞穂が確定死刑囚らを対象に実施したアンケートに対し、東京拘置所収監されていた死刑囚Hは以下のように回答していた[書籍 2]
  • 「何を言っても言い訳になるが、『人の命を奪う』という『人として最も重い罪』を犯してしまったからこそ、死刑囚となった自分は『命の尊さ・大切さ』『被害者や遺族の苦しみ・悲しみ・怒り』を知ることができた。死刑囚こそ『誰よりも』命の大切さを知っている」[書籍 2]
  • 「外部交通権が制限されており、新しく改正された刑事収容施設法もとても『自分たちのことを考えた新法』とはいえず『役人の都合のいい新法』でしかない」[書籍 2]
また2011年7月以降、福島が確定死刑囚らを対象に実施したアンケートに対し、死刑囚Hは以下のように回答していた[書籍 3]
  • 「外部交通権が厳しく制限されているため、文通・面会が自由にできない。再審請求のための支援者が死亡したにもかかわらず、新たな再審支援者の外部交通も許可されず、再審請求の邪魔ばかりされている」[書籍 3]
    • 「死刑囚は命の大切さをほかの誰よりも知っている。死刑は国家が殺人を犯すのと同じで、死刑執行方法(絞首刑)もかなり残酷だ。自分が犯した罪の重さは十分に分かっているし、毎日反省・悔悟をしているが、『いつ死刑を執行されて死ぬかわからない』という気持ちは死刑囚でなければわからないだろう。これは精神的拷問と同じだ」[書籍 3]
    • 「自分が悪いのは十分わかっているが、死刑執行だけはされたくない。被害者遺族には納得してもらえないかもしれないが、生きて償いたい。東京拘置所では被害者遺族宛に謝罪の手紙を書くことは許されていないが、『できることなら東者遺族と直接会って謝罪したい』という気持ちはいつでも持っている。人命を奪ったが『命を大切にする』ということは大事なことであり、まだ被害者・遺族への謝罪・償いができていないうちに死ぬわけにはいかない」[書籍 3]
    • 「『もし再び社会に出られたなら、一生犯罪を犯したり悪いことをしたりしない』という自信がある。死刑執行の恐怖に比べれば、誘惑の多い一般社会に出て真面目に生きることなど簡単だ」[書籍 3]
  • 「被害者遺族と同様に死刑囚も苦しんでいる。被害者遺族とは同じ立場ではないが『死刑囚の苦しみ』もわかってほしいし、『終身刑があれば被害者遺族への償いができる』ので死刑廃止を強く訴えたい――それが間違いなくほとんどの死刑囚の総意になるだろう」[書籍 3]
2012年8月3日、死刑囚Hほか1人の死刑執行
2012年(平成24年)8月3日法務省法務大臣滝実)の死刑執行命令により収監先・東京拘置所で死刑囚H(40歳没)の死刑が執行された[法務省 1][新聞 16][新聞 17][新聞 22][新聞 151][新聞 152][新聞 23]
同日には死刑囚Hに加え、京都・神奈川親族連続殺人事件の死刑囚(大阪拘置所在監)に対しても死刑が執行された[法務省 1][新聞 16][新聞 17][新聞 22][新聞 23]
死刑執行に対する反応
三島市内在住の被害者遺族は死刑囚Hの死刑執行を受け、2012年8月3日午前に静岡新聞社の電話取材に対し「死刑が執行されても娘は帰ってきません」と話した[新聞 16][新聞 17]。その後、静岡県警を通じて被害者の父親が「悲しく悔しい気持ちは今も変わりません。私たち家族をそっと見守ってください」とコメントを出した[新聞 16][新聞 17]
事件発生時の静岡県警捜査一課長・鈴木斉夫(死刑囚Hの逮捕当時は県警三島署長)は「何の落ち度もなく勉学に励んでいた女性が殺害された残虐な事件で、現職当時に捜査した事件の中でも忘れられない」と振り返った上で、死刑執行については「コメントする立場にない」と述べた[新聞 16][新聞 17]
『静岡新聞』2012年8月4日朝刊1面コラム「大自在」は死刑執行に関して「『10年前の事件さえなければ、今ごろは娘も私たちも平凡に暮らしていたはず』という被害者の母親のコメントに胸が痛む。今なお被害者遺族の心の深い傷が癒えることはない」と表現した[新聞 153]
控訴審弁護人・福島昭宏の発言
控訴審で被告人Hの弁護人を務めた弁護士・福島昭宏は死刑囚Hの死刑が執行された直後の2012年8月27日、衆議院第二議員会館で開かれた死刑執行抗議集会にて以下のように発言した[書籍 15]
  • 個人的には東京高裁で逆転死刑判決が言い渡されたことは完全に想定外だった[書籍 16]。本事件に関しては弁護士会側から東京高裁に「特別案件に指定してほしい」と申し出ていたが担当部はこれを認めなかったため、個人的に「裁判所側もそこまで重要とは考えていない事件だろう」と認識していた[書籍 17]。自分は死刑事件に関わる自信がなかったが「この事件なら死刑はあり得ないだろう」と考えて弁護人を引き受けたが、もし裁判所側から「特別案件」に指定されていたら「これは死刑になるだろう」と考えて引き受けなかったはずだ[書籍 17]
    • 本事件と同時期に静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)で審理され、死刑求刑に対し無期懲役が言い渡された事件には「沼津市内で発生した女子高生へのストーカー殺人事件」があったが、そちらの事件の被告人には「元婚約者への殺人未遂前科」があった上、被害者を駐輪場で待ち伏せて殺害した計画性の高さも認められるため、個人的には「そちらの事件の方が本事件より凶悪だし、逆転死刑判決が言い渡される可能性がより高いのではないのか?」と思っていた[書籍 18]。しかしその事件は結局、控訴審・東京高裁でも無期懲役が支持されて(=死刑を求刑した検察側の控訴棄却)そのまま確定した[書籍 18]
    • 本事件とほぼ同時期に東京高裁で審理された事件においても「死刑求刑・第一審で無期懲役・検察側控訴」の「殺害被害者数2人の強盗殺人事件」女性被告人を担当したが、その事件は死刑判決を受けた主犯格・男性被告人との「実行共同正犯」だったため、「本事件より逆転死刑判決が言い渡される可能性が高い」と踏んでいた[書籍 17]。実際同事件は裁判所側も相当重要な事件と考えていたからか「特別案件」に指定していたが、結局は無期懲役判決が支持された[書籍 17]
  • 死刑囚Hの元妻は幼子2人を抱えており、夫Hが逮捕されてからも相変わらず愛情を抱き続けていたから「(Hを)妻子の元に帰してやりたい」と考えていたし、死刑確定でも反省の色が出てきたのなら「もう一度(社会復帰の)チャンスを与えても良かったのではないか」と考えた[書籍 19]。死刑囚Hの遺体は遺族に引き取られており無縁仏にはなっていないはずだ[書籍 15]

脚注

注釈

  1. ^ 例:雅樹ちゃん誘拐殺人事件吉展ちゃん誘拐殺人事件名古屋市女子大生誘拐殺人事件など。
  2. ^ 例:JT女性社員逆恨み殺人事件
  3. ^ 例:福山市女性強盗殺人事件など。
  4. ^ 同じく「永山基準」が示された1983年以降に発生した身代金誘拐・保険金殺人を除く殺害被害者数1人の殺人事件で、無期懲役刑の前科がない被告人に対し最高裁で死刑が確定したケースとしては、横浜中華街料理店主射殺事件名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件JT女性社員逆恨み殺人事件の3例が挙げられるが、1件目・2件目は強盗殺人事件で、2件目・3件目の死刑囚は殺人の前科(有期懲役刑が確定し服役、満期出所後の犯行)がある。また殺人の前科がない1件目の死刑囚も銃を使用した犯行であり、強盗殺人事件とは別に強盗殺人未遂事件・放火事件を起こしていた上、3件目の死刑囚は「身代金誘拐・保険金殺人と変わらない高度な計画性に基づく犯行」と認定された。

出典

判決文
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法務省発表
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  137. ^ 『読売新聞』2008年2月29日東京朝刊静岡県面33面「三島の短大生死亡 『殺害1人で死刑』どう判断 きょう最高裁判決=静岡」
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  139. ^ 『産経新聞』2007年12月18日東京朝刊首都面「短大生焼殺で上告審弁論 最高裁」
  140. ^ 『静岡新聞』2008年2月13日夕刊第一社会面3面「三島・女子短大生焼殺事件 29日に最高裁判決」
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  142. ^ a b 『静岡新聞』2008年2月29日夕刊1面「三島の女子短大生焼殺 H被告、死刑確定へ-最高裁判決 被害者1人で適用」
  143. ^ 『静岡新聞』2008年3月1日朝刊第一社会面29面「両親『娘は帰らない』 主文にうなずき涙、今も悲しみ癒えず-短大生焼殺『死刑』」
  144. ^ 『読売新聞』2008年3月1日東京朝刊静岡県面33面「短大生殺害上告審 残虐性重視の判決 死刑でも『娘は帰らぬ』=静岡」
  145. ^ a b 『産経新聞』2008年3月1日東京朝刊社会面「短大生焼殺 死刑確定へ」
  146. ^ 『静岡新聞』2008年3月25日夕刊第一社会面3面「死刑、無期割れる判断 司法の安定求める声も-県内凶悪事件」
  147. ^ 『静岡新聞』2008年3月11日朝刊第二社会面28面「被告側、最高裁に判決訂正の申し立て-三島の短大生殺害事件」
  148. ^ 『静岡新聞』2008年3月19日朝刊第一社会面27面「三島の短大生焼殺事件 H被告、死刑確定-最高裁が訂正申し立て棄却」(共同通信社配信)
  149. ^ 『読売新聞』2008年3月20日東京朝刊静岡県面35面「三島の女子短大生焼殺 被告の死刑確定=静岡」
  150. ^ 『産経新聞』2008年3月19日東京朝刊社会面「H被告の死刑確定」
  151. ^ 『読売新聞』2012年8月3日東京夕刊第二社会面18面「2人死刑 法相 執行に強い姿勢(解説)」
  152. ^ 『読売新聞』2012年8月4日東京朝刊静岡県面33面「『悲しく悔しい気持ちは今も』死刑執行で被害者の父=静岡」
  153. ^ 『静岡新聞』2012年8月4日朝刊1面コラム「大自在(2012年8月4日・土曜日)=死刑執行」
書籍
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  16. ^ 年報・死刑廃止 (2013, p. 143)
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参考文献

刑事裁判の判決文

『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28105234
  1. 被害者を力ずくで自車に引き込み、逮捕・監禁して、山間の畑地に連れて行って強姦し、更に、被害者に灯油をかけて焼き殺した事案につき、被告人に無期懲役を言い渡した一審判決を破棄し、死刑を言い渡した事例。
  2. 被害女性を自己の車内に押し込み逮捕・監禁したうえ強姦し、さらに犯行の発覚を恐れるなどして同女を殺害した事例につき、無期懲役を言い渡した原判決を破棄して死刑を言い渡した事例。
TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28105234
(事案の概要)被告人が、アルバイトを終え自転車で帰宅途中のA女を強姦目的で自己の車内に押し込んで逮捕監禁した上、山間の畑地に連れて行き、車内で同女を強姦し、更に、犯行の発覚を恐れ、かつ覚せい剤仲間のところに早く行きたいと考え、同女に灯油を浴びせ、頭髪にライターで点火して同女を焼き殺したことにつき、原判決が被告人を無期懲役に処したため、量刑不当を理由に双方が控訴した事案で、本件犯行が凶悪なものであること、犯行の動機が誠に身勝手で理不尽であること、殺害の方法が残虐極まりなく、結果が誠に重大であること、被告人の犯罪性向は根強く改善更生の可能性に乏しいこと等を考えると、被告人の罪責はあまりにも重大であるといわざるを得ず、被告人のために斟酌すべき事情を最大限考慮しても、被告人に対しては極刑をもって臨むほかないとして、原判決を破棄し、被告人を死刑に処した事例。
『高等裁判所刑事裁判速報集』
(判示事項)殺人等の前科のない被告人による被殺者1名の逮捕・監禁、強姦、殺人被告事件につき、検察官の死刑求刑に対して被告人を無期懲役とした1審判決に関し、死刑をもって臨むほかない事案であり、1審判決は量刑判断を誤ったものであるとしてこれを破棄し、被告人に死刑を言渡した事例
(裁判要旨)本件が通りがかりの女性を車に拉致して強姦した上焼殺したという凶悪な犯行であること、被害者に何ら落ち度もなく、犯行の動機が誠に身勝手で理不尽であること、殺害の方法が残虐極まりなく、結果が誠に重大であること、被告人の犯罪性向は根強く改善更生の可能性に乏しいこと、処罰感情が峻烈で、地域社会に与えた影響も大きいこと等を考えると、被告人の罪責は余りにも重大であるといわざるを得ない。他方、被告人に有利に斟酌すべき事情、すなわち、被告人には殺人等の前科がないこと、被告人が本件各犯行を概ね認め、遺族に謝罪し、兄に依頼して殺害現場で焼香を行うなど、反省悔悟の様子が窺われることなどの事情も存するが、これらを最大限に考慮しても、被告人に対しては極刑をもって臨むほかないと判断される。したがって、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は著しく軽きに失し不当であり、原判決は破棄を免れない。
  • 最高裁判所第二小法廷判決 2008年(平成20年)2月29日 D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28145284、『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第293号373頁、『判例時報』第1999号153頁、『判例タイムズ』第1265号154頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、平成17年(あ)第959号、『逮捕監禁・強姦・殺人被告事件』。
『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28145284
(事案の概要)被害者を強姦目的で自車内に監禁し、強姦後、被害者を縛って路上に座らせ、灯油を浴びせかけて頭髪にライターで点火し焼死させたという事案の上告審で、動機の身勝手さ、犯行態様の残虐性、結果の重大性、遺族の峻烈な処罰感情、社会的影響の重大性、被告人の犯罪性向が進んでおり、改善更生の可能性が低いことなどから、原判決の死刑の科刑は是認せざるを得ないとして、被告人からの上告を棄却した事例。
(要旨)逮捕監禁、強姦、殺人被告事件判決に対する上告申し立てにおける弁護人の上告趣意のうち、死刑制度に関して憲法31条36条違反をいう点は、その執行方法を含む死刑制度が憲法のこれらの規定に違反しないことは当裁判所の判例とするところであるから、理由がない。
『判例タイムズ』
(判示事項)被害者1名の殺人等の事案につき死刑の量刑が維持された事例
『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)・裁判所ウェブサイト掲載判例
(判示事項)被害者1名の殺人等の事案につき死刑の量刑が維持された事例(三島女子短大生焼殺事件)
  1. 死刑制度は憲法第31条・36条に違反しない。
  2. 被害者を強姦目的で自車内に監禁し、強姦した後、殺害を決意し、ガムテープで被害者を縛って路上に座らせ、その頭から灯油を浴びせかけて頭髪にライターで点火し焼死させたという事案につき、原判決の死刑が維持された事例。

関連書籍

  • 新潮45』編集部『その時、殺しの手が動く 引き寄せた災、必然の9事件』新潮文庫、2003年6月11日、93-117頁。ISBN 978-4101239156 
    • 上條昌史が本事件について取材し『新潮45』2003年2月号に寄稿した記事「無抵抗の女に火を放った『三十男』の興味」を加筆の上で再録している。
  • 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90『命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び』インパクト出版会、2009年9月10日、63-69頁。ISBN 978-4755401978 
  • 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』インパクト出版会、2012年5月23日。ISBN 978-4755402241 
  • 年報・死刑廃止編集委員会『極限の表現 死刑囚が描く 年報・死刑廃止2013』インパクト出版会、2013年10月25日、140-146頁。ISBN 978-4755402401 
  • 年報・死刑廃止編集委員会『ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017』インパクト出版会、2017年10月15日、195頁。ISBN 978-4755402807 

関連項目

「永山基準」以降に最高裁で死刑判決が確定した「殺害された被害者数が1人」の事件
※過去に無期懲役刑に処された前科があるもの、身代金誘拐保険金殺人は含まない。
  1. ^ 新潮社 2003.
  2. ^ 命の灯 2009.
  3. ^ 死刑囚90人 2011.
  4. ^ 年報・死刑廃止 2013.
  5. ^ 年報・死刑廃止 2017.