チャールズ3世 (イギリス王)
チャールズ3世 Charles III | |
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イギリス国王 | |
2021年11月2日撮影 | |
在位 | 2022年9月8日 - 在位中 |
戴冠式 | 未定 |
全名 |
Charles Philip Arthur George チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ |
出生 |
1948年11月14日(76歳) イギリス イングランド、ロンドン、バッキンガム宮殿 |
配偶者 |
ダイアナ・フランセス[1] (1981年 - 1996年) |
カミラ・シャンド (2005年 - 現在) | |
子女 |
ウィリアム ヘンリー |
家名 | ウィンザー家 |
王朝 | ウィンザー朝 |
王室歌 | 国王陛下万歳(イギリス国歌と同一) |
父親 | エディンバラ公爵フィリップ |
母親 | エリザベス2世 |
宗教 | キリスト教イングランド国教会 |
サイン | ファイル:Signature of Prince Charles.png |
イギリス王室 |
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チャールズ3世(チャールズさんせい、King Charles III 、1948年11月14日 - )は、イギリスのウィンザー朝第5代国王(在位: 2022年9月8日 - )、その他14か国の英連邦王国及び王室属領・海外領土の君主。イングランド国教会の首長。全名は、チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ(Charles Philip Arthur George)。
エリザベス2世の在位中は、第21代ウェールズ公(プリンス・オブ・ウェールズ)として長く在位した。イギリス陸海空軍元帥[2]。公邸はクラレンス・ハウス。
弟はヨーク公爵アンドルー、ウェセックス伯爵エドワード。妹はプリンセス・ロイヤル・アン。
略歴
生誕
1948年11月14日に、エディンバラ公フィリップと同公爵夫人エリザベス王女(いずれも当時)の(3男1女のうち)第一子・長男としてバッキンガム宮殿にて誕生。12月15日には宮殿内で洗礼を受けた。「国王の女系/母系子孫は王子の称号を与えられない」というのがイギリス王室の原則であったが、チャールズの場合は将来国王になることが確実であったため、ジョージ6世国王は自身の初孫でもあったチャールズを王子とする勅令を出した。
また、生まれた時の姓は「ウィンザー (Windsor)」だったが、1960年に母のエリザベス2世女王は、父のエディンバラ公爵フィリップ王配との間に誕生した子の姓を「マウントバッテン=ウィンザー[3]」とする枢密院令を出した。
王位継承者
1952年2月6日に祖父のジョージ6世国王が崩御し、母のエリザベス王女がイギリス女王に即位すると、長男チャールズは推定相続人として王位継承順位が1位となる。
それに付随して、「コーンウォール公爵」ならびに「ロスシー公爵」の称号を得た。さらに1958年には、母女王からガーター勲章が授与され、「チェスター伯爵」と「ウェールズ公」の称号を得た。事実上の立太子にあたる。
教育
幼少時から将来のイギリス国王となるべく、父フィリップの意向で厳しい教育を受けた。特に「息子にも自身の母校に通わせたい」という父の勧めでバークシャーのグラマースクールやスコットランドのゴードンストウン校で、中産階級の児童らと就学したことが多かったが、当然の事ながら階級社会のイギリスにおいてチャールズと同一階層の生徒が一人もいなかったため、いじめやからかいの対象になってしまった。この経験が原因で、自分が父親となったときは2人の息子、ウィリアム王子とヘンリー王子を上流階級が多数を占めるイートン・カレッジに通学させたとも言われている。
青年時代
1966年には、アストンマーティンの工場を訪問した母女王より同社の「DB6 ヴォランテ」を誕生日プレゼントに贈られた。その後も同社のモデルを愛用し、後に同社にワラントを下賜している。
1967年10月に、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した。在学2年目には、ウェールズ語と歴史を学習するためにウェールズ大学に入学している。1968年には21歳でウェールズ公としての叙任式を行った。1970年にはイギリス議会上院の貴族院に議席を得ている。
軍歴
ケンブリッジ大学への入学後に、イギリス王室の習慣に則りイギリス海軍とイギリス空軍に入隊した。1971年3月以降に、イギリス海軍のデ・ハビランド・カナダ DHC-1とBAC ジェット・プロヴォストでの飛行訓練を経て、小型ターボプロップ機のホーカー・シドレー・アンドーヴァーや、王室専用機で中型ジェット輸送機のBAe 146の操縦も行っている。
またダートマスのイギリス海軍学校での訓練を経て、イギリス海軍駆逐艦の「ノーフォーク」や「ミナーヴァ」、「ジュピター」への乗務を行った。1976年2月には掃海艇ブロニントンの艇長となった[4]。
慈善事業と環境問題
この頃より国内の貧困問題解決にも取り組んでおり、1976年には、イギリスの貧困層の若年者に対する学業の機会や職業訓練を与えることを目的に活動する「ザ・プリンス・トラスト」を立ち上げた。チャールズ王太子自らが、特にイギリス連邦諸国からの移民の貧困問題解決に取り組む活動に対して、様々な形での支援を行っている。
また環境問題にも強い関心を抱いており、自身の私的な不動産であるコーンウォール公領では、有機食品を生産している。また、自らが所有するハイグローブの別荘で栽培された農産物を使用している。さらに、自ら所有する家庭菜園でも有機農法を実践している[5]など、自ら様々な形でそれを実践している。
ルイス・マウントバッテンの死
1979年8月に、幼少時より慕っていた海軍元帥でもあるルイス・マウントバッテンが、休暇に訪れていたアイルランド北西部のドネゴール湾で、ヨットで出航直後にIRA暫定派の仕掛けた爆弾により爆破され死亡した。これにチャールズは大きなショックを受けたと言われている。
マウントバッテンの突然の死に気を落としたものの、1980年7月にサセックス・ペットワース近くのカントリー・ハウスでバーベキューをしていた際にマウントバッテン卿の死を悲しんでいる王太子を、スペンサー伯爵令嬢ダイアナ・フランセスが「貴方の寂しさは理解できるし、貴方には誰かが必要だ」と慰めたことに心打たれ[6]、その後に交際することになる。
ダイアナとの結婚
1981年2月6日にチャールズがウィンザー城でダイアナに求婚した。チャールズは「スキー旅行に出てる間、どんなに貴女に会いたかったことか」と述べたうえで「私と結婚してほしい」と簡潔に求婚したが、ダイアナは「冗談だと思って笑っていた」という。チャールズは真剣な求婚であることを強調し、「貴女はいつの日か王妃となるのだ」と述べたという。ダイアナはこのプロポーズを受け入れた[7]。
チャールズの決定により王太子の結婚式は1981年7月29日にセント・ポール大聖堂で挙行されることになった。祝典は実質的に結婚式前夜の7月23日夜から始まっていた。ハイド・パークでは1万2000発の花火が打ち上げられ、国中がお祭り騒ぎになった。イギリスがこれほど全国民あげての祝賀ムードに包まれたのは1953年のエリザベス2世戴冠式以来のことであったという[8]。
セント・ポール大聖堂には世界中の王族や元首などが集合していた。日本の皇室からは皇太子明仁親王と美智子皇太子妃(いずれも当時)が、アメリカからはファーストレディ(大統領夫人)のナンシー・レーガンが出席していた。この結婚式の模様はテレビ中継され、全世界70か国7億5000万人もの人々が視聴し見守っていた。日本ではNHKが午後5時35分から午後6時40分まで放送[9]。
新婚旅行は王室専用ヨット「ブリタニア号」での地中海とエーゲ海のクルージングだった[10]。マスコミに追いまわされないよう王立海軍の協力を得て極秘裏に行われた。マスコミはギリシャに飛んで王太子夫妻を探し回ったが、ついに発見できなかった[11]。
結婚生活
その後チャールズは、妃のダイアナとともに日本やインド、アメリカやスペインなど世界各国を訪問したほか、多くの王室の公式行事のみならず、民間の行事にも共に参加している。また1982年にはウィリアムが、また1984年にはヘンリーと2人の王子が誕生するなど一見、2人の関係は良好に続いていくかに見えた。
しかし、ダイアナは窮屈な王室のしきたりに馴染めず、またチャールズの音楽の趣味や狩猟などの保守的な趣味に対して否定的であり、夫婦相互の溝は広がりつつあった。なお後のダイアナの発言によれば「1984年に次男ヘンリーが生まれた時点で、気持ちの上での2人の関係は終わっていた」という[12]。
実際に、チャールズは1985年から1986年にかけてコーンウォール公領のハイグローヴ邸で居住することが増えた。1987年にはケンジントン宮殿はチャールズ不在状態が常態化してダイアナが事実上の女主人になっていたという[13]。同年の王太子夫妻のポルトガル訪問にも夫妻は別々に寝所をとっている[12]。
チャールズは婚約以来カミラ・パーカー・ボウルズとの関係を断っていたが、この頃から交際を再開するようになった[14][15]。さらにダイアナも複数の男性との不倫を繰り返した。この様な中でダイアナは、1992年10月の大韓民国訪問の際、チャールズと一緒にいる時は不機嫌そうな顔で、一緒にいない時はにこやかな顔でマスコミの撮影に応じたのだった[16]。
その後チャールズとダイアナの合意により、1992年12月9日に「王太子と同妃が別居生活に入ること」が正式に発表された[17][18]。ダイアナが暮らすケンジントン宮殿からはチャールズの私物や痕跡が取り払われ、一方チャールズが暮らすハイグローヴ邸からはダイアナの私物や痕跡が取り払われていった。その後1993年12月3日に、ダイアナは「王室における公務からの引退」を宣言した[19]。
離婚と死別
1996年2月28日にチャールズとの会見を終えたダイアナは、「離婚の合意に達したこと」を発表した。その中で彼女は「今後も実の母親として王子2人の養育に関する全てに携わり続け、またプリンセス・オブ・ウェールズの称号を維持し、ケンジントン宮殿にも留まり、セント・ジェームス宮殿にある執務室も運営し続ける」旨を主張した。その後もダイアナとの離婚交渉は4カ月にわたって続いたが、8月28日の離婚確定判決をもって正式にチャールズとダイアナの結婚生活は幕を閉じた[20]。
その後ダイアナはハスナット・カーンとドディ・アルファイドとの二股交際を行ったほか、チャールズのテレビ出演や伝記出版の反撃に、チャールズとの関係や王室への批判のためにマスコミに出演した。なおその後1997年8月31日にパリで交際相手のアルファイドとともに交通事故死したが、この際にチャールズはダイアナの姉妹とともにパリへ移動している。ダイアナがパパラッチによる過剰な報道から逃避するがために法定速度を超過した自動車に同乗していて事故死したことや、その後も自身や2人の王子に対する過剰報道が続いたこともあり、チャールズは報道機関に2人の王子に対する報道の自粛を要請。イギリスの各報道機関との間で協定が結ばれた[要出典]。
香港返還と中国への対応
このような状況下でもチャールズは公務を続け、1997年6月30日の香港の返還・譲渡式典や、駐香港イギリス軍の撤収式典にクリストファー・パッテン総督らとともに参加し、翌日、かつてダイアナと同乗したヨット「ブリタニア号」で中国領となった香港を離れている。
なおチャールズはリベラルな発言・行動で知られており、特に中国共産党の一党独裁国家である中国には冷ややかな態度をとっている。香港返還式典の際には、チャールズが日記で中国共産党の上層部を「恐ろしく古びたろう人形のようだ」と表現していた[21][要出典]ことが話題となった。1999年に中国の江沢民国家主席がイギリスを公式訪問した際、チャールズ王太子は、中国政府側が駐英中国大使館で開催した答礼夕食会を意図的に欠席したとされている。
また同国が軍事侵略したチベットには長年強い関心を寄せており、チベット仏教の最高指導者・ダライ・ラマ14世とも交流がある[22]。2008年1月には、世界の要人でいち早く、北京オリンピックの式典・競技に一切出席しない意向を民間団体に表明したことが明らかになった[23]。同年3月に中国が実効支配しているチベット自治区において争乱が生じた際には、3月20日に5月頃ダライ・ラマ14世と会談することが公表された。
カミラとの再婚
元妃の死後は、カミラと公然と交際するようになり、事実婚の関係にあったが、2005年4月8日にウィンザー城礼拝堂で正式に結婚することが発表された。
しかし、教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀が4月8日に執り行われることになったため、4月9日に延期された。2人目の妻カミラは亡き前妻ダイアナに配慮して、「コーンウォール公爵夫人」と称することが発表された。すなわち、プリンセス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公妃/王太子妃)を名乗ることは無い[24]。
イングランド国教会にはその首長たる国王が離婚経験者と結婚する事を認めない規定があり[25]、実際、エドワード8世は離婚歴のあるウォリス・シンプソンと結婚するために退位している。
多くのイギリス国民の間では「スキップ・チャールズ」とも言われ、ダイアナの死の直後は「エリザベス2世没後の王位は息子のチャールズではなく、孫のウィリアム王子が継承すべきだ」とする世論が多数を占めた。10年後の2007年の時点ではチャールズとカミラに対する印象は好転し[26]、2022年3月に行われた世論調査では43%がチャールズを好意的に見ているものの、ウィリアム王子に王位を譲るべきと考える人はなおも42%を占めた[27]。
2010年代から即位まで
2011年4月20日には、王太子の在任期間がエドワード7世の記録を抜いて歴代1位となった。一方、チャールズがプリンス・オブ・ウェールズに叙されたのは9歳8ヶ月の時だったため、その後も生後すぐに叙されたエドワード7世の方がプリンス・オブ・ウェールズとしての期間が最も長かった( 59年45日)。だが、この記録も2017年9月9日にチャールズによって更新された。
59年73日となり、これまで最長であった国内外で活発に公務を行っており、2015年5月にはカミラとともに初めてアイルランドを公式訪問している。また、2013年と2014年、2015年と3年連続でサウジアラビアを訪問している。
なお将来イングランド国教会の首長に就く立場ではあるが、他の宗教に対しても寛容な姿勢で知られており、イギリス国内におけるイスラム教の研究に様々な貢献を行っている。
2020年3月25日、2019新型コロナウイルスの検査で陽性となったが、症状は軽いと伝えられた[28][29]。
即位
2022年9月8日、母エリザベス女王の崩御に伴い、同日にイギリス国王チャールズ3世として即位した[30]。
その他のスキャンダル
サンデー・タイムズは2022年7月31日、チャールズが2013年ごろ、ウサマ・ビン・ラディン容疑者の異母兄弟から、100万ポンドの寄付を受け取ったと報じた[31][32]。この際、チャールズは、側近の忠告をまったく聞き入れなかったという[33]。
称号及び敬称
1958年7月26日以降の完全な称号は以下のものとなっている。各国における呼称や称号、勲章はチャールズ王太子の称号と勲章を参照。
- ウェールズ公及びチェスター伯爵、コーンウォール公爵、ロスシー公爵、キャリック伯爵、バロン・オヴ・レンフルー、諸島の主、スコットランド公及びスコットランド大家令、ガーター勲章ロイヤル・ナイト・コンパニオン、シッスル勲章ロイヤル・ナイト・コンパニオン、バス勲章ナイト・グランド・クロス、メリット勲章メンバー、オーストラリア勲章ナイト、女王功績勲章コンパニオン、枢密顧問官、女王陛下付侍従武官、チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ王子殿下
(His Royal Highness The Prince Charles Philip Arthur George, The Prince of Wales and The Earl of Chester, The Duke of Cornwall, The Duke of Rothesay, The Earl of Carrick, The Baron of Renfrew, Lord of the Isles, The Prince and Great Steward of Scotland, Royal Knight Companion of the Most Noble Order of the Garter, Royal Knight Companion of the Most Ancient and Most Noble Order of the Thistle, Knight Grand Cross of the Most Honourable Order of the Bath, Member of the Order of Merit, Knight of the Order of Australia, Companion of the Queen's Service Order, Member of Her Majesty's Most Honourable Privy Council, Aide-de-Camp to Her Majesty)
過去の呼称
- 1948年11月14日~1952年2月6日( 3年84日):チャールズ・オブ・エディンバラ王子殿下
- 1952年2月6日~2022年9月8日(
- 1952年2月6日~2022年9月8日( 70年234日):ロスシー公爵チャールズ王子殿下(スコットランドにおける呼称)
70年234日):コーンウォール公爵チャールズ殿下
- 1958年7月26日~2022年9月8日( 64年64日):プリンス・オブ・ウェールズ
即位後の呼称
将来の王名としては「『ジョージ7世』を希望している」との説があった[34]。2005年には「『ジョージ7世』名の採用を内々で検討している」と報道されたが、王宮はこの報道を否定し、当時は「王名についての検討は行ってない」としていた[35]。チャールズ1世と2世が既に存在するため、チャールズを名乗った場合には3世となるが、18世紀にジャコバイトに支持されて王統奪還を目指した若僭王も「チャールズ3世」を自称(僭称)した歴史がある。最終的に即位の際、「チャールズ3世」と名乗ることがバッキンガム宮殿から発表された[36]。
法定推定相続人としての日本語での呼称について
日本政府では、「英国(又は連合王国)皇太子殿下」という呼称を採用しており、「王太子」とはしていない[37]。
妃・子女
- 前妻:ダイアナ・フランセス(1981年 - 1996年、子女:2男)- 第8代スペンサー伯爵エドワード・ジョン・スペンサーの三女。
- 後妻:カミラ・シャンド(2005年 - 現在、子女:無し)- イギリス陸軍少佐のブルース・シャンドの長女。
人物像
- 王宮衛兵に黒人がいないことを指摘して改めさせるなどのリベラルな発言[要出典]で知られる(かつて植民地として支配していた国を中心に形成されているイギリス連邦からの移民を受け入れているイギリスには、非白人の国民も多い)。
- 歴史的建造物の保存や都市景観の問題に関心が深く、『英国の未来像 建築に関する考察』[38] を著して、ロンドンのシティ・ホールやロイズ保険ビル、HSBCタワーなどの近代的な建築物のデザインを批判し、歴史的建造物の保存への関心を高めるよう提唱した。また、同名のドキュメンタリー番組に自ら出演し、日本ではNHKが1989年4月18日に『チャールズ皇太子・現代建築への提言』の題名で放送した。
- 1992年に創設したイギリスの有機食品ブランド「ダッチー・オリジナルズ」[39] のオーナーである。動物愛護の観点から2008年3月に自邸でのフォアグラの使用を禁止した[40]。
- ファーストフードに非常に批判的であり、2006年2月27日には訪問先のアラブ首長国連邦で「糖尿病対策としてマクドナルドを禁止すべきだ」と発言し、物議を醸した。これに対してはイギリスのトップシェフ[誰?]から「一度もビッグマックを口にしたことがないと思われる王太子が、このようなコメントを発表するのは間違っており、愚かなことだ」と批判する声[誰?]もある[41]。
- 科学的な根拠が全くない疑似科学であるホメオパシー、ハープ療法をはじめとする代替医療を強く支持している。ホメオパシーはイギリスにおいて深刻な社会問題となっており、政府がその非科学性を訴えているにも関わらずかなりの英国民の支持を獲得している。政府は代替医療の保険適用を中止する検討会を開催していたが、チャールズは2009年に8つの政府機関へホメオパシーに対するNHSの保険適用の拡充を訴えるレターを送り、さらに2010年には閣僚との秘密裡の会談でも同様の主張をおこなった。政策への関与が禁止されているロイヤルファミリーの一員が影響力の行使を企てたこと、将来君主となるべき人物が疑似科学を信奉していることが強く批判されている[42][43]。チャールズは1993年に代替医療の推進を目標とする団体プリンスズ・ファンデーション・フォー・インテギュレティド・ヘルス[44] を立ち上げたが、元責任者が詐欺とマネーロンダリングの疑いで逮捕され、団体もこの犯罪に利用されていたことが判明したため2010年に解散した[45]。日本における代替医療の賛同者はチャールズの音頭により5か年計画で国家レベルでの代替医療の研究が進められているとしている[46]。
- スーツ及びタキシード等のジャケットはダブルブレストのものを好んで着用する。
- 2012年5月10日、英国放送協会の60周年記念で訪れた王太子が天気予報のコーナーに出演した[47][48][49][50]。この時、王室に関係の深い地域の天気予報も表示された。
- 2016年9月15日、スコットランドの王室所有のバルモラル城敷地内で乗用車を運転中にシカと衝突する交通事故を起こしたことが、英国内の報道で明らかとなった[注 1]。チャールズ自身の運転は非常に慎重だったが、シカは突然道路に侵入してくる場合が多いので避けきれなかった可能性が指摘されている。この事故でチャールズが運転していた「アウディ・A4・オールロードクワトロ」は大破したが、チャールズ自身は命に別条はなかったという[51][52]。
御用達ブランド
チャールズがロイヤル・ワラント(御用達指定)を与えたブランド(一部)。2017年3月時点では、合計159社がワラントを授与されている。
- アストンマーティン(自動車)
- ランドローバー(自動車)
- ソニー(電化製品)
- ギーブス&ホークス (衣料品)
- ヘンリープール (衣料品)
- バーバリー(コート)
- ターンブル&アッサー(シャツ)
- エッティンガー(革製品)
- スマイソン (文房具及びオフィス設備)
- クロケット&ジョーンズ(革靴)
- ジョン・ロブ(革靴)
- トリッカーズ(革靴・スリッパ)
- ハルシオン・デイズ(小物)
- ペンハリガン(香水)
- フローリス(香水、石鹸類)
- アーサー・プライス (カトラリー、銀製品)
- リッツ・ロンドン(ケータリングおよびバンケット)
- フォートナム&メイソン (食品)
- トワイニング(コーヒー 及び 紅茶)
- ナイロビコーヒー(コーヒー)
- ラフロイグ(スコッチ・ウイスキー)
- バブアー(野外防水衣料品)
- ジェームス・ロック (Lock & Co. Hatters)(帽子)
- ファーロウズ (釣り具及び防水衣料販売)
- ハーディ(釣り具メーカー)
系譜
プリンス・オブ・ウェールズ チャールズの系譜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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系図
- 赤枠の人物は、存命中。
- 黒枠の人物は、故人。
- 太枠の人物は、イギリス君主の子女。
ウィンザー朝の家系図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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- 注釈
脚注
注釈
- ^ バルモラル城の敷地内は王室の私有地で外部関係者の立ち入りは制限されており、チャールズは敷地内を移動する際には自分で乗用車を運転して移動している。
出典
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- ^ https://www.thetimes.co.uk/article/bin-laden-familys-1m-puts-prince-charles-and-charity-commission-in-the-spotlight-8dxkctkcd
- ^ https://www.bbc.com/news/uk-62366487
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- ^ 2017年12月20日に公開された外交記録[1]のうち「チャールズ英国皇太子同妃両殿下訪日(公賓)」ファイル[2]中の“「皇太子同妃の呼称について」”. 外務省. 2020年10月13日閲覧。
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- ^ Duchy Originals
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- ^ Intennet JOURUEY (2007年3月1日). “「下手なレストランよりは優秀」-元ミシュラン三ツ星シェフが「マクドナルド」を絶賛”. 2008年11月16日閲覧。
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- ^ Prince Charles 'backed homeopathy in secret talks with ministers'、デイリーメール誌、2010年2月21日
- ^ 英: Prince's Foundation for Integrated Health
- ^ Prince Charles's aide at homeopathy charity arrested on suspicion of fraud.、ガーディアン誌、2010年4月26日
- ^ 日本補完代替医療学会 (2006年4月). “がんの補完代替医療ガイドブック-厚生労働省がん研究助成金研究”. 2008年11月16日閲覧。
- ^ ツイッターから天気予報まで イギリス王室の宣伝戦略
- ^ チャールズ皇太子が「お天気お兄さん」として登場しイギリス国民びっくり! 英国ネットの声「いい仕事をした!」
- ^ チャールズ皇太子夫妻がお天気キャスターに
- ^ チャールズ皇太子がお天気キャスターに
- ^ 英チャールズ皇太子、乗用車を運転中にシカと衝突する交通事故 Businessnewsline、2016年9月15日 2016年9月25日閲覧
- ^ Prince Charles involved in a crash with a DEER at Balmoral leaving his car badly damaged(英語) デイリー・ミラー、2016年9月15日
参考文献
- 君塚直隆『チャールズ皇太子の地球環境戦略』(勁草書房、2013年)
- 君塚直隆『女王陛下の外交戦略 エリザベス二世と「三つのサークル」』講談社、2008年(平成20年)。ISBN 978-4062145664。
関連項目
外部リンク
- チャールズ王太子公式サイト
- ロイヤルワラント・ホルダーズ (英語)
- チャールズ皇太子 ダイアナ妃と結婚 - NHK放送史
- チャールズ皇太子ダイアナ妃 来日 - NHK放送史
- 英 チャールズ皇太子・ダイアナ妃が来日(1986年・TBSアーカイブ) - YouTube
チャールズ3世 (イギリス王)
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