福知山線
福知山線(ふくちやません)は、兵庫県尼崎市の尼崎駅から京都府福知山市の福知山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。 東海道本線の大阪~尼崎間を含む大阪~篠山口間にJR宝塚線(ジェイアールたからづかせん)の愛称がある。阪急電鉄にも宝塚線があるため、混同を避けるために愛称に「JR」と付けている。また尼崎~谷川間が大阪近郊区間に含まれ、JR宝塚線の区間はアーバンネットワークの路線の一つとなっている。塚口・尼崎間で東海道本線に合流し大阪駅に至る。
大阪と北近畿を結ぶ路線であると同時に、兵庫県東部の各都市から大阪への通勤・通学路線となっている。また、かつては大阪と山陰地方を結ぶルートの一つであった。
尼崎~篠山口間のJR宝塚線各駅ではJスルーカード・ICOCA、及び東日本旅客鉄道(JR東日本)のSuica、またスルッとKANSAIのPiTaPaが使用できる。
路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):106.5km
- 軌間:1067mm
- 駅数:30駅(起終点駅含む。JR宝塚線としては23駅)
- 複線区間:尼崎~篠山口間
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 保安装置:尼崎~新三田間ATS-P(拠点P)/ATS-SW併設、新三田~福知山間ATS-SW
- 最高速度:120km/h
- 運転指令所:
- 尼崎~篠山口:新大阪総合指令所
- 篠山口~福知山:福知山運輸指令所
※尼崎~新三田間は西日本旅客鉄道大阪支社、新三田~福知山間は同・福知山支社の管轄である(境界駅である新三田駅は大阪支社側の管轄)。
沿線風景
1986年まで客車普通列車が走っていたり、生瀬~道場付近では武庫川の渓流の眺めを楽しめたのどかな路線であったが、同年の宝塚~新三田間の複線電化を機にそれらは姿を消し、沿線開発の進展とJR東西線の開業などにより新型電車が行き交う路線に姿を変えた。武庫川渓流沿いの旧線は廃線となり、一部は現在も遊歩道として開放されている。
それでもこの線は川との関係が深い。宝塚駅から古市駅までは何度も交差しながら武庫川を遡り、篠山口駅から谷川駅は加古川支流の篠山川の渓流沿いに下る。福知山線の最大特徴はトンネル無しに分水嶺を越えること。石生駅周辺は太平洋と日本海を分ける分水嶺の高度が本州で最も低い所(この辺りでは分水田圃)。田圃の中を走っているうちにいつの間にか日本海へ注ぐ由良川沿いの福知山駅に到着する。福知山駅の手前では、最近再建された福知山城天守閣が見える。
川西池田駅から西宮名塩駅間、三田駅から丹波大山駅間、柏原駅から福知山駅間は福知山線にほぼ沿って国道176号が並行している。
運行形態
福知山線は尼崎駅が起点だが、全ての列車が東海道本線を通って大阪駅(特急は新大阪駅)または尼崎駅からJR東西線を経由し片町線(学研都市線)に乗り入れる。大阪駅方面への一部の列車はさらにJR京都線に直通し高槻駅・京都駅方面まで運転される。福知山駅からは特急列車が山陰本線・北近畿タンゴ鉄道に直通している。
優等列車
以下の列車が福知山線全線を通して運転され、さらに北近畿タンゴ鉄道・宮津方面、山陰本線・豊岡/城崎温泉(下り)方面まで運転されている。2004年10月16日に急行「だいせん」が廃止されてからは、夜行列車の運転は無くなり、昼行列車のみの運転となっている。
- エル特急「北近畿」(新大阪-福知山・豊岡・城崎温泉:10.5往復)
- 特急「文殊」(新大阪-天橋立:1往復)
- 特急「タンゴエクスプローラー」(新大阪-宮津・久美浜:2往復)
普通列車
篠山口駅を跨ぎ全線直通運転を行う普通列車(快速列車含む)は、朝・夕方以降に限定されており、昼間は尼崎~篠山口間、篠山口~福知山間で運行系統が分かれている。快速列車は大阪またはJR東西線方面から篠山口・福知山方面まで運転されており、三田以北は各駅に停車する。大阪~篠山口間には丹波路快速が運転されている。JR東西線直通の快速列車と大阪発着の快速列車とでは性格が違ってくるためここでは分けて述べる。
- ■快速(JR東西線直通)
- JR東西線・学研都市線と直通する快速列車は昼間時間帯は宝塚駅までの運転であるが、ラッシュ時には新三田(一部列車は篠山口)までで終日ほぼ15分間隔で運転される。全列車207系電車で運転され篠山口まで7連で運転される。早朝・深夜には学研都市線で区間快速に種別が変わる列車がある(この場合下りは京橋で、上りは尼崎で、列車番号が変わる)。尼崎駅ではJR神戸線の快速列車と相互接続を行う(時間帯によっては新快速・普通列車とも接続を受ける場合もある)。なおJR東西線・学研都市線で種別が変わる列車については、駅の時刻表では区間快速として案内される。
- ■快速(大阪発着)、丹波路快速
- 本数は区間・時間帯によって異なり、ラッシュ時には本数が増える。なお特急列車が設定されるサイクルには大阪始発の快速の設定はない。
- 「丹波路快速」は221系電車によって昼間時に大阪~篠山口間で運行されている快速列車の愛称である。快速に221系電車が増投入された2000年3月のダイヤ改正で登場した。昼間からラッシュ時を除く夕方までの閑散時に毎時2本運転される。停車駅は他の快速と同一である。丹波路快速の多くは4両であるが一部6両以上で運転されるものがある。昼間の毎時1本は篠山口で福知山行きに相互接続する。
- 快速列車は基本的に207系電車と221系電車が中心的に使われるが、ラッシュ時の快速列車には113系電車と321系電車も使われる。篠山口以北に乗り入れる普通・快速は113系と221系である。なお篠山口以北はホーム有効長が6両のため、8連で運転される場合は、4連に切り離される。丹波路快速運行時間帯にも通常の快速があるが、それはJR東西線直通列車である。なお、丹波路快速運転時間外の快速列車は使用車両を問わずすべて通常の「快速」となる。2005年までは快速列車に117系電車も使われていた。
- 1997年3月から広野・藍本・草野・古市・南矢代駅を通過する列車も夕方以降の下りに設定されていたが、2003年12月のダイヤ改正で廃止された。この快速列車には207系電車が使用されていた。なお、臨時列車では新三田以北にも通過駅のある列車がしばしば設定されている。
- 快速列車は国鉄時代は1日に数本ほどの設定であった。国鉄末期の1983年頃のダイヤでは、大阪~篠山口間に、尼崎・伊丹・宝塚・武田尾・三田・広野・相野・古市を停車駅とする快速列車が2往復設定されていた。快速列車が多数運転されるようになったのは1989年3月からである。
- ■普通列車(各駅停車)
- JR京都線と直通し京都・高槻~大阪~新三田間に運転される列車が中心である。早朝・朝ラッシュ時、深夜などには大阪~福知山間の列車やJR東西線直通列車がある。平日朝ラッシュ時は野洲発、草津発及び草津行きの普通列車が存在する。なおJR京都線直通の普通列車は207系、321系電車で運転され、尼崎でJR東西線~JR神戸線直通の普通列車(松井山手~西明石)と相互接続を受ける。また川西池田駅ではJR東西線直通・大阪発着の快速列車と緩急接続を行う(朝ラッシュ時には塚口駅で快速の通過待ちする列車もある)。但し早朝・深夜を除き新三田~篠山口間に関しては普通列車の運転がなく、この区間で各駅に停車する丹波路快速や快速が普通列車の役割を果たしている。なお尼崎~宝塚間は基本的に普通列車よりも快速列車の方が本数が多く、普通停車駅と快速停車駅の乗降客の二極化が起こっている。
- また、大阪~篠山口間の快速と接続して篠山口~福知山間の列車が運転されている。篠山口~福知山間では主に昼間は113系が2両でワンマン運転を行っている。福知山で列車番号が変わるものの、日中に山陰本線の城崎温泉から篠山口まで直通運転を行っている列車が1本ある。
- JR京都線と直通する列車は塚本駅に停車するが、早朝などに見られる大阪駅3・4番線から発車、9~11番線(尼崎駅7番線)に到着する大阪駅始発・終着列車は塚本駅を通過する。大阪発着の普通列車は113系電車、207系、221系、321系電車が使われる(221系の普通列車はラッシュ時に数本存在するのみで、ワンマン運転時を除いても113系の普通列車のほうが圧倒的に多い)
使用車両
現在の使用車両
- 207系(快速・普通列車)
- 321系(快速・普通列車)
- 221系(丹波路快速・快速・普通列車)
- 113系(快速・普通列車)
- 183系(特急北近畿・特急文殊)
- キハ65系(臨時特急カニカニ北近畿(臨時特急カニカニエクスプレス)、以前は特急エーデル北近畿・丹後・鳥取、急行だいせんでの運用があったがこれらが廃止された為、定期運転はない)
- KTR8000形気動車(特急タンゴエクスプローラー)(2005年6月19日の福知山線ダイヤ改正による編成変更でKTR001形気動車と交代)
※尼崎脱線事故の応援車両として、103系が一時期使用されていた。
過去の使用車両
- 201系(普通列車)
- 205系(普通列車)
- 117系(快速・普通列車)
- 103系(普通列車)
- KTR001形気動車(特急タンゴエクスプローラー)
- キハ58系(特急エーデル北近畿・丹後・鳥取、急行だいせん、急行丹後、普通列車)
- キハ47系(快速・普通列車)
- キハ80系(特急まつかぜ)
- キハ181系(特急まつかぜ)
- 12系客車(急行だいせん)
- 14系客車(急行だいせん)
- 20系客車(急行だいせん)
- 43系客車(普通列車)
- 50系客車(普通列車)
利用状況
福知山線は大阪と北近畿を福知山駅経由で「南北」に結ぶ鉄道である。 従来、福知山線は単線の地方ローカル線として運行されていた。
乗車人員が少ない駅が多かったが、1986年11月1日の宝塚以北電化、宝塚~新三田間複線化を機に、篠山口駅以南では沿線の開発が急ピッチで進められ、その上並行する阪急宝塚線・今津線から大幅に乗客がシフトしたこともあって乗客数は急増。JR発足時は、1日の運転本数が100本足らずだった福知山線は、1997年のJR東西線開業以降は1日360本を超える過密ダイヤ(近隣の同じ複線路線である阪和線や大和路線に比べれば本数はまだ少ないが、これがJR福知山線脱線事故の一因になったともいわれる)へと変化していった。篠山口駅以南の複線化により、大阪駅へのアクセスが飛躍的に便利になり、JR東西線の開業で大阪市内や大阪東部、奈良方面とのアクセスも充実したことで更に利用者が増加した。福知山線で最も利用者の多い駅は宝塚駅で、2004年度現在 での1日の乗車客数約3万人。その他の乗車客数1万人以上の主要駅は、順に伊丹駅が約2万1千人、川西池田駅が約2万人、三田駅が約1万6千人、新三田駅が約1万4千人である。アーバンネットワーク内でも新三田以北では利用者数が少なくなり、7駅合計で約1万人に留まる。
大阪~篠山口間と篠山口~福知山間では乗客数に大きな差があるため、一部の全線直通運転の快速列車は篠山口駅で増解結が行われ、大阪~篠山口間では8両、篠山口~福知山間では4両で運転される。また特急列車は4両編成で運行されることもある。 上りは朝ラッシュ時に下りは夕方から夜にかけてのラッシュ時に篠山口~大阪間を走行する列車が篠山口駅で増解結を行う。 その他の全線直通列車は始発駅から終点に到着するまで一貫して4両編成か6両編成で運行される。
また、篠山口~福知山間では単線、ドアの開閉は冷暖房使用時に手動またはボタンによる半自動となり、ワンマン列車も運行されている。この区間はアーバンネットワークに含まれる篠山口以南が便利になるのと反比例して全線直通電車も減らされいっそう不便になっている。ワンマン列車や特急列車が中心で電車の本数は特急列車と普通列車が1時間に1本ずつ(ラッシュ時は普通列車が1時間に2~3本)しかなく、乗降客の少ない駅が多い。
また、尼崎~宝塚間ですら国鉄時代に大阪電車特定区間に含まれなかったため大阪近辺のJR線にしては運賃が高くなっているのが特徴である。
歴史
福知山線の発祥は、川辺馬車鉄道が開業させた尼ヶ崎(のちの尼崎港)~伊丹間の馬車鉄道である。のちに摂津鉄道と改称して馬車鉄道を蒸気動力の軽便鉄道に改築し尼ヶ崎~池田(現在の川西池田)間を開業させた。当時の池田駅は呉服橋西詰付近にあった。
摂津鉄道は、大阪から舞鶴までの鉄道を計画していた阪鶴鉄道に合併され、改軌した上で宝塚駅まで開業。以後順次延伸されて、1899年には福知山南口駅(堀内田町付近)まで開通した。
1904年、軍部からの要請で対ロシア戦略の軍用鉄道として舞鶴鎮守府までの開通を急がされた福知山~綾部~新舞鶴(現在の東舞鶴)間が官設で開通。阪鶴鉄道も現在の福知山駅(天田)まで延伸し、福知山~新舞鶴間の貸与を受けて、大阪~舞鶴間を結ぶ鉄道が完成した。
阪鶴鉄道は1907年に国有化され、官設区間とあわせて阪鶴線と呼ばれていたが、山陰本線の京都~出雲今市(現在の出雲市)間が1912年に開通したのを機に、神崎(現在の尼崎)~福知山間、塚口~尼ヶ崎間が福知山線となった。
大阪と山陰方面を結ぶ亜幹線とされたが、線路改良や電化などの近代化は大幅に遅れた(同じ亜幹線でも早々に電化された宇野線などとは対照的である)。さらに国鉄の失敗作とされるC54型蒸気機関車やDD54形ディーゼル機関車が回されてきたり、特急「まつかぜ」が福知山線経由で1961年から設定されていたが、1972年に新設された特急「はまかぜ」に至っては時間短縮を理由に姫路経由となるなど亜幹線として十分に活躍してきたとは言い難い状況であった。加えて、普通列車は永らくDD51形ディーゼル機関車牽引による旧型客車が使用され続けるなど、宝塚付近までは通勤需要が見込めるのに、近代化は大きく遅れ需要をみすみす逃してしまっていた(ただ車両については、1980年代前半に生瀬~武田尾間を走行中の普通列車からふざけて身を乗り出していた小学生が誤って転落死したことを受けて、その直後に自動扉・冷房がついた12系客車に置き換えられて近代化している)。
設備面では、1970年代後半から近代化が進められた。1979~1980年にかけて塚口~宝塚間が順次複線化され、翌1981年に尼崎~宝塚間の電化が完了。また、1980年代前半まで腕木式信号機が現存したがCTC化により姿を消した。だが、近代化とは裏腹に利用客は殆ど伸びず、宝塚まで電化と同時に103系6両編成による普通電車が大阪~宝塚間で運転を開始したものの、後に4両編成に減車されている。当時の普通電車は毎時1本しかなく、さらに宝塚以北は気動車か客車での運転だったので、三田から大阪へ向かう客でさえ宝塚でわざわざ阪急に乗り換えされてしまうなど苦戦していた。また当時は神戸電鉄経由(当時は北神急行がなかったので鈴蘭台・新開地経由)での所要時間とは大きく差がなかったが、本数には圧倒されていた。
福知山線にとって劇的な変化が起こるのは、1986年に宝塚~新三田間の複線化、福知山までの全線電化(電化は山陰本線城崎温泉駅まで)が完成してからである。全線電化の少し前に、武庫川の渓谷沿いに走っていたため複線化が困難であった生瀬~道場間が、トンネルの連続する全くの新線に切り替えられた。全線電化以降、電車特急「北近畿」の運転開始に加え、普通電車は113系2両編成を主体として日中毎時3本(1本が大阪~福知山、2本が大阪~新三田)に増発されたが、2両編成は余りに短かすぎて多くの列車で満員となり遅延が続発、特に最終電車では時に積み残しが出るなど苦情が相次いだ。
その後は車両増結で対処したが、当時人口が急増していた西宮市北部地区や三田市の住民から快速列車の設定を希望する声が相次いだため、民営化後の1989年より快速が登場(快速の区間は現在と同じく、大阪~三田間のみ)。この時点で日中は特急0~1本、快速2本、普通4本の現在とほぼ変わらぬ姿となる。
1997年には、篠山口駅までの複線化が完成し、JR東西線・片町線(学研都市線)との直通運転が開始された。
その陰で、福知山線最初の開業区間でもあった塚口~尼崎港間の通称尼崎港線が、旅客営業を1981年に廃止した後、1984年に完全に廃止された。1898年に東海道本線の尼崎駅への連絡線を設けて大阪方面との直通運転を始めてからは、塚口~尼崎港間は盲腸線と化していた。晩年の旅客列車の本数は1日2往復であった。
年表
- 1891年9月 川辺馬車鉄道が尼ヶ崎(のちの尼崎港)~伊丹間を開業。
- 1892年6月 川辺馬車鉄道が摂津鉄道に改称。
- 1893年12月12日 摂津鉄道が尼ヶ崎~池田(現在の川西池田)間を軌間762mmの軽便鉄道に改築して開業。
- 1894年3月6日 塚口駅開業。
- 1897年2月16日 阪鶴鉄道が摂津鉄道を合併。
- 1897年12月27日 池田~宝塚間が開業。全線を1067mm軌間に改軌。池田駅移転。
- 1898年6月8日 宝塚~有馬口(現在の生瀬)間、神崎(現在の尼崎)~塚口間開業。
- 1899年1月25日 有馬口~三田間が開業。有馬口駅を生瀬駅に改称。
- 1899年3月25日 三田~篠山(現在の篠山口)間が開業。
- 1899年5月25日 篠山~柏原間が開業。
- 1899年7月15日 柏原~福知山南口(廃止)間が開業。
- 1901年 尼ヶ崎~塚口間が休止。東海道線との立体交差化のため。
- 1903年 福知山南口駅を福知駅に改称。
- 1904年11月3日 福知~福知山間が開業。福知山~綾部~新舞鶴(現在の東舞鶴)間が官設で開通し阪鶴鉄道に貸与される。
- 1905年7月13日 尼ヶ崎~塚口間を貨物線として再開。東海道線と立体交差化。
- 1907年8月1日 阪鶴鉄道を国有化。
- 1909年10月1日 竹田(現在の丹波竹田)~福知山間の福知駅廃止。
- 1909年10月12日 線路名称制定。神崎~福知山~新舞鶴(現在の東舞鶴)間、塚口~尼ヶ崎間などを阪鶴線とする。
- 1911年9月6日 塚口~尼ヶ崎間の旅客営業再開。途中に神崎乗降場開設。
- 1911年11月1日 竹田駅を丹波竹田駅に改称。
- 1912年3月1日 神崎~福知山間、塚口~尼ヶ崎間が福知山線となる。
- 1912年4月16日 神崎~尼ヶ崎間に金楽寺駅開業。
- 1915年9月11日 中山駅を中山寺駅に改称。
- 1917年5月1日 大山駅を丹波大山駅に改称。
- 1934年5月15日 神崎~塚口間が複線化。
- 1944年3月1日 篠山駅を篠山口駅に改称。
- 1944年4月1日 北伊丹駅開業。
- 1949年1月1日 神崎駅を尼崎駅に、尼ヶ崎駅を尼崎港駅に改称。
- 1951年8月1日 池田駅を川西池田駅に改称。
- 1955年10月24日 南矢代駅開業。
- 1956年11月19日 尼崎~塚口間が電化。
- 1958年3月27日 草野駅開業。
- 1961年10月1日 特急「まつかぜ」運転開始。
- 1979年9月27日 塚口~北伊丹間が複線化。
- 1980年12月5日 北伊丹~中山寺間が複線化。
- 1980年12月11日 中山寺~宝塚間が複線化。
- 1981年4月1日 塚口~宝塚間が電化。猪名寺駅開業。塚口~尼崎港間の旅客営業廃止。
- 1982年2月27日 篠山口~福知山間CTC化。
- 1984年2月1日 貨物支線(尼崎港線)塚口~尼崎港間が廃止。
- 1984年3月10日 広野~篠山口間CTC化。
- 1986年8月1日 宝塚~三田間が複線化。生瀬~道場間を新線に切り替え。
- 1986年10月15日 三田~新三田間が複線化。尼崎~広野間CTC化。
- 1986年11月1日 宝塚~福知山間が電化し、全線電化完了。西宮名塩駅、新三田駅開業。貨物営業廃止。L特急「北近畿」運転開始。特急「まつかぜ」廃止。
- 1987年4月1日 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。
- 1988年3月13日 大阪~篠山口間の愛称としてJR宝塚線を使用開始。大阪~篠山口間に「ほくせつライナー」運転開始。
- JR宝塚線については当初は新三田までであったが、発表直後に多紀郡(現篠山市)が反発し、篠山口までとなった。
- 1993年3月18日 207系電車(JR東西線仕様の銀色の車両)投入。
- 1996年12月1日 広野~古市間が複線化。
- 1997年3月8日 新三田~広野間、古市~篠山口間が複線化。JR東西線を経て片町線と直通運転開始。
- 1997年9月1日 普通列車がJR京都線と直通運転開始。それに伴い201系・205系電車運用開始。
- 2000年3月11日 「丹波路快速」運転開始。
- 2000年12月2日 篠山口~福知山間の一部列車でワンマン運転開始。
- 2002年10月5日 「ほくせつライナー」廃止
- 2003年8月 103系電車が福知山線から撤退。
- 2004年10月16日 急行「だいせん」廃止。夜行列車が消滅。
- 2005年4月25日 尼崎~塚口間で脱線事故。死者107名、負傷者555名の大惨事に。これにより尼崎~宝塚間が不通となる。詳細はJR福知山線脱線事故を参照。
- 2005年6月19日 尼崎~宝塚間運転再開。尼崎~新三田間ATS-P使用開始。KTR001形気動車、117系電車が福知山線から撤退。
- 2005年11月26日 福知山駅付近高架化。
- 2005年12月1日 321系電車投入。
- 2006年2月 205系電車の全編成が阪和線に転属され、福知山線からは撤退。
将来の福知山線
伊丹駅と空港のアクセス
現在、大阪国際空港には大阪モノレールが乗り入れているが、JRの路線は乗り入れていない。そこで大阪国際空港に近いJR伊丹駅から大阪国際空港までの空港アクセス路線を建設する「JR福知山線分岐線構想」と言われる構想がある。1990年代に入り一部筋から構想が持ち上がったが、猪名川を渡ったり滑走路を地下線で横断する必要があり大回りで建設費もかさむことから実現性の薄い構想といえる(建設主体や資金の手当てなどの現実的な案はない)。しかも莫大な建設費の償還が必要な大阪モノレールを窮地に追い込むことからこの構想に異を唱える意見もある。現在は阪急が蛍池に快速急行(急行)を停車させ大阪モノレールとの連携を強化、都心への所要時間を短縮したことにより本構想は代替されたともいえる。
新駅設置計画
中山寺~宝塚間への新駅建設案が計画されている。利用者の増加に役立つと見込まれている。
篠山口駅以北の複線化と現状
丹波市は、篠山口~福知山間の単線区間を複線化させるために5回に1回車ではなく電車に乗ろうと呼びかけている。スローガンもあり「乗って 近づく 複線化」と呼びかけている。だが呼びかけもむなしく、2003年度の1日の乗車人員はこの区間の丹波大山駅から丹波竹田駅までの8駅を合わせても約3,600人であり、その多くが高校生である。乗車人員は宝塚駅で1日約3万人、伊丹駅で約2万1千人あり年々増加傾向だが、篠山口駅以北は減少傾向にある。また、尼崎駅~篠山口駅間の駅間距離が平均約2.9km(快速停車駅のみでも平均約4.1km)であるのに対し、篠山口駅~福知山駅間の駅間距離は平均約5.3kmであり、福知山線沿線に自宅を構えていても自宅から駅まで距離がある世帯が多い。その上、快速(丹波路快速を含む)は三田駅以北の72.8km(福知山線全営業キロの約68%)が各駅停車で利便性・速達性に乏しく、特急を利用するにしても特急料金が発生して交通費が高額になってしまう。このため、電車よりも車でアクセスする人が多い。山間部ということもあり、複線化は困難な状態である。
なお、篠山口駅から柏原駅までの間は谷川駅を経由するため遠回りをしており、さらに途中の川代渓谷は急曲線続きで速度が上がらず、たびたび崖崩れが発生し防災上も問題があることから、過去に何度か谷川駅を通らない国道176号線沿いに鐘ヶ坂を越えるルートへの移設が検討されてきた。現在の利用状況では新線の建設は困難と考えられるが、谷川駅に「現行ルートでの複線化」を求める横断幕があるのはこういった背景がある。
駅一覧
営業中の区間
- ●:停車、▲:一部の列車が通過、|:通過
- 普通:高槻・京都方面直通列車は▲の駅(塚本駅)に停車。大阪駅始発・終着列車は通過
駅名 | 尼崎からの営業キロ | 普通 | 快速 | 丹波路快速 | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
東海道本線 | |||||||
大阪駅 | 7.7 | ● | ● | ● | 西日本旅客鉄道:東海道本線(JR京都線)・大阪環状線 阪神電気鉄道:本線(梅田駅) 阪急電鉄:京都本線・宝塚本線・神戸本線(梅田駅) 大阪市営地下鉄:御堂筋線(梅田駅)、谷町線(東梅田駅)、四つ橋線(西梅田駅) |
大阪府 | 大阪市北区 |
塚本駅 | 4.3 | ▲ | | | | | 大阪市淀川区 | ||
福知山線 | |||||||
尼崎駅 | 0.0 | ● | ● | ● | 西日本旅客鉄道:東海道本線(JR神戸線)・JR東西線 | 兵庫県 | 尼崎市 |
塚口駅 | 2.5 | ● | | | | | |||
猪名寺駅 | 3.9 | ● | | | | | |||
伊丹駅 | 5.8 | ● | ● | ● | 伊丹市 | ||
北伊丹駅 | 7.9 | ● | | | | | |||
川西池田駅 | 11.0 | ● | ● | ● | 阪急電鉄:宝塚本線(川西能勢口駅) 能勢電鉄:妙見線(川西能勢口駅) |
川西市 | |
中山寺駅 | 14.5 | ● | ● | ● | 宝塚市 | ||
宝塚駅 | 17.8 | ● | ● | ● | 阪急電鉄:宝塚本線・今津線 | ||
生瀬駅 | 19.7 | ● | | | | | 西宮市 | ||
西宮名塩駅 | 21.9 | ● | ● | ● | |||
武田尾駅 | 25.1 | ● | | | | | 宝塚市 | ||
道場駅 | 30.1 | ● | | | | | 神戸市北区 | ||
三田駅 | 33.7 | ● | ● | ● | 神戸電鉄:三田線 | 三田市 | |
新三田駅 | 36.9 | ● | ● | ● | |||
広野駅 | 39.7 | ● | ● | ● | |||
相野駅 | 44.0 | ● | ● | ● | |||
藍本駅 | 48.2 | ● | ● | ● | |||
草野駅 | 50.2 | ● | ● | ● | 篠山市 | ||
古市駅 | 53.5 | ● | ● | ● | |||
南矢代駅 | 56.1 | ● | ● | ● | |||
篠山口駅 | 58.4 | ● | ● | ● | |||
丹波大山駅 | 60.7 | ● | ● | ||||
下滝駅 | 68.7 | ● | ● | 丹波市 | |||
谷川駅 | 73.0 | ● | ● | 西日本旅客鉄道:加古川線 | |||
柏原駅 | 80.0 | ● | ● | ||||
石生駅 | 83.2 | ● | ● | ||||
黒井駅 | 87.5 | ● | ● | ||||
市島駅 | 94.0 | ● | ● | ||||
丹波竹田駅 | 98.2 | ● | ● | ||||
福知山駅 | 106.5 | ● | ● | 西日本旅客鉄道:山陰本線 北近畿タンゴ鉄道:宮福線 |
京都府福知山市 |
尼崎港線(廃止)
- 接続路線
-
- 塚口駅:国鉄福知山線(宝塚・福知山方面)
- 尼崎駅:国鉄東海道本線
※1981年旅客営業廃止当時のもの。JR東西線は未開業。尼崎港線の尼崎駅は東海道本線の駅とは約300m離れていた。
過去の接続路線
名称等は廃止時点のもの。有馬線休止当時は鉄道省。
- 塚口駅:国鉄福知山線(尼崎港線) - 1981年4月1日旅客営業廃止、1984年2月1日廃止。
- 川西池田駅:能勢電鉄妙見線(国鉄前線)(川西国鉄前駅)- 1981年12月20日廃止。
- 三田駅:国鉄有馬線 - 1943年7月1日休止。
- 篠山口駅:
- 福知山駅:北丹鉄道 - 1971年3月2日休止、1974年2月28日廃止。